秋の長雨というが、このところ一週間ほどぐずついた天気が続き、今日も雨が降って寒さを感じる。この秋は紅葉を見にどこかに出かけたいと思うのだが、ふらりと、というわけにもいかないのでどうだろうかと思っている。
最近はとみに静かに暮らしたいと思っている気持ちが強いのか、胆力が衰えたのか、あるところで、「もういい加減に何事かを為したり、自己の権利を主張したりすることで、自分の存在を確立しようという発想を捨てたらどうか」と書いたが、自省すれば、人間は作為の動物なので「生成」が宿命としてあり、それはこちらの気力が衰えた愚痴かも知れないと思ったりもする。
それはともかくとして、海音寺潮五郎『列藩騒動禄』の上巻を作者の歴史観や人物観を顧みながら読み終えた。江戸時代のお家騒動の渦中にあった人物の評価は様々だが、いろいろなところで悪者とされてきた人物や、反対に喝采を浴びてきた人物が、本当はそうではないのではないかという視点が随所にあって、世間一般の学者や世評に惑わされないようにする姿勢を貫くという意味で、これは手元に置いておきたい書物の一冊であろうと思う。
上巻で取り上げられている「黒田騒動」は、わたし自身が福岡の出であることから同じ福岡市でも福岡と博多の気質が異なったものであることをよく知っており、最近は都市化の影響だろうが、元来の福岡の剛と博多の柔の気質が薄くなっていることを感じているとはいえ、外から藩主として着任した黒田家の武家はずいぶん苦労しただろうと思いながら読んでいた。
それでも豊臣秀吉の智将と誉れの高い黒田孝高(如水)とその子の長政までは、才能も気質も抜群で、藩政も落ち着いていたのだが、黒田家の三代目(福岡藩黒田家は関ヶ原の効によって家康が長政に与えたものであるから、正式には藩主としては二代目だろう)である忠之の代になって、家臣団の対立が起こって「黒田騒動」といわれる事件が勃発し、へたをすればお家の取り潰しになるという危機に見舞われたのである。その少し前に、熊本の加藤家が取り潰されている。
具体的には、黒田騒動は如水以来の黒田家の石柱である家柄家老の二代目である栗山大膳を嫌った藩主の忠之が、自分の意のままになる人物を仕置家老として取り立て、これを偏重したことから、また取り立てられた仕置家老も、自分の権勢欲から栗山大膳のあることないことを言い立ててこれをなきものにしようとしたために、栗山大膳が藩主の忠之を幕府に謀反の意ありと訴え、藩を二分する騒ぎとなったものである。
栗山大膳も権勢を誇る傲慢なところがあったのだが、忠之も我が儘であり、黒田騒動は煎じ詰めれば藩政を巡る勢力争いに過ぎない。面白いのは、栗山大膳が淫奔な美しいお部屋様(忠之の妻)と密通をしたといったような風評が流され、世間もそういう眼で黒田騒動を見るとことがあったのだが、事実は全く異なっているなどということである。風評というのはそんなものだろう。海音寺潮五郎は、栗山大膳には傲慢でずるいところもあるが、熊本の加藤家の取り潰しを知って、先見の明をもって福岡藩がそのような目にあわないように策略を立てたのではないかと語っている。
しかし、たとえそうだとしても、このような策略を立て騒動を引き起こし、多くの犠牲者を出す人物は、いずれにしても大した人間ではない。策略に翻弄された人間こそ哀れである。
次に取り上げられている「加賀騒動」は、金沢の加賀藩前田家六代目の藩主吉徳が、美貌で利発であった大槻伝蔵を、伝蔵が少年の頃にはおそらく男色の相手として、長じては藩政を牛耳るほどに引き上げて寵愛し、それを嫉んだ人々が策略を施して大槻伝蔵が藩主の吉徳を毒殺しようとしたということを訴え出たことを言う。
大槻伝蔵という人は、なかなか機略に富んだところがあり、逼迫した藩の財政の立て直しをしたり、金沢城下を整えたりしたのだが、彼が取った財政政策は緊縮財政であったために不評を買い、また名門の前田家の女性を妻女として娶ろうとしたりしたことが悪評を生んだ人だった。
大槻伝蔵の処刑理由の一つに、彼が吉徳の妻真如院と密通をし、その子を世子としようとしたとあるのだが、海音寺潮五郎は、それには疑問を持っている。要は武家の嫉妬が生んだ事件で、その権謀術作は恐ろしいほどである。武家の嫉妬というものは、陰湿でいやらしいところがあるのである。
「秋田騒動」は秋田の佐竹家の中で、凶作が続いて財政の逼迫を受けて、あまり深い考慮もなく商人に踊らされて出した藩札を巡る争いに絡んで、固定化されてしまった藩の政治をひっくり返そうと策を巡らした小賢しい人間たちが引き起こした事件である。金と力が絡んでいるだけに事件の概要は複雑だが、これもまた権力闘争の一つではある。
福井の「越前騒動」と新潟の「越後騒動」の両方に絡んでいるのは、越前藩主となった徳川家康の次男秀康の子の忠直で、この忠直という人は稀代の暴君で、殺戮を好み、手当たり次第に人を様々な方法で殺すことを楽しんだ狂気じみた人物で、「越後騒動」も、その子である光長が越後の藩主の時で、光長というひとは、ほとんど無能の人である。
いずれも優秀な人物が他の家臣の妬みの権謀術作によって裁かれ処刑されている。ただ、裁かれた方も、才気走ったところがあったり、驕慢なところがあったりしている。「愚鈍な人間に悪人はいない」というが、「才がある」ということは哀しいことでもある。しかし、「小才」は手に負えないのは事実で、世の中は小賢しい人ばかりいるような気がする。小賢しい人は真の「才」を理解しないし、しようがないのである。 現代は万人小賢しいのである。
それにしても、身分や階級の固定化は、それがあまりに度が過ぎると騒動を生んでいく。現代社会も徐々に身分の固定化が進んでいるので、金と力を巡っての争いが絶えなくなるような気もする。
『列藩騒動禄』の下巻の方は、いつかまた読んでみよう。この類の本は、続けて読む必要はないので、「いつか」ということにしておきたい。列藩の騒動について厳密に史実を探る必要性も、今のところはないし、史伝として読んでいるに過ぎないのだから。
2010年9月30日木曜日
2010年9月27日月曜日
海音寺潮五郎『列藩騒動記』(1)
彼岸の中日から天候が激変し、むしろ肌寒さを感じる日々となり、雨が降り続いている。今日も薄灰色の厚い雲に覆われて雨がしどけなく降っている。
先日来、海音寺潮五郎『列藩騒動禄』(1965-1966年 新潮社 新装版 講談社文庫)の上巻を読み進めているが、自治区とも言うべき江戸時代の大名家に起こったお家騒動の顛末には、史伝として記述されておるだけに、政治や社会のみならず自己の正義と欲のために策略を巡らす人間のあり方を考える上でも相当なものがあり、そう簡単には読み進まない。
