2012年12月10日月曜日

千野隆司『菊月の香 蕎麦売り平次郎人情帖』


 晴れてはいるが寒い。日本海や北日本では大荒れで、昨日は近畿地方も雪が降ったと伝えられたが、北風が吹いて、街路樹の銀杏もほとんどが散ってしまった。

 昨夜は、ほとんど眠りながらではあったが、千野隆司『菊月の香 蕎麦売り平次郎人情帖』(2011年 角川春樹事務所 ハルキ(時代小説)文庫)を一息に読んだ。文庫本のカバーや巻末の広告によれば、これがシリーズ化されたものの第二作目で、主人公の菊園平次郎は、元南町奉行所定町廻り同心だったが、逆恨みした罪人の息子から妻と娘を殺され、同心をやめて、貧乏裏店に住みながら屋台の蕎麦売りをしている五十一歳の男である。第一作は読んでいないが、第一作ではおそらくあのあたりの事情が展開されているのだろうと思う。本シリーズは、その蕎麦売りの平次郎が数々の事件に関わりながら人々の人情の機微を描き出したものである。本作には、「おん富一番」、「月の岬」、「菊月の香」の三編が収められている。

 「おん富一番」は、表題のとおり富くじにまつわる話で、平次郎と同じ貧乏長屋に住む付け木売りの老婆「お舟」が仲間内で集まって買った芝明神宮の富くじで三等を当て、六両一分という大金を手にした後の顛末を描いたものだが、身寄りもなく老いた「お舟」の心意気のようなものが描かれていく。

 「お舟」は、火事で亭主と息子を同時に亡くしていた。彼女の息子には「お篠」という夫婦約束をした娘がいたが、「お舟」の甥の須磨吉というのが「お篠」に手を出し、そのために二人は別れたのである。しかし、火事の夜に、その「お篠」の身を案じて助けに行った「お舟」の息子は、火事場にいた「お篠」を助けたが自分は火に巻かれて死んでしまったのである。「お舟」は、「お篠」が息子を死に追いやったことで「お篠」を恨んでいた。

 「お舟」が富くじを当てたという評判を聞きつけて、その須磨吉が金を目当てに「お舟」のところにやてくる。そして、あの「お篠」が、今は岡場所で労咳を病んで死ぬばかりになっていることを告げる。「お篠」は身を持ち崩していた。

 「お舟」の様子を案じた平次郎は、「お篠」の行くへを探し出し、「お舟」が当てた富くじの金額で「お篠」を身請けするようにしていくのである。「お舟」は、自分の息子が命がけで助けた女として、「お篠」を引き受け、その最後を看取っていくのである。

 第二話「月の岬」は、平次郎の屋台にときおり汗まみれの銭を握りしめて蕎麦を喰いに来る「丑」という物貰いの男の話である。「丑」は、あちこちの神社や寺の床下で寝起きしながら物貰いをして生きている男だが、素性はさっぱりわからなかった。

 その「丑」が、あるとき腹痛を起こして蹲って死にかけているところを呉服屋の若旦那の宗太郎が通りかかり、彼を助ける。宗太郎は商売にも身が入らずに遊びまわり、土地の高利貸しから大金を借りて吉原の遊女を見受けして妾として囲っていたりする男であったが、なぜか「丑」を助けるのである。

 その宗太郎に金を貸していた高利貸しの女房は、やがて借金が膨らんで呉服屋がもっていた別邸を奪い取ろうとしていたのである。

 そういう背景の中で、一人のヤクザ者のような男が平次郎の屋台に蕎麦を食べに来て、「丑」のことを探るということが起こる。気になった平次郎はその男の素性を探るうちに、それが宗太郎を罠にはめて別荘を奪い取ろうとしている金貸しの女房から遣わされたものであることを突き止め、その金貸しの女房の素性を探っていくことになる。

 彼女は、流行りの料理屋の娘であったが、彼女が嫁に出た後、彼女の父親が店の造りに金をかけ、その金を借金し、その借金相手が店を奪い取ろうと手を回したために店が潰れてしまい、父親は首をくくり、母親は心労で死んでしまっていた。彼女には弟がいたが、その弟は、母親が死んだ後に店を奪い取った男を刺して行くへをくらましていた。そして、今の亭主と再婚した後で弟を探していたのである。

 そして、その探していた弟が、物貰いをしている「丑」であった。彼女は弟の「丑」を探し出し、世話をしようとする。だが、「丑」は、姉が自分の命を助けた宗太郎を嵌めて別荘を奪い取ろうとしていることを知り、宗太郎に真実を告げて、彼を罠から助け出すのである。怒った姉は「丑」を追い出し、「丑」は元の物貰いになってしまうが、そこは姉と弟、やがてうまくいくに違いないというところで話が落ち着いていく。

 第三話「菊月の香」は、自分の友人の罪をかぶっていく飾り職人の話で、嘉吉は、愚鈍だが真面目一筋で、兄弟子たちのいじめにも耐えて飾り職人としての修行を積み、ようやく独り立ちできるようになっていた。ところが、仕事帰りの時に、かつて同じ飾り職人の弟子であり兄弟子と喧嘩したためにやめてぐれていた宇三郎を見かけ、彼が綿問屋の主人を殺すところに出くわすのである。宇三郎は逃げ、嘉吉は綿問屋主人殺害の犯人として捕まってしまう。そして、自分が犯人だと自供し、言い張るのである。

 事件の探索に当たった南町奉行所定町廻り同心北原佐之助は、犯人だと自供した嘉吉の人柄や生活ぶりから、どうしても彼が犯人だとは思えずに、先輩であった平次郎に相談に来る。北原佐之助は平次郎の娘と言い交わした仲であったが、娘が殺され、平次郎が奉行所同心を辞めたあとも、時折、平次郎の屋台に蕎麦を食べにきたりして、繋がりを持ち続けていた。

 平次郎は嘉吉の身辺を探索すると同時に、彼が弟子時代に唯一友人であったという宇三郎に行き当たり、宇三郎の身辺を探る。宇三郎の女房は彼らが弟子時代を過ごした飾り職人に親方の家の女中であった女性で、愚鈍だということで兄弟子たちからいじめられる吉吉を宇三郎と共にかばったりしていた女性であった。そして、宇三郎が兄弟子と喧嘩をしたのも、実は、嘉吉がひどくいじめられ、宇三郎がそれに腹を立てたからであった。宇三郎は腕がよく、将来を嘱望されていたのだが、それだけに嘉吉は宇三郎に恩義を感じていたし、宇三郎の女房になった女中にも密かな想いを抱いていた。宇三郎が殺人犯として捕まれば、その女房も不幸になることを怖れて、嘉吉は宇三郎をかばっていたのである。

