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2014年5月14日水曜日

風野真知雄『穴屋佐平次難題始末』

 午後から雨になり、今は雨音が木霊するくらいに激しく降っている。午後、少し時間ができたので、風野真知雄『穴屋佐平次難題始末』(2008年 徳間文庫)を気楽に読んでいた。まったく肩の凝らない滑稽本の類で、「穴屋」という不思議な商売を生業にする佐平次という男を主人公にし、葛飾北斎は登場するは、太田南畝(蜀山人)、写楽、首切り浅右衛門で知られる山田浅右衛門は登場するは、果ては二宮金次郎、シーボルトまで登場するという予想外の展開を見せる作品である。

 主人公の佐平次自体、元公儀御庭番で、佐渡の金山の内偵に行ったときに上司にもぐった穴を爆破されて、危うく命を失いかけ、それ以来、御庭番から逃げて、変わった商売をする者たちが住む長屋で「どんな穴でも開けます」という看板を掲げて「穴屋」を始めたという経歴を持っている。

 そして、彼が住む長屋に蛇を商いにする女性の「お巳い」と知り合い、恋仲となるが、「お巳い」は女陰のない女性で、最後にはシーボルトのオランダ語通詞から教えられた「リーフデ(liefde)」(love 愛)の深い姿に目覚めていくという恋話も展開されている。

 その穴屋佐平次が最初に出会うのが葛飾北斎で、北斎は絶世の美女と言われる女を覗いて絵にしたいから覗き穴を掘るように佐平次に依頼するのである。だが、それは北斎のスケベ心ではなく、その女性の美しさにも負けない富嶽百景を描くためだという落ちになる。

 こういう具合に、著名な人々が、さもあり得るかもしれないという脚色を交えて登場し、穴を掘ることで佐平次が親交をもっていく展開になっている。

 こうした娯楽作品は、まさにエンターテイメント性にあふれていて、だからと言って歴史的なことが踏まえられて、そこに作者の筆力が加わるので、まことに気楽に読めるのである。だから、こうした作品は一気に読めて、読む方も気楽になる。まことに現代の滑稽本である。

 だが、最近、再び凛とした人物を描いた作品を読みたいと思っている。凛としたものを秘めながら生きる人物を描いた作品を探すが、これが意外に難しい。

2014年1月20日月曜日

風野真知雄『爺いとひよこの捕物帳 弾丸の眼』

 今日はそれほどでもないが、このところ強い寒波を伴う前線が居座って、本当にひどい寒さの中で、「超」の字がつくくらい時間に追われる日々を過ごしていた。あらゆる締切りが一度に押し寄せた感があり、これも、体力や気力が衰えたことを計算に入れずに安易に仕事を引き受けてきた自業自得だとは思っているが、引越しの事務手続きなどもあっていささかうんざりしていた。だが、ようやく一連のことに一区切りついて、これを記す時間がとれるようになった。

 そんな中で、風野真知雄『爺いとひよこの捕物帳 弾丸の眼』(2009年 幻冬舎文庫)を頭休めに読んでいた。これは、このシリーズの2作目で、一作目の『爺いとひよこの捕物帳 七十七の傷』(2008年 幻冬舎文庫)を面白く読んでいたので、図書館で借りてきて読んだ次第である。

 これは、明暦の大火(1657年)で父親が行くへ不明となった喬太という少年が、気弱になった母親を助けながら叔父の岡っ引きの下で下働きをしながら、その明晰な頭脳を働かせて市井の事件を解決しつつ成長していく物語と、彼が出会った不思議な老人の和五助の物語で、和五助は喬太が気に入って、彼を手助けしながら成長を見守り、喬太もまた老人の魅力に魅かれていくのであるが、個々の事件の展開と同時に、和五助が凄腕の忍者で、家康から託されたものがあり、将軍家の暗殺計画を阻止していくという大筋が全体を貫いている二重構造をもつ物語である。その分だけ、物語に幅と深みが出て、喬太の父親が実は生きていて、将軍家の暗殺計画に加担していくことが暗示され、その展開が期待されるように構成されている。

 本書では、序章「警護の数」で、4代将軍徳川家綱が王子権現(現:北区本町)に参拝する時の警護について、上司の命令で伊賀者が和五助のところに相談に来るところが描かれている。伊賀者たちは、警護に百名以上の人数を配置するという。だが、和五助は、百人もいれば身動きが取れなくなり、精鋭10人でいいと提言する。しかしその提言は、老いぼれの言うこととして無視されていく。この序章が、本書の終わりの方で将軍家の暗殺計画が描かれるところで絡んでくる。

 第一話は「キツネの婿取り」で、「キツネの嫁入り」を文字ったものではあるが、組紐屋に嫁に来たばかりの女性とその婿が忽然といなくなったという事件を喬太が探索していくという話である。嫁に来た女性がキツネで婿を取っていったという噂が流れていた。

 だが、この事件が複雑な様相を見せ始め、組紐屋がのし上がるために行ったあこぎな仕業が尾を引き、組紐の工夫をすることができた娘たちを監禁し、使い捨てにしたという出来事が喬太の推理によって暴かれていく。嫁に来た娘は、その監禁されて殺された娘の妹であった。そして、息子は組紐や自身の手によって、組紐の工夫の秘密が漏れないように監禁されていたのであった。喬太は、和五助が「いまはおつに澄ました大店も、創業のころはかなりえげつない商売をしていたりするものです」(59ページ)という言葉をヒントにして、真相を探り出すのである。

 他方、王子権現に参拝に来る将軍家綱を狙うのが鉄炮であり、しかも名手と言われた鉄炮源太ではないかと思われる。かなりの遠方から正確に的を撃つことができる試し撃ちがされていたからである。そして、この鉄炮源太がどうやら行くへ不明になっていた喬太の父親かもしれないとの暗示が記される。

 第二話「極楽の匂い」は、大川(隅田川)の船上で逢い引きをしていた男女が、若い男の絞殺死体が船に乗せられて流れているのを発見し、その死体から「いい匂い」がしたと証言したという事件から始まる。死体が水に浸かったためにその匂いは消えていたが、死体からは他になにかの図面らしきものを書いた紙片と木くずのようなものが見つかる。