元々の新潮社版は、海音寺潮五郎が64-65歳の時に2年間かけて書かれた3巻ものであるが、講談社文庫の新装版は上下2巻で、上巻には、「島津騒動」、「伊達騒動」、「黒田騒動」、「加賀騒動」、「秋田騒動」、「越前騒動」、「越後騒動」の7つの藩での事件が取り上げられ、下巻では「仙石騒動」、「生駒騒動」、「楡山騒動」、「宇都宮騒動」、「阿波騒動」の5つのお家騒動が取り上げられている。このうちの上巻で取り上げれれているお家騒動は、他でも多くの文学作品になっており、比較的著名であるが、「島津騒動」が最初に取り上げられているのは、海音寺潮五郎が鹿児島(薩摩藩)の出身であり、西郷隆盛を生涯のテーマとしていたことによるだろうし、「伊達騒動」は、山本周五郎の『樅の木は残った』がNHKでテレビドラマ化されて放映され、伊達騒動の中での一つの役割を果たした原田甲斐をめぐっての史実上の問題を感じたからだろう。
この書物を読み出したのには特別の動機があるわけではないが、人間や事件に対する評価というものが、相対的な社会や時代の中で判断されるだけであり、普遍的な意味をもたないものに過ぎないと思っているので、海音寺潮五郎が善悪の判断をつけずに史実を辿っていく姿について、もう一度具体的な藩の政治を巡る事件を読んで考えたいと思っていたことと、それぞれの「騒動」について少し正確な知識を得ようと思ったからである。特に、領土問題を巡っての日中関係の悪化が重く心にあるので、一つの事柄をそれぞれの立場でどのように判断し、どのような行動に出るのかを人間の側から見てみようとも思うからである。
それにしても、最初の「島津騒動」についての「江戸時代の大名の家は、早晩貧乏に陥らなければならない仕組みになっていた。・・・太平がつづけば、人間の生活が向上し、ぜい沢になるのは自然の勢いだ。大名の家は収入のふやしようがなく、あるいはふやしてもそう大はばにふやすことは出来ないから、貧乏になるよりほかはない」(新装版 文庫上巻 9ページ)という書き出しからして、名文の域に達していると思う。
「島津騒動」は、直接的には幕末のころの名君として名高い島津斉彬(なりあきら)の家督相続と、斉彬の父斉興(なりおき)の側室であったお由羅を中心とした由羅の子久光(ひさみつ)の家督相続を巡っての争いをさすが、なかなか家督を譲らずに院政を敷いた斉興の父重豪(しげひで)と、同じように家督をゆずらなかった斉興の両方の執着、由羅の執着などが生み出したものである。
作者は斉彬が毒殺されたとの説を採るが、わたしもそう思っている。先年、鹿児島を訪れて斉彬の業績をつぶさに見たが、その事業のひとつひとつは真に剛胆で、彼に師事した西郷隆盛らの思いを肌で感じたことがある。もし、斉彬が志の途中で死ななければ、明治維新は起きなかったかも知れないし、起きたとしてももっと根本的に異なっていたものになっていたことは疑いえない。しかし、歴史とは皮肉なもので、斉彬が毒殺されたと信じ、西郷隆盛らが藩主の久光とそりがあわなかったということが、明治維新を推進した力になっていたのである。
西郷隆盛という人は、おそらく西南戦争のころの晩年は、もう国家や政治といったものにほとんど関心がなかったのではないかと思うし、彼の「優しさ」だけが西南戦争へと繋がっていったようにわたしは思っている。
こういうことを書き始めるときりがないが、七十七万石という薩摩の大藩での人間模様と現状の打開策を巡っての争いには、どちらが正義ということができないものがあって、人間の器や宿命のようなものを感じるのである。
「伊達騒動」の国家老原田甲斐については、作者は、ただの家柄家老であり、「大変なやり手だったように言う人が昔からあるが、実は大した人物ではない」(同書 134ページ)という。しかし、史実は別にして原田甲斐を主人公にした山本周五郎の『樅の木は残った』は感動的な作品である。山本周五郎は、原田甲斐に救われたひとりの少女の姿の視点で、人間の愛情を切々と歌い上げている。
伊達騒動は、仙台伊達家の三代目藩主伊達綱宗(つなむね)が吉原通いの遊興を時の老中酒井雅楽頭(うたのかみ)から咎められて無理矢理に2歳の亀千代(伊達綱村)に譲らさせられ、その後見として伊達正宗の十男で綱宗の叔父であった伊達兵部宗勝(むねかつ)が立てられ、独裁的な政治を強いたことから他の伊達家の者たちや家臣らの反乱にあった事件である。
作者は伊達騒動をまとめて、「要するに、この騒動は伊達家の老臣らに人物がいず、目付ごときに引きまわされて家中を和熟して統制することが出来ず、藩中の不平不満を押さえつけようとして無闇に権力と刑罰を使ったというケースだ。言ってみれば、当時の伊達家中は、配色濃くなった頃からの東条内閣下の日本のようなものだったのだ」(同書 164-165ページ)と言う。
これは、ことによると日中関係が緊迫している状態の現在の日本の政治状況となるかも知れないと思ったりもする一文ではある。
今日はここまでとしておこう。それにしても肌寒い。この急激な気温の低下はいったい何だろうと思う。暖房が恋しく感じないでもない。
先日来、海音寺潮五郎『列藩騒動禄』(1965-1966年 新潮社 新装版 講談社文庫)の上巻を読み進めているが、自治区とも言うべき江戸時代の大名家に起こったお家騒動の顛末には、史伝として記述されておるだけに、政治や社会のみならず自己の正義と欲のために策略を巡らす人間のあり方を考える上でも相当なものがあり、そう簡単には読み進まない。
元々の新潮社版は、海音寺潮五郎が64-65歳の時に2年間かけて書かれた3巻ものであるが、講談社文庫の新装版は上下2巻で、上巻には、「島津騒動」、「伊達騒動」、「黒田騒動」、「加賀騒動」、「秋田騒動」、「越前騒動」、「越後騒動」の7つの藩での事件が取り上げられ、下巻では「仙石騒動」、「生駒騒動」、「楡山騒動」、「宇都宮騒動」、「阿波騒動」の5つのお家騒動が取り上げられている。このうちの上巻で取り上げれれているお家騒動は、他でも多くの文学作品になっており、比較的著名であるが、「島津騒動」が最初に取り上げられているのは、海音寺潮五郎が鹿児島(薩摩藩)の出身であり、西郷隆盛を生涯のテーマとしていたことによるだろうし、「伊達騒動」は、山本周五郎の『樅の木は残った』がNHKでテレビドラマ化されて放映され、伊達騒動の中での一つの役割を果たした原田甲斐をめぐっての史実上の問題を感じたからだろう。