 平次郎が調べていくうちに、綿問屋殺害に使われた匕首の持ち主が次第にわかっていく。それは宇三郎のものではなく、宇三郎の兄貴分の男のものであったのである。その裏には地回り(ヤクザ者)どうしの争いが絡んでいたのであり、殺された綿問屋は地回りの金主だったのである。

 てっきり宇三郎が殺したものと思って、彼をかばっていた嘉吉は、そのことを知らされて、真実が明白となり、宇三郎の女房への幸せを密そかに願いながら生きていくようになるということで結末を迎えていく。

 このシリーズには、平次郎や彼を慕っている揚げ物やをしている元下っぴき、同人の北原佐之助、平次郎が蕎麦を仕入れる五郎作とその娘「繍」などが登場し、特に「繍」は平次郎が微かに想いを抱き始めている女性で、蕎麦打ちに精を出していたりする。

 ここに収録されている物語のそれぞれの事件で取り扱われる人物たちは、第一話の「お舟」にしろ、第二話の「丑」や第三話の嘉吉にしろ、いずれも市井の片隅で生きている人間であるが、その展開があまりにストレートすぎる、あるいは「純」すぎるきらいがないでもない。作者は、作中人物を縦横に動かせ、江戸の町を詳細に描き、その描写も巧みであり、詳細な展開や日常の描写も優れて描き出す技量をもっているが、全体の筋があまりにも「きれい」すぎる気がしないでもないのである。「美しすぎると人間の真実を見失う」という思いを、つい抱いてしまうほどであった。

 とはいえ、書き慣れた作品であり、一息に読めるほどの展開を見せる面白い作品であると思っている。

2012年12月7日金曜日

吉川英治『神変麝香猫』


 冬の晴れた寒い日になった。冬の太平洋沿岸らしい天気で、少し強い北風に黄金色の銀杏の葉が舞い落ち続けている。

 『剣難女難』に続いて、全集の第1巻に収められている吉川英治『神変麝香猫』(1967年 吉川英治全集1 講談社)を読んだ。

『神変麝香猫』は、1926年(大正15年)に『講談倶楽部』に発表された作品で、島原の乱後の江戸を舞台にし、島原の乱と由井正雪の乱を絡ませて、徳川幕府に反旗を翻していく者たちと、彼らが反旗を翻さねければならなかった心情を理解しながらもそれを阻止していく者たちとの闘いを中心に据えながら、伝奇的ロマンを要素にして活劇譚として描き出したものである。

 もちろん、島原の乱(16371638 寛永1415年)と由井正雪の乱(慶安の変-1651年 慶安4年)は歴史的事件であるから、当然、実在した人物たちが出てくるが、中心となるのはキリシタン大名であった高山右近(15521615年 1614年-慶長19年に国外追放)の娘で美貌の「お林」と柳生兵庫助(作中では兵庫、尾張柳生の祖となった柳生利巌 15791650年)の子で、夢想小天治と名乗る柳生道之助である。「お林」も柳生道之助も作者の創作した人物である。

 「お林」は、キリシタンであることを嫌って父親の高山右近が国外追放にあった時に、国内に残って、密かに長崎で育てられ、キリシタンではなかったがキリシタン弾圧の手を逃れ山中で生活し、その間に武芸を取得したが、島原の乱の時に兄と慕った天草四郎時貞を殺されて多くのキリシタンが殺されていくのを経験した女性で、自らも一度は捕縛されて背中に十字架の焼印を押された娘として設定されている。多くの無辜の民が殺されたことへの復讐に燃えている美貌の女性である。彼女は猫を自由に扱うことができ、麝香の香りを漂わせていることから「麝香猫」と呼ばれている。

 柳生道之助は、腕利きの剣士であるが、素行が悪くて勘当され、「夢想小天治」と名乗って浅草の侠客「矢大臣の双兵衛」の家に引き取られている若侍で、無聊を囲っていた彼が「お林」の復讐劇に巻き込まれていくのである。

 物語は、島原の乱で天草四郎時貞の首を取ったと言われる細川家の足軽だった陣佐左衛門への「お林」の復讐劇から始まっていく。陣佐左衛門はその武功により三百石を賜るようになったが、その陣佐左衛門を「お林」が湯女となって女の色香で篭絡していくのである。その湯屋にたまたまいたのが夢想小天治こと柳生道之助で、彼はその不思議な女性の正体に興味を惹かれて、事件に入り込んでいく。

 「お林」のもとには、兵学者であり武芸の熟達者である「画猫道人」を名乗る会津宗因と、親がキリシタンであったために殺されて天涯孤児となった身の軽い「むささび小僧」がいて、島原の乱の残党たちも集まっていた。「画猫道人」は「お林」の育ての親であり、また優れた軍師でもあった。

 「お林」はその素性を初めから夢想小天治に明らかにし、堂々と渡り合っていく。「お林」が使った銀の簪にマリア像が彫られていたことで、キリシタンと関連があることがわかっていたからである。マリア像が彫られた「お林」の銀簪を手にした小天治は、事柄が大きいことをかんがみて、島原の乱で軍目付として働いた牧野伝蔵成純に相談し、牧野伝蔵は蟄居中であったにもかかわらず、松平伊豆守信綱に密かに相談に行く。

 ちなみに、牧野成純は島原の乱の時にエラスムス像を持ち帰ったと言われる。そのエラスムスの像は、現在、重要文化財として国立博物館に収められている。そのように、彼は今後のためにキリシタンの資料を集めたが、それがあまりに多かったために幕府からキリシタンに傾いているのではないかと疑われて蟄居を命じられたのである。