 喬太は、死体を発見した小間物屋の娘と共に、その匂いが「丁字」(丁香 グローブ)という独特のものであることを発見する。「丁字」は、当時は高価な輸入品だった。そして、死体から発見された木くずのようなものから、死人は宮大工ではなかったと気づいていく。こうして死人が深川の広大寺という寺の金堂を作っていた大工であることを突きとめるのである。喬太は、その大工がしていたという金堂の屋根に登ってみる。この時も、和五助から「しばらくじっとしておれば慣れます」と教えられた通りに高い屋根の上で見晴らし、その大工と同じように動いてみる。そうすると、屋根裏に入るところが見つかり、そこから入ってみると丁字の匂いがする湯殿がすぐ下に見えた。

 そこから喬太は、大工が屋根裏から湯殿の光景を見て、驚いて落ちて、そこで見られてはならないものを見たために殺されたのではないかと推理する。そして、事実、大奥の女中とその寺の僧侶とが湯殿で繰り広げた痴態を見たために殺されたことがわかっていくのである。

 第三話「首化粧」は、小名木川沿いにある二十四花園の中で、化粧をほどこされた首が見つかる事件を取り扱ったものである。戦国時代に行われていた首実検のための首化粧ではないかと思われ、喬太は、戦国の世を生き抜いてきた和五助のところに首化粧について聞きに行く。だが、その首だけの男は、まるで女のような化粧がほどこされていたから、戦国時代に行われていた首化粧とは違うと和五助は教える。そして、やがて胴体の方も発見され、女出入りも激しかったというその男の身辺の探索が始まる。

 事件は、どうやら油問屋の大店と関係があるらしいとわかっていく。化粧をほどこされた首は、二十四花園の中の桔梗の花が咲いている上に置かれており、その日に句会に来ていた油問屋の夫婦がそれを見てひどく驚いたことがわかっていく。喬太は、その句会に同席していた戯作者の星野空兵衛と知り合い、彼からの証言を得ていくのである。そして、その油問屋の桔梗という名の娘が行くへ不明になっていること、油問屋の主人の昔の妾との間に男の子がおり、その男の子が成長し、油問屋の娘の桔梗と男女の仲になってしまい、男が毒を飲んで自死し、桔梗がその男の首を二十四花園にさらして、父親の非道を知らせようとし、そして桔梗も自死したことを突きとめていくのである。

 この事件そのものはたわいもない話だが、先に書いたように、このシリーズを貫く将軍家暗殺計画が動いていく。そこには幕府に怨みを抱く公家の土御門家が絡んでいた。鉄砲源太は、その土御門慎斎の依頼で、将軍の命を狙うところで終わる。続きものがちょうど山場に差し掛かる時に終わるようにして第三話が閉じられている。

 父親のことを知った喬太がどのようにして父親を乗り越えていくのか、そこに和五助の大きな役割が今後展開されていくだろう。子どもの成長にとって、親以外の頼れるしっかりした大人が側にいることは、大きな力をもっている。喬太と和五助はそんな関係になっていくだろうとは思う。

2013年11月28日木曜日

風野真知雄『菩薩の船 大江戸定年組2』

 寒気が降りてきて、よく晴れてはいるが気温が低い。銀杏の落ち葉がかさこそと乾いた音を立てて風に舞っていく。来月、ニーチェについて話をすることになっていて、彼の著作や日記などを改めて読み直したりしていたが、ニーチェは、その思想はどうであれ、ともかく「自分の頭で考えた人」である。彼の言葉だけがひとり歩きすることに危惧を感じているが、考えて、考えて、とうとう脳みそが爆発した人である。哲学者たちのあまり意味のないニーチェ理解よりも、森鴎外や夏目漱石の理解の方が正しいような気もする。

 それはともかく、風野真知雄『菩薩の船 大江戸定年組2』(2006年 二見時代小説文庫)を気楽に読んだ。作者は、今、実に多くのシリーズ物を手がけておられ、いずれも気楽に読める物だが、作者の作品に触れる度に、よくストーリーが混同されないものだと感心したりもする。これも、表題に数字があるようにシリーズ物で、その二作目ということあり、一作目はまだ読んでいないが、『初秋の剣』という作品名になっている。

 これは、奉行所同心、旗本、商人というそれぞれ仕事は異なっていても親しい友人三人がそれぞれに隠居した後、金を出し合って風光明媚な隅田川河口近くの深川熊井町に「初秋亭」と名づけた一軒の家を借り、「隠れ家」としてそこでたまに息抜きをしながら、市中のよろず相談のようなことをしていくという設定で、風流といえば風流、優雅といえば優雅であるが、それぞれの家の事情もあったりして「事もなし」というわけにはいかない展開がされていくし、隠居といっても五十代半ばで、まだまだ枯れているわけでもなく、持ち込まれる相談事もなかなか厄介であったりする。

 主人公三人のうちの一人は、北町奉行所で定町廻り同心をしていた藤村慎三郎で、息子の康四郎に家督を譲って隠居した。もう一人は、旗本の夏木権之助で、彼も家督を譲って隠居しているが、枯れるどころか、若い芸者の小助を囲って、足繁く通っている。そして、これも若い女房がいる商人の七福屋仁左衛門がいて、彼も隠居しているが、女房との間に子どもが生まれることになる。この三人は、それぞれ三様ではあるが、それぞれにお互いを認め合って協力し、気のいい仲で、もちろん、互いの領域に足を踏み入れるような野暮なことはしない。

 さて、物語は、札差(武家の俸禄米を取り扱い、多くは金融業も営んでいた)の女房と薬種問屋の女房が、そろって「初秋亭」を訪ねてきて、主人たちの素行がおかしいのでw真相を探って欲しいという相談を持ち込むところから始まる。

 元同心の藤村慎三郎はその依頼を引き受けて、夏木権之助、七福屋仁左衛門の手を借りて真相を探ることにするが、札差と薬種問屋は、戯作者の滝沢馬琴や薩摩藩藩主と思われる人物とつるんで秘密の会合をもっていることがわかり、藩主の秘密を守ろうとする藩士たちに襲われたりもする。

 何のことはない。彼らは、赤ん坊のように取り扱われて、おしめを替えてもらったり、おっぱいをしゃぶったり、ハイハイをしたりすることでストレスを発散させていくような趣味の集まりをしていたのである。幼児退行趣向というわけで、船宿の女将が母親役をしていたことが分かっていくのである。

