ラベル 野口卓 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 野口卓 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年4月21日月曜日

野口卓『飛翔 軍鶏侍』(2)

 雨模様の寒い月曜日なった。昨日は、よほど疲れがたまっていたのか、風邪気味でもあって午後から夕方まで眠ってしまい、ほぼ何もしない日曜日になった。このところ本を読む気力もわかないほど疲れていたので、まさに「休日」となってしまった。こういう疲れも、なんだか久しぶりのような気がしている。

 さて、野口卓『飛翔 軍鶏侍』(2012年 祥伝社文庫)の第三話「巣立ち」であるが、大村圭二郎の父は、公金横領の罪を着て腹を斬り、大村家は家禄を減らされて濠外の組屋敷に移されていた。自死したのは大目付の林甚五兵衛の屋敷の庭先だった。その父親の死について、当時、小目付として林甚五兵衛の下で働いていた綾部善之助が病を得た死の床で、圭二郎の兄に、父親は自死ではなく、林甚五兵衛によって斬り殺されたのであり、公金を横領していたのが林甚五兵衛であったという真相が告げられるのである。林甚五兵衛は、圭二郎の母の芙蓉に懸想して、横恋慕もしていたが、芙蓉がそれを受け入れるわけがなく、その逆恨みもあったと語る。だが、源太夫も絡んだ藩の政変が起こり、林甚五兵衛は隠居させられ、家禄も減らされた。しかし、林は今もなおかくしゃくとしており、剣の腕も相当に立った。

 そこのことを知った圭二郎の兄の嘉一郎は、激情型の弟に真相を告げることを逡巡した。圭二郎の暴走を恐れたのである。嘉一郎には、貧しい家でも嫁に来てくれるといった「和」という婚約者がいたが、圭二郎が暴走するとその結婚も危ぶまれることになる。だが、母の芙蓉は既にその真相を察していたし、圭二郎にもそれが告げられた。そして、くれぐれも短慮にはやるのではなく、まず、林甚五兵衛に勝つだけの腕を磨くように圭二郎を諭す。そして、その日から圭二郎の様子が変わった。父の無念を晴らすことが圭二郎の目標になった。彼は、そして以前より稽古熱心だったが、さらに拍車をかけたように稽古に邁進しはじめたのである。

 その変化を師である源太夫が見逃すはずがない。源太夫は兄の嘉一郎から事の真相を聞きだし、なんとか藩の仇討免状をとり、圭二郎に仇を討たせたいと思い始める。そして、友人で中老をしている芦原讃岐に相談するが、真相の証拠がないので難しいとの返事であった。源太夫は圭二郎を道場に住みこませて腕を磨かせることにし、圭二郎もそんな源太夫の気持ちをくみ取って、早朝の掃除なども含めてさらに稽古に励んでいく。

 他方、源太夫自身は、「闘わずして勝つ」ことに向けて自分を向上させることへと向かっていたが、彼に闘いを挑む新たな人物が出現する。川萩伝三郎という浪人で、彼は、かつて旗本の秋山勢右衛門(二代目)から刺客として送り込まれた馬庭念流の使い手の霜八川刻斎を倒すことを目標にしていたが、その霜八川刻斎が源太夫にあっさり破れたことを知り、源太夫に勝負を挑んできたのである。彼は源太夫の秘剣「蹴殺し」と闘うことを願う。源太夫は川萩の申し出を受けて、彼と闘うことになる。そして、「蹴殺し」を使って源太夫は川萩を破る。それから次々に源太夫に挑戦してくる者が現れるが、源太夫はことごとくこれを退け、「蹴殺し」の多様な技を使う。それは、彼が秘剣を超えたところの技をすべて「蹴殺し」と呼ぶことを弟子たちに示すためであった。そして、彼は大村圭二郎に「蹴殺し」が生まれた経過を語って聞かせる。

 そのころ、源太夫から相談を受けた中老の芦原讃岐も、圭二郎の父親の冤罪の証拠を探し出そうとしていたし、圭二郎の兄の嘉一郎の縁談話も進んでいた。嘉一郎は仇討のことがあるので自分の縁談話を逡巡していたが、母親の芙蓉は、「和」が嘉一郎と苦労を共にしたいと言っているのを聞いて、それで十分だと、その話を進めるように言う。そして、嘉一郎と和の婚儀が整うし、芦原讃岐の働きによって藩主から仇討免許状も出ることになる。和は「己を知る」よくできた嫁で、自分は字を知らないから教えてほしいと義母の芙蓉に頼んだりする素直で働き者であった。そして、圭二郎と嘉一郎は見事に父親の無念を晴らすのである。こうして大村家の家禄も元に戻されることになったばかりか、圭二郎に分家を立てることもゆるされるようになる。だが、大村圭二郎は出家すると言い出す。彼は彼なりに人生と人間を考え、そのような結論に達したのである。だから、源太夫は、圭二郎の剣の腕を惜しみつつも、彼を碁仲間の正願寺の恵海和尚に託すことにする。こうして圭二郎は僧としての修業を重ね、得度をして恵山という僧名を持つ者となるところで終わる。

 父親の無念を晴らす仇討ということを通して、一人の若者が精神的に大きく成長していく姿を描いているのだが、それと同時に、師である主人公の源太夫も、そして、それを読む読者をも精神的に大きくしていくような展開が意図されている気がする。第四作目が楽しみではある。

2014年4月19日土曜日

野口卓『飛翔 軍鶏侍』(1)

 優しく咲き乱れた桜が散って、季節は、心を穏やかに落ち着かせる葉桜の季節に向かおうとしている。窓から入る風がずいぶんと柔らかになった。しかし、ついに三月末から続いている怒涛のような日々の疲れが出たのか、風邪をひいてしまった。新しく物事を始めるというのは「しんどい」ことではある。