 物語では、その牧野伝蔵(成純)から話を聞いた松平伊豆守信綱は、夢想小天治こと柳生道之助に今後の探索を依頼し、小天治と「お林」は互いに敵味方になっていく。

 やがて、「お林」は色香で虜にした陣佐左衛門の首をはね、将軍家光の気鬱を紛らすために江戸城で行われる能舞台の舞手に化けて、江戸城内に入る。このあたりの方法も詳細に展開されていくが、それを察した老中松平伊豆守信綱がこれを密かに阻止しようと小天治に防御を依頼する。だが、「お林」ら一派は、江戸城に作られていた抜け穴を利用して、江戸城のご金蔵からまんまと軍資金として一万両を奪い取り、しかも江戸城の抜け穴の詳細を記した秘図である「黒縄巻」を奪い取っていくのである。

 「黒縄巻」は、「お林」の手から「むささび小僧」に渡されるが、「むささび小僧」が逃げる途中で、小天治が厄介になっている「矢大臣の双兵衛」の手に渡り、「矢大臣の双兵衛」は、それとは知らずに「黒縄巻」をもったまま富士講に出かけていく。

 ここで、幕府転覆を企む由井正雪が登場する。由井正雪は、「お林」が「黒縄巻」を手に入れたことを知っており、江戸城の抜け穴を記した「黒縄巻」を狙っていたのである。こうして、「黒縄巻」を巡って、「お林」たち、夢想小天治たち、そして由井正雪たちの三つ巴の戦いが始まっていくのである。由井正雪と共に行動した槍の丸橋忠弥は、浪人者として「画猫道人」の隣で槍術を見世物にして糊口をしのいでいたが、いつの間にか「お林」の一派となっていた。彼は由井正雪の手先として潜り込んだのでいたのであった。

 「矢大臣の双兵衛」の手元にあった「黒縄巻」は、それから持ち主が変転していく。物語は、この「黒縄巻」を巡って展開されていくが、「矢大臣の双兵衛」は、富士講に出かけて彼を追ってきた由井正雪の手によって殺され、「黒縄巻」は由井正雪の手に渡る。しかし、夢想小天治はそれを激闘の末に再び取り戻すのである。こうして「黒縄巻」は再び江戸へ運ばれるが、その途中で摺りに取られてしまい、それが再び麝香猫の「お林」の手に渡るのである。

 他方、島原の乱以後精神の均衡を欠いてきた徳川家光は、能舞台が行われた日に「お林」に脅されてさらにキリシタンを恐るようになり、禁教の令をさらに厳しくして取締に当たらせていたが、彼の精神は一層壊れかけていく。そして、それは「精神が剛」ではないからという理由で側近たちが手はずを整えた辻斬りへと進んでいくのである。辻斬りのつの味をしめた家光は夜な夜な辻斬りを繰り返す。そこを麝香猫の「お林」につけこまれ、ついに辻斬りの現場で麝香猫の「お林」に捕らえられてしまう。

 家光の行くへはようとして知れない。小天治も別方面からの探索に出たたま行くへがしれなくなっていた。松平伊豆守信綱は家光を探すために江戸城からの抜け道の一つである武蔵野に出、また、小天治を案じた柳生飛騨守宗冬も蟄居中でキリシタンに詳しい牧野伝蔵成純を訪ねて相談し、武蔵野の一角に不思議な屋敷が建てられたことを知り、それを探して武蔵野へ出る。こうして、舞台は武蔵野(荻窪あたり)に移る。麝香猫の「お林」が画猫道人の知恵で建てた仕掛け屋敷がそこにあったのである。

 家光はその屋敷の中で囚われ、小天治もまたその仕掛けに落ちて捕らえられていた。松平伊豆守はそこで出会った牧野伝蔵と共に小天治を助け出していくが、以前から自分が行ったことによってさらにキリシタンたちが苦しめられていることを知った麝香猫の「お林」は、事ここに至って覚悟を決め、家光、松平伊豆守にキリシタン政策を改めることを約させて。一党を解散し、家光を開放して自ら縛につく。

 松平伊豆守は、麝香猫の「お林」に約した通り、牧野伝蔵の手を借りてキリシタン政策を次々と改め、ここに「お林」の目的は達成された。「お林」や画猫道人は死罪を覚悟していたが、事柄を公にすることを避けたかった松平伊豆守は、家光の内意を受けて彼らを解放し、やがて、「お林」、画猫道人、「むささび小僧」は、「お林」の父親であった高山右近が最後を迎えたマカオへと船出していくのである。いつしか、「お林」に想いを寄せるようになっていた小天治が見送りに来る。「お林」も小天治への想いを抱くようになっていたが、二人は今生の別れをして物語が閉じる。

 冒険譚あり、活劇あり、政治の抗争あり、人情も恋もある。そして、苦しめられる者の悲しみや欲で動く者がある。島原の乱後という政治的、社会的状況が物語のリアリティを醸しだし、次々と波乱の展開がなされて、誠に絶妙な物語である。もちろん、作品として欲を言えばきりがないが、松平伊豆守などを苦慮する人間として描き出すあたりはさすがである。歴史に対する観点がしっかりしているのでなおのことである。読んで、「あ~、面白かった」というのが先に来る。そして、面白いだけでは意味がないが、面白くない作品は小説とは言えないのだから、小説の真髄がここにあると言える気がする。

2012年12月5日水曜日

吉川英治『剣難女難』(2)


 午後から曇の予報も出ていたが、よく晴れ渡っている。冬眠の季節に入ったのか、このところすこぶる眠い。昨日、ミスタードーナツが配布している来年の手帳を頂いたので、来年はこれでいこうと、少し決定している来年の予定を書き込んでいた。もちろん、命があればの話ではある。

 さて、吉川英治『剣難女難』(1967年 吉川英治全集1 講談社)の続きであるが、福知山の城主松平忠房は、捕らえた大月玄蕃を春日重蔵と「千浪」に引き渡して、見事に仇討ちを果たさせると約束するが、そこで再び隣国の大藩である京極家との争いが起こってしまう。大月玄蕃は京極家に再仕官を許された身であり、これを引き渡せと幕府老中に手を回して要求してきたのである。仇討ちはまたしても不可能となった。松平忠房は止むなく大月玄蕃を京極家に返すが、しかし、それを知った新九郎が、身を持ち崩していたとは言え、単身で京極家江戸家老の屋敷に忍び込んで、見事に大月玄蕃の首をはね、その首をもって松平家下屋敷に行く。