 事件そのものは、そうしたアホのような結末なのだが、その間に、七福屋仁左衛門に子どもが出来て、跡目相続争いにならないように苦心したり、夏木権之助が惚れて囲っていた若い芸者の小助が、彼女が可愛がっていた子猫を権之助が誤って押しつぶしたのをきっかけに、年寄りの匂いがするとか言って、さっさと関係を切り、権之助がひどく落ち込んだり、藤村慎三郎が俳句の師匠に秘かに恋心を抱いていたりとか、そうした事柄の顛末がある。

 彼らが「初秋亭」を持つきっかけになった彼らの友人で、自害したと言われる事柄の真相を彼らが突きとめるという話も展開されている(第四話 幼なじみ)。

 要するに、隠居して風流人を気取ろうとしているが、まだまだ枯れないでいる三人が、よろず相談を受けながらも、好奇心旺盛に様々な事件に関わっていくのである。作者は、この手の人物を描くのがうまいし、密かな恋心を抱いている人物も、いろいろな作品でよく登場する。それがスケベ心ではなく純愛という形をとっているのがいい。人間理解も人物描写もなかなか味わいがあって気楽に読めるところが娯楽作品としていいと思う。

2013年10月24日木曜日

風野真知雄『爺いとひよこの捕物帳 七十七の傷』

 昨日から仙台に出かけ、帰宅してこれを書いるが、台風が日本近海で足踏みしている状態で、仙台もここも一段と寒く感じている。今夜はこれからまた市ケ谷で会議で、いささかうんざりもする。

 このところの天気の変化が激しくて、こういう変化は体調だけでなく思考の持続にも影響するのか、断片的なことだけしか考えられなくなっている気がする。年齢のせいもあるだろうが、ひとつのことをするのにとても時間がかかるようになってしまった。しかし、まあ、それも天来の時かもしれない。

 少し軽いものをと思って、風野真知雄『爺いとひよこの捕物帳 七十七の傷』(2008年 幻冬舎文庫)を気楽に読んだ。

 江戸時代の初期に起こった明暦の大火(1657年)で細工師をしていた父親が行くへ不明となった喬太は、弱気になっている母親を助けながら叔父の岡っ引きのもとで手先(下働き)をしている。不器用で父親のような細工師にもなれず、かといって聞き込みもできないし、血を見れば気持ちが悪くなり、争いごとも嫌いで、幼い頃からいじめにも合うし、腕っ節も弱く、岡っ引きの手先としては自分でもどうかなと思うくらいだが、観察力と推理力が優れているなかなかの好少年である。その彼が、霊岸島の渡し舟の中で起こった斬りつけ騒ぎの探索の途中で全身傷だらけの風変わりな老人と出会う。

 その老人は、奇妙な四角の家に住み、飄々として、語ることも含蓄があれば暴漢を退治するほどの腕も立つ。老人は和五助と名乗るが、実は彼は豊臣秀吉の朝鮮の役から関ヶ原の合戦、大坂の陣まで忍び働きをしていた凄腕の忍者で、仲間の貫作が訪ねてきたり、孫娘が訪ねてきたりして、今は気楽に暮らしているのである。和五助の友人の貫作は、薬研掘りで中島徳右衛門と名乗って七味唐辛子で成功している。

 和五助は、なぜか手先として働いている喬太が気に入り、喬太もまたいろいろなことを知っている和五助を次第に頼っていくようになり、ひ弱な自分が体を鍛えていくことを教わったりするし、もちろん、起こった事件のヒントを与えられたりしていく。

 叔父の岡っ引きをしている万二郎も奉行所同心の根本進八も次第に喬太の鋭い推理力に気がつき初めて、彼を温かく見守っていくが、和五助もまた喬太に様々なことを教えていくのである。その教え方が、喬太が自分で経験して納得していくような教え方であるのもいい。

 こうして霊岸島の渡しで起こった斬りつけ騒ぎが、旗本奴による商家の娘の拐かしにつながることが分かっていったり、鬼の面をかぶった押し込み強盗の事件が解決したりしていく。後者の事件では、大阪夏の陣で真田幸村と並んで豊臣方の名将でありキリシタンであった明石全登(景盛)の息子が登場し、彼が再起を期した計画で押し込み強盗を働いたという筋書きである。明石全登については大阪城から脱出して生き延びたとも言われるし、その後の消息は不明で、伊達政宗によって保護された後に津軽へと向かい、その子孫は秋田に定住したとも言われる。全登の息子が再起を期したというのは、もちろん作者の創作であるが、明暦の頃はまだ戦国の気風が強く残っていたので、娯楽物語としては、まあ、いいかなと思う。また、紙問屋の主人が不思議な死に方をしているのに気づいた喬太が、和五助の知恵で、それが鍼によるものであることが分かり、朝鮮通信使が売った品物の贋物取引をしようとした事件であることがわかっていたりする。

 こうして、事件の解決を見ていくが、大火で行くへ不明になっている喬太の父親が、実は、和五助と同じような忍びの者であり、その行くへ不明には謎が残されていたり、和五助と貫作はどうやら十万両もの金をどこかに秘匿しているようで、その金を巡って襲われたりする。それもまだ謎として残されている。だが、純朴で真っ直ぐな性格をし、人に対しての優しさも深く持っている喬太が和五助によって成長を助けられている姿は、和五助の人徳もにじみ出て、いい味を出しているし、和五助と貫作の老人ふたりが抜群の活躍を何食わぬ顔をしてやっていく姿も面白い展開になっている。

 老人が活躍する作品というのは、やはり、なかなか味わい深いのである。もうずいぶん前のことで題名も忘れたが、アメリカ映画で似たような話があり、悪者の金を奪って大金を持つ老人ふたりが甥の青年の人生や恋を知恵や勇気で助けていくというのがあったし、確か、五木寛之も老人が大胆に活躍をする小説を書いていたように記憶している。

 こうした話に登場する老人たちは、みな能力を潜ませた爽やかな老人たちで、実際にはそうした人は少ないのだが、それでも、老人が大活躍する作品は人生哲学を込めやすくていい作品になる。本書もシリーズ化されているようで、飽きない物語になっている。