この書物を読み出したのには特別の動機があるわけではないが、人間や事件に対する評価というものが、相対的な社会や時代の中で判断されるだけであり、普遍的な意味をもたないものに過ぎないと思っているので、海音寺潮五郎が善悪の判断をつけずに史実を辿っていく姿について、もう一度具体的な藩の政治を巡る事件を読んで考えたいと思っていたことと、それぞれの「騒動」について少し正確な知識を得ようと思ったからである。特に、領土問題を巡っての日中関係の悪化が重く心にあるので、一つの事柄をそれぞれの立場でどのように判断し、どのような行動に出るのかを人間の側から見てみようとも思うからである。
それにしても、最初の「島津騒動」についての「江戸時代の大名の家は、早晩貧乏に陥らなければならない仕組みになっていた。・・・太平がつづけば、人間の生活が向上し、ぜい沢になるのは自然の勢いだ。大名の家は収入のふやしようがなく、あるいはふやしてもそう大はばにふやすことは出来ないから、貧乏になるよりほかはない」(新装版 文庫上巻 9ページ)という書き出しからして、名文の域に達していると思う。
「島津騒動」は、直接的には幕末のころの名君として名高い島津斉彬(なりあきら)の家督相続と、斉彬の父斉興(なりおき)の側室であったお由羅を中心とした由羅の子久光(ひさみつ)の家督相続を巡っての争いをさすが、なかなか家督を譲らずに院政を敷いた斉興の父重豪(しげひで)と、同じように家督をゆずらなかった斉興の両方の執着、由羅の執着などが生み出したものである。
作者は斉彬が毒殺されたとの説を採るが、わたしもそう思っている。先年、鹿児島を訪れて斉彬の業績をつぶさに見たが、その事業のひとつひとつは真に剛胆で、彼に師事した西郷隆盛らの思いを肌で感じたことがある。もし、斉彬が志の途中で死ななければ、明治維新は起きなかったかも知れないし、起きたとしてももっと根本的に異なっていたものになっていたことは疑いえない。しかし、歴史とは皮肉なもので、斉彬が毒殺されたと信じ、西郷隆盛らが藩主の久光とそりがあわなかったということが、明治維新を推進した力になっていたのである。
西郷隆盛という人は、おそらく西南戦争のころの晩年は、もう国家や政治といったものにほとんど関心がなかったのではないかと思うし、彼の「優しさ」だけが西南戦争へと繋がっていったようにわたしは思っている。
こういうことを書き始めるときりがないが、七十七万石という薩摩の大藩での人間模様と現状の打開策を巡っての争いには、どちらが正義ということができないものがあって、人間の器や宿命のようなものを感じるのである。
「伊達騒動」の国家老原田甲斐については、作者は、ただの家柄家老であり、「大変なやり手だったように言う人が昔からあるが、実は大した人物ではない」(同書 134ページ)という。しかし、史実は別にして原田甲斐を主人公にした山本周五郎の『樅の木は残った』は感動的な作品である。山本周五郎は、原田甲斐に救われたひとりの少女の姿の視点で、人間の愛情を切々と歌い上げている。
伊達騒動は、仙台伊達家の三代目藩主伊達綱宗(つなむね)が吉原通いの遊興を時の老中酒井雅楽頭(うたのかみ)から咎められて無理矢理に2歳の亀千代(伊達綱村)に譲らさせられ、その後見として伊達正宗の十男で綱宗の叔父であった伊達兵部宗勝(むねかつ)が立てられ、独裁的な政治を強いたことから他の伊達家の者たちや家臣らの反乱にあった事件である。
作者は伊達騒動をまとめて、「要するに、この騒動は伊達家の老臣らに人物がいず、目付ごときに引きまわされて家中を和熟して統制することが出来ず、藩中の不平不満を押さえつけようとして無闇に権力と刑罰を使ったというケースだ。言ってみれば、当時の伊達家中は、配色濃くなった頃からの東条内閣下の日本のようなものだったのだ」(同書 164-165ページ)と言う。
これは、ことによると日中関係が緊迫している状態の現在の日本の政治状況となるかも知れないと思ったりもする一文ではある。
今日はここまでとしておこう。それにしても肌寒い。この急激な気温の低下はいったい何だろうと思う。暖房が恋しく感じないでもない。
2010年9月23日木曜日
鳥羽亮『極楽安兵衛剣酔記 とんぼ剣法』
昨日は季節外れとも思える真夏日だったが、今朝方から急に気温が下がり、予報通り雨が滝つせと降り始めた。台風の接近も予報されているので、これから2~3日はぐずついた天気になるだろう。だが、昨夜はよく晴れた中秋の名月で、久しぶりにきれいな満月を見たような気もする。満月の明かりは、やはり、どことなく神秘を感じる。
昨夜は鳥羽亮『極楽安兵衛剣酔記 とんぼ剣法』(2006年 徳間文庫)を読んだ。鳥羽亮の作品の中で、このシリーズは4冊が出され、これは2作目である。彼の文庫本作品は、以前に読んだ『はぐれ長屋の用心棒』もそうであるが、書き下ろし作品が多く、書き下ろしが多くなると、主人公や設定が異なっていても、どうしても物語の展開が類似したものになりがちで、市井に生きる剣客が悪徳商人や地回り、あるいは画策を練る強欲な旗本や武家と、彼らに雇われている凄腕の剣客との対決という図式がどこでも展開されるように感じてしまう。
『極楽安兵衛剣酔記 とんぼ剣法』では、主人公の長岡安兵衛は三百石の旗本長岡重左衛門と料理屋の女中との間に生まれた長岡家の三男で、母親が病死したために長岡家に引き取られて育てられ、長男が家を継ぎ、次男が婿養子として出て、牢人暮らしをしている人物である。
彼は父親の勧めもあって斉藤弥九郎の練兵館で神道無念流を修め、俊英と謳われるようになったが、酒好きで、「飲ん兵衛安兵衛」と揶揄されるようになり、飲み屋で無頼牢人を斬り殺して道場を破門され、長岡家からも追い出されて、浅草の「笹川」という料理屋の居候として牢人暮らしをしているのである。料理屋「笹川」の女将とはわりない仲となっており、「笹川」の用心棒を兼ねながらも女将の連れ子の父親のような存在にもなっている。
酒が好きで、酒で身を持ち崩したが、本人はいたって平気で、「極楽とんぼの安兵衛」とも言われたりする気質をもつ人物である。飲んだくれで気ままな生活をしているのである。
物語は、安兵衛が寝起きしている「笹川」のある浅草で凄腕の武士が関わっていると思われる辻斬りが横行するところから始まる。辻斬りは、浅草の料理屋から帰る大店の主人などを狙って、彼らを見事な腕で斬り殺して金品を奪っているのである。人々は辻斬りに恐れをなし、浅草から遠ざかり、「笹川」にも客足が途絶えるようになる。
安兵衛は、客足が途絶えた「笹川」の行く末を案じ、また、剣客としての関心からも、辻斬りの正体を暴いて退治するために、一刀流の遣い手であり八卦見を生業としている博奕好きの笑月斎(野間八九郎)や、元は腕利きの岡っ引きだったが追っていた盗人を殺したことから岡っ引きを止め、子ども相手に蝶々売りをしている玄次、魚のぼて振り(行商)をして探索好きの叉八らと共に、辻斬りの正体や背後にいる人間を突きとめていくのである。そして、凄腕の辻斬りと対決していく。