 だが、狼藉を働かれたとして京極家は新九郎の切腹を要求してくる。新九郎は切腹も覚悟するが、その時に、兄の重蔵が身代わりとなって切腹し、新九郎に立ち直ることを願うのである。兄の死は、新九郎にとって衝撃となり、新九郎は立ち直ることを約束して、酒と女に溺れた日々を断ち切って、再び山篭りの荒修行へと出かけていく。

 そして、その修行の中で、老神官と出会い、彼から秘剣を習うのである。その老神官こそ、鐘巻自斎が長年探し求めていた師であり、新九郎は自斎を上回る剣技を身につけていく。

 かつて新九郎を虜にした「光子の御方」も、こうした新九郎の姿にうたれ、自分の思いを断ち切って、将軍の側室となっている妹を通じて、将軍鷹狩りの場での新九郎と鐘巻自斎の試合を整えていくのである。新九郎は松平家、鐘巻自斎は京極家のそれぞれの剣客として試合に望む。そして、堂々とした試合の中で、新九郎はついに鐘巻自斎に勝利する。

 試合後、敗れた京極家は、負けたことに我慢がならずに新九郎を闇討ちしようとするが、自分が求めていた秘剣によって敗れた鐘巻自斎も新九郎に助勢し、新九郎に成長して欲しいと願っていたと心情を露吐し、新九郎は自斎の真の姿を知って、彼を師と仰ぐようになっていく。

 こうして、春日新九郎は、ひとりの優れた武士となり、「千浪」と共に郷里に向かい、様々なことを画策した京極家はお取り潰しになるのである。そして、「光子の御方」も尼となり、新九郎と「千浪」を祝福して。、物語が終わる。

 こうした息をもつかせぬ波乱の展開の中で、活劇譚として、ひとりの人間が、堕落から立ち直って成長していく姿が描かれているのだが、ここには大名家同士の争いや侠客同士の争い、そして男と女の愛情などがふんだんに盛り込まれて、ひとつの時代小説の典型を築いていると言えるだろう。

 御前試合などを含めて多くは作者の創作で、たとえば丹後宮津藩の京極家が取り潰されたのは3代藩主であった京極高国(16161676年)が、隠居した父の高広の藩政への口出しに我慢がならずに激しく対立し、また、年貢が収められない村を取り潰すなどの悪政を強いたことが理由である。ただ、この時宮津城の受け取り役を務めたのが、当時丹波福知山藩主であった松平忠房(16191700年)であった。京極家との争いがあったのは、それより前の宮津藩2代目藩主の京極高広と寛永元年(1624年)に福知山藩主となった稲葉紀通(16031648年・・彼は悪政をしき、後に鉄砲自殺する)である。

したがって、時代背景が歴史的事象とは異なっているのだが、創作された事柄が「ありうる」設定になっているために無理なく面白く読めるのである。面白さの点では頭抜けており、吉川英治の「すごさ」のようなものを感じながら楽しく読めた一冊である。

2012年12月3日月曜日

吉川英治『剣難女難』(1)


 師走の声を聞くようになってしまった。昨日からひどく寒い。今も冷たい雨が落ちそうである。アドベントの季節に入ったので、普段よりも一層心を鎮めて一歩一歩の日々を過ごしたいと思う。

先日、あざみ野の山内図書館に行った折に、1967年に講談社から発行された吉川英治全集があるのを見かけ、その第1巻目を借りてきた。この全集には解題もなにもなくて、その作品がいつごろ書かれてどこに発表されたのかもわからないが、二段組で全集としての読み応えはあり、作品を愉しむには十分だろうと思う。

 その全集の第1巻に収められている『剣難女難』(1967年 吉川英治全集1 講談社)を、物語手法の巧さを感じながら面白く読んだ。吉川英治の作品は、事柄が無駄なく連続して展開の妙は卓越している。そして、人間の描き方がストレートだから、楽しみながら読むには優れていいと改めて思う。

 『剣難女難』は、吉川英治が初めてこの名を使い、1925年(大正14年)に創刊された『キング』に連載されて、本格的な作家の道を歩み始めた作品で、1926年に講談社からまとめられて出版されたものである。この翌年に、先に読んだ『鳴門秘帖』が連載され、気鋭の作家としての人気を博していくのである。吉川英治33歳の時の作品である。

 『剣難女難』は、軟弱に育った武士の成長物語である。表題通り、剣難と女難が次々と襲いかかっていくというもので、時に発奮したり、時に堕落したりしながら、紆余曲折を経てひとりの人間になっていく物語と言えるだろう。

 主人公の春日新九郎は、幼い頃に母が辻占で「剣難女難の相」があると見立てられ、一切の剣技から遠ざかって、剣を見るだけでも身震いがするほどの軟弱な青年に育っていったが、町道場を開く兄の重蔵は優れた剣技の持ち主だった。あるとき、大津の京極家の剣術指南役である大月玄蕃という男に襲われていた正木千浪という娘を兄の重蔵が助けたことから新九郎と千浪は恋仲となっていくが、京極家との剣術試合で兄の重蔵の足が京極家の助太刀として雇われた剣の名手であった鐘巻自斎に打ち砕かれ、仇を果たすほどの腕もない新九郎は千浪と心中しようとする。彼はそれほどの軟弱な精神の持ち主だった。

 だが、そこに千浪を狙う大月玄蕃が現れ、彼らを襲ったために二人は激流に飛び込んでしまうのである。春日新九郎は、川の中から助けられ、そこで養生するうちに、悄然と自らを省みて、兄を負かした鐘巻自斎を打ち負かして無念を晴らす決意をし、剣の道を進もうとする。これまで竹刀を握ったこともなかったが、決意だけはあり、しかも天分が彼にはあったのである。

 武者修行の旅の途中で、野伏(山賊)のような振る舞いをして娘を拐かそうとする一団に果敢に戦いを挑むが投槍の名手である西塔小六に敗れ、山中に捕らえられてしまう。ところが、その一団の頭の愛妾であった「お延」に一目で惚れられてしまい、それが彼の女難の始めとなる。しかし、「お延」の手引きでそこを逃れることができたが、「お延」に邪な想いをもっていた西塔小六に襲われ、新九郎はまたしても崖下に転落し、「お延」は小六の女になって山を下る。