2013年5月8日水曜日

風野真知雄『両国大相撲殺人事件 耳袋秘帖』


 昨夜から朝にかけて少し冷え込んだのだが、徐々に気温が上がって初夏らしい天気になった。昨日、吉祥寺まで出かけて、井の頭線の沿線に広がる武蔵野の面影をぼんやり眺めながら、風は強く吹いていたが、今の季節はほんとうにいいと思っていた。小さな池の中で蓮の花が開き始めていた。

 電車の中で座ることができたので、風野真知雄の「耳袋秘帖」シリーズの一冊である『両国大相撲殺人事件 耳袋秘帖』(2012年 文春文庫)を一気に読んだ。今、この作者の『妻は、くノ一』がNHKでテレビドラマ化されて放映されているのを時折見ている。

 『両国大相撲殺人事件』(2012年 文春文庫)は、2007年に「だいわ文庫」として出されてもののリニューアル版として出されたもので、このシリーズの6作品目の作品だが、他の作品同様、江戸中期の名奉行と言われた根岸肥前守鎮衛の「耳袋(耳嚢)」から題材が取られたものである。本作では、相撲史上最強の力士と言われた雷電為右衛門が絡んだ事件が取り扱われ、彼のあまりの強さと人気を妬んで、彼に殺人犯の濡れ衣を着せて彼の評判を落とそうと企んだ事件が描かれていく。

 江戸時代の相撲力士の多くは、たいていがどこかの大名がお抱えとしていたが、雷電為右衛門(17671825年)は信濃国小県郡大石村(現:長野県東御市)出身で、松江藩松平家のお抱え力士であった。彼は無類の強さを誇ったし、当時の力士としては珍しく読み書きそろばんもできたと言われている。

 諸大名が力士を抱えたのは、自分の藩の強さを誇る「見栄」のためで、参勤交代の時など強い力士を歩かせることによって武勇を誇ろうとしたのであるが、諸大名は互いに「雄」を競うようなところがあって、本書では松江藩松平家と雄を競った肥後熊本藩の細川家が登場する。

 この頃になるとどこの藩でも財政逼迫が大きな問題となり、本書は、肥後熊本藩細川家でも、財政改革のために人員整理が行われたという設定で、その人員整理によって三名の下級武士が解雇され、彼らが元の藩に復することを悲願としているところから始まっていく。その悲願を利用されて、彼らは細川家江戸屋敷の用人に操られて、藩主が雄を競っている松江藩松平家と対抗するために、そのお抱え力士である雷電為右衛門を殺人犯に仕立て上げて評判を落とそうとするのである。いわば、藩主のご機嫌をとって、それによって復職しようとするのである。利用する者も姑息であれば、利用される者も姑息である。物事の企みには、そういう姑息さがつきまとうのは世の常で、そうした人間を登場させることができるところに娯楽時代小説の面白さがあるのかもしれないとも思ったりする。

 彼らは、雷電為右衛門が得意技としている技を巧妙にまねて、また雷電為右衛門の衣装に似た衣装を使ったり、彼の下駄を現場に残したりして、一人の有望な若い力士を殺し、雷電為右衛門が殺人をしたという噂を流すのである。人は噂によって動きやすいから、濡れ衣を着せられた雷電為右衛門は窮地に立つことになる。

 本書は、この事件に、雷電為右衛門を密かに贔屓にして応援などもしていた根岸肥前守が乗り出して、事件の真相を暴いていくという筋立てになっているが、再仕官(復職)を願う武士の悲哀などが描かれたりしている。姑息であるということは哀しいことでもある。作者はその哀しさを描こうとする。彼らは藩主のご機嫌取りのために使い捨てカイロにように使われる。それは、企業の業績が悪化している中で人員整理が盛んに行われている現代の状況を反映したものでもあるだろう。こういうところが、この作者のいいところだと思っている。

 物語そのものは、根岸肥前守の日常や人柄、また、本書では雷電為右衛門の人柄などが織りなされて全体的に温かい雰囲気の中で綴られていくし、取り扱われている事件も複雑なものではなく、娯楽時代小説として面白く読めるものになっている。

 また、巻末に本書のオリジナル書下ろしとして「余話 ろくろくろっ首」という作品が掲載され、まだ街の無頼漢であった若い頃の根岸肥前守と友人の五郎蔵が「ろくろ首」の見世物小屋を開いてひと稼ぎ企む話が展開されている。

 暑い夏の日に、身体を酷使して銭を稼ぐよりも楽して儲けようと銕蔵(根岸肥前守)と五郎蔵は、知り合いの可愛らしい町娘を使って「ろくろ首」の見世物小屋を作り、これが成功してうまくいくが、両国の香具師の親分の巧妙な企みによって、その商売そのものが乗っ取られてしまうという憂き目を見ることになったという話である。

 彼らは両国の香具師の親分に、いわば負けてしまうのである。この時に銕蔵(根岸肥前守)が言うセリフに味がある。彼は、乗っ取られて悔しがる五郎蔵に、「おれたちはいっぱい負けようぜ」と言うのである。「負けることなんかなんにも恥ずかしくねえ。おれたちはいっぱい負けて、いっぱい学ぼうぜ」と言う(本書299ページ)。こういうところが本書の「味」で、おそらくそれは作者の人生哲学でもあるだろう。

2013年2月4日月曜日

風野真知雄『痩せ神さま 大江戸落語百景2』


 如月の声を聞き、昨日は節分で、季節の分かれ目だった。この2~3日は春を思わせる天気が続いたが、水曜日は雪の予報も出ているし、春はまだ遠くにいる。こういう季節は、人がどこか精神のバランスを失いやすいのだが、本来的に脳天気であることが一番いいと思ったりする。春風駘蕩が一番平和である。

 そんな中で、風野真知雄『痩せ神さま 大江戸落語百景2』(2012年 朝日新聞出版)を気楽に読んだ。これはシリーズ名にあるとおり、落語を題材にして一話形式でまとめたものである。

 「落語」は、文字通り「落とし噺」で、最後の「落とし(オチ)」が機知に富んだものほど滑稽感があり、その機知も世の中や人間の真実を突いているものほど妙味がある。「落語」は、本来、「話芸」であるから、語り口調や間の取り方に絶妙さがあるのだが、これを文字として読むための工夫が本書ではいくつかされていたりする。