 さて、以前、時代小説として優れた作品だと思っていた野口卓「軍鶏侍」シリーズの三作品めである『飛翔 軍鶏侍』(2012年 祥伝社文庫)を、これも面白く読んだ。

 主人公の岩倉源太夫は、人付合いの煩わしさから早々に隠居し、好きな軍鶏を飼いながら剣術道場でも開いてのんびり暮らすつもりであったが、ふとしたことから藩のお家騒動に巻き込まれ、それまで「軍鶏侍」と揶揄されていた彼の剣名が上がり、人生が一変していくようになっていた。周囲の勧めもあって、若い妻を迎え、42歳で男子をもうけ、それまでの下男の権助と暮らしていた殺伐とした暮らしも一変した。

 彼は、闘鶏からヒントを得た「蹴殺し」という秘剣を編み出した孤高の剣士であったが、夫であり父である家庭人となり、開いた剣術道場で若い藩士たちを育てる教育者となっていくが、凛とした姿勢を崩すことなく、彼の下に集まった弟子たちの成長を見守っていく。弟子たちもまた、それぞれに成長していき、それが成長潭として描かれるだけでなく、問題を抱えながら人間の深みと内実の豊かさに至っていくような姿として展開されていく。前にも記したが、その過去が秘されたままで優れた知恵と生活技術をもつ下男の権助との、時には逆転する主従関係が作品に軽妙さと深みを添えるものとなっている。

 本作の第一話「名札」は、岩倉源太夫が優れた教育者となる葛藤をする物語で、最初に問題児として登場するのは、深井半蔵という青年である。

 岩倉源太夫が藩主のゆるしを得て岩倉道場を開いたとき、ほかの道場から彼の道場に鞍替えする弟子たちがかなりの数に上り、特に大谷道場と原道場の道場主が危機感を抱いて、岩倉源太夫を襲撃したことがあった。源太夫はその襲撃を退け、道場主たちは、園瀬藩の藩内から逐電し、それぞれの道場からかなりの数の門弟が岩倉道場に移って来ていた。だが、それらの多くの者たちは、志が低いこともあり、性格のねじれた者が多く、岩倉道場の厳しい規律と稽古に耐えられずに、やがてかなりの弟子は姿を見せなくなっていた。深井半蔵は、その中で岩倉道場を辞めなかった弟子たちの一人であったし、しかも彼は、源太夫を襲撃した大谷道場では一番弟子であり、源太夫を闇討ちした一人だった。

 源太夫は、それと知りつつ彼の入門をゆるしたが、やはり、彼は道場内ではかなり浮き上がった存在となり、ひねくれて絶えず不満を洩らしていた。弟子の格付けが名札によって示されるが、半蔵は自分の名札の位置が気に入らなかったのである。

 人は、自分のことが高く評価されると嬉しいので、自分の席次が気になる人が多いが、もともとこういうことに拘る人に大した人はおらず、「ひねくれ」は、その拘りから生まれてくる。

 あるとき、深井半蔵は道場で仲間と一緒に酒盛りを始めた。それを咎めた源太夫に対して、道場での飲酒を禁じることは道場訓に記されていないと屁理屈を言い、自分の剣の腕が正しく評価されていないと不平を爆発させた。源太夫は「人は自分を過大に、他人を過小に評価する」(32ページ)と諭し、深井半蔵の席次について証明してみせると語る。源太夫は、半蔵が心の裡に空洞のようなものを抱えていると感じていた。だれかに自分をわかってもらいたいし、認めてもらいたいが、誰にも無視されていると感じて、目立つ行動に出ていたと判断した。少年時代の半蔵は、だから敢えて人の嫌がるようなことばかりし、それがかえって除け者にされるという悪循環に陥り、それが現在まで続いている(34ページ)のだと思う。半蔵は四男で部屋住みの厄介のまま23歳になっていた。

 源太夫は、15歳になる弟子の大村圭二郎と14歳の藤村勇太に半蔵の腕を証明するのに手伝ってもらうことにする。源太夫が大谷道場の大谷馬之介を蹴殺しで倒した時に居合わせた弟子の柏崎数馬と東野才二郎に教えていた鍛錬法を大村圭二郎と藤村勇太は自ら取り入れて密かに稽古を重ねていたからである。その鍛錬法は、相手に向かって小石などを力一杯投げ合って、それを躱す(弟子たちは勝手にそれを投避稽古と呼んでいた)のと、小石の代わりに矢を射かけるのを躱す(矢躱稽古)と暗闇でもものを見る鍛錬(梟猫稽古)である。稽古熱心な大村圭二郎はそれをどん欲に取り入れ、圭二郎を慕う藤村勇太と二人で鍛錬していたのである。源太夫は、妻のみつにお手玉を作ってもらい、それを用いて、23歳の深井半蔵と14歳の藤村勇太を対決させた。その際に、初めに師範代と言えるほどの腕を上げている東野才二郎と大村圭二郎にそれをやらせてみせてから、試合に臨ませた。この辺りが、教育者として作者が主人公を描き出そうとする工夫と言えるだろう。

 結果は歴然としていた。自意識の強い23歳の深井半蔵は、見事に14歳の、しかもひ弱そうに見える藤村勇太に破れたのである。半蔵と酒盛りをしていた仲間たちは姿を消した。やがてほかの弟子たちは誰も彼らのことを気にしなくなっていたが、源太夫は気に病んでいた。