『はぐれ長屋の用心棒』も四人組であるが、ここでも同じような組み合わせの四人組であるし、剣客としての戦い方の展開も似ているが、設定や展開に無理がないし、牢人としての日常も周囲の人々との関係もこなれた描写がしてあるので、これはこれで面白く読める。もっとも、『はぐれ長屋の用心棒』の方は主人公の大半が老人であり、『極楽安兵衛剣酔記』は、いわば中年である。そして、主人公の極楽とんぼぶりが随所で描かれている。
こういう主人公の姿は、ある意味では中年期の男の理想かも知れない。力を持っているがそれをあまり表に出さずに、あまり物事に頓着せずに日々の暮らしを営んでいく。必死になって自分の将来を開拓しようとするのとは縁遠く、だからといって決して不真面目でもなく、自分流の生き方を通していく。そして、周囲の人々を大切にし、思いやりも情も持ち合わせていく。そういう姿を、作者は様々な作品の中で描こうとしているのではないかと思う。
個人的な好みから言えば、丁々発止と剣で闘うような剣客物や戦略を重ねるような野心家を描く戦記物の時代小説はあまり好きではないが、どこか間の抜けたような主人公が市井で生きる姿を描いたものには、つい手が出て読んでしまう。この類の小説はどれも似たようなものだが、それも時代小説の一つの楽しみ方ではあるだろう。現代という時代の中で、どういう姿が理想として考えられているのかを知る上でも、なるほど、と思うところはある。
今日はお彼岸の中日で、異常気象が続いているが、「暑さ寒さも彼岸まで」ではあるだろう。もちろん、彼岸の月が旧暦と新暦で異なってはいるが。
昨夜は鳥羽亮『極楽安兵衛剣酔記 とんぼ剣法』(2006年 徳間文庫)を読んだ。鳥羽亮の作品の中で、このシリーズは4冊が出され、これは2作目である。彼の文庫本作品は、以前に読んだ『はぐれ長屋の用心棒』もそうであるが、書き下ろし作品が多く、書き下ろしが多くなると、主人公や設定が異なっていても、どうしても物語の展開が類似したものになりがちで、市井に生きる剣客が悪徳商人や地回り、あるいは画策を練る強欲な旗本や武家と、彼らに雇われている凄腕の剣客との対決という図式がどこでも展開されるように感じてしまう。
『極楽安兵衛剣酔記 とんぼ剣法』では、主人公の長岡安兵衛は三百石の旗本長岡重左衛門と料理屋の女中との間に生まれた長岡家の三男で、母親が病死したために長岡家に引き取られて育てられ、長男が家を継ぎ、次男が婿養子として出て、牢人暮らしをしている人物である。
彼は父親の勧めもあって斉藤弥九郎の練兵館で神道無念流を修め、俊英と謳われるようになったが、酒好きで、「飲ん兵衛安兵衛」と揶揄されるようになり、飲み屋で無頼牢人を斬り殺して道場を破門され、長岡家からも追い出されて、浅草の「笹川」という料理屋の居候として牢人暮らしをしているのである。料理屋「笹川」の女将とはわりない仲となっており、「笹川」の用心棒を兼ねながらも女将の連れ子の父親のような存在にもなっている。
酒が好きで、酒で身を持ち崩したが、本人はいたって平気で、「極楽とんぼの安兵衛」とも言われたりする気質をもつ人物である。飲んだくれで気ままな生活をしているのである。
物語は、安兵衛が寝起きしている「笹川」のある浅草で凄腕の武士が関わっていると思われる辻斬りが横行するところから始まる。辻斬りは、浅草の料理屋から帰る大店の主人などを狙って、彼らを見事な腕で斬り殺して金品を奪っているのである。人々は辻斬りに恐れをなし、浅草から遠ざかり、「笹川」にも客足が途絶えるようになる。
安兵衛は、客足が途絶えた「笹川」の行く末を案じ、また、剣客としての関心からも、辻斬りの正体を暴いて退治するために、一刀流の遣い手であり八卦見を生業としている博奕好きの笑月斎(野間八九郎)や、元は腕利きの岡っ引きだったが追っていた盗人を殺したことから岡っ引きを止め、子ども相手に蝶々売りをしている玄次、魚のぼて振り(行商)をして探索好きの叉八らと共に、辻斬りの正体や背後にいる人間を突きとめていくのである。そして、凄腕の辻斬りと対決していく。
『はぐれ長屋の用心棒』も四人組であるが、ここでも同じような組み合わせの四人組であるし、剣客としての戦い方の展開も似ているが、設定や展開に無理がないし、牢人としての日常も周囲の人々との関係もこなれた描写がしてあるので、これはこれで面白く読める。もっとも、『はぐれ長屋の用心棒』の方は主人公の大半が老人であり、『極楽安兵衛剣酔記』は、いわば中年である。そして、主人公の極楽とんぼぶりが随所で描かれている。
こういう主人公の姿は、ある意味では中年期の男の理想かも知れない。力を持っているがそれをあまり表に出さずに、あまり物事に頓着せずに日々の暮らしを営んでいく。必死になって自分の将来を開拓しようとするのとは縁遠く、だからといって決して不真面目でもなく、自分流の生き方を通していく。そして、周囲の人々を大切にし、思いやりも情も持ち合わせていく。そういう姿を、作者は様々な作品の中で描こうとしているのではないかと思う。
個人的な好みから言えば、丁々発止と剣で闘うような剣客物や戦略を重ねるような野心家を描く戦記物の時代小説はあまり好きではないが、どこか間の抜けたような主人公が市井で生きる姿を描いたものには、つい手が出て読んでしまう。この類の小説はどれも似たようなものだが、それも時代小説の一つの楽しみ方ではあるだろう。現代という時代の中で、どういう姿が理想として考えられているのかを知る上でも、なるほど、と思うところはある。
今日はお彼岸の中日で、異常気象が続いているが、「暑さ寒さも彼岸まで」ではあるだろう。もちろん、彼岸の月が旧暦と新暦で異なってはいるが。
2010年9月21日火曜日
松井今朝子『銀座開花事件帖』
気温はまだ少し高めだが初秋の蒼空が広がっている。このところ夕食後にすぐ眠気に襲われて眠ってしまい、あまりにも早く目が覚めて難儀をしている。身体のためにはもう少し寝た方がよいと思うのだが、起き出してコーヒーを入れ、本などを読んでいると目がさえてしまう。その分、どこか疲れを覚えるのだろう。
昨日、松井今朝子『銀座開花事件帖』(2005年 新潮社)を面白く読んだ。明治7年(1874年)のいわゆる「文明開化」が進んで行く初期の銀座を舞台にして、旧旗本家の次男を主人公にして、そこで起こった殺人事件や馬車による轢き殺し事件に関わりつつ、その事件の真相を暴いていく「事件帖」仕立てであると同時に、古い時代と新しい時代が拮抗する中で、その様々な人間模様とその中で自分の生き方を模索していく人間の姿を描いたものである。