 まだ学生の頃、五代目柳家小さんが好きで、新宿の末廣亭によく通ったことがある。言葉の間の取り方が絶妙で、名人芸だった。後に永谷園の「お茶漬け海苔」のテレビコマーシャルにでられたとき、そのコマーシャルが放映されるのを楽しみにしていたりした。

 表題となっている「痩せ神さま」は、本書の「第一席(寄席と同じようにそう記されている)」に収められている作品で、太った大店の女将さん二人が、なんとか痩せたいと思って評判の「痩せ神さま」を拝む話で、「痩せ神さま」が、実は貧乏神で、一人は商売が傾いて痩せ、もう一人のたまご屋の女将は、同じように商売が傾くのだが売れ残った玉子や鶏肉を食べ過ぎて、反対にぶくぶくと太ってしまうという話である。

 この話の「オチ」は今ひとつのところがあるような気がしたが、第二席の「質入れ」は見事な「オチ」が仕掛けられている。

 話の筋は、堂城幸四郎(どうしろこうしろ)という売れない戯作者が、貧がつまってどうにもならなくなり、自分の女房を質入れするというものである。彼の女房は、羽子板の裏絵かきの仕事をして糊口をしのいでいたが、彼がその羽子板の親方を猫に仕立てて戯作を書いたことがばれ、親方が怒って仕事を辞めさせたのである。彼としては、自分が書いた戯作をなんとか売り込むからということで女房を三日間質入するのである。

 ところが、彼の戯作は売れず、女房を請け出すことができない。そうしている時に、羽子板の親方がやってきて、大きな仕事が入ったからもう一度裏絵を書いてくれと女房に頼みに来る。女房は喜んで引き受けるが、仕事ができるまでの金がない。どうしようかと思っている時に、話を聞いていた質屋が、「そりゃあ、かんたんだな。なあ、お亀さん?」お亀も笑ってうなずくと、「はい、うちの人を入れときます」

 となるのである。こういう楽天性が落語のおもしろさで、思わず「ハハ」と笑ってしまう。

 本書には、そのほか、「第三席 牛の医者」、「第四席 忠犬蔵」、「第五席 やみなべ」、「第六席 すっぽん」、「第七席 人喰い村」、「第八席 永代橋」、「第九席 長崎屋」、「第十席 ちゃらけ寿司」、と十話が収められている。ただ、「第三席」以降で機知に富んだ鋭い「オチ」はあまり見受けられず、「第八席 永代橋」は、むしろ、どうしようもない男に惚れてしまう女の悲しさのようなものを感じるものだった。

 ただ、落語の良さは、庶民の暮らしに根づきながら、その楽天性を遺憾なく発揮して機知を働かせるところにあるし、人間のおおらかさがあり、それが全体を包むところにある。その意味で、落語は言葉遊びやショートコントとは本質的に異なるものである。

 20世紀のマクルーハンという社会哲学者が、現代文化が聴覚文化から視覚文化に変わったと指摘し、現代では、それが単に視覚だけでなく、聴覚と視覚が統合された動画に変わってきて、人間の感性も徐々に変わってきているが、「語り」としての落語が醸し出すおおらかさや楽天性、機知は「人の生のあり方として」大事にされるべきだろうと思う。

2012年5月25日金曜日

風野真知雄『耳袋秘帖 八丁堀同心殺人事件』


 先日、ブログのコメントに葉室麟『蜩ノ記』がNHKでラジオドラマ化されてFMで6月18日から全十話で放送されるという知らせを寄せてくださった方がおられ、知らなかったので大変嬉しく思っている。『いのちなりけり』と『花や散るらん』をテレビドラマ用に脚本化することを友人に勧めているが、彼の作品はどれをとっても素晴らしい。先日、時代小説の中で誰がいいですか、と聞かれた時、私は一番にこの人の作品を上げた。宮部みゆきの『孤宿の人』も素晴らしいが、葉室麟には作家として一本の強い線が貫かれていると思っている。

 閑話休題。先に風野真知雄『水の城 いまだ落城せず』(2008年新装版 祥伝社文庫)を読んで、大変感動したが、再び江戸時代の名奉行と言われた根岸肥前守を主人公にした『耳袋秘帖 八丁堀同心殺人事件』(2011年 文春文庫)を気楽に読んだ。これは出版社が変わったために新しく「殺人事件シリーズ」と銘打って出されているものの二作目の作品で、前作『赤鬼奉行根岸肥前守』(2011年 文春文庫)で、根岸肥前守が62歳の高齢で南町奉行となったいきさつ等が触れられていたが、今回は、八丁堀の江戸町奉行所の同心たちが立て続けに何者かに襲われて殺されるという奉行所にとっては威信のかかる事件を中心に、彼が記していた『耳袋(嚢)』を題材にして、「緑の狐」、「河童殺し」、「人面の木」、「へっついの幽霊」、「鬼の書」、「河童の銭』の六章からなる筋立てになっている。このうちの最後の「河童の銭」は余話となっている。

 根岸肥前守という人自身は極めて優れた官吏であったが、その鷹揚な性格や人格の豊かさもあり、どちらかと言えば非政治的な人間だったと思う。しかし、町奉行という職責もあって、当時の松平定信や旧田沼派の画策、あるいは十一代将軍の徳川家斉の思惑、定信が行なった寛政の改革の失敗と失脚など、大きな政治的要因がかれの周りに引き起こされ、否応なくその中を生きざるを得なかったところがあった。本書は、この辺の背景も巧みに取り入れながら、自らの姿勢を曲げることなく、しかもそれを柔らかく貫いていく姿も描き出していて、単なる江戸市中に起こった事件の解決だけではなく、様々な狭間の中で「柔中剛」のあり方を示すという味が付けられている。もともと、本当に芯を持つ者は、外は柔らかい。強がる人間ほど中身はない。

 様々な怪異な事件や噂などに対して、本書で描かれる根岸肥前守は極めて合理的な精神と現実的な人間観で対応する人物になっており、「緑の狐が出たとか河童の話とか、あるいは幽霊が出たということに何らかの人間の思惑が隠されていることを見抜いていくのである。彼が高齢で南町奉行となったということも「人間通」である彼の面目躍如を示すものである。「人間通」というものは、酸いも甘いも知りながら、表面の善悪にこだわることなく、しかも善であるような人間を言う。作者は肥前守をそういう人間として平易に描き出すのである。

