2010年3月6日土曜日

宇江佐真理『聞き屋与平 江戸夜咄草』(2)

 雨になった。「春雨じゃ、濡れて参ろう」というには少し冷たすぎる雨で、来週はまた冷え込むらしい。ただ、雨の中で春の草花が小さく揺れるのはいとおしい。

 宇江佐真理『聞き屋与平』の中で、「聞き屋」をする与平のもとを訪れた客として最初に描かれるのは「およし」という近くの一膳めし屋で女中をしている娘である。彼女の父は博打で借金をして行方不明で、母親は同じ店で酌婦をしている。彼女は五人妹弟の長女であり、子どもたちの面倒を見ながら働いている。彼女の母親は、どうしようもない母親で、娘の「およし」を吉原に売り飛ばそうとする。

 彼女は与平のもとを訪れ、弟や妹の面倒を見なければならないことや父親が残した借金の取り立てが厳しいことなどの日々の苦労を話して帰る。

 そこに岡っ引きをしている「鯰の長兵衛」と呼ばれる男が来る。彼は与平の過去に何かやましいことがあるのではないかと疑って探っている。「およし」の母親から頼まれて娘を吉原に売り飛ばす仲介もしている。彼は与平に嫌味を言って帰る。近所の按摩の「徳市」も通りがかりに与平に言葉をかける。与平は徳市に温かい言葉をかけていく。こういうふうにして、与平の「聞き屋」としての日々が過ぎていく。

 元武家の妻で、出入りの呉服屋の手代と駆け落ちし、その手代から岡場所に売られ、夜鷹にまで身を落とした女も来る。女は与平に言う。
 「わっちのしたことは、こんな年まで女郎をしなくちゃならないほど罪なことだったんだろうか。時々、考えちまうんだよ」
 与平は応える。
 「そうですな。一度の過ちにしては、姐さんの苦労は大き過ぎたと思いますね」(文庫版 37ページ)

 そうしているうちに、ちょうど生薬問屋の出店を任せている三男の店で女中が必要になり、与平は陰からそっと背を差し伸べて、吉原に売られることになっている「およし」を女中として雇う算段をして、仲介をしていた鯰の長兵衛と渡りあう。「およし」は、心根のいい優しい娘で、自分を助けてくれたのが与平であることを知って、心底、店に仕え、与平を大事にしていく。やがて、与平の三男が「およし」に惚れて夫婦になるが、質のよくない母親のことで一悶着起こったりするが、与平の眼差しは温かい。与平の妻も、元は女中であったから、「およし」を温かく包む。

 養子にやっている与平の次男も、子どもができないことから夫婦別れさせられて家を出さえられたりする。しかし、次男の妻は、心底次男に惚れているので、自分の家を捨てて次男のもとに駆け込む。与平は、この夫婦も包み込む。

 与平自身も、昔自分が犯した罪を背負っている。鯰の長兵衛は、しつこくそれをつけ狙う。だが、その長兵衛も、やがて老いて死んでしまう。与平も弱っていく。そして、最後に与平の客となったのは彼の妻であった。誰も知らないと思っていた自分の過ちを妻は知っていた。妻はそれを知っていて、なお、与平を支えるために彼の妻となったのである。

 やがて、与平自身も死を迎える。そして、今度は彼の妻が、暗い路地裏に小さな行灯を出して、与平の後を受けて「聞き屋」を始めるのである。

 たくさんの挿話が、この作品の中に出てくるが、どれもが丁寧に描かれ、そして、登場するすべての人たちが、鯰の長兵衛や質の悪い「およし」の母親も含めて、だれもかれもが温かい。それ以外ではありえなかった人間として受け入れ、恩を恩で、情を情で、しかも、自分のしっかりした意志をもって帰していく。意志が愛に向かう時の強さと温かさがる。そして、自らも重荷を追って生きてきた与平の「聞き屋」としての晩年が、それに包まれていくのである。

 人は、だれでも重荷を追ってよたよたと、あるいはトボトボと人生を歩んでいる。これしか生きることが出ない人生をそれぞれに歩んでいるのかもしれない。わかりきったことかもしれない。しかし、その人をそのままで受け入れることは難しい。つまらない善悪の判断をしてしまうこともあるし、この世の価値で計ることもある。だが、宇江佐真理の作品は、そんなものを吹き飛ばす。彼女の作品は、まことに文学作品として名作で、ふと、ドストエフスキーを思い起こしたりする。生きることの深い慰めと励ましが満ち溢れている。

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