 しかし、やがて、十月近くが過ぎたとき、四人が再び道場を訪ねて来た。その時の彼らは、以前の荒れた気配が消え、静かに詫びを入れた。源太夫は、一目で彼らが立ち直ったことを悟り、稽古をつけてやる。四人はこれまで死にもの狂いで鍛錬に励んでいたことがわかった。彼らは乗り越えたのである。源太夫はそのことがわかって、彼らを温かく受け入れていく。

 第二話「咬ませ」は、軍鶏の鶏合わせから始まる。鶏合わせとは闘鶏のことであるが、現太夫は権助の進言を入れて、「義経」と名付けられた老いた軍鶏と若い軍鶏を戦わせて、若い軍鶏に勝負勘をつけさせようという育成法を取り入れたのである。

 軍鶏の寿命は、通常、1012年と言われ、最盛期は4〜5歳の頃であるが、「義経」は8歳になっていた。「義経」は、非常に高い能力を持つ軍鶏であったが、その衰えは隠しようがない年齢に達していた。

 源太夫は、義経を「咬ませ」として若い鶏と闘わせ、義経は技量豊かに闘う。だが、若くて優秀な若い軍鶏は反撃をしはじめ、源太夫は老いていくことの悲哀を感じて、その闘いを中断させてしまう。だが、権助は「権助めが義経でしたら、たとえ咬ませであろうと、若鶏の稽古台であろうと、闘えるあいだは、闘い続けたいです」(97ページ)と、闘う軍鶏として生まれた軍鶏の思いを語る。そして、それを聞いて源太夫は、自分の思いを反省するのである。

 この短い老いた軍鶏の話が、実は挿話のようにして伏線として張られて、次の第三話「巣立ち」へと繋がる展開になっている。

 第三話「巣立ち」は、源太夫のもとで修業を行い、ついには「若軍鶏」とまで呼ばれるようになった若い大村圭二郎の成長の物語である。それについては長くなるので、次回に記すことにする。


2014年1月6日月曜日

野口卓『獺祭(だつさい) 軍鶏侍』(2)

 昨日は「寒の入り」らしくひどく寒い日曜日になり、今日も快晴ではあるが、気温の低い日になっている。周囲に風邪をひかれている方も多く、今年の風邪はしつこいようで、体力も気力も奪われてしまうから、如何ともしがたいところがある。今年のお正月は2日の日だけ何もせずに休んで、後は仕事三昧という日々だった。しかし、『猫侍』というテレビドラマを熊本のSさんから教えていただき、これが抱腹絶倒の面白いドラマで、YouTubeで見入っていた。

 さて、野口卓『獺祭(だつさい) 軍鶏侍』の第三話「岐路」は、岩倉源太夫の剣術道場の若い二人の門弟の恋とそれに伴って起こるそれぞれの人生の岐路を描いた作品で、これも構成といい展開といい力作で、冒頭で源太夫がかつての源太夫の剣術の師であった日向主水が語った「一点を見ながら全体を見、全体を見ながら一点を見る」という剣の極意のような言葉を思い起こす場面が描かれ、その視点の中で若い二人の人生の岐路が描かれているのである。人生の岐路にある者は、自分が直面している物事や自分の岐路しか見えない。しかし、そこで全体を見る目をもつことができる時、人はその岐路の選択をあまり間違えないで行うことができる。そうした人生の綾がこの作品で織りなされていく。

 源太夫は。道場で精彩を欠いている田貝忠吾のことが気になった。田貝忠吾は、園瀬藩の家老格の家の息子であるが、父親の聡明で武術に優れた姿とは異なり、蒲柳の質で弱々しく見える22歳の若者だった。母親が病に伏せって、遠縁の綾という娘がその母親の世話をしているという。忠吾はその綾に思いを寄せているようだし、綾も彼を慕っているが、忠吾が幼い時に父親が酒席で友人の娘をくれとの申し出をしており、公認の許嫁が決まっていたのである。許嫁の喜美恵も綾も、共に美貌であり、気立てもよく、礼儀作法から躾までできた申し分のない素晴らしい娘である。父親は喜美恵を勧め、母親は綾を勧めていた。

 しかし実は、彼は喜美恵でも綾でもなく、年上の女中のお吉に慰めを見出していたのでる。だが、お吉とは身分の違いもあり、家老格の家ではゆるされるはずもなかった。切羽詰まったように感じた彼は、ついに泥酔したり役目をおろそかにしたりして、遊郭に借金まで作ってしまった。怒った父親は城には病気願いを出し、座敷牢に忠吾を閉じ込めた。だが、忠吾はお吉の手引きで座敷牢を逃げ出し、ついに出奔したのである。

 もう一人の弟子の狭間銕之丞は、源太夫の妻の「みつ」の前夫で源太夫が藩命によって斬らねばならなかった立川彦蔵の妻の弟である。立川彦蔵は妻の不貞の現場を押さえて、妻を男と共に斬り、出奔したために源太夫が藩命によって止むなく彼を討ったのであり、銕之丞は源太夫と共に彦蔵の討手に命じられてその場に居合わせた青年であった。

 源太夫は彦蔵を懇ろに葬り、その墓参を欠かすことはなかったが、同行した銕之丞がその寺で幼いころによく知っていた民恵と再会し、二人が恋に陥るのである。民恵は、父親は銕之丞の父親と同じく槍組の武士の娘であったが、父母が早くに亡くなったために、比較的裕福な土地持ちの百姓である作蔵に引き取られて育った娘であった。昔、民恵の父親が大雨で増水した川で溺れた少年を助け、その少年が作蔵で、作蔵は民恵の父親に命の恩義を感じて、身寄りがなくなった10歳の民恵を引き取ったのである。それから6年の死月が流れていた。民恵は義母の手伝いもよくし、三人の義理の弟妹の面倒もよく見、美しく育った娘だった。そして、いくつもの縁談があったが、弟や妹が大きくなるまでは嫁に行かぬと断っていたのである。