 本筋の同心殺しという出来事の裏には、同心たちの振る舞いやそれに対する「恨み」が隠されているのであり、欲が絡んでいるわけで、それに対して根岸肥前守と彼が自分の手足として使っている若い坂巻弥三郎や栗田次郎左衛門などの爽やかさが光るのである。「欲」に対抗するのに「欲」をもってするという状況が普通に行われる人間の行為であるが、本書は「欲」に対抗するのが「無欲」であることをよく表している。

 ここでは、本書で展開されている内容にはいちいち触れないが、物語の展開や構成は平易で、実に気楽に安心して読める読み物である。ただ、「河童」をめぐる話はどは、どこかで聞いたような話で、このシリーズの他の作品と重なっているところがあるような気がして、斬新なものではない思いが残る。しかし、黄表紙的読本としては面白いと思っている。

2012年5月9日水曜日

風野真知雄『水の城 いまだ落城せず』(2)


 曇って少し肌寒い。先日の突風や竜巻に続いて、気象庁はこの2~3日うちにそれが再び起こるかもしれないという注意報を出している。気温の劇的な変動で生じる気象現象だが、気温の劇的な変動は身体にもこたえる。

先週の会議の疲れがまだなかなか取れないでぼんやり過ごしているが、追い打ちをかけるようにしてやってくる仕事もあり、さて、どうしようか、と脳天気ぶりを発揮することにした。

それはともかく、風野真知雄『水の城 いまだ落城せず』(2000年 新装版2008年 祥伝社文庫)の続きであるが、成田長親は、武力にならないと思われていた町人や百姓を信頼し、その助けでなんとか城を持ちこたえさせる。だが、石田三成が率いるのは大軍であり劣勢であることに変わりはない。負けるのは分かっている。しかし、彼は平然とこれに対峙していくのである。

 この成田長親と藩主の妻である「お菊」の人物の妙味が二人の次のような会話で描き出されている。

 「この城は、方円の器にしたがう水の城」
 と、お菊さまはつぶやいた。
 本丸の隅にある二層の櫓で、戻ってきた長親の報告を聞いた。持田口で八人ほど死人が出た。その中には、長親が目をかけていた者もふたり混じっていて、ほどく辛そうにそれを告げられた。
 だが、持田口もどうにか持ちこたえて、元の守備体制を取り戻したということだった。
 それを聞いたあと、そんな言葉が出たのである。
 「どういうことでしょうか」
 「押してくれば、引いてしまう。敵が引けば、押していく。戦いぶりがよく言えば、柔軟ですが、どこかとりとめがないような気も・・・」
 「なるほど」
 「おそらく長親どのの性格からくるものでしょうな」

 この場面の描写が優れているというわけではないが、押し寄せた大軍に対して「水の城」を少人数で守り続ける成田長親と藩主の妻のお菊との性格と、彼らが無理をせずに自然に採った方法がよく表されている気がする。成田長親もお菊も「人物」なのである。そして、成田長親に対する信頼が溢れているのである。石田三成の人知と力に対して、長親は、楽天的でのんびりした鷹揚な性格と信頼で対峙するのである。

 成田長親は、武芸に優れていることもなければ、小賢しい知恵があるわけでもないが、人を受け入れるという大きな器で安心感と信頼を与え、何よりも「人を活かす」ことを優先させることで敵の大軍に立ち向かい、それでだめならそれでもいいさ、というような楽天性をもつ人物なのである。もちろん、その楽天性は、一切の責任を負う覚悟と、明日死んでもどうということはないという武士(もののふ)としての覚悟があるのである。

 こうして、小田原城が落ちても忍城は落ちなかったが、小田原にいた藩主の意向を受けて成田長親は忍城を開城する。その開城の交渉も、あらゆる命を守り、立て籠もった人々がそのごの生活ができるようにすることを貫き、見事にそれをやってのけるのである。彼は鋭利な刃物ではない。むしろ、なまくらな切れない刃物であるが、ふんわりと人を包みこむのであり、そのふんわりとした中に、しかし、人の命と生活を第一義としていく筋が貫かれているのである。

 こうして、藩主の成田氏長と共に成田長親はいったん蒲生氏郷に預かりの身となり、やがて、成田氏長は会津の出城であった福井城一万石の藩主となる。さらにその後、娘の甲斐姫が豊臣秀吉の側室となったことから野州烏山三万七千石の藩主となっている。

 だが、藩主の成田氏長が攻撃側であった浅野長政と雑談した際に、あのときに城内に内通者がいたという話を聞き、氏長はそれが城代として城を守った成田長親だと思って、これを問い質してしまう。後にそれは誤解であったと判明するが、藩主に疑われた成田長親は、すぐにそのまま烏山城を出て、尾張に寓居し、二度と成田家に戻ることはなかった。

 このくだりも、本書では後日談としてあっさり書かれてはいるが、実は、成田長親という人物を端的に表すくだりで、わたしとしては大いに関心のあるところである。わたし自身もまた、それが事実無根であればあるほど、一度疑われるようなことがあれば、一切の弁明などをせずに静かにその場を去るだけであるような歩みをしてきたからでもあるが、成田長親の脳天気性はこうした覚悟に裏打ちされているもののように思えるからである。

 いずれにしても、この作品は成田長親と忍城という題材の素晴らしさもあるが、妙味のある面白い作品だった。

 図書館から借りてきていた本の返却日が来てしまったために、上田秀人『国禁 奥右筆秘帳』(2008年 講談社文庫)藤沢周平『静かな木』(1998年 新潮社)も面白く読んだのだが、時間的にこれを記すことができず、書名だけを記しておくことにする。

2012年5月7日月曜日

風野真知雄『水の城 いまだ落城せず』(1)


 なんの取り柄もなく、覇気もないようだが、周囲から妙に信頼されている人がいる。「信頼」云々は別にして、居ても居なくても変わらないし、かといって人に迷惑をかけるのでもなく、いつも静かに笑っていて、周囲からは「デクノボウ」と呼ばれるような、そういう人間でありたいと、長い間思ってきたわたしにぴったりな時代小説の主人公がいた。「水の城」とか「浮き城」とか呼ばれた武州の「忍城(おすじょう)を守り抜いた成田長親(なりた ながちか 15451613年)という人物である。