この小説には、明治期の偉大な実業家のひとりとして数えても良いと思われ、横浜の発展に大きな寄与をした高島嘉右衛門(1832-1914年)、大垣藩主戸田家の四男として生まれ、明治4年(1871年)に岩倉具視らの外交使節団に同行して渡米し、帰国後、洗礼を受けてクリスチャンとなり、銀座に原胤昭と共に銀座にキリスト教書店「十時屋」を設立したり、東京第一長老教会の設立にも尽力を尽くしたり、独立長老教会を設立したりした実業家で民権運動家であり、日本最初の政治小説である『民権講義情海波瀾』を書いた戸田欽堂(1850-1890年)、元南町奉行所与力で、維新後クリスチャンとなって戸田欽堂と共に銀座に「十時屋書店」を開き、民権運動に関わったりして、後に(明治16年)新聞条例違反で投獄された経験から日本初の教誨師となった原胤昭(1853-1942)などが、実に巧みに、それも物語の中心を為す人物として描かれている。
ちなみに、高島嘉右衛門は、高島易判断でも著名だし、横浜の高島町は彼の名にちなんだ町名である。また原胤昭が設立した原女学校は現在の女子学院の基礎になっている。作品の中では、こうした人々がまさに船出せんとする機運が満ちている。
そういう中で、主人公の久保田宗八郎は、上野戦争で薩摩藩士の残虐極まりない仕打ちを見かねてこの藩士と争い、難を避けて蝦夷(北海道)に逃れたが、帰ってきて、旗本家を継いだ兄が見事に転身して高島嘉右衛門の元で働いていることから、高島嘉右衛門が設立しようとしていたガス灯の工事を見守るという名目で、銀座の戸田欽堂(欽堂は後の名で、三郎四郎)の元に行くことから物語が始まっていくのである。銀座で、主人公は新しい時代の波をかぶることになる。
主人公の中には、旧武家の侍としての矜持が色濃く残っていると同時に、文明開化に浮かれている時代と状況の本質を見極めようとする姿の両方がある。主人公の年齢が30歳と設定されているのも、そうしたことを裏付けるものとなっていて、銀座で新風を身につけた戸田三郎四郎(欽堂)や原胤昭との交流を深めるところも、少し身を引いた姿となっている。彼は彼であろうとする姿が物語に意味を沿えている。
事件は、銀座十時屋の裏手の井戸に、十時屋の隣にあった土佐の自由民権運動の拠点となった「幸福安全社」に出入りする男の死体が浮かんでいたことから始まる。その男は、実は政治的な事柄からではなく、「幸福安全社」の金を使い込んで、博奕の借金で地回りから殺されたのだが、彼を殺した地回りが、政府の高官と繋がっており、その高官が馬車での轢き殺しも、自死に見せかけた女性の殺人も犯していたことがわかっていくのである。久保田宗八郎の隣に住んで交友を結ぶ薩摩出の好漢の巡査は、相手が同じ薩摩出の高官であることから手が出せない。馬車で轢き殺されたのは、久保田宗八郎の叔父でもあった。さて、どうするか。仇討ち禁止令がだされたばかりである。
物語は、常に新しいものと古いものの姿の拮抗の中で展開されていく。登場人物の中にも、主人公が一緒に生活していた古い江戸の気っぷの良さをもつ比呂という女性と新進の風を受けてクリスチャンとなって颯爽と生きる鵜殿綾という利発な娘が、共に主人公に思いを寄せる女性として登場する。両方とも魅力的な女性である。孫を守るために命をかけ馬車に轢き殺された叔父と、その死を立派な侍の死として物語ろうとする孫、律儀な侍としての矜持をもっていたために、手を染めた兎売買に失敗し、娘を残忍に殺された親、何とか時代に乗り切ろうとして立身を夢見てあくせくする車引きとその妻、そうした悲喜こもごもの新しいものと古いものとの混在した姿が人間の姿として描き出されるのである。
明治維新後、維新を推進した人々ではなく、その後の権力を獲得していった人々が、まるで自分が支配者になったかのように錯覚し、横行し、よいものを破壊していった。江戸時代が決して良かったとは思わないが、そこから日本の社会は歪んできたという思いはある。上から下まで権力闘争が激しく勃発してきた。だから、横暴な権力に悩みながらも立ち向かっていく主人公たちの姿に喝采を送りたい。
作品は、明治初期の混乱した状況を見事に描き出したもので、この頃の人々の対応の仕方には学ぶところが多いと思っているから、余計に面白く読めた。
今日はどうも千客万来の日のようで、午前中はフィンランドから来て、日本で2年間働くことになった人が来たり、午後からは近くの改革派の人が来ることになっている。その間に、以前メールマガジンとして出していたS.キルケゴールについて書いたものを整理しようと思っている。よく晴れているので散策にも出たい。
昨日、松井今朝子『銀座開花事件帖』(2005年 新潮社)を面白く読んだ。明治7年(1874年)のいわゆる「文明開化」が進んで行く初期の銀座を舞台にして、旧旗本家の次男を主人公にして、そこで起こった殺人事件や馬車による轢き殺し事件に関わりつつ、その事件の真相を暴いていく「事件帖」仕立てであると同時に、古い時代と新しい時代が拮抗する中で、その様々な人間模様とその中で自分の生き方を模索していく人間の姿を描いたものである。
この小説には、明治期の偉大な実業家のひとりとして数えても良いと思われ、横浜の発展に大きな寄与をした高島嘉右衛門(1832-1914年)、大垣藩主戸田家の四男として生まれ、明治4年(1871年)に岩倉具視らの外交使節団に同行して渡米し、帰国後、洗礼を受けてクリスチャンとなり、銀座に原胤昭と共に銀座にキリスト教書店「十時屋」を設立したり、東京第一長老教会の設立にも尽力を尽くしたり、独立長老教会を設立したりした実業家で民権運動家であり、日本最初の政治小説である『民権講義情海波瀾』を書いた戸田欽堂(1850-1890年)、元南町奉行所与力で、維新後クリスチャンとなって戸田欽堂と共に銀座に「十時屋書店」を開き、民権運動に関わったりして、後に(明治16年)新聞条例違反で投獄された経験から日本初の教誨師となった原胤昭(1853-1942)などが、実に巧みに、それも物語の中心を為す人物として描かれている。
ちなみに、高島嘉右衛門は、高島易判断でも著名だし、横浜の高島町は彼の名にちなんだ町名である。また原胤昭が設立した原女学校は現在の女子学院の基礎になっている。作品の中では、こうした人々がまさに船出せんとする機運が満ちている。