 崖下に転落した新九郎は、村落の百姓に助けられ、再び武者修行をするが、剣の腕はなかなか上達しない。試合を挑んで散々な目に合う。しかし、心中を企てた時に死んだと思っていた「千浪」も助けられ、遊郭に売り飛ばされようとしていたところに行き合って彼女を助け、郷里から出てきていた任侠の親分とも会い、江戸で修行を積む道が開かれていくのである。「千浪」は任侠の親分と共に郷里に帰り、新九郎の大願成就を待つことにする。

 江戸で任侠の親分の家に厄介になりながら、そこにいた用心棒の金井一角に体術を習いながら日々を過ごすが、実は、その金井一角は対立する別の任侠から送り込まれた人物で、新九郎は任侠どうしの縄張り争いに巻き込まれていくのである。彼は大川の船上で金井一角と組合い、そのまま大川に流されてしまう。まさに流転の人生である。

 そのころ福井に戻っていた大月玄蕃は、「千浪」の父親を闇討にかけて殺し、「千浪」と新九郎の兄の春日重蔵はその仇討ちに出ることになり、大月玄蕃の後を追う。しかし、碓氷峠で待ち受けていた大月玄蕃によって返り討ちにあいそうになる。だが、そこに居合わせた鐘巻自斎によって助けられ、重蔵は自斎が一流の剣客であり、また武士の心根を正しく持った人物であるっことを知り、鐘巻自斎もまた、新九郎が立ち直っていたことを喜んで、新九郎が修練を積むまで待つと語り、「千浪」と重蔵は江戸に向かうことにするのである。

 他方、大川に落ちた新九郎は、船遊びをしていた下冷泉家の娘「光子(てるこ)の御方」に助けられる。これが彼の第二の女難の始まりで、「光子の御方」は、妹が四代将軍家綱の愛妾となったことから江戸に出てきて御船手屋敷を拝領し、好き勝手に暮らしていたのである。「光子の御方」は、助けた新九郎に惚れ、手練手管を使って彼を篭絡していくのである。
 しかし、鐘巻自斎に一手を打ち込み無念を晴らすという大願成就を抱いた新九郎は、御船手屋敷を出て、小野派一刀流の道場に入門して剣を習うことにする。そこで水汲みから床掃除までの下働きをしながら精進していくが、いっこうに腕が上がらず、そうしているうちに道場主の客人として鐘巻自斎がやってきて、彼に試合を望む。道場主でさえ自斎には一歩譲らねばならぬ程の腕を持つ自斎に新九郎がかなうはずもなく、彼は敗れ、道場の規則を破った不届き者ということで破門されてしまうのである。

 彼は自斎にはとうていかなわないと萎縮してしまうが、そこに江戸に出てきた時に厄介になっていた任侠の子分たちが行き合わせる。彼が世話になった任侠の親分は、敵対していた他の任侠のもとに転がり込んでいた金井一角、槍投げの小六、大月玄蕃によって東海道の山中で殺され、子分たちはその仇を討とうと江戸に出てきたところだった。その話をしているところを金井一角らに襲われる。しかし、いくばくかでも小野道場で修行を積んだ新九郎は見事に金井一角を討ち取ることができた。だが、彼が金井一角を追い詰めた先にいた武家侠客に捕らえられてしまう。

 ところが、新九郎に惚れていた「光子の御方」が彼を奪い返し、彼は再び彼女の御船手屋敷で暮らすことになるのである。そして、「光子の御方」は妖艶で、彼はついにその陶酔の酒に溺れていくのである。金も酒も女もある。しかも、目的とした鐘巻自斎にはとうていかなわない。彼はその中で自堕落にふけり、身を持ち崩していく。彼はそこで、かつて山中で彼を逃した「お延」とも会い、自堕落に自堕落を重ねていく。世話になった任侠の親分の仇討ち騒ぎで投槍の小六を仕留めることはできたが、彼の自堕落な酒浸りの生活は続いていく。

 江戸に出てきた虚無僧姿の「千浪」と兄の重蔵が武家侠客に言いがかりをつけられ、襲われているところを新九郎は助けたが、名乗りを上げることができず、自分の不甲斐なさを恥じて詫び状をしたためただけであった。「千浪」と重蔵は、新九郎が堕落してしまったことを知り、悲嘆にくれるが、新九郎は「光子の御方」の甘美さから逃れることができないでいた。しかし、体面を壊された武家侠客が御船手屋敷を襲い、焼け落ちる屋敷の中から新九郎は逃げのび、「光子の御方」も、嫉妬心で「お延」を殺してからその場を逃げる。

 他方、大月玄蕃の行くへを探していた「千浪」と重蔵は、大月玄蕃が元の京極家の江戸家老の家に入っていくのを見かけ、彼を討とうとする。だが、重蔵の足は悪く、「千浪」は女で、とうてい大月玄蕃の敵てはない。だが、大月玄蕃はそのころ元の京極家への士官の話が進んでおり、騒動を起こすことができないから逃げる。しかし、逃げる途中で大名の行列と行き会ってしまい、その大名に捕らえられる。その大名が、なんと、郷里福知山の城主松平忠房であった。忠房は、二人をあっぱれと認めて仇討ち免状を出した人物であり、新九郎の大願も知っていた。大月玄蕃は、松平家の下屋敷に捕らえられることになるのである。

 はてさて、波乱万丈の展開。文章の歯切れの良さと展開の絶妙さが相まって、物語が進み、いいよ佳境へと向かっていく。自堕落に陥ってしまった春日新九郎はどうなるのか、そういう興味に引き込まれていくような展開になり、任侠どうしの争い、大名の争い、男と女、そうしたことが絡みながら進んでいくのである。面白いの一言に尽き、物語小説、かくありなんとも思う。人間の成長の記録が本筋として記されていくのもしっかりした構成を思わせる。長くなるので、物語の続きは次回に記すことにする。

2012年11月30日金曜日

葉室麟『柚子は九年で』


 曇って雨の気配がする。昨日、散髪の予約を入れていたのをすっかり忘れてしまい、気づいたら夜ということになってしまっていた。「忘却とは忘れ去ることなり」というのは「君の名は」の名セリフだが、意識の外に置かれたものはすぐに忘れるように脳が働く証拠のようなものだろう。認知症は脳機能の低下ではなく、脳の別の働きのような気がしないでもない。

