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2012年11月12日月曜日

池端洋介『元禄畳奉行秘聞 江戸・尾張放火事件』


 空模様が毎日変わって、段々と冬が近づいているのを感じながら、時が過ぎている。朝は雨模様であったが、お昼前後から晴れてきた。街路樹の銀杏も黄色く色づき始めひらひらと散っている。道行く人の格好は、もうすっかり冬の姿で、どこか縮こまっている感じがしないでもない。

 昨夜も、気楽な作品をと思い、池端洋介『元禄畳奉行秘聞 江戸・尾張放火事件』(2009年 大和書房文庫)を読んでいた。これは、元禄時代の尾張藩士で、『鸚鵡籠中日記』を書き残した朝日文左衛門(重章)を主人公としたこのシリーズの二作目で、一作目と三作目を読んでいたので、その間の物語ということになる。一作目が尾張藩の後継者問題、三作目が徳川将軍職を巡る紀州藩との争いになっており、第二作目は、その紀州藩との争いの萌芽が語られ、特に、紀州の二代目藩主の徳川光貞が将軍徳川綱吉に贋作の刀を贈り、恥をかいたということがあったが、それが尾張藩で作成された物であることから、紀州藩が尾張藩領内で贋作を作ったと思われる村を焼き討ちにするという事件が起こったことを取り上げて、そこに主人公を絡ませる展開となっている。これが表題の「尾張放火事件」である。

 もう一つ、江戸で紀州藩邸が焼けてしまうという大火が起こったが、これを、将軍位をめぐる争いで、紀州藩の信用をなくそうとした尾張藩の付家老であった成瀬家によるものとして物語が展開される。それが「江戸放火事件」である。将軍綱吉には継子がなく、紀州と尾張が後継者をめぐって争う中で、なんとか尾張のから将軍を出して、それによって付家老から大名になろうと成瀬家が画策したというのである。尾張は、家康の九男の徳川義直を藩祖とするが、二代目将軍の秀忠のとき以来、江戸の徳川家に江戸徳川家を脅かすものとして見られてきており、江戸と尾張の関係は常に緊張関係であったのである。

 主人公の朝日文左衛門は、こうした尾張藩の危機的状況の中で、彼の友人たちや飲み仲間、彼が師と仰ぐ天野源蔵(信景)らと共に、事件が大事にならないように働いていくのである。面白いと思っているのは、それが常に朝日文左衛門個人の視点で、しかも下級藩士の視点で語られていく点であり、文左衛門にとって、なんとか家督相続が許されて藩主の「お目見え」となることや、今日の飲み代をどうするか、妻の「お慶」が懐妊したことなどが大事で、刀の贋作事件にしても、彼の叔父が贋作をつかまされたことを発端としているのである。

 つまり、朝日文左衛門というとぼけたユーモラスな人格で、小心だが生類憐れみの令などどこ吹く風で平然と好きな魚とりをし、芝居見物が禁止されても隠れて芝居を見に行き、酒好きで、好奇心旺盛な人物の日常が描き出されて、その流れの中で事件が展開されていくのである。

 ほかの作品でもそうだが、作者は主人公をユーモラスに描く。深刻な状況の中でどこまでも楽天的なのである。だから、読む方も気楽に読むことができる。そして、事件というものの渦中にあっても、普通の人間の日常とはそうしたものであり、それを大事にすることに意味があるのだから、こういう作品とこういう視点はいいと思いながら読んでいる。

 今日はどことなく疲れが残って身体が重い。為すべきことも溜まってきているが、いまひとつ興が乗らないままになっている。まあ、こんな日もあるだろう。

2012年10月26日金曜日

池端洋介『元禄畳奉行秘聞 公儀隠密刺殺事件』


 変わりやすい秋の天気の中で、今日は秋晴れとなった。そろそろ冬仕度を始める頃だが、このところ少し仕事に追われる感じで体調の管理もままならない日々を過ごしている。毎年、今の時期はやむを得ないところがあるが、「生き難き世を面白く」と思っている。

 昨日は会議で早稲田まで出かけ、その往復の電車の中で池端洋介『元禄畳奉行秘聞 公儀隠密刺殺事件』(2009年 大和書房文庫)を面白く読んでいた。これは、主に元禄時代に尾張徳川家の家臣で、膨大な「鸚鵡籠中日記」という日記を残している朝日文左衛門(重章)をユーモアあふれる主人公にして、尾張徳川家が置かれた状況や将軍後継者をめぐる争いなどを展開したシリーズの三作目で、前に第一作の『元禄畳奉行秘聞 幼君暗殺事件』(2009年 大和書房文庫)を読んでいた。シリーズの三作目が一作目と同年に出されているから、かなり集中して積極的に書かれたのだろうと思う。

 元禄時代は、「元禄文化」と呼ばれる江戸文化が花開いた時代ではあったが、「生類憐れみの令」で有名な第五代将軍徳川綱吉の時代で、綱吉の嫡男である「徳松」が五歳で夭折し、後継者がなかったことから、水戸、紀州、尾張の御三家による後継者問題が生じ、それぞれの暗躍が行われるようになっていった時代でもある。本書も、江戸幕府と紀州徳川家が尾張に隠密を送って様子を探らせるということが背景となっている。