そういう中で、主人公の久保田宗八郎は、上野戦争で薩摩藩士の残虐極まりない仕打ちを見かねてこの藩士と争い、難を避けて蝦夷(北海道)に逃れたが、帰ってきて、旗本家を継いだ兄が見事に転身して高島嘉右衛門の元で働いていることから、高島嘉右衛門が設立しようとしていたガス灯の工事を見守るという名目で、銀座の戸田欽堂(欽堂は後の名で、三郎四郎)の元に行くことから物語が始まっていくのである。銀座で、主人公は新しい時代の波をかぶることになる。
主人公の中には、旧武家の侍としての矜持が色濃く残っていると同時に、文明開化に浮かれている時代と状況の本質を見極めようとする姿の両方がある。主人公の年齢が30歳と設定されているのも、そうしたことを裏付けるものとなっていて、銀座で新風を身につけた戸田三郎四郎(欽堂)や原胤昭との交流を深めるところも、少し身を引いた姿となっている。彼は彼であろうとする姿が物語に意味を沿えている。
事件は、銀座十時屋の裏手の井戸に、十時屋の隣にあった土佐の自由民権運動の拠点となった「幸福安全社」に出入りする男の死体が浮かんでいたことから始まる。その男は、実は政治的な事柄からではなく、「幸福安全社」の金を使い込んで、博奕の借金で地回りから殺されたのだが、彼を殺した地回りが、政府の高官と繋がっており、その高官が馬車での轢き殺しも、自死に見せかけた女性の殺人も犯していたことがわかっていくのである。久保田宗八郎の隣に住んで交友を結ぶ薩摩出の好漢の巡査は、相手が同じ薩摩出の高官であることから手が出せない。馬車で轢き殺されたのは、久保田宗八郎の叔父でもあった。さて、どうするか。仇討ち禁止令がだされたばかりである。
物語は、常に新しいものと古いものの姿の拮抗の中で展開されていく。登場人物の中にも、主人公が一緒に生活していた古い江戸の気っぷの良さをもつ比呂という女性と新進の風を受けてクリスチャンとなって颯爽と生きる鵜殿綾という利発な娘が、共に主人公に思いを寄せる女性として登場する。両方とも魅力的な女性である。孫を守るために命をかけ馬車に轢き殺された叔父と、その死を立派な侍の死として物語ろうとする孫、律儀な侍としての矜持をもっていたために、手を染めた兎売買に失敗し、娘を残忍に殺された親、何とか時代に乗り切ろうとして立身を夢見てあくせくする車引きとその妻、そうした悲喜こもごもの新しいものと古いものとの混在した姿が人間の姿として描き出されるのである。
明治維新後、維新を推進した人々ではなく、その後の権力を獲得していった人々が、まるで自分が支配者になったかのように錯覚し、横行し、よいものを破壊していった。江戸時代が決して良かったとは思わないが、そこから日本の社会は歪んできたという思いはある。上から下まで権力闘争が激しく勃発してきた。だから、横暴な権力に悩みながらも立ち向かっていく主人公たちの姿に喝采を送りたい。
作品は、明治初期の混乱した状況を見事に描き出したもので、この頃の人々の対応の仕方には学ぶところが多いと思っているから、余計に面白く読めた。
今日はどうも千客万来の日のようで、午前中はフィンランドから来て、日本で2年間働くことになった人が来たり、午後からは近くの改革派の人が来ることになっている。その間に、以前メールマガジンとして出していたS.キルケゴールについて書いたものを整理しようと思っている。よく晴れているので散策にも出たい。
2010年9月19日日曜日
山本一力『深川黄表紙掛取り帖』
初秋の青空が広がるようになって、雲が高くなってきた。日曜日の静かな朝というわけではないが、早朝に目が覚めて、コーヒーを飲み、新聞を読んでシャワーを浴び、友人から送られてきたメールのニュースレターに返事を書いたりしていた。
昨夜、うつらうつらする中ではあったが、山本一力『深川黄表紙掛取り帖』(2002年 講談社)を痛快な思いで読んだ。これは深川に住む四人の若者たちが、知恵と情熱と結束の中で、商いに絡む問題を思いもよらぬ方法で解決していく物語である。
四人のリーダー的存在は、木材の目利きから切り出しまでを手配する山師の父雄之助と三味線の師匠をしている母おひでの間にできた息子で、夏ばての薬を売り歩く「定斎売り」をしている蔵秀(ぞうしゅう)、他に、印形屋の次男で文章と計算にたけて絵草子本の作者を目指している辰次郎、酒好きだが明晰な頭脳と図抜けたアイディアを出す飾り提灯の職人である宗佑(そうすけ)、そして、小間物問屋のひとり娘で、勘所が鋭く、見事な絵やデザインを書く雅乃(まさの)の四人である。いずれも20~30代の知恵ある青年である。
この四人がそれぞれの持ち味を発揮して痛快な活躍をしていくのだが、最初に持ち込まれた問題は、毎年五十俵しか仕入れない大豆を間違いで(後に悪計に嵌められたものとわかる)五百俵もの仕入れを抱えることになった雑穀問屋が、仕入れた大豆の始末を蔵秀に持ちかけるところから始まる。
蔵秀たちは知恵を働かせ、この大豆を小分けにし、「招福大豆」として500に一つの割合で中に小さな金銀の大黒像をいれて売り出すことを計画し、前宣伝に工夫を凝らして見事に捌ききるのである。世情をよく観察し、人々の流れと心情を分析し、息のあった仕事ぶりで、度胸と明確な方針で土地の顔役に渡りをつけ、事を運んでいく次第が描かれていく。
ところが、売り出した「招福大豆」が粗悪品であることがわかり、四人はまた知恵を働かせ、すべてに益が出るように工夫を凝らした「招福枡に入れた豆腐」を作って配布し、雑穀問屋の信用を損なうことなく、再びそこでも喝采を浴びていくのである。
やがて、雑穀問屋の仕入れにも画策し、深川一帯を支配したいと思っている強欲な油問屋が、その足がかりとして雅乃と見合いをして店を乗っ取ろうとしたり、小豆問屋の乗っ取りを企んだりすることが起こり、蔵秀らは、彼らを懲らしめようと、永代橋が2~3年後に架かるという情報を元に、油問屋に渡し船をしている船宿の権利を買うように仕向けていく。
そうしているうちに、江戸幕府とも強い繋がりをもつ紀伊国屋文左衛門が材木を売り出す仕事にも関わり、それを紀伊国屋文左衛門の鼻をあかす形で見事にやってのけ、蔵秀は紀伊国屋文左衛門が幕府の貨幣改鋳で儲けるために小判を集めていたことを察する。
紀伊国屋文左衛門は時の老中柳沢吉保と強い繋がりをもち、柳沢吉保は、彼を通して蔵秀らの働きを知りこととなり、彼らの知恵と志の高さに感じ入って、彼らと会うことになる。
こうして、知恵と情熱、度胸と粋で、彼らは江戸の商人の中を大きな信頼を得て生きていくようになるのである。物語の中で、蔵秀と雅乃は互いに思いをもっているが、辰次郎もまた雅乃に思いを寄せているという恋物語も織り込まれている。文体が力強く小気味いいので、彼らのきっぷがよく伝わるし、彼ら自身に「欲」がないので、事件の顛末も痛快である。四人組というのもいい。まさに、読んでスカッとする痛快娯楽小説といえるだろう。