 この人を描いた代表的な作品が二つあり、一つは風野真知雄『水の城 いまだ落城せず』(2000年 祥伝社文庫 2008年新装版)和田滝『のぼうの城』(2007年 小学館)で、『のぼうの城』の方は2011年に映画化されている。公開は震災のことも考慮して今年(2012年)の秋に予定されていると聞く。山本周五郎にも『笄堀(こうがいぼり)』という短編があり、こちらは同じ舞台であるが、城を守った妻女が中心である。

 風野真知雄の作品は、これまで、名奉行といわれた江戸町奉行の根岸肥前守を主人公にしてシリーズ化されている『耳袋秘帖』のシリーズや他の作品を若干読んで、その軽妙な展開やさりげない人物描写によるある種の深みのようなものを感じていたが、『水の城 いまだ落城せず』は、そうした作品とは異なり、深い感動を呼び起こす作品になっている。

 小説の舞台となるのは、利根川と荒川に挟まれた扇状地に小さな川がいくつも流れて沼地となった所に、いくつかの島や自然堤防を利用して築かれた「忍城」(現在の埼玉県行田市)で、1478年ごろに地元の豪族であった成田氏が築城したのが始まりといわれている。翌年、扇谷上杉家に攻められたが、太田道灌の仲介で和解して城は無事で、1553年には関東の雄であった北条氏康にも攻められるが、氏康も攻略に失敗している。そして、1575年には上杉謙信によって包囲されて攻撃されるが、「忍城」は攻略されなかった。当時の城の配置図を見ると、平城ではあるが難攻不落に近い構造をもっていることがよく分かる。

 そして、圧巻なのは、1590年(天正18年)に豊臣秀吉が関東平定のために小田原城の北条氏を20万人以上の大軍をもって総攻撃した際、北条氏の支城となっていた「忍城」を石田三成が総大将となって2万(後に5万ほどにふくれあがる)の大軍をもって攻撃した時のことである。石田三成は総延長28㎞にも及ぶ堤防を築き(石田堤と呼ばれる)、城全体を沈み込ませる水攻めを行ったが、「忍城」は、城代であった成田長親を中心とするわずか3000人弱の人間でこれを守り、ついに落城することはなかったのである。

 結局は小田原城に籠もっていた北条氏が先に降伏し、開城することになったのだが、「忍城」は不落の城であった。徳川時代は、家康の四男の松平忠吉が藩主となり、忍藩10万石の城となり、以後、徳川の親藩や譜代の大名が城主となるなど、幕府の重要な拠点となり、1694年に、現在復元されている御三階櫓が完成している。明治の廃藩置県で「忍県」が置かれたが、城内の構造物は破棄されてしまった。こんなところにも明治政府の愚かさがあるのだが、1988年に江戸時代に完成した御三階櫓が再建された。

 池の中にぽっかり浮かんだような実に美しい城で、行田市の観光ガイドによると、毎年11月の第二日曜日に「忍城時代祭り」がここで行われ、武者行列と火縄銃演舞などが行われているらしい。機会があれば、ぜひ行ってみたいと思っている。

 物語は、1590年に豊臣秀吉が小田原城を攻めた際に、石田三成が「忍城」を包囲した攻防戦における成田長親の姿を描いていくのだが、藩主の成田氏長が小田原城に出向いて籠城したために、家老であった叔父の成田泰季(なりた やすすえ)が城代となった。ところが成田泰季が開戦直前に病死したために、その子であった長親が城代の代わりとなって2万以上の軍隊を相手に農民を合わせてわずか3000人足らずでの攻防戦の指揮を執ったのである。長親は藩主の甥に当たる。

 本書は、序章で、この攻防戦を江戸時代になって老武将たちが青年武士に語り聞かせるという体裁を取って軽妙に始まっているが、この序章はむしろないほうがよく、読み進むにつれて成田長親という人物がゆっくりと浮かび上がってきて、強烈な印象を残して終わる。

 幾たびの攻防の戦国の世を生き延びてきたかくしゃくとした偉丈夫の武人である父親の泰季から見れば、成田長親はこれといった際立ったところがない茫洋とした不詳の息子で、運動神経が鈍くて馬にさえ乗れないような人間だった。だが、不思議に誰からも好かれて、城内には長親のことを頼りないとは思っていたが悪くいう者はひとりもいなかった。閑さえあれば、城外に出て百姓たちと畑を耕したりするのが好きで、偉ぶるようなこととは無縁の、いわば人畜無害の人間だったのである。

 和田滝『のぼうの城』では、農作業を申し出るが不器用なために迷惑ばかりかけ、そのくせ不思議に憎めない人物で、領民からは「でくのぼう」を縮めた「のぼう様」と呼ばれていたとなっている。この描写はいくぶん戯画化されてはいるが、実際に、物事に拘らずにのんびりとした人物だっただろうと思う。

 本書の冒頭で、女だてらに戦に出たがる勝ち気な藩主の娘の甲斐姫(この姫の方がよく知られており、山本周五郎が『笄堀』で描いたし、後に豊臣秀吉の側室となり、ついで豊臣秀頼の側室となって娘を設け、この娘が後の縁切り寺といわれた東慶寺の中興の祖となっている)に、成田長親が「この、うすのろ爺ぃ」と罵倒される場面が描かれている。甲斐姫17歳、長親44歳である。もちろん、これは作者の上手い創作だが、勝ち気な娘の前でおろおろする人物、それが成田長親なのである。

 ところが、この平和な忍城に暗雲が立ちこめる。22万もの大軍による秀吉の北条攻めが始まったのである。忍城は北条方の支城であり、城主の成田氏長への小田原城参戦の命が北条方より出されるのである。22万の兵というのは前代未聞の大軍で、すべて訓練を受けた戦闘集団であったが、これに対して小田原城は6~7万で、しかも城下の町人や百姓を急遽兵に仕立てての数だった。誰が見ても北条側に勝ち目はなかったのである。成田氏長はこれが負け戦になると知りつつも主だった家臣350人を引き連れて小田原へ向かう。

 残された忍城は、家老の成田泰季を城代にして、わずかな家臣と足軽や下働きの者たちだった。そして、小田原を取り囲んだ秀吉は、各武将たちに関東各地にあった北条方の支城の攻撃を命じ、秀吉の懐刀といわれ鋭敏な頭脳によって英邁を誇った石田三成に関東北部の支城の攻撃を命じるのである。