 こうした殺伐とした中で、本書は、朝日文左衛門に初めての子ができ、しかも女の子であったためにちょっとした失望に見舞われたり、おしとやかで控えめであった妻の「お慶」が、女から強い母に変わっていくことに戸惑いを覚えたりしながら、相変わらず友人たちと飲み歩いている姿から書き始められている。すこぶる能天気で楽天的な愛すべき人物として主人公が描き出される。

 この朝日文左衛門は、普段は腰が引けた動きの鈍い小心者であるが、いざという時に、気を失った状態で無意識のうちに繰り出す「気まぐれ必殺剣」というものがあり、それで幾度もの危機を乗り越えるのだが、どうやらその剣技が尾張柳生の柳生連也斎(兵助厳包)の秘伝の太刀らしいことがわかっていく。連也斎の秘めた内弟子となっていた文左衛門の叔父たちが、文左衛門が幼い頃に教えたもので、文左衛門にはその頃の記憶がぼんやりとしか残っていなかったのである。

 おそらく第二作で展開されたのだと思われるが、「日置村の偽刀事件」(尾張の偽刀事件はよく知られている)の際に襲ってきたのが紀州の新陰流の使い手たちで、どうやら紀州にも「西脇流」と呼ばれる紀州柳生があるらしく(柳生十兵衛三厳に剣を習った西脇勘左衛門が起こしたもの)、どうやら紀州徳川家はその紀州柳生の使い手たちを尾張に送り込んでいるらしいのである。それとは別に、江戸幕府も江戸柳生を隠密として大量に送り込み、徳川御三家の対立は柳生三家の戦いでもある様相を呈し始めていくのである。

 朝日文左衛門を尾張柳生の秘伝の使い手だと設定することによって、こうした隠密どうしの争いとして展開させるという作者の設定は、なかなかうまい設定だと思う。柳生連也斎は、三大将軍徳川家光の時代に御前試合で江戸柳生の柳生宗冬を打ち負かし、江戸柳生は尾張柳生に対して確執をもつようになっていた。朝日文左衛門の叔父たちは、その連也斎の内弟子で、しかも何かの理由で尾張を離れたのではないかと語られ、それが気になった文左衛門がその理由を探っていくという展開になっていく。

 尾張徳川家自体も、その内部で、付家老(尾張徳川家が成立するときに江戸幕府から監視役も兼ねて付けられた家老)の成瀬家と竹腰家の争いがあり、尾張の様相は複雑になってきていた。物語で展開される事件そのものは、尾張徳川家の付家老である竹腰家が、大名となるために、尾張藩を潰して、そのうちの何万石かをもらうつもりで幕府を動かして、尾張藩取り潰しの大義名分を探るために多くの隠密を送り込み、その企てが朝日文左衛門の機転によって頓挫させられていくというもので、文左衛門の叔父も密かに江戸柳生の手から尾張を守るために働いていたというものである。

 だが、その過程の中で、いつも脳天気に発想する主人公と彼を中心にした友人たちの姿などがユーモアのある文章で綴られて、ちょっとしたことが事件の解決につながっていくという幸運に見舞われていくなど、面白く描かれている。今回の作品は隠密の暗躍などがあって、どちらかと言えば「暗闘」に近い話なのだが、底抜けに明るい。日々の暮らしの中での感想が面白く取り上げられているからだろう。こうした楽天性は大事だと思うので、読み物として気楽に読める一冊だった。

2012年8月27日月曜日

池端洋介『元禄畳奉行秘聞 幼君暗殺事件』


 今年はとりわけ厳しい残暑が続いていたが、今日は沖縄を通過している台風の影響で風が強い。このところ夜になるとしきりにコオロギが鳴き始めた。先日訪れた山の上ではススキが風に揺れていた。「目にはさやかに見えねども」だろう。「秋」というには、まだ早すぎるが、季節が秋に向かっているのをほのかに感じ始めている。

 先日読んだ静山社文庫版の池端洋介『御畳奉行秘録 吉宗の陰謀』(2009年 静山社文庫)よりも少し前に出された大和書房文庫版の『元禄畳奉行秘聞 幼君暗殺事件』(2009年 大和書房文庫)を、これも面白く読んだ。ただ、どちらの出版社の文庫版にも「シリーズ第一弾」とあり混乱を招きやすいのが残念だが、本書のほうがより若い主人公の姿を描いたもので、後に尾張藩御畳奉行となる主人公の朝日文左衛門が、まだ御畳奉行ではなく、父親の引退によって家督を相続するために「お目見え(藩主との面会)」に日参しても、なかなか「お目見え」とならずに日々を過ごしていく姿が描かれている。

 物語は、朝日文左衛門が、藩主との「お目見え」によって正式な家督相続となるために名古屋城に日参しているうちに、三代藩主となった徳川綱誠の尾張への帰国に際して遅れて到着した荷物の運び役と間違えられて、城内奥まで連れて行かれ、そこで迷子になってしまうところから始まっていく。