 銕之丞と民恵は再開し、お互いに思いを寄せるようになったが、民恵は義理の親への恩を返すのが第一だ、そして、義父の意に沿った人物と結婚すると語る。銕之丞はそこでうじうじと悩むのである。銕之丞の思いに気がついた源太夫は、自分の気持ちを素直に伝えよ、悔いが残らないようにせよ、と銕之丞に語る。

 そうしているうちに民恵の義父である作蔵が源太夫を訪ねてきて、最近の民恵の様子から民恵の気持ちを察し、「自分が望むのは民恵の幸せである」と語り、相手の銕之丞も申し分ない人物であるから、二人を結婚させたいと言い出すのである。自分が気に入った人物は銕之丞だと銕之丞に告げる。こうして、銕除丞と民恵は結ばれることとなり、銕之丞は一つの変貌を遂げて成長していくのである。

 第四話「青田風」は、源太夫が編み出した秘剣「蹴殺し」の詳細が明らかになる展開であると同時に、主人公の岩倉源太夫の人物像がさらに大きく描かれる作品になっている。

 かつて江戸で源太夫の友人で秘剣「蹴殺し」を編み出した際に手伝ってくれた秋山精十郎を、源太夫は、彼が園瀬藩の政争の中で刺客として雇われたために斬らなければならなかった。だが、その秋山精十郎には娘がひとり生まれていた。彼は旗本の三男であり、源太夫の軍鶏の師匠でもあった精十郎の父親の秋山勢右衛門が亡くなった後で、秋山家から邪険にされてやくざの出入りに加担したりしたため江戸におれなくなり、刺客をしていたために精十郎は知らなかったが、小唄の師匠をしていた女性との間に一子の園が生まれていたのである。その後、園の母親は湯島の勝五郎という顔役の囲われ者となるが、勝五郎は剛毅な性格で、利発な園を気に入り、園もまた勝五郎を自分の父親だと思って育った。彼女は剣を習い、美人で聡明な女剣士に育っていた。

 他方、源太夫の軍鶏の師であり精十郎の父であった秋山勢右衛門が亡くなり、その後を継いだ兄も同じ勢右衛門を名乗っていたが、女中腹であった精十郎を嫌い、これを徹底的に無視して追い出していた業腹な人間で、精十郎と源太夫の剣の対決が江戸で噂されるようになると、田舎侍などに噂をたてられるのは我慢ができないと、園に父親の仇が見つかったからこれを討つようにとけしかけるのである。

 園は勢右衛門からそれを聞き、父を討った源太夫を訪ねて、勝五郎と共に園瀬藩へ向かう。だが、実際に源太夫に会ってみて、そのいきさつを源太夫から聞き、源太夫と父との間にあった信頼と友情を感じて、彼の人柄に好感を寄せるようになる。

 しかし、当てが外れた秋山勢右衛門は、新たな刺客を源太夫に送り、これと対決させていくのである。勢右衛門はそこに自分の名誉がかかっていると思い込むほどの愚かな人物に過ぎなかったのである。

 源太夫は刺客と対決し、「蹴殺し」を使って相手を討つ。そして、それを自分の門弟に見せ、秘剣を秘剣でなくしていこうとするのである。すべてが終わった後で、源太夫の妻のみつから園と勝五郎に便りが届く。「園瀬の里は平穏でございます」と。

 この作品で新たな人物が登場する。父親の勢右衛門とは全く異なる業腹で自己中心的な秋山勢右衛門という人物と、精十郎の子の園、そして義父で気風の良い勝五郎である。これらの人物によって、おそらくまた話が膨らんでいくだろう。描写力と構成が非常に優れていて、人物が浮かび上がって来るいい作品であると改めて思っている。

2014年1月3日金曜日

野口卓『獺祭(だつさい) 軍鶏侍』(1)

 こちらでは穏やかな天候の中で、新しい年が事もなく開けた。元旦からもうすぐ締切りの雑誌の原稿の資料集めなどをしていた。今年は一身上の大きな変化を迎える年になるが、生活環境が変化するだけであるから、どこにいっても変わらない営為を続けるだろうと思う。

 さて、昨年末から野口卓の作品を読んでいるが、先に読んだ『軍鶏侍』(2011年 祥伝社文庫)の第二作である『獺祭(だつさい) 軍鶏侍』(2011年 祥伝社文庫)を、これもまた大変面白く読んだ。表題の「獺祭(だつさい)」というのは、作者によれば、川獺(かわうそ)が捕えた魚を食べずに岩の上に並べて置という習性をもつことから、それが川獺の祭りのようで、手の内の全部見せてしまうことを言うのだそうである。この表題がつけられた第一話「獺祭」は、文字通り、主人公の岩倉源太夫が、彼が軍鶏の闘いから編み出した秘剣「蹴殺し」の手の内を見せる展開が記されるのである。

 園瀬藩で、ようやくにして念願の剣術道場を開くことができた岩倉源太夫は、これまで、藩内の勢力争いに巻き込まれる形で、刺客として送り込まれていた旧友の秋山精十郎や妻となった「みつ」の前夫で藩内随一の剣の遣い手と言われた立川彦蔵と藩命によって対決し、さらに、武芸者として彼の秘剣「蹴殺し」との対決を望んだ武尾福太郎の挑戦を退けてきていた。特に、武尾福太郎との対決を目撃した漁師が、そのあまりの電光石火のような業に驚嘆して噂を広めたこともあり、剣客としての名が上がってきていた。