昨夜、うつらうつらする中ではあったが、山本一力『深川黄表紙掛取り帖』(2002年 講談社)を痛快な思いで読んだ。これは深川に住む四人の若者たちが、知恵と情熱と結束の中で、商いに絡む問題を思いもよらぬ方法で解決していく物語である。
四人のリーダー的存在は、木材の目利きから切り出しまでを手配する山師の父雄之助と三味線の師匠をしている母おひでの間にできた息子で、夏ばての薬を売り歩く「定斎売り」をしている蔵秀(ぞうしゅう)、他に、印形屋の次男で文章と計算にたけて絵草子本の作者を目指している辰次郎、酒好きだが明晰な頭脳と図抜けたアイディアを出す飾り提灯の職人である宗佑(そうすけ)、そして、小間物問屋のひとり娘で、勘所が鋭く、見事な絵やデザインを書く雅乃(まさの)の四人である。いずれも20~30代の知恵ある青年である。
この四人がそれぞれの持ち味を発揮して痛快な活躍をしていくのだが、最初に持ち込まれた問題は、毎年五十俵しか仕入れない大豆を間違いで(後に悪計に嵌められたものとわかる)五百俵もの仕入れを抱えることになった雑穀問屋が、仕入れた大豆の始末を蔵秀に持ちかけるところから始まる。
蔵秀たちは知恵を働かせ、この大豆を小分けにし、「招福大豆」として500に一つの割合で中に小さな金銀の大黒像をいれて売り出すことを計画し、前宣伝に工夫を凝らして見事に捌ききるのである。世情をよく観察し、人々の流れと心情を分析し、息のあった仕事ぶりで、度胸と明確な方針で土地の顔役に渡りをつけ、事を運んでいく次第が描かれていく。
ところが、売り出した「招福大豆」が粗悪品であることがわかり、四人はまた知恵を働かせ、すべてに益が出るように工夫を凝らした「招福枡に入れた豆腐」を作って配布し、雑穀問屋の信用を損なうことなく、再びそこでも喝采を浴びていくのである。
やがて、雑穀問屋の仕入れにも画策し、深川一帯を支配したいと思っている強欲な油問屋が、その足がかりとして雅乃と見合いをして店を乗っ取ろうとしたり、小豆問屋の乗っ取りを企んだりすることが起こり、蔵秀らは、彼らを懲らしめようと、永代橋が2~3年後に架かるという情報を元に、油問屋に渡し船をしている船宿の権利を買うように仕向けていく。
そうしているうちに、江戸幕府とも強い繋がりをもつ紀伊国屋文左衛門が材木を売り出す仕事にも関わり、それを紀伊国屋文左衛門の鼻をあかす形で見事にやってのけ、蔵秀は紀伊国屋文左衛門が幕府の貨幣改鋳で儲けるために小判を集めていたことを察する。
紀伊国屋文左衛門は時の老中柳沢吉保と強い繋がりをもち、柳沢吉保は、彼を通して蔵秀らの働きを知りこととなり、彼らの知恵と志の高さに感じ入って、彼らと会うことになる。
こうして、知恵と情熱、度胸と粋で、彼らは江戸の商人の中を大きな信頼を得て生きていくようになるのである。物語の中で、蔵秀と雅乃は互いに思いをもっているが、辰次郎もまた雅乃に思いを寄せているという恋物語も織り込まれている。文体が力強く小気味いいので、彼らのきっぷがよく伝わるし、彼ら自身に「欲」がないので、事件の顛末も痛快である。四人組というのもいい。まさに、読んでスカッとする痛快娯楽小説といえるだろう。
2010年9月18日土曜日
出久根達郎『安政大変』
薄く白い雲が空を覆っている。最高気温が30℃を下回る日々が続いているので、秋の気配を感じ始めているが、「眼にはさやかに」である。夏の疲れが出てきたのか、疲れがとれない気がしている。日用品の買い出しも必要なので、夕方に散策もかねて薬局を覗いたりしながら出かけようかと思っている。
昨夕、出久根達郎『安政大変』(2003年 文藝春秋社)を読んだ。これは、1855年11月11日(元歴では安政2年10月2日)に起きた大地震に遭遇した人々を描いた短編集で、「赤鯰」、「銀百足」、「東湖」、「円空」、「おみや」、「子宝」、「玉手箱」の7編を収めたものである。
文学作品として短編を読む場合、文章作法でいうならば体言止めのような切れと余韻を期待する。この中では特に、この地震で死んだ水戸藩の重鎮でり、後の世にも大きな影響を与えた藤田東湖の姿を描いた「東湖」や、円空作の仏像をもつ死病を患っている吉原の女郎の姿を描いた「円空」などに、その短編の切れと余韻が感じられるし、どの作品も登場人物たちがユーモラスに描かれているので、その点では優れた短編になっている。
安政の大地震という避けがたい天変地異に遭遇した人々の姿を描くことによって、江戸末期の人々の姿が浮き彫りにされ、歴史的にはこうしたことで江戸幕府の崩壊に拍車がかかっていくのだが、人々の暮らし難さが「おみや」や「子宝」、「玉手箱」によく描き出されている。「おみや」は井戸掘り人足と夜鷹の話であり、「子宝」は成長の遅い娘をもつ老夫婦、「玉手箱」は災難にあい続ける商家の奉公人の話である。
今日では災害は地域に限定されたものとなってきているが、天変地異の災害は社会を一変させる。もちろんそれに遭遇した人間の人生観も変える。価値観の大逆転が起こる。だが、人々の暮らし向きは変わらない。人間はしたたかにその中を生き延びていく。そうした人間のしたたかさに目を向けることは結構大事なことだろう、と思いつつ本書を読んだ。わたし自身にはそのしたたかさがないので、余計にそう思う。
昨夕、出久根達郎『安政大変』(2003年 文藝春秋社)を読んだ。これは、1855年11月11日(元歴では安政2年10月2日)に起きた大地震に遭遇した人々を描いた短編集で、「赤鯰」、「銀百足」、「東湖」、「円空」、「おみや」、「子宝」、「玉手箱」の7編を収めたものである。
文学作品として短編を読む場合、文章作法でいうならば体言止めのような切れと余韻を期待する。この中では特に、この地震で死んだ水戸藩の重鎮でり、後の世にも大きな影響を与えた藤田東湖の姿を描いた「東湖」や、円空作の仏像をもつ死病を患っている吉原の女郎の姿を描いた「円空」などに、その短編の切れと余韻が感じられるし、どの作品も登場人物たちがユーモラスに描かれているので、その点では優れた短編になっている。
安政の大地震という避けがたい天変地異に遭遇した人々の姿を描くことによって、江戸末期の人々の姿が浮き彫りにされ、歴史的にはこうしたことで江戸幕府の崩壊に拍車がかかっていくのだが、人々の暮らし難さが「おみや」や「子宝」、「玉手箱」によく描き出されている。「おみや」は井戸掘り人足と夜鷹の話であり、「子宝」は成長の遅い娘をもつ老夫婦、「玉手箱」は災難にあい続ける商家の奉公人の話である。