 初めて入った城内で迷子になった朝日文左衛門は、右も左もわからぬ城中深く紛れ込んでしまい、「曲者だ!」の声に驚いて逃げ惑うはめに陥り、ついに縁の下に隠れる。だが、その縁の下に幼い子どもがいて、爺とお供の侍が突然殺され、自分も殺されかけて隠れていると言う。彼はその幼い子どもの口調や状況などから、その子が藩の重臣の子ではないかと思うが、それが誰かはわからない。しかし、その子の危機を救うために、自分が抱えていた挟み箱(荷物を入れて担ぐもの)にその子を隠して無事に城から脱出するのである。

 その子は、自分の名前が「藪太郎」であること以外に何も知らないというし、やむを得ずに朝日文左衛門はその子を自宅に連れて帰り面倒を見始める。その時、朝日文左衛門の家では、惚れてようやくにして嫁として向かえたばかりのおとなしく控えめな文左衛門の妻「お慶」は、なかなか婚家の生活になじめずに、姑との関係もギクシャクとして、ついに病を得て実家に戻っていた。文左衛門は、妻の「お慶」のことも気になりながら、藪太郎を連れて飲み屋にも行くし、飲み仲間や悪友たちとの交わりにも入れ、どこにでも出かけていく。文左衛門は大の酒好きであり、茶屋(小料理屋)で仲間とつるんでいるのである。また、藪太郎もなかなか利発な子で、文左衛門との生活に興味を持ってなじんでいくのである。

 文左衛門が藪太郎を連れて行きつけの茶屋(小料理屋)に出かけていった時、彼のの飲み仲間であり、莫逆の友である馬面の加藤平左衛門との話の中で、尾張藩主となった徳川綱誠が、二年前に御納戸金が不足するという出来事の咎で遠島となった御納戸役の小川瀬兵衛の事件を再捜査しているという話が出てくる。朝日文左衛門は、その話に好奇心を光らせて書いている日記「鸚鵡籠中記」を調べ直しているうちに、尾張藩付け家老である成瀬家の別家である成瀬兵部が蟄居を命じられた事件と関係していくことがわかっていく。

 尾張藩は、もともと、徳川家康の九男の徳川義直が初代藩主となっているが、義直が藩主となった時は、まだ若干7歳余にすぎず、藩政は家康がつけた家老たちが行った。この家老たちは「付け家老」と呼ばれ、藩内では独自の勢力を持ち、それぞれが近郊の数万石を与えられた大名並みの家格で、尾張藩の中でも権力の中枢にいたのである。その付け家老の筆頭が犬山城主である成瀬家と今尾城主竹腰家であるが、両家は互いに尾張の藩政を握ろうと争い合う仲で、反目しあっていた。

 特に、隠居している成瀬家の成瀬兵部は、復権をかけた金を工面するために御納戸役の小川静兵衛を巻き込み、さまざまなことを画策したのである。そして、静兵衛の子である小川清之助と小川静兵衛が残した証拠の書状の存在が明らかになり、これを巡って尾張藩内での権力闘争が行われ、成瀬家と竹腰家の間の争いが熾烈となり、犠牲者も出てくるようになるのである。

 朝日文左衛門は、師と仰ぐ学者の天野源蔵(信景 さだかげ)に藪太郎を引き合わせると同時に、これまで自分が調べたことを相談し、小川清之助と証拠の書付を守って、両付け家老が放つ暗殺者の手を潜り抜けて城に届けさせるという離れ業を行い、これを二代藩主であり隠居している「大殿」の徳川光友に届け、事態を収めていくのである。その死闘の過程が丁寧に描かれていく。

 それらとは別に、財政緊縮の風潮が強くなった尾張藩が出した奢侈取締り(贅沢品の取り締まり)が厳しくなり、「柿羽織」と呼ばれる足軽たちが取り締まりに当たっていた。その「柿羽織」に、妻の「お慶」と母親との仲をうまく取り持とうとして出かけていった先で、母親の大切な真珠の数珠が取り上げられてしまうのである。困り果てた朝日文左衛門は天野源蔵に相談し、奉行所同心や腕利きの目明し庄三郎に引き合わせられ、彼らの助けを得て母親の数珠の行く方を探るうちに、取り締まった「柿羽織」が、実は偽の「柿羽織」で、それらを使って巻き上げた高価な品で暴利をむさぼる故買商の姿が浮かび上がっていく。朝日文左衛門は奉行所同心や目明し庄三郎にうまく乗せられてその犯人捕縛に一役買っていくのである。それと同時に、彼が引き取っている藪太郎が、実は、藩主の子であり、次期藩主となる若殿であることがわかり、朝日文左衛門は目を回してひっくり返ったりする。藪太郎の命が狙われた背後には、尾張藩の継嗣を巡る争いがあったのであり、前年に綱誠の側室に男子が誕生し、藪太郎の母「お福」を巡るよからぬ噂や成瀬家と竹腰家の争いが継嗣問題となって現れ始めていたのである。江戸藩邸と尾張の国許との争いもある。藪太郎はこうした争いの中に置かれていたのである。