 しかし、藩内で剣術道場を開く大谷道場と原道場の主が、門弟を源太夫に取られることを危惧して、卑怯にも源太夫に闇うちをかけるのである。彼の菩提寺である正願寺の住職である恵海(えかい)和尚から囲碁の手ほどきを受けて面白くなり、その日も正願寺での囲碁を打った帰りに、彼は襲われるのである。だが、腕の違いは明白で、彼は四人の襲撃者を一蹴する。だが、大谷道場の主の兄の大谷馬之介が江戸から帰ってきて、岩倉源太夫との果し合いを望むのである。この二人の兄弟が置かれた事情も述べられ、彼らが世間に対する「怨み」で生きてきた姿も描かれる。

 源太夫は、その試合で彼の秘剣「蹴殺し」を使うと明白に宣言し、見所がある二人の弟子の柏崎数馬と東野才二郎にそれを見せると言う。その言葉のとおり、源太夫は「蹴殺し」の業で大谷馬之介を退ける。「怨み」で生きる者は、結局敗れるのである。源太夫は、秘剣も公にすれば秘剣でなくなるから、以前の武尾福太郎のように秘剣を求めてくる者がいなくなるだろうという。彼は正願寺の和尚に、誰もが臨まないくらいに強くなれば、争わなくても済むようになるから、それを目指していると語っていた。だが、その技があまりに早く、二人の弟子は何が起こったのかを見極めることができなかった。そこで、源太夫は二人の弟子に「蹴殺し」の習得方法を教え、訓練の方法を教えていくのである。それは、文字通り、源太夫の「獺祭」であった。

 この話の中で、源太夫と恵海和尚の囲碁談議があって、将棋はそれぞれの駒の役割と力が決まっているが、囲碁はどの石も同じ力で、だからこそいい形で結びつきができるといかなる攻撃にも耐えられ、その力を存分に発揮することもできる、というのがあり、面白いと思った。静謐さをもつ源太夫は、恵海から囲碁の手ほどきを受け、見る間に強くなっていくのである。こういう挿話で寺の住職との人生談議になっていくあたりが、なかなか洒落た構成で、その人生談議が作品で展開される辺りに作家の真骨頂があるのかもしれないとも思う。

 第二話「軍鶏と矮鶏(ちゃぼ)」は、軍鶏好きの同好者たちの話から始まる。軍鶏は闘鶏に用いられるため、多くの同好者たちは金を賭けて儲けようと企むから強い軍鶏を欲しがる。だが、源太夫は、「美しい軍鶏は強い」という師の秋山勢右衛門の言葉どおり、純粋に美しい軍鶏を育てたいと思っていた。その源太夫と同じような思いをもつ太物問屋の隠居の惣兵衛が源太夫を訪ねてきて、互いの軍鶏を掛け合わせて良い軍鶏を作りだすことを提案するのである。軍鶏の雌は足が長くて羽根も小さいために、卵を産んでもそれを抱くことができないし、雌の軍鶏の脚骨も太く、卵を踏みつぶしてしまう恐れがある。それで、源太夫は軍鶏の卵を脚が短く羽が大きな矮鶏(ちゃぼ)に抱かせて孵化させていた。それが一般的であったが、偬兵衛は、自分が矮鶏の代わりになって軍鶏の卵を温めて孵化させるという。真に軍鶏好きの典型とも言う人物で、源太夫と偬兵衛はすぐに打ち解けた仲になる。そして、美しい軍鶏を育てることの難しさが二人のやりとりで展開されることになるが、それがやがて、ひとりの才能ある少年を育てることにつながる展開になっている。

 源太夫の道場に九歳になる森正造が通っており、彼は町奉行配下の書役である森伝四郎の息子で、目立たない少年だった。だが、この少年には絵の特別な才能があり、密かに源太夫が飼っている軍鶏を写生していたのである。正造の描いた軍鶏は見事で、源太夫は彼の才能に驚嘆する。少年の目はいい軍鶏を見分ける力もあり、それは彼が卓越した絵の才能をもっていることの証しでもあった。

 源太夫は正造が描いた軍鶏の絵を藩校の教授方をしている友人の池田盤晴に見せ、盤晴もその才能を見抜いて、本格的に絵を習わせたらどうかと勧める。だが、正造は絵を描くことをゆるされていなかったし、正造の父親の森伝四郎が強く反対した。源太夫が伝四郎に会って正造の絵の話をしたら、伝四郎はけんもほろろに追い返し、その夜は妻と子をひどく叱責し、正造に源太夫の道場も辞めさせようとした。伝四郎が正造の絵に強く反対するには、事情があったのである。

 正造の母小夜は、伝四郎の後妻であった。伝四郎は小夜と結婚してほどなく書役として江戸詰めとなり、やがて十月半後に正造が生まれたのである。その時に、年若い後妻をもらった伝四郎を妬むつまらない輩が、小夜とある絵師の間に何かあったらしいとの噂を言ったのである。伝四郎は正造が生まれたのが十月半後であったこともあわせて、小夜に対する鬱々とした疑いを抱いた。そして、正造がまだ幼い頃に描いた絵を小夜が嬉々として見せたとき、疑念の炎を燃え上がらせたのである。

 それは全く根も葉もないうわさに過ぎなかった。だが、伝四郎は妻の小夜を信じることよりも自分の名誉に傷がつき、家名が汚されることを恐れた。そして、正造に絵を描くことを禁じたのである。

 道場を辞めさせることを源太夫に伝えにきた小夜は、自分は正造を命がけで守る決心をしたと語り、正造に絵の才能があることを聞かされて、夫に正面から立ち向かい、正造の将来を開くことを決心していく。やがて、その正面からの向き合いが行われたのか、森伝四郎は源太夫の道場での剣術の稽古と絵師について絵を習うことを認め、こうして正造の道が開かれていったのである。