 閑話休題。小説ではないが、葉室麟の随筆集である『柚子は九年で』(2012年 西日本新聞社)を大変興味深く読んだ。この表題は、同氏が2010年に朝日新聞社から出された『柚子の花咲く』という本のテーマとなっている「桃栗三年、柿八年、柚子は九年で花が咲く」という言葉から取られたもので、2012年度の直木賞受賞後に、50歳で執筆を始められたというその軌跡を、それまで西日本新聞などで発表されていた短い文章で記されたものを含めて、まとめたものである。

 「桃栗三年、柿八年、柚子は九年で花が咲く」には、さらに「梨の大馬鹿十八年」というのもあって、わたしなどは梨を上回る大馬鹿者だが、この随筆には、同氏の粘り強さと誠実さが行間に溢れている気がした。本書には、十九篇の短文が「たそがれ官兵衛」として、また、四編の短文が「折々の随筆」、二篇の随筆が「直木賞受賞後に」と題して収められ、巻末には2005年に西日本新聞で発表された短編「夏芝居」が収められている。

 随筆や短編の文章は、同氏の他の作品ほどの「きれ」はないが、文学者として、あるいはひとりの人間としての誠実さを追い求める姿が浮かび上がってくるし、「ゲゲゲの鬼太郎」から白土三平の漫画「影丸」、寺山修司、五味康祐、松本清張、唐詩人の張九齢まで取り上げられるし、三島事件も取り上げられる。そして、これまでの作品の背景となった歴史的人物についても言及され、随題は多岐にわたっている。フランス文学を専攻した後で時代小説を書く、そういう妙味もある。

 これを読みながら、文学がある思想を表すことができる世代に同氏が属しておられることを改めて感じた。思想家は思想を体系化するが、文学者は思想を具体化する。そういう世代に属しておられるから本格的な歴史・時代小説が書けるのだろうと思うし、文学が読み取られて初めてそれが可能になる。葉室麟の作品は、いつかそういう読取られ方をするだろうと思ったりもする。心優しい作家が心優しい人物を時代や状況の厳しさに置いて描く。それが彼の作品だろうと思う。

 作家の随筆を読むのは随分と久しぶりだったが、あっさりと、しかしちょっと立ち止まるような感じのする随筆集だった。

2012年11月28日水曜日

中村彰彦『知恵伊豆と呼ばれた男 老中松平信綱の生涯』


 このところ寒い日が続いている。日没が早いので、気づけば、もう真っ暗ということが多くなっているが、昨日は、薄く暮れゆく薄藍の空に白い月がぽっかり浮かんでいるのを坂道を登りながら見ていた。冬の月も冴えざえとしていていい。

二日ほどかけて中村彰彦『知恵伊豆と呼ばれた男 老中松平信綱の生涯』(2005年 講談社)を読む。作者は歴史資料を丹念に当たって独自の視点から歴史上の人物を描き出すことに定評があるし、わたし自身もいくつかの作者の作品を読んで、いわいるその「史伝」に感じ入ることが多いのだが、作者が取り上げる歴史上の人物には「知者」と呼ばれた人が多いような気がする。

 本書は、「知恵伊豆」とまで称された江戸時代の知者を代表する人物であった松平信綱(15961662年)の生涯を描いたもので、松平信綱を取り扱った作者のほかの作品として『知恵伊豆に聞け』(2003年 実業之日本社)がある。

 松平信綱は、家康の家臣で武蔵国小室(現:埼玉県北足立郡伊奈町)の代官をしていた大河内久綱の長男として生まれたが、6歳か8歳の時(二説がある)、代官の子では御上の近習を勤めることは叶い難いので、松平姓をもつ叔父の松平正綱の養子にして欲しいと懇願して松平家に入ったと言われる。これは、もちろん、信綱の知者ぶりを示すために後に語られたことだろうが、信綱が松平正綱の養子となり、やがて直ぐにやがて二代目将軍となる徳川秀忠に謁見し、慶長9年(1604年)に徳川家光が生まれると、家光付きの小姓に任じられている。信綱8歳の時で、翌年の慶長10年(1605年)には五人扶持を与えられている(扶持はだいたい大人一人の男で一日に一合の米で計算されたとして年間でおおよそ360合(一年の日数はいろいろあったので360日で)、五人扶持で1800合、おおよそ270キロぐらいで、仮に10キロを4000円とすれば、現在のお金で110万円ほどであろうか。もちろん、貨幣価値が異なっているが)。

 信綱は小姓時代にから利発さを発揮し、ひたすら真面目に忠勤に励み、秀忠や於江に目をかけられていたようで、いくつかのエピソードが残され、本書でも取り上げられている。18歳くらいで、後に横須賀藩主となり老中となった井上正就の娘と結婚し、次々と加増されて、寛永5年(1628年)には一万石の大名となっている。彼が加増されたのは、知恵働きや忠勤ぶりで家光の覚えもめでたく、家光が将軍位を嗣ぐときの上洛に従い、その采配ぶりが見事であったためと言われる。信綱は先見の明があり、先を見越した準備に怠りがなく、合理的な精神を発揮したからであると言われる。そのエピソードもいくつか残されて、まさに「知恵伊豆」と呼ばれるほどの才能を発揮している。

 時代は武から官に移ろうとした時代で、彼のような才能を持つ人物を必要とした時代であったとも言えるだろう。武から文、それがこの時代であった。寛永9年(1632年)に大御所となっていた秀忠が死去し、名実ともに家光の時代になった寛永10年(1633年)に幕政の実務を行う「六人衆」となり、さらに老中に任じられ、3万石で武蔵国忍(おし 現:埼玉県行田市)の藩主となっている。信綱は老中として幕府における職務制度(老中職務定則、若年寄職務定則、寺社奉行や勘定頭などの職務)を次々と制定して、江戸幕府の基礎を作り、後には武家諸法度の改正や鎖国政策を完成させている。江戸幕府の幕藩体制は彼によって形成されたといってもいいかもしれない。

 寛永14年(1637年)に「島原の乱」が起こると、江戸幕府は乱の鎮圧のために最初は総大将に板倉重昌を任命したが、乱が長期化し、寛永15年に総大将に任じられ、大きな犠牲を出しながらも結局は兵糧攻めによってこれを鎮圧し、寛永16年(1639年)に3万石を加増され、6万石で川越藩主になった。この時に彼が藩主として川越の城下町を整えたり川越街道を整備したり、玉川上水を開削したりしたのが、今も残っている。寛永15年(1638年)から老中首座であった。