 朝日文左衛門は、あえて「生類憐みの令」によって禁止されている魚釣り(実は彼は密かに釣りを楽しんでいた)を藪太郎とすることで、暗殺者を誘い出す一計を立て、莫逆の友の加藤平左衛門、天野源蔵、そして、藪太郎を守る側近たちと力を合わせて暗殺者と対決する。そして、朝日文左衛門は、あわやという時に無意識のうちに一撃の剣を繰り出して、暗殺者に勝つのである。

 そして、藪太郎を国許においていると同じように襲撃されることがある危険から、藪太郎は江戸に戻ることになるが、藪太郎と朝日文左衛門の交情は深い信頼で結ばれ、藪太郎は、朝日文左衛門にいつか江戸へ来るようにと言葉を残して江戸へと向かう。そして、藩の上層部のほうで何らかの鎮静化が図られたことを知るだけで、朝日文左衛門の日常がまた始まるところで、本書は終わる。

 このシリーズは、すでに何冊か出されているので、読んでみようと思っている。横山光輝が朝日文左衛門の「鸚鵡籠中記」を題材にして、彼を主人公とする漫画を描いているそうだが、どんなふうに描かれているのか少し興味がある。しかし、漫画本はたぶん手には入らないだろう。

 それにしても、最近少し思うところがあって、自分の生活のスタイルを少し変えようかと考えている。自分の生活を自分で作っていくことに少しは心を砕いてみようと思っている。どうなるかな、とは思うが。

2012年8月24日金曜日

池端洋介『御畳奉行秘録 吉宗の陰謀』


 うだるような暑さが続いて、残暑の厳しさがひときわ感じられてならない。陽射しが強烈に、まさにジリジリと照りつける。忘れないうちにと思い、出先で弟のPCを借りてこれを記している。

 以前、池端洋介『養子侍ため息日記』の二冊を読んで、その丸みのある独特の作風が面白く、また、発想もなかなかのものだったので、『御畳奉行秘録 吉宗の陰謀』(2009年 静山社文庫)を読んでみた。「御畳奉行」という職名も聞きなれなかったし、城中の畳の管理をするという役職は、おそらく端役に違いなく、それを主人公に据えるあたりに作者の気風のようなものを感じて読み始めた次第である。

 そして、期待通りの面白さだったし、物語の場所も、尾張名古屋という独特なもので、尾張徳川家といえば紀州徳川家と将軍位をめぐっての熾烈な争いを繰り返していったが、御三家筆頭でありながらもついに将軍を出すことができず、特に七代藩主の徳川宗春は反骨精神にとんだ自由闊達で、独自の人物であった人で、そういう人間を生み出す気風というのもが尾張名古屋で培われたことを思うと、尾張のあり方は、なかなか考えさせるものがあると思っていた。

 その七代藩主徳川宗春のずっと以前の、二代藩主光友(みつとも)から三代藩主綱誠(つななり)、そして四代藩主となった吉通(よしみち)の時代で、表題にあるとおり、江戸幕府七代将軍徳川家継が将軍位を継ぐとき、家継が幼少であったために尾張の徳川吉通の名前が将軍位として挙がり、新井白石らの進言で、結局、家継が将軍位を継いだわけだが、その家継がわずか7歳(享年8歳)で死去したために、再び将軍位を巡って尾張の徳川吉通と紀州徳川家の血統であった徳川吉宗が争うことになり、結局、徳川吉宗が第八代将軍となった出来事が起こった。本書はその出来事を背景としたものである。

 江戸幕府中興の祖とか名君と謳われたりした徳川吉宗であったが、紀州藩主となり将軍となっていくに当たっては、さまざまな権謀術策があったともいわれ、特に尾張徳川家との確執は激しく、相互に陰謀を張り巡らしていたとも言われている。そのあたりは、どちらかの側に立った時代小説でよく取り上げられる題材であるが、本書は、その尾張徳川家の家臣で、元禄4年(1691年)から享保2年(1718年)の26年8ヶ月に渡って37200万字にも及ぶ克明な日記である「鸚鵡籠中記」を書き続けた朝日文左衛門(重章 しげあき 16741718年)を主人公として、紀州徳川家、特に吉宗がまだ松平頼方と名乗っていたときに、尾張徳川家を失墜させようとした数々の事柄の中で、藩の命運に関わる事柄に関わりつつ藩の危機を救っていったとして物語を展開させるのである。

 朝日文左衛門(重章)が家督を継いだのが元禄7年(1694年)20歳の時で、その時の知行は父親と同じ100石の下級武士で、御畳奉行を拝命したのは、元禄13年(1700年)で役料は40俵に過ぎなかったから、奉行とはいえ、藩政の端役に過ぎなかったといえるであろう。軟弱で大酒飲みであるにもかかわらず、その筆先には、辛辣なことも素直に書き記す物事にとらわれない自由さが満ち溢れているから、いわば、愛すべき人物であったのだろうと思う。