 それからしばらくして、森伝四郎は雨に打たれたことが元で病となり、あっけなく他界した。正造が家督を継いでいくことになり、喪が明けたときに小夜が源太夫のところにきて事情を説明し、母の強さを源太夫は改めて覚えていく。そして、正造は、藩の絵師と共に江戸で本格的な絵の修業を始めることになるのである。源太夫は、道場にその正造が描いた絵をかけて、一件が落着していく。
 長くなったので、第三話と第四話については次回に記すことにする。

2013年12月30日月曜日

野口卓『軍鶏侍』(3)

 年の瀬を迎えて、師走の風が冷たい。今年のすべての仕事をやり終えたと思ったら、もう来年の仕事が始まっているという状態で今年を終えようとしている。無聊を囲うのも辛いものがあるが仕事に追われるのも「しんどい」ものがある。「働けど、働けど」の状態が続くからだろう。書かなければならない原稿の締め切りも迫ってきたなあ。

 それはともかく、少し長くなっているが、野口卓『軍鶏侍』(2011年 祥伝社文庫)の第四話「ちと、つらい」は、大筋からすれば少し脇道にそれたような作品ではあるが、少なくともわたしにとっては感動的な男女の話であった。本書の中では一番わたしの琴線に触れた。

 物語の発端は、園瀬藩の中でも仲人口で自他共に認める大納戸奉行の須走兵馬が、「妻煙たし 女房おそろし組」(いわゆる女房が怖いが、酒を飲むことが好きで、女房に内緒でこっそり酒席を設けたりする藩士たち)の酒の席で、藩内きっての小男と大女をくっつけるという賭けをし、その二人の仲を取りもとうとするところから始まる。

 四尺六寸(1.4メートル未満)しかない弓組の戸崎喬之進(きょうのしん)は、背丈が低いことに合わせて痩せて顔色も青く、見栄えがしないところから「侘助」と呼ばれる人物で、貧弱な体と風采のあがらない顔貌をしていた。他方、鉄砲組の大岡弥一郎の長女多恵は、五尺六寸(約1.7メートル)はある立派な体格をし、胸も大きければ腰もどっしりしている女性で、体が大きいことを恥じてかあまり人前にも出ずに、大きな女という印象ばかりが独り歩きしていた女性であった。喬之進は32歳、多恵は27歳で、要するに一方は嫁の来がなく、他方は売れ残った男女であった。

 その二人をくっつける賭けをした須走兵馬は、それと知らさずに二人を自分の屋敷に呼んで合わせる。だが、二人は黙ったままで、顔も見ずに退屈しているようだった。しばらく様子を見ていると、二人は嬉しそうに笑ったりしていたが、なんで笑ったのかと聞かれても、ただなんとなく愉快だったと答えただけであった。

 戸崎喬之進は、かつては剣術道場で岩倉源太夫以来の逸材と言われた人物であったが、ある試合に勝ったときに師の教えていない技を使ったということで破門され、それ以来、剣を捨てていたためにもはや誰もそのことを覚えていずに、ただ貧相な体格だけが印象に残っていた。他方、多恵は父親に小太刀を習った小太刀の使い手であった。

 だが、この二人が結婚する運びとなったのである。多恵の父親は相手のあまりの貧相さと石高が半分しかない貧しさに反対したが、多恵は、きっぱりと喬之進との縁談を受けたのである。多恵は、一度会った時に、喬之進が見かけとは違い、少々のことには動じない肝が座った人物であり、その発する気を感じていたし、喬之進の物静かな優しさに安らぎを感じていたのである。だれも喬之進の真実の姿を見抜けなかったが、多恵はそれを見抜いたのである。

 小柄で貧相な戸崎喬之進と大柄でふくよかな多恵の婚儀は藩内で話題となった。二人の夫婦仲もよく、多恵は自信を取り戻しかかのように顔を上げて歩くようになっていた。その時になって人々は多恵が美貌の持ち主であることに気がついていったのである。

 しかし、そのことを面白く思わない連中をもいた。それはかつて多恵に婚儀を申し入れて断られた男たちで、自分ではなく侘助と言われるような貧相な喬之進が選ばれたことに腹を立てていたのである。中でも、負けず嫌いな馬廻り組の酒井洋之介は、多恵との話を断られて組頭の次女を妻女にして小頭になったが、妻はぎすぎすした悋気の強い女性であったし、彼自身が剣の使い手だと自認していたから、喬之進を頭から馬鹿にして、事あるごとに侮辱的な言葉を投げつけていたのである。

 喬之進も多恵も、そうした洋之介の暴言を児戯にも等しいことだと受け流していたが、洋之介の侮辱は執拗で、あるとき、夫婦和合のことで侮辱され、喬之進はついに酒井洋之介と果し合いをすることになってしまうのである。

 周囲は、小柄で貧相な喬之進が敗れることを心配する。だが、喬之進は「案ずるでない」と多恵に語る。多恵の父親は、心配になり、立会人を藩随一の使い手であると言われる岩倉源太夫に依頼する。源太夫はそれを引き受け、戸崎喬之進と酒井洋之介の剣の腕は天と地ほど違うから、心配には及ばないと断言する。しかし、多恵の父親も仲人をした須走兵馬もそれが信じられなかった。多恵もまた、夫を信じたいと思うが、不安もあった。

 そして、対決の場。多恵はそこに駆けつけて、夫の代わりに酒井洋之介と対決しようとする。だが、喬之進は「黙って見ておれ」と言い、二人の対決が始まるのである。初めから喬之進を馬鹿にしていた洋之介は上段に構えて木刀を振り下ろす。だが、腕は格段に違って、喬之進は洋之介の攻撃をすべてかわしていく。洋之介は真剣勝負を望み、そして、一撃で倒されるのである。喬之進は洋之介の髷を見事に切り落としたのである。髷を切り落とされた洋之介は恥じて出奔した。

