昨日から仙台に出かけ、帰宅してこれを書いるが、台風が日本近海で足踏みしている状態で、仙台もここも一段と寒く感じている。今夜はこれからまた市ケ谷で会議で、いささかうんざりもする。
このところの天気の変化が激しくて、こういう変化は体調だけでなく思考の持続にも影響するのか、断片的なことだけしか考えられなくなっている気がする。年齢のせいもあるだろうが、ひとつのことをするのにとても時間がかかるようになってしまった。しかし、まあ、それも天来の時かもしれない。
少し軽いものをと思って、風野真知雄『爺いとひよこの捕物帳 七十七の傷』(2008年 幻冬舎文庫)を気楽に読んだ。
江戸時代の初期に起こった明暦の大火(1657年)で細工師をしていた父親が行くへ不明となった喬太は、弱気になっている母親を助けながら叔父の岡っ引きのもとで手先(下働き)をしている。不器用で父親のような細工師にもなれず、かといって聞き込みもできないし、血を見れば気持ちが悪くなり、争いごとも嫌いで、幼い頃からいじめにも合うし、腕っ節も弱く、岡っ引きの手先としては自分でもどうかなと思うくらいだが、観察力と推理力が優れているなかなかの好少年である。その彼が、霊岸島の渡し舟の中で起こった斬りつけ騒ぎの探索の途中で全身傷だらけの風変わりな老人と出会う。
その老人は、奇妙な四角の家に住み、飄々として、語ることも含蓄があれば暴漢を退治するほどの腕も立つ。老人は和五助と名乗るが、実は彼は豊臣秀吉の朝鮮の役から関ヶ原の合戦、大坂の陣まで忍び働きをしていた凄腕の忍者で、仲間の貫作が訪ねてきたり、孫娘が訪ねてきたりして、今は気楽に暮らしているのである。和五助の友人の貫作は、薬研掘りで中島徳右衛門と名乗って七味唐辛子で成功している。
和五助は、なぜか手先として働いている喬太が気に入り、喬太もまたいろいろなことを知っている和五助を次第に頼っていくようになり、ひ弱な自分が体を鍛えていくことを教わったりするし、もちろん、起こった事件のヒントを与えられたりしていく。
叔父の岡っ引きをしている万二郎も奉行所同心の根本進八も次第に喬太の鋭い推理力に気がつき初めて、彼を温かく見守っていくが、和五助もまた喬太に様々なことを教えていくのである。その教え方が、喬太が自分で経験して納得していくような教え方であるのもいい。
こうして霊岸島の渡しで起こった斬りつけ騒ぎが、旗本奴による商家の娘の拐かしにつながることが分かっていったり、鬼の面をかぶった押し込み強盗の事件が解決したりしていく。後者の事件では、大阪夏の陣で真田幸村と並んで豊臣方の名将でありキリシタンであった明石全登(景盛)の息子が登場し、彼が再起を期した計画で押し込み強盗を働いたという筋書きである。明石全登については大阪城から脱出して生き延びたとも言われるし、その後の消息は不明で、伊達政宗によって保護された後に津軽へと向かい、その子孫は秋田に定住したとも言われる。全登の息子が再起を期したというのは、もちろん作者の創作であるが、明暦の頃はまだ戦国の気風が強く残っていたので、娯楽物語としては、まあ、いいかなと思う。また、紙問屋の主人が不思議な死に方をしているのに気づいた喬太が、和五助の知恵で、それが鍼によるものであることが分かり、朝鮮通信使が売った品物の贋物取引をしようとした事件であることがわかっていたりする。
こうして、事件の解決を見ていくが、大火で行くへ不明になっている喬太の父親が、実は、和五助と同じような忍びの者であり、その行くへ不明には謎が残されていたり、和五助と貫作はどうやら十万両もの金をどこかに秘匿しているようで、その金を巡って襲われたりする。それもまだ謎として残されている。だが、純朴で真っ直ぐな性格をし、人に対しての優しさも深く持っている喬太が和五助によって成長を助けられている姿は、和五助の人徳もにじみ出て、いい味を出しているし、和五助と貫作の老人ふたりが抜群の活躍を何食わぬ顔をしてやっていく姿も面白い展開になっている。
老人が活躍する作品というのは、やはり、なかなか味わい深いのである。もうずいぶん前のことで題名も忘れたが、アメリカ映画で似たような話があり、悪者の金を奪って大金を持つ老人ふたりが甥の青年の人生や恋を知恵や勇気で助けていくというのがあったし、確か、五木寛之も老人が大胆に活躍をする小説を書いていたように記憶している。
こうした話に登場する老人たちは、みな能力を潜ませた爽やかな老人たちで、実際にはそうした人は少ないのだが、それでも、老人が大活躍する作品は人生哲学を込めやすくていい作品になる。本書もシリーズ化されているようで、飽きない物語になっている。
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