 本書は、その朝日文左衛門が御畳奉行を拝命するところから始まる。彼が御畳奉行となったのは、「大殿」と呼ばれた隠居した二代藩主徳川光友(16251700年)の意向が働いたもので、彼を見込んだ光友が、たいした仕事がなくて比較的自由の利く御畳奉行にして、尾張藩を貶めようとする紀州藩の策略から四代藩主となった幼い徳川吉通を守るように密命を受けていくという展開になっていく。元禄6年(1693年)に光友の後をついで第三代藩主となった徳川綱誠がわずか6年の元禄12年(1699年)に急死したことにも、光友は紀州藩の策謀があったことを感じ、尾張藩の危機を感じていたのである。

 朝日文左衛門が徳川光友から人物を見込まれていく過程については、大和書房から文庫書下ろしで出されている『元禄御畳奉行秘聞 幼君暗殺事件』(2009年2月)に記されているが、本書が出されたのが200911月で、それにもかかわらず、本書の文庫本カバーで「シリーズ第一弾」と銘打たれているのは、出版社の違いとはいえ、あまりよいことではないと思いつつも、朝日文左衛門がまだ家督を継ぐ前に、弓術師範の娘「けい(慶)」と結婚し、家督相続の許しを得ようと名古屋城に日参しているときに、三代藩主徳川綱誠の子であり、暗殺者の手から逃げていた幼い吉通(幼名 藪太郎)と遭遇し、彼を吉通とは知らないままに保護して一緒に暮らし、それが思わず吉通を守ることにつながっていったことによる。そのあたりのことは、また、大和書房版『元禄御畳奉行秘聞 幼君暗殺事件』を読んだときに記していくことにするが、引退した「大殿」の徳川光友は、子である三代藩主綱誠の急死に不審を感じており、なんとしても紀州の手から尾張を守り、四代藩主となった幼い吉通を守るために、見聞が広く勘の鋭い朝日文左衛門に尾張の策謀を暴くように密命を与えるのである。

 朝日文左衛門は、幼馴染であり、また酒飲み友だちでもある加藤平左衛門らの協力を得ながら密かに密命を果たしていく。加藤平左衛門は馬顔で長刀の使い手だが、朝日文左衛門は剣の腕はさっぱりだめだと自分では思っている。そのほかにも、本書では、相原政之右衛門という飲み友だち、腕利きの目明しの庄三郎などが登場するし、おしとやかな娘であった「お慶」が子どもを産んで気の強い嫁となり、その「お慶」に気を使いながら生きていく姿が描かれたり、実際に朝日文左衛門が師と仰いだ天野源蔵(信景 さだかげ 16631733年)が力強い協力者として登場したりしているし、何よりも文章にユーモアがあるので全体的に面白さが満ちている。

 事件は、朝日文左衛門が自分の日記である「鸚鵡籠中記」を読み返して、不審火が次々と起こっていることに気づき、続いて犬猫の死骸が重臣や旗本の屋敷に投げ込まれるという事件が続いていくことに不審を抱き始めるところから始まっていく。五代将軍徳川綱吉が出した「生類憐みの令」によって、犬猫の死骸が多発することは尾張藩の立場を悪くすることで、三代藩主であった綱誠の急死にも不審を感じて心を痛めていた「大殿」である光友は、名古屋城下の見聞に明るい朝日文左衛門を御畳奉行にして、紀州の陰謀を暴くように密命を与え、朝日文左衛門はそれらの一連の出来事に紀州藩の忍びの影を感じていくのである。

 そして、事実、それらは紀州藩から送り込まれた忍びの仕業で、朝日文左衛門は加藤平左衛門や目明しの庄三郎、天野源蔵や奉行所同心の助力を得て、その忍びたちの隠れ家を探し出して捕らえていくのである。しかし、事件はそれだけでは終わらない。彼の御畳奉行の職務に関することで、名古屋城の畳を収めていた商人たちが畳の仕入れを安く仕上げるために紀州の畳職人を使い、その畳職人になりすませた紀州藩の忍びが畳に毒を仕込むというやり方で出てくるのである。

 畳職人の饗応に応じ、そこに招かれていた「おその」という色っぽい湯女にうつつを抜かしつつも、畳商人たちの話から、そのことに気づき、光友暗殺の陰謀も知り、江戸にいる吉通の暗殺計画も知っていくのである。朝日文左衛門は、毒が仕込まれた畳を暴いていくが、光友は病に倒れる。そして、偶然、紀州の忍びの暗殺者たちが江戸の吉通を暗殺することを話しているのを目撃した朝日文左衛門は、吉通の命を守るために急遽、加藤平左衛門と共に江戸に向かうのである。朝日文左衛門と徳川吉通は、吉通がまだ藪太郎だったころから、文左衛門が藪太郎の素性を知らずに、一緒に魚捕りをしたりした中で、文左衛門は藪太郎(吉通)を自分の子どもか幼い弟のように思っていたし、吉通も文左衛門を頼りとし深く信頼していた。そして、文左衛門はかろうじて吉通の命を暗殺者の手から守り、暗殺者を誅するのである。朝日文左衛門は、自分では剣の腕など少しもなく、小心者でおどおどしていると思っているが、いざとなったら無意識のうちに体が動く「きまぐれ秘剣」を使うことができるとされているが、本人は偶然の出来事に過ぎないという自覚しかない。