 帰宅して、多恵は「出過ぎた真似をして申し訳もございません」と喬之進に謝る。喬之進は、「それもこれも、わしの身を案じてくれてのことだと思う」と語り、「が、もそっと信じてもらわねば、夫たるもの、・・・ちと、つらい」と言う。多恵は無言のまま夫に抱きついて、わが夫の大きさを感じていくのである。

 これは、展開に若干の安易さはあっても、一話の完結として優れた作品だと思う。出来うるなら、酒井洋之介が単なる悋気からの嫌がらせをする人物ではなく、戸崎喬之進の上役であればなおいいかもしれないとも思ったりする。

 第五話「蹴殺し」は、表題のとおり、主人公の岩倉源太夫が軍鶏の闘いからヒントを得て編み出したという秘剣「蹴殺し」についてである。源太夫の秘剣「蹴殺し」の噂が広まるに連れて、他の剣客がそれを知ろうとする事態が出現していくことになる。その手始めが、源太夫の道場に食客となった武尾福太郎と名乗る人物であった。

 武尾福太郎は、親類の世話にならなくなって旅に出たが、途中で枕探し(泥棒)に有り金全部を盗まれ、何か仕事をさせてもらいたいと言ってきて、道場の食客となったのである。やがて、源太夫の子どもたちもなつき、道場の若い弟子たちも一目を置くようになっていくが、梟のように夜目が利き、源太夫の秘剣の正体を探り出そうとするのである。

 そのことを察した源太夫は、秘剣など見せるものではないと断るが、福太郎は武芸者としての血が騒ぎ、ついには源太夫の子である市蔵を人質にとって源太夫との真剣勝負を望むのである。源太夫は、その時、彼の望み通り、「蹴殺し」の一つを用いて、その勝負に勝利する。源太夫は、武尾福太郎の遺体を丁寧に寺に埋葬してもらい、線香を手向けていくのである。武芸者としての悲哀を感じて、本書が閉じられる。

 これはシリーズ化されているので、続編を読みたいと思っている。なかなかの秀逸な力作で、構成や展開は驚くほど工夫がなされているし、登場人物たちのあり方が筋が徹されていて、読み応えのある作品になっている。中でも、権助という人物はすこぶる魅力的である。本格派のいい作家と作品に出会ったと思っている。

2013年12月26日木曜日

野口卓『軍鶏侍』(2)

24日(火)のクリスマスイブの日、大学の講義から急いで戻ってきてイブの礼拝を守り、流石にくたくたに疲れ果てて、その疲れがまだなかなか抜けないでいる。今日から年末年始にかけて大寒波が襲来するという。寒いとなかなか疲れも取れない気がする。

昨日は、お正月の間に読む本を借りに図書館に行ってきた。その図書館で対応してくれた図書館員の人は、眉にしわを寄せて話す癖があるのか、穏やかさとは無縁のところで生きている方のようで、利用者が多いからやむを得ないところがあるとは言え、少し残念な人だった。

閑話休題。野口卓『軍鶏侍』(2011年 祥伝社文庫)の第二話「沈める鐘」は、念願の剣術道場を開くことができた主人公の岩倉源太夫が妻を娶っていく話から始まっていく。

源太夫は若い頃に一度妻帯し、一子を設けたが、結婚してすぐに江戸勤番となり、剣術の修行に明け暮れ、剣術にしか関心がなかった。帰国しても彼の関心は剣術にしかなく、妻と子をほとんど構うことなく、妻もまた、源太夫が軍鶏を飼い始めたことで、鳴き声や鶏糞の匂いで頭痛がすると不機嫌で、家の中は陰気な空気が漂っていた。そして、その妻が病でなくなり、源太夫は亡き妻に対してすまなかったとの後悔の念を抱いていた。

だが、道場を開くにあたって家事を取り仕切る妻女が必要だろうと息子の嫁の兄が縁談話をもってきたのである。そこには家族水入らすで過ごしたいと思っている息子夫婦の意向も働いていて、源太夫の再婚話はあれよあれよという間に進んでいく。相手は「みつ」という二十八歳になる女性だと言う。

「みつ」は、武具方の武藤六助の三女で、十八歳で同じ武具方の立川彦蔵という男に嫁いだが、八年経っても子ができないということで離縁され、実家に戻っていた女性であった。「みつ」の夫であった立川彦三は、「みつ」を離縁してすぐに再婚し、子どもができている。「みつ」は出戻りとして着物を縫ったり近所の娘たちに裁縫を教えたりして生活しているという。心根の優しい控えめな女性であると源太夫は聞かされる。そして、話は電撃的に進み、道場開の三日前に婚儀をするということになっていくのである。

そんなある日、源太夫は下働きの権助と共に、運んでいた馬とともに川の淵に沈んだ鐘の音が今も時折聞こえるという伝説のある沈鐘ヶ淵に夜釣りに出かけ、源太夫は鐘の音を聞く。こうした挿話の挿入は実に巧みで、その鐘の音が源太夫の心の声と重なるようにして描かれていく。

権助は軍鶏の飼育だけでなく釣りについても名人級の知識と技量をもっていて、主従の関係が面白く逆転していくところがある。「ようよう軍鶏がわかってまいりましたな、大旦那さま」と言ったりするのである。

「みつ」との婚儀も滞りなく終わり、剣術道場も三十人ほどの新弟子が集まって開かれた。「みつ」は、真に素晴らしい女性であり、こうして順風満帆に源太夫の再出発が始められた。だが、「みつ」の前夫である立川彦蔵が、彼の妻とその不義の相手を一刀両断にして斬り、出奔したという知らせを受けるのである。