 作者は、この辺りに、文官としては秀吉の信を得ていた石田三成が、武官としては他の武将たちから軽く見られ、信用もなかったという事情を挿入し、秀吉が石田三成に武将としての働きをさせようとしたと語り、石田三成もまたそれに応えて武将であることを証明しようとしたと述べる。石田三成が福島正則や加藤清正に嫌われていたことは有名な話で、それが明白になるのは秀吉の朝鮮派兵の時であったのだが、その事情をここに入れることで、石田三成が関東北部の支城攻撃にいかに自分の命運を賭けようとしていたのかを示すのである。石田三成30歳の若さである。彼が支城の攻撃に気負っていたのは間違いない。

 石田三成は、まず、小田原から遠い館林城を落とそうとする。館林城は北条氏規(ほうじょう うじのり)の城で、沼に突き出た半島のようなところに位置し、幾重にも防備が敷かれ、難攻不落と言われ、ここに城代としての南条昌治を中心にして五千人ほどが籠城した。三成の軍は、清廉な武将として名高い大谷吉継、長束正家らがついた二万近くの兵であった。三成はこの城を落とすのにわずか三日しかかからなかった。そして、難攻不落と言われた館林城をわずか三日で落としたのだから、次の忍城は、わずかの兵力しかなく、二日もあれば落とせるだろうと踏んで忍城の攻撃に向かったのである。

 わずかの兵力しかなかった忍城も、当然のように籠城戦を取ることにし、周囲の百姓や町人も城に入れることにする。それでようやく二千~三千人弱の人数になるのである。忍城に籠城した大多数はそういう人間たちだったのである。本書では、ここで主戦を唱えた武将たちが真っ先に逃げ出したことを語り、勇壮なことを言う人間がいち早く逃げ出す様を展開したりする。

 その時、長親が城代となっている父に、「父上、この際、逃げる者は皆、逃がしてしまいましょう」と言い出したと語る。「籠城では城の内側から人心が崩れていくのをもっとも警戒すべきでしょう」(114ページ)と語る。茫洋としているようでいて鋭い洞察をもって事に当たろうとする長親の姿がここで示されるのである。崩れるときは内から崩れる。その愚を犯すことを長親は明確に避けようとしたのである。

 城には、長親が普段親しくつきあっていた百姓や町人が入ってきた。彼らは長親のことをよく知り、頼りなく思えても親しみを感じていた人間たちであった。本書では、ここで、城下で機屋を営み、各地に旅をして情報をもっている25歳の栗八という青年と、油屋の四男で知恵者である多助、近郊の村で百姓をしている清右衛門という青年を登場させ、やがて長親が彼らの助けで城を守っていくことになる展開を見せていく。長親には、妙に人を安心させるようなところがあり、彼らは長親を信頼していくのである。

 その長親の力が示されるときが来た。二万余にふくれた三成の軍隊が、三成の指揮の下で整然と攻撃を開始したのである。だが、城への道は細く、周囲は深田で、三成の兵たちは深田に足を取られながら進んでくる。長親は、これを十分引きつけて、少ない鉄砲でも効果か上がるようにして防ぐのである。この出来事で足軽や百姓たちからなる忍城は三成の攻撃を一度は退けることができたのである。

 だが、その戦の最中に城代であり長親の父である成田泰季が病で倒れ、死去する。本書ではこのくだりも上手く、死の床にあった泰季を看取ったのが藩主の妻の「お菊」で、泰季は、自分の代わりの城代として武勇で知られた正木丹波にしてくれと言い残すのである。ところが、この「お菊」は、泰季が自分の代わりの城代として指名したのが息子の長親だと言い出し、決定させるのである。

 この「お菊」という女性は、山本周五郎の『笄堀』の主人公でもあるが、実に優れた女性で、普段は物静かな女性であるが、物事に動ぜずに大局を見る目と人を見る目をもち、時に毅然とすることができる女性で、長親のもつ力を見抜いていたのである。山本周五郎の『笄堀』では、城中の女性たちを集め、娘(甲斐姫)を城中に座らせて、自らは顔を隠して他の女たちと堀をつくり、寄せ手を防いだと展開されている。本書でも、魅力ある女性として描かれているが、もう少し、この「お菊」を登場させて描き出すといいだろうと思うが、本書で焦点を当てられているのは、むしろ「甲斐姫」で、この甲斐姫が長親と同衾したり、攻撃手であった真田幸村に惚れたりしたと記されていく。

 ともあれ、父に代わって城代となった成田長親は、「やるだけやって、あとは野となれじゃ」と言い放ち、百姓や町人の手を借りながら、しかも城中をいつも明るく保ちながら、城を守っていく。当然、苦戦は続くが、長親は穏やかにして、城内を柔らかい空気で包んでいく。鉄炮の玉がなくなれば、石を削ったり、相手が撃ち放った玉を広い集めたりして凌いでいくのである。食糧は城を囲む沼の鯉と蓮根である。長親はどこにでも気軽に顔を出し、ともすれば絶望的で厭戦的になってしまう城内にいる人たちと和やかさを保つことに努めるのである。人々の長親に対する親しみと信頼は増していく。

 業を煮やした石田三成は、いよいよ周囲に堤を作っての水攻めを決行していく。だが、堤を作るためにかり出すのは近在の百姓たちで、百姓たちから親しまれていた長親は、いち早く三成が水攻めを行うことを知り、堤の欠陥工事を図って行くのである。水は次第にたまり、城は水没しそうになる。だが、欠陥工事のために、満水になったとたんに堤が切れて、三成の水攻めは見事に失敗し、それだけでなく洪水となったために多大な犠牲を出していくのである。

 鋭利な刃物のような三成の攻撃の仕方と、柔らかく包むような長親、その姿がここで描き出されていく。やがて、小田原城に籠もっていた北条方は降伏する。だが、長親は降伏しない。名将と言われた真田幸村も三成軍に加戦することになり、あやうく破られそうになるが、甲斐姫が飛び出して真田幸村と対峙し、これを退ける。忍城は成田長親を中心にして一致団結していたからである。一つになった力は強い。本書では、このときに真田幸村と対峙した甲斐姫が幸村に惚れてしまったということになったりする。柔らかさは最強の力なのである。

 長くなったので続きはまた次回に記したいと思うが、風野真知雄が描く成田長親には深く心を揺さぶられるものがある。