今日では災害は地域に限定されたものとなってきているが、天変地異の災害は社会を一変させる。もちろんそれに遭遇した人間の人生観も変える。価値観の大逆転が起こる。だが、人々の暮らし向きは変わらない。人間はしたたかにその中を生き延びていく。そうした人間のしたたかさに目を向けることは結構大事なことだろう、と思いつつ本書を読んだ。わたし自身にはそのしたたかさがないので、余計にそう思う。
2010年9月16日木曜日
宇江佐真理『ひとつ灯せ』
高気圧の狭間に低気圧が発生し、北からの寒気の流れ込みもあって、昨日から秋風が吹き、富士山の裾野の御殿場高原は肌寒いほどだったし、ここでも、朝から雨が降って先日までの暑さが嘘のように去って、今日は白い秋の始まりを明瞭に感じる日になった。
御殿場では、ポスト・モダンの諸現象について思いを寄せていたりした。友人はポスト・モダンの時代に入っているといい、わたしは、その傾向のいくつかは見られるが、まだポストではなく、モダンの終わり近くにいると考え、あまり時代区分に意味はないにしても、時代と状況の把握の仕方が面白いと思っていた。
それはともかく、ずいぶん以前に読んだものではあるが、御殿場にもっていた書物の一冊である宇江佐真理『ひとつ灯せ 大江戸怪奇譚』(2006年 徳間書店)を再読した。読み始めて、ああ、これは以前に読んだと気がついたが、再読してもそれなりに楽しめるものであったし、以前に読んだ時には、これを記していなかったので、改めて記すことにしたのである。
宇江佐真理の書物をもっていったのは、彼女の『雷桜』が映画化されて、近々公開されるとのニュースを聞いたからで、『雷桜』は、野性的な自然環境の中で育った少女と武家社会でがんじがらめになった武士との恋物語ではあるが、「自分は自分以外の何ものでもない」という近代的自我と実存意識が置かれている閉塞的な環境から人間を救い出していく物語でもある。
実存的自己意識は救済の論理でもある。そして、愛はいつでも実存的であり、実存的であることによって、はじめて人間の自己を回復させていくのだから、江戸時代の初期頃にこうした実存的自我意識を人間が持つことができたのかどうかはともかくとして、それを悲恋物語の中で描きだした『雷桜』は感動的な物語である。宇江佐真理の作品は、そうした自己自身であることを自覚していく人間の物語が多い。
再び、それはともかくとして、『ひとつ灯せ』は、老いと死を意識し始めた料理屋の隠居「平野屋伊兵衛」が、死の病から回復した後に、友人の勧めでこの世の不思議を語り合う会に出るようになり、その会に集う人々やその会での話しを元にした出来事に出会ながら、死んでいくことの恐ろしさや意味、それを克服していく姿を描いたものである。
巻末の参考文献に木原浩勝・中山市朗『新耳袋-現代百物語-第六夜』と三田村鳶魚『江戸雑録』が挙げられているので、そうしたところから取られた怪奇譚をもとにして、「死」を巡る人の思いが、柔らかな展開で、しかも、無理なく死を悟っていく姿として描き出されていく。
ただ、宇江佐真理の作品にしては、登場人物たちの個性が薄いような気がするし、江戸時代の人々が狐憑きや悪霊などを想像以上に信じる信心深い感性を持っていたとはいえ、もう少し咀嚼されても良かったのではないかと思ったりもした。しかし、彼女の文体は、わたしは本当に好きで、さらりとした文章ににこめられている情感の深さに、いつもながら感服する。
外壁補修工事のために窓も何もかもが覆われているためかも知れないし、この1~2週間は出かけることが多かったので、今日は、いささか疲労感を感じている。傘をさして図書館にでも出かけよう。
御殿場では、ポスト・モダンの諸現象について思いを寄せていたりした。友人はポスト・モダンの時代に入っているといい、わたしは、その傾向のいくつかは見られるが、まだポストではなく、モダンの終わり近くにいると考え、あまり時代区分に意味はないにしても、時代と状況の把握の仕方が面白いと思っていた。
それはともかく、ずいぶん以前に読んだものではあるが、御殿場にもっていた書物の一冊である宇江佐真理『ひとつ灯せ 大江戸怪奇譚』(2006年 徳間書店)を再読した。読み始めて、ああ、これは以前に読んだと気がついたが、再読してもそれなりに楽しめるものであったし、以前に読んだ時には、これを記していなかったので、改めて記すことにしたのである。
宇江佐真理の書物をもっていったのは、彼女の『雷桜』が映画化されて、近々公開されるとのニュースを聞いたからで、『雷桜』は、野性的な自然環境の中で育った少女と武家社会でがんじがらめになった武士との恋物語ではあるが、「自分は自分以外の何ものでもない」という近代的自我と実存意識が置かれている閉塞的な環境から人間を救い出していく物語でもある。
実存的自己意識は救済の論理でもある。そして、愛はいつでも実存的であり、実存的であることによって、はじめて人間の自己を回復させていくのだから、江戸時代の初期頃にこうした実存的自我意識を人間が持つことができたのかどうかはともかくとして、それを悲恋物語の中で描きだした『雷桜』は感動的な物語である。宇江佐真理の作品は、そうした自己自身であることを自覚していく人間の物語が多い。
再び、それはともかくとして、『ひとつ灯せ』は、老いと死を意識し始めた料理屋の隠居「平野屋伊兵衛」が、死の病から回復した後に、友人の勧めでこの世の不思議を語り合う会に出るようになり、その会に集う人々やその会での話しを元にした出来事に出会ながら、死んでいくことの恐ろしさや意味、それを克服していく姿を描いたものである。
巻末の参考文献に木原浩勝・中山市朗『新耳袋-現代百物語-第六夜』と三田村鳶魚『江戸雑録』が挙げられているので、そうしたところから取られた怪奇譚をもとにして、「死」を巡る人の思いが、柔らかな展開で、しかも、無理なく死を悟っていく姿として描き出されていく。
ただ、宇江佐真理の作品にしては、登場人物たちの個性が薄いような気がするし、江戸時代の人々が狐憑きや悪霊などを想像以上に信じる信心深い感性を持っていたとはいえ、もう少し咀嚼されても良かったのではないかと思ったりもした。しかし、彼女の文体は、わたしは本当に好きで、さらりとした文章ににこめられている情感の深さに、いつもながら感服する。
外壁補修工事のために窓も何もかもが覆われているためかも知れないし、この1~2週間は出かけることが多かったので、今日は、いささか疲労感を感じている。傘をさして図書館にでも出かけよう。
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