 慶安4年(1651年)に家光が死去し、その家光の遺言によって4代将軍となった家綱に補佐役として仕え、由井正雪らが反乱を企てた「慶安事件」を鎮圧したり、明暦3年(1657年)の「明暦の大火(これによって江戸城の天守閣も焼け落ちた)」の対応をしたりした。そして、寛文2年(1662年)、老中在職のままで病によって死去した。享年67(満65歳)の生涯である。

 松平信綱は、秀忠から家綱までの3代の将軍の時代に、江戸幕府の治世の基礎を築いた人間で、彼によってその後の250年以上にも渡る政治体制が築かれたといっても過言ではなく、「困ったら伊豆に聞け」と言われるほどの知者ぶりを発揮した人物であった。そして、謹厳実直を絵に書いたような生活をし、隙を作らず、面白みがないために同僚などからは「才はあっても徳はなし」と揶揄されたところもあるが、人徳もかなりあった人で、本書はその彼の才と徳を描き出そうとしたものなのである。

 ただ、何らかの人物を描き出そうとするときは、その人物に肩入れして、いわば惚れ込む形でないと描き出せないが、作者はかなり松平信綱に肩入れし、「あばたも笑窪」ではないが、いくつかの点で高評価し過ぎの気がしないでもない。彼は官僚としては極めて優れた人物であったが、その分独善的なところも多分にあったと、わたしは思っている。彼が発揮した知恵も、金と力がある人間の側のものであるように思えるからである。

 ともあれ、松平信綱という人間がどういう人間であるかを知る上では、資料がよくまとめられていて、エピソードもたくさん盛り込まれ、面白く読めた。歴史小説として、ここからもう少し膨らみを持たせることができるのではないかと思えるほど内容は豊かであった。巻末に作者が作成したと思われる松平信綱の詳細な年表が収録されていて、これは貴重な年表になっている。作者の労の多い作品である。

2012年11月26日月曜日

翔田寛『神隠し 子預かり屋こはる事件帖』


 雨になった。この雨で落葉がだいぶ進み、冬木立を目にするようになってきた。昔、「けやき坂」と名づけていた大きな欅のある坂道で、ふと立ち止まって、坂を覆っている欅の枝が冬空にピンと枝を伸ばしている姿を見上げていたことを思い出す。その頃勤めていた大学の研究室に向かう途中の坂道の欅は、「単独者」であることに大きな励ましを与えてくれていたように思う。今は、近くの公園の人気のない冬木立の中を何も考えずに歩くのが好きになっている。「何も足さない。何も引かない」という開高健の言葉を思い出す。

 昨夜は翔田寛『神隠し 子預かり屋こはる事件帖』(2010年 PHP研究所)を一気に読んだ。この作者の作品は初めて読むが、奥付によると、1958年生まれで、小説推理新人賞や、2008年の江戸川乱歩賞を受賞されて、推理小説の分野で活躍されているらしい。本書も、「こはる」という煮売屋の娘で、「子預かり屋」を始めた女性を探偵役にした軽快なミステリー仕立てで、彼女の周りで起こる事件の謎解きが中心になっている。

 主人公の「こはる」は、神田白壁町の煮売屋の娘で、腕利きの大工と結婚して一人娘を授かったが、夫が仕事先の足場から落ちて亡くなり、実家に戻って煮売屋を手伝っている女性で、小太りで、丸い顔と丸い目、丸い鼻をしているが、頭の回転も行動も早いし、何よりも子どもが好きで、自分の子だけではなく、近所の子どもの世話も進んでするような女性である。そして、それが高じて、煮売屋の傍ら「子預かり屋」を開いた女性である。時代は天保8年となっており、天保8年には「大塩平八郎の乱」や「モリソン号事件」が起こっており、世相が騒がしくなっていったのだが、江戸の市井に生きる女性だからか、そうした時代の影はどこにも描かれない。「こはる」は、ただ子どもの扱いがうまく、子育てについてしっかりした考えをもって日々の煮売屋稼業に励むのである。

 その「こはる」が、本書で最初の推理力を発揮するのは、裏店の青物売りの庄太が女房の貯めたへそくりを使い込んで、女房に追い回されて逃げ込んだ別の長屋の床下で、その家の文七とおきんの夫婦の借金が、その家に居候していた姪で元芸者の「おえん」によって返済されていたという話を聞くことから始まる事件である。ところが、「おえん」は、その借金が返済されたという日には既に死んでいた。また、庄太の女房が溜め込んでいた金は二朱と少しで、一朱銀二枚が消えていたというが、庄太が盗っていったのは一朱銀一枚だった。幽霊が文七とおきん夫婦の借金を返すはずもないし、庄太の女房が溜め込んでいた一朱銀はどうなったのか、それが謎として残ったのである。

 庄太の息子の太一は奉公先も決まっていたが、幼い頃から文七とおきん夫婦の子である「おりん」と仲がよく、庄太も文七夫婦をよく知っており、「おりん」は少し目が不自由だった。文七夫婦の家に居候していた「おえん」は、小金を溜め込んでいたと言われる元芸者だったが、一昨日、文七夫婦が留守をしている間に死んでしまっていた。だが、「おえん」が亡くなったあとで、昨夜、文七夫婦の借金が返済され、しかも、庄太が三味線の音を聞いていた。死んだ人間が借金を返し、三味線を引くはずがないのである。返済された借金は、「おえん」が使って紅で唇の跡がくっきりと押された紙にくるまれていたという。

 町方同心の武藤誠之助が「おえん」の死に不審な点はないかと探り、借金返済の不思議の謎を解こうとし、「こはる」の観察眼と推理力に目を見張っていくのである。「こはる」の謎解きは母親の「おてい」になされる。「おてい」は娘の「こはる」の性分と才能を十分知っており、この母娘は互を思いやり心に満ちていて気持ちがいい。

