2010年3月18日木曜日

諸田玲子『紅の袖』

 少し寒い日が続いているとはいえ、春の温かさに向かって日々が過ぎていくのがわかる。この辺りの梅の花はもう盛りを過ぎて散り始めているし、季節を先取りして売られている花屋の花は、色鮮やかな春の色を誇っている。

 このところ何かと忙しくて、これも月曜日以来書くことができなかった。今日も夕方には仙台まで出かけなければならない。今年は少しのんびりできるかと思っていたが、年度末というのはいつも大体そうだろう。

 月曜日に続いてまたまた男女の微妙なあやを描いた諸田玲子『紅の袖』(2004年 新潮社)を読んだ。これは幕末期に右往左往した小藩(川越藩)の騒動の中で、ひとつ屋根の下に住むことになった男女四人の錯綜した思いを、そのうちの一人である女性の視点から描いたもので、藩命によって砲台(お台場)作成の監督をしなければならなくなった夫、そしてその夫のために川越から出てきた妻、甥で、幼馴染でもあり、穏健な夫とは対照的に時代の流れを敏感に感じ取って様々な画策を企てる夫の友人、何らかの思惑をもって近づいてきて女中となった女、その四人が時代と状況に翻弄されながら、それぞれ複雑な関係をもっていく。

 諸田玲子は、そうした状況下での女性の心理描写を描くのが巧みだから、全体的にすんなり読める作品になっているし、読む人にとっては一息で読めるのかもしれないが、こうした恋愛心理の展開にいささかうんざりしている人にとっては、最後の結末に至るまでがあまりに「うじうじ」とし過ぎていて、いまひとつ興が乗らないかもしれないと思った。

 わたしの場合も後者で、読むのになんとなく重く感じられてしまった。もちろん、1853年のペリーの来航から日米親和条約、幕末に至るまでの時代が激変しているのだから、物語の展開もそうした状況の変化に伴っていくし、川越藩という小藩も大きく揺れ動き、主人公の夫もその友人も、そして思惑をもっている女中も、その時代と状況に翻弄されていくわけで、物語が面白くないわけはないのだが、作者のもう一つの面である人間に対するユーモアがほとんどなくて、不安定な主人公の心情が直接伝わってしまい、その気持ちが「わからない」という場面が、正直なところ多々ある。

 この作品は女性の心理をよく描き出すという点で、「女流作家」であることがよく示された作品であり、文章も構成も優れており、こういう読後感は、いうまでもなくこちら(読者)の心理的状況が反映されているのだが、それでもどうも「重い」という感じがしてならない。もちろん、結末は軽い。状況に瀕した小藩の藩主を変えることを画策した黒幕もわかり、事態は好転する。悩んだ主人公は、一回りも二回りも大きくなって、人生の腰を据えるようになっていく。しかし、それでも主人公の姿がわたしの理解可能な領域を越えたところにあるのは事実である。

 今夜は仙台泊まりで、明日はまた午後から予定が詰まっている。「はあ~」という感じではある。天気図を見ると、仙台の春はまだ遅いようだし、今夕は決算や予算といった無粋な数字と直面することになっている。何とも気の重いことではある。

0 件のコメント:

コメントを投稿