 ともあれ、こうして、吉通の暗殺事件は、後の徳川吉宗となる松平頼方が仕掛けたものであったが、見事に失敗し、そこに朝日文左衛門の働きがあったことが語られるのだが、その朝日文左衛門の立ち位置が次のような言葉で語られる場面があり、それがこの物語の主人公を通して作者が描きたい人間像だと思われるから、以下に抜書きしておこう。

 「この世で権力を握れる人間なんて、ごくひと握りさ。あとはそいつらに追従するふた握りの人間と、さらにそれらに追従して生きていくしかない圧倒的な残りの人間しかないんだ」
 「・・・・・・・・」
 「だけどな。もうひと握り、特別な人間たちがいる」
 「どういう意味だ。貴様、酔ったな」
 「身分の差など考えず、おのれの利益も考えず、死を賭して、この世に棲む人間たちさ」(252ページ)。

 作者は朝日文左衛門をこういう人間に仕上げて描き出そうとするのであろう。そして、わたし自身もこういう人間には惜しみなく拍手喝采を浴びせたいと思っているから、本書を痛快に読むのだろうと思う。これは、先にも触れたように大和書房からもシリーズとして出されているから、少し続けて読んでみたいと思っている。

2012年7月27日金曜日

池端洋介『養子侍ため息日記 たそがれ橋』


 今週は晴れ間が続くということで、火曜日から部屋の壁を塗り替え、4日間ほどかけてようやく終了した。かなりの筋肉痛にもなっているのだが、仕上がりがなかなか良くて自分でも満足しているので、汗を流した甲斐があったと思っている。家具を動かしたついでに床のワックスがけもして、これでしばらくは快適だろう。それにしても、異常なくらいに暑い。

 そういう中で、夜は池端洋介『養子侍ため息日記 たそがれ橋』(2007年 学研M文庫)を面白く読んでいた。前作の『養子侍ため息日記 さすらい雲』(2006年 学研M文庫)が素晴らしく面白かったので、続編となる本書を読んだ次第である。

 前作で、越後里村藩の藩政を巡る争いに巻き込まれ、養父である平木弥太郎ともども密命をおびて脱藩した形で江戸の長屋住まいとなった主人公の平木又右衛門は、無一文ではあるが楽天的な性格もあって次第に長屋住まいにも慣れてきてところであるが、里村藩の跡目争いに巻き込まれていく。

 里村藩奥祐筆で、かつて平木又右衛門が野犬から助けたこともある五十嵐掃部(かもん)と息子が、国元からやってきて、彼の息子が書院番をしているときに、藩主の日記が何者かに盗まれ、その日記には江戸幕府に対する批判も書かれていて、それが発覚すると里村藩が取り潰しにあう危険があるという。それを盗んだのは、藩主の弟で、藩政に欲を出そうとして、日記を材料に脅しをかけてきて、藩主を隠居させて嫡男の貢献にせよと言い出したというのである。

 養父の平木弥太郎は又右衛門に、「お紋」たち隠密を使ってその日記を取り戻すことを命じ、日記をもっていると思われる武士の隠れ家の探索を命じるのである。職にあぶれた浪人者の姿になり、養父の弥太郎と住んでいた長屋よりもはるかにひどい怪しげな長屋に移り住んで、様子を探れと言われ、やむなく、みすぼらしい格好の浪人となり、意味も分からぬままに長屋での生活を始めるのである。

 しかし、金はないし、無聊を囲う日々が続き、又右衛門はその日の糧を得るために釣り竿をかついで、小魚を釣りに出かけたりする。このあたりの描写が、主人公の人柄をよく表しているので、少し抜書しておこう。

 「当初は臭くてかなわぬと思った海の臭いであったが、こうして大海原を眺めながら竿を振っていると、何だかとても良い臭いのように思われてきた。石組みの上から下をのぞくと、小さな黒い魚影が、糸の周りにたくさん集まってきているのが見える。――これで今日も食いっぱぐれ無しだの。
 又右衛門はほくそ笑んだ。家主の家で七輪を借り、塩焼きにして持って帰るのだ。朝から粥しか食っていない又衛門は、思わず涎が出そうになるのを堪えた」(3839ページ)

 主人公の楽天性をこういうふうに表わされると、それが天性のものであることがよく伝わり、何とも言えない面白みが醸し出されてくる。こういう箇所は随所にあって、隠密である「お紋」から「お役目を、忘れてはおられませんね」と叱責され、「忘れてなどおらぬ」と答えたりする(54ページ)。あるいは、「最初はあれほど嫌がっていたはずの又右衛門だったが、何だか最近、この浪人生活が気に入り始めている。まるで昔の自分にもどったような、いわば双六の振り出しに戻ったような気分なのである」(62ページ)と語られて、主人公が、なんの欲得もなく自由で気ままな生活をいかに望んでいるかが巧みに記されている。