 「こはる」が解いた事件の真相は、奉公先が決まった庄太の息子が、幼馴染で仲の良い「おりん」にしばしの別れを言いに行った時に、「おりん」の家で「おえん」が事切れていた。「おりん」の家の借金は一朱で、そのために目の治療もできずに苦労している「おりん」のことを知っていた庄太の息子は、すぐに自分の家に取って返し、母親が隠していたへそくりの中から一朱をとって、紙にくるんだのである。その紙に、あたかも「おえん」が借金を返したようにするために「おえん」の唇に紅を塗り、それを紙に押し付けて、返済したのである。そして、「おりん」も、「おえん」がまだ生きているのを装うために三味線を弾いたのである。庄太の息子の太一は将来「おりん」を自分の嫁にもらいたいと思うほど「おりん」のことを案じ、「おりん」もそういう太一の気持ちを分かっていたのである。こうして、「幽霊の借金返済」の事件は解決し、すべてを丸く収めていくのである。

 「こはる」の「子預かり屋」は、子どもを預ける親がいなくて、なかなかうまくいかないが、そんな中で、蒟蒻を食べに寄った同心の武藤誠之助から近くの裏店(長屋)の周蔵という男が殺されていたと聞く。「こはる」が関わる第二の事件である。周蔵は、おせんという女房とその連れ子の十四歳になる「お初」と暮らしていたが、博打の味を覚えて働かなくなり、酒に溺れる日々を過ごしていた。おせんは料理屋で働き、「お初」も蕎麦屋の下働きや家事の一切をし、特に「お初」は、くるくるとよく働き、近所の老婆などにも優しい気働きをする娘であった。そして、おせんが五つごろ(午後八時頃)に仕事から帰ってみると周蔵の背中に出刃が突き刺さって死んでいたというのである。周蔵は左足のつけ根にも刺し傷があった。その前に賭場の借金取りが踏み込んできた騒々しい音がして、洗いかけの茶碗が放ってあり、「お初」の姿も見えないことから、「お初」も拐かされたのではないかと言う。

 おせんの最初の亭主は細工師で、早くに両親を亡くしたおせんは結婚して「お初」をもうけ幸せそうであったが、その亭主が流行病でしんでしまい、飾り職人の周蔵と再婚したが、博打にのめり込むようになったのである。

 同じ長屋に住んで「こはる」に子どもを預けている重吉が子どもを預けに来た時に、「こはる」は、近所の連中が六つごろ(午後六時頃)に二人組の男が周蔵の家にやってきてひと悶着騒ぎがあったことを聞いていたと言う。ところが、重吉の女房は六つ半(午後七時頃)に二人組の男がやってきて、周蔵の家に入るやいなや慌てて出て行った姿を目撃したと言う。

 「こはる」は、この事件にいくつかの疑問点があることに気がついていき、同心の武藤誠之助も謎があるという。ひとつは、ご飯を食べずに酒ばかり飲んでいた周蔵の茶碗が井戸の洗い場に残され、しかもそれが欠けていたこと、六つと六つ半に二人組の男が目撃されていること、「お初」を借金のかたに連れて行くなら周蔵を殺す必要もないことなどである。

 こういう謎を「おはつ」はゆっくりと順番に解きながら、真相に迫っていく。それは、仕事から帰った継子の「お初」に酔った周蔵が乱暴をしようと襲いかかり、思わず持っていた包丁で「お初」が周蔵の左足のつけ根を刺してしまい、逃げた「お初」にあった隣家の夫婦が「お初」をかくまって、「お初」を助けるために二人組のやくざ者の話をでっち上げたのである。そして、六つ半に本物のやくざ者が「お初」を借金のかたにとろうとやってきて、血まみれの周蔵を見て慌てて逃げていたのである。その時はまだ周蔵は生きていたが、おせんが仕事から帰って、その周蔵を見て、積もりに積もった我慢の限界が切れて、周蔵の背中を出刃で刺したのである。

 「おはる」は事の真相を見抜くが、おせんと「お初」のためにすべて見て見ぬふりをして、周蔵はどこかのやくざ者に殺され、「お初」は拐かされていたが、怖くなったやくざ者が返したということにしていくのである。同心の武藤誠之助も、その「こはる」の思いを知って、それ以上の追求をしないで、事件は閉じられるのである。

 「こはる」が持ち前の観察眼と明晰な頭脳で謎を解くのは、すべて困っている人を助けるためである。その姿勢が一貫して、第三話「できすぎた娘」では、子どもの扱いがうまい「こはる」が大家の菊蔵から世話になった商家の子どもが泣いてばかりで食が細くなり困っているからなんとかしてもらえないかという依頼を受けたことから始まり、その原因が、その子が母親のように慕っていた女中が突然いなくなったことであることを見抜き、その女中の失踪の謎を解いて、行くへを探し出していく。

女中は働き者で心優しく、ほかの者からも慕われ、商家の後妻の話もあったが、突然姿を消したのである。女中の失踪には深い訳があった。その訳を「こはる」は突き止めていくのである。そこには、火事を利用した身代わりや殺人もあった。偶然が幸いしたり不幸をもたらしたりする出来事が重なる。「こはる」は真相を知っていくが、女中の幸せを願って、それ以上の探索はしないのである。

第四話「叱られっ子」は、母親に嫌われて叱られてばかりいる子どもが、本当は心優しく、ほかの人をかばうような心の持ち主であることを証して、「こはる」が気の強いばかりの母親にそれを示していき、母親が愛情を取り戻していくという話である。

 第五話「嘘吐き弥次郎」は、「こはる」自身の亡くなった亭主に絡んだことの真相が明らかになっていく話で、自分を悪く思わせることで人を助けようとした男の心情を「こはる」が解き明かし、「こはる」の亭主が足場から落ちた出来事ともその男が絡んでいたことから、なぜ、亭主が足場から落ちたのかが突き止められていくとうものである。

 本書には、以上の五話が収められているのだが、「こはる」という愛嬌のある女性を主人公にして、謎解きがどこまでも人助けのためであることが貫かれている。ここで取り扱われている事件の謎は、謎というほどのものではないし、時代を天保にとる必要もないことであるが、そういう姿勢が本書を時代ミステリー小説にしているのだろうと思う。江戸市井に暮らす人々の日常として展開されるのもいいし、「こはる」の真摯でひたむきな姿もいい。そういう女性は、時代小説を背景とした中でしか取り扱われないからである。ミステリーとしても時代小説としても、決して本格的ではないが、肩の凝らない気楽に読める作品である。