立川彦蔵の後妻となった女は、以前から名う手の遊人で見栄えの良い男と深い仲にあり、その男に上格の家との縁談話が持ち上がったことを機に、その男が彼女を下司である立川彦蔵に彼女を押しつけ、彼女が子を産んだあとに再び寄りが戻っていたのである。立川彦蔵と後妻との間に生まれた子は、実は、その男の子であった。立川彦蔵は随分と忍耐をしていたが、彼の妻とその男が出会い茶屋で抱き合っているところに乗り込んで、二人を斬り殺して逐電したのである。姦婦姦夫の成敗は無罪だが、脱藩は死罪に値する。立川彦蔵は藩随一の剣の使い手であり、岩倉源太夫にその討手の命が下された。

源太夫は討手となることを拒んだが、もうひとり選ばれた討手がその女の弟であり、主命であることを聞かされて、やむなく立川彦蔵の討手として彼と対峙するのである。討手となった弟は狭間鐵之丞で、義兄であった立川彦蔵が優れた人物であると言う。

源太夫は立川彦蔵に好ましさを感じながら、彦蔵の出身地である貧農に彼がいるような気がしてそこに向かい、静謐さと威厳を身にまといながらも死を覚悟した立川彦蔵と会うのである。彦蔵の妻は、彦蔵が出会い茶屋に踏み込んだとき、相手の男に「その男を斬って」と夫を「その男」呼ばわりして叫んだと言う。源太夫は闘いを回避しようとするが、彦蔵は、もはや死を覚悟しているという。こうして、源太夫と彦蔵は死闘を繰り広げることになる。源太夫は満身創痍となりながらも、なんとかその闘いに勝つ。だが、源太夫は深く心に痛みを覚えていく。

満身創痍の源太夫を「みつ」と権助が介護する。権助の手際はよく、源太夫は次第に回復していくが、立川彦蔵の残された一子(彦蔵との血の繋がりはな位が)の三歳になる市蔵を養子にして育てたいと「みつ」に申し出、「みつ」はそれを快諾するのである。死闘をした立川彦蔵の亡骸も懇ろに弔う。こうしたところに、岩倉源太夫という主人公の度量の大きさと思いやりの深さがにじみ出て、また、「みつ」の大きさと愛情の大きさも描かれ、この夫婦が、人としての温かみのある夫婦であることが記されていくのである。そして、石女として離婚された「みつ」が懐妊する。源太夫にとって、彼の孫よりも若い子が誕生することになるのである。

そのとき、源太夫は、なぜ自分に沈鐘ヶ淵の鐘の音が聞こえ、側にいた権助には聞こえなかったかを悟る。源太夫はこの一年の間に、やむを得ない事情があったとは言え、刺客となった旧友と妻の前夫を斬り、強く後悔をした。それによって源太夫は死という負の方へ向いてしまっていたが、権助は生という正の方へ目を向けていた。だからだと思うのである。そして、とことこと歩いてくる市蔵を両腕で抱えて青空に向かって高々と差し上げる権助の姿に人の歩み方を学んでいくのである。

第二話の最後の情景としてその権助の姿が記されて、これも秀逸の作品としての終わり方をしている。

第三話「夏の終わり」は、一人の青年が自らの殻を破って脱皮していく成長譚である。物語が始まる前に、下働きの権助が軍鶏の餌となる雀を捕える場面があり、「生き物にはそれぞれに習い性というのがありまして」(147ページ)という言葉があり、この言葉がこれから展開される一人の青年の脱皮へと大きく関係していくことになるという、真に巧みな技法が使われている。

物語の中心となるのは、岩倉源太夫の友人で藩の学問所の教授方をしている池田盤晴が源太夫に剣術の修行を依頼した頑固で他の者ともうまくつきあえない不器用な教え子の十歳になる大村圭二郎である。

大村圭二郎は、徒士組頭の大村庄兵衛の次男だったが、父親の庄兵衛が切腹をしなければならない事件が起き、お家断絶はまぬがれたが家禄を四分の一に減らされ、屋敷も組屋敷に移され、家督を継いだ兄は、それでも真面目に仕事に励んでいたが、圭二郎はその衝撃に耐えられずに歪んできていたのである。寡黙でほとんど口をきかず、表情が異常に乏しい少年だった。圭二郎は十一歳になったが、変わらないままであった。父の非業の死は少年の心に重い影を落としていた。

その圭二郎を源太夫も妻のみつも案じるが、みつは「誰か見守ってくれる人がいることを知ることが励みになる」と言う。そして、圭二郎は藤が淵と呼ばれる淵に巨大な鯉がいることを見つけ、この鯉を捕まえることで自分を変えようとしていく。その手助けを博識の権助がしていくのである。権助は周到な準備を幾日も重ねて忍耐強く待つことを教える。圭二郎はその権助の指示に従い、ついに鯉を釣り上げる日がやって来る。彼は、横殴りに降りつける雨に打たれながら鯉と格闘していくが、釣り上げる寸前で老練な鯉に糸を切られてしまう。しかし、権助は、「これでよかったのだ」と言う。

周到な準備を長い時間かけての失敗。だが、この出来事が圭二郎を一変させる。道場の床拭き掃除もし、熱心に稽古もするようになり、腕も上がり、皆から一目置かれるようになっていくのである。少年が脱皮して青年となる。権助はそれを見守るのである。こういう人物が周りにいることは少年にとって何よりも幸いである。第二話のはじめの方で示されたみつの言葉がこうして具体化されているのである。こういう構成が小説を優れたものにしているとつくづく思う。