 彼は、人が人を騙し、術策を練って、いかに自分が有利な立場になるかを考えている人間が多すぎると思い、自ら「ずるい人間」になろうとするが(135136ページ)、結局はできずに、「――結局俺は、ずるくもなれず、したたかにもなれず、ただ悶々として生を終えるのかも知らんの」(138ページ)と思ったりするのである。

 だが、彼が置かれている境遇は物語の展開とともに厳しいものになっていき、藩政を奪取しようとする藩主の弟と私腹を肥やす家老が手を結んで、藩主や彼の養父の平木弥太郎は厳しい状況に置かれていくし、又右衛門もどうすることもできなくなっていく。しかし、養父の平木弥太郎も能天気で、長屋の隣に住む女性を懇ろになったりし、加えて、元許嫁であった国元の「香苗」が突然訪ねてきて、又右衛門は、「お紋」と「香苗」の板挟みになったりもする。又右衛門は用心棒家業をしながら、なんとか藩主の日記を取り戻そうとするがうまくいかないのである。

 こうして、藩主は病気を理由に隠居させられ、嫡男は適性に欠けるということで廃嫡され、まだ幼い次男が藩主となり、後見人として藩主の弟、家老として私腹を肥やしていた家老が就任し、反対派には厳しい処分が加えられ、平木家も改易のままに置かれることになったのである。又右衛門の境遇は、正真正銘の浪人の境遇となる。

 だが、天網恢恢疎にして漏らさずで、ある日、藩主の後見人になって藩政をほしいままにしていた藩主の弟が何者かに殺されるという事態が起こるのである。それによって、隠居した藩主が後見人となり、形勢は一気に逆転して、私腹を肥やしていた家老は蟄居、日記も又右衛門のところに届けられ、全てが明らかになっていく、そして、後見人となった藩主は、又右衛門を家老に引き立てていくのである。

 こうして物語が終わるが、一つ一つの場面が主人公の人柄と合わさって山場を持ち、展開の妙が感じられるし、何よりもまず、主人公の人格が物語の展開と重なって、とにかく面白いのである。

 この物語は、主人公が家老になるところで終わるのだが、二冊だけではもったいないような設定とだと思う。作者の筆運びは、実にうまい。『養子侍ため息日記』の「さすらい雲」と「たそがれ橋」は、読んで楽しくなる二冊だった。

2012年7月20日金曜日

池端洋介『養子侍ため息日記 さすらい雲』


 昨日までの猛暑が嘘のように、一転して雨模様の重い空が広がり気温も上がらない。こういう天気は、昔なら間違いなく冷害を生じただろう。北海道や東北では20度を下回る気温となり、オリンピックが開催されるイギリスでも、今年はまだ寒いと報道されている。

 昨日、あざみ野の図書館に行き、文庫本の棚を眺めていて、ふと目についたので借りてきた池端洋介『養子侍ため息日記 さすらい雲』(2006年 学研M文庫)を大変面白く読んだ。作者についての詳細は知らないが、文庫本カバーの著者紹介では、1957年に東京で生まれ、雑誌の編集者や業界紙の記者などをされたあとで執筆活動に入られたらしく、主に書下ろし時代小説を書かれているらしい。茅ヶ崎在住のようだ。

 読んだ『養子侍ため息日記 さすらい雲』は、書き下ろし作品とはいえ、かなりうまい筆運びがなされているし、作者が描く主人公像も特徴があって実に生き生きしている。通常の最近の書き下ろし時代小説の主人公の多くが、性格がのんびりしているとか、人から役立たずと見られているとかが記されて、その実、優れた明晰な頭脳と剣の腕を持っているという設定がされていて、その明晰さで主人公の性格として記されていることの実感が薄いのだが、本書では、主人公の姿が言葉ではなく事柄で描かれているのである。だから、主人公の姿がより鮮明に浮かび上がる。


 本書の主人公は、越後の里村藩(架空の藩)の平藩士の三男として遇されている加山又右衛門である。加山又右衛門は、父親が行儀見習いにきていた娘に手をつけて産ませた子で、母親は彼を身ごもるとすぐに家を出され、彼は父親の顔も知らずに母の手で育てられていたが、加山家の後を継いだ兄が病弱だったために万一に備えて再び加山家の養子として「貧乏金なし」の部屋住みの生活をしている身分である。しかし、加山家の家族からは歓迎されておらずに冷遇されている。

 彼が毎日することといえば、剣術の道場に通うことと近くの川で鮎釣りをして、その鮎の開きを作って売り、小銭を稼いだり、畑仕事をして、作った野菜を漬物にして売ったりすることであるが、その鮎釣りや畑仕事に生きがいを感じているのである。彼が小銭を稼ぐのは、加山家の下僕の老夫婦と一人残してきた老いた母親に仕送りをするためでもあった。実直で朴訥な人物なのである。

 その彼が、剣術道場で師範代から三本に二本の勝ちを得て喜んで家路につくところから物語が始まる。その帰路に野犬の群れに襲われている老武士を助ける。だが、彼としては、自分の剣術の腕が野犬に負けないくらいに上がったことを喜び、家では老夫婦に託した鮎の干物が全部売り切れたことを聞いて、顔がぱっと明るくなるようなくらいで、ささやかな喜びを感じたに過ぎなかった。彼の頭の中にあったのは裏山を開梱して畑とし、そこに大根を植えて漬物を作り、売る、ということだけだった。

 しかし、そこから彼の日常が少しずつ変わり始める。事の起こりは、他藩の家老の紹介状を持ったある浪人が里村藩に剣術指南の職を求めてきたことことから始まり、藩主の命によって藩主の剣術指南が立ち会ってみるが、その浪人に敗れてしまい、剣術道場の師範代までもが敗れてしまうという事態になってしまうのである。その時に、加山又右衛門に野犬の襲撃から助けられた老武士で、奥祐筆であった老人が加山又右衛門のことを思い出し、浪人との立会に彼を推挙するのである。

 そして、藩主の命を受けて、やむなく加山又右衛門は浪人と立会い、かろうじてこれを負かしてしまう。それがかれの運命を変えていくことになるのである。加山又右衛門が勝ったことを喜んだ藩主は、彼をとりたてるが、しかし、それはわずか十五俵一人扶持の小人組に過ぎなかった。小人組というのは、警備や奥女中の供、使い走りの雑事をこなす端役である。又右衛門としては窮屈なお役など御免こうむりたく、鮎釣りや畑仕事をして小銭を稼いだほうがはるかにいいと思っていた。

 しかし、藩主の命令は絶対で、又右衛門はやむなく毎日出仕していく日々を送るようになり、同僚たとち小人組の仕事をしていく。そうしているうちに彼と一緒に鮎のひもの造りや畑仕事をしていた加山家の老下僕が病んでしまう。加山家では薬代もださないし、老下僕の病には大金がかかることになり、又右衛門は、そのためにあっさり自分の両刀を質入して、老下僕の薬代を捻出したりするのである。窮屈な思いをしていた自分に何かと世話を焼いてくれた老下僕を見捨てるわけにはいかない。それがその行動をとらせていくのである。彼は老下僕の妻が喜ぶ顔を思い浮かべて満足するのである。しかし、竹光で登城することになり、ばれないかとひやひやして日々を過ごす。彼の「情け深さ」がこうしたことで示され、しかもそれをあっさりとしていく人物として描かれるのである。

 だが、彼の両刀が竹光であることを見抜かれる。しかし、幸い、藩主が、又右衛門が貧しくて刀も買えないのだろうと、家宝の刀を与えたことでその話には決着がつく。だがそのこともあって、藩主の覚えがめでたいということから次第に藩内の勢力争いに巻き込まれていくようになるのである。

 里村藩では、藩財政を握り、商人と結託して私腹を肥やして藩政をほしいままにしようとする家老の柿崎典膳とこれを正そうとする家老の渡辺主水の争いが起こっていたのである。どちらの陣営も、藩主の覚えもめでたく剣の腕も立つ加山又右衛門を取り込もうとする。柿崎典膳は奥女中頭を使ったり、町一番の美女の誉れの高い「香苗」との婚約を整えたりするし、渡辺主水は彼の上役を使って彼を政争に巻き込もうとするのである。

 加山又右衛門としては政争などまっぴら御免で、小人組の役も御免被りたいと思っていた。そこに加山家の後継が誕生することになり、これを幸いにして養子縁組を解消して、お役御免になろうとするが、柿崎典膳は彼を江戸勤番にし、渡辺主水は、大番頭の平木弥太郎の養子となるよう進める。大番頭の平木弥太郎の息子が何者かに殺されたことで平木家を継ぐことが必要で、彼が想いを寄せいていた「香苗」との家格も整うと言うのである。

 こうして彼は、念願の「香苗」とも婚約し、平木又右衛門となって藩主の参勤交代に合わせて江戸へ向かうが、江戸でもまた藩政をめぐる争いが熾烈を極め、密偵である「お紋」が彼に近づいて、ついに柿崎典膳が結託している商人の正体がわかっていく。許嫁の「香苗」のことを思いつつも、「お紋」と一夜を共にしたあとで、彼女が密偵であることが分かったり、養父である平木弥太郎が渡辺主水と一計を案じて、自ら浪人したりして、彼の境遇は変わっていく。養家である平木家が改易されたことで「香苗」との婚約も取り消されてしまい、こうして、浪人となった平木弥太郎と又右衛門が裏長屋に居を移したところで終わるが、里村藩には藩主の後継を巡る陰謀が渦巻くようになり、それが今後に展開されていくことになっている。

 藩の政権を巡る争いとお家騒動は、お定まりといえばお定まりの展開なのだが、なにせ主人公の茫洋として状況に流され、人に利用されて行くようでいながら、心根は、お役など御免こうむりたく、鮎釣りや畑仕事をしたいという願いをもったまま、しかも、自分の運命を受け入れていく姿が、なんともユーモラスな出来事として描き出されているので、読みながら「面白い」と思えるような作品になっている。何より、主人公に作者が心を入れているのを感じられて、主人公の茫洋さが出来事として描かれるのがいい。これはシリーズ化されているから、このシリースはぜひ楽しみながら読んでみたいと思う。これを書いている間に、激しい雨が降り始めた。