2014年5月23日金曜日

吉川英治『貝殻一平』

汗ばむほどの初夏の日差しが射している。「涼暮れの季」で寒暖の差があり、夕暮れ時が一番気持ちのいい季節になっている。今夜からまた東京で、土曜日の最終便で帰ってくることになっている。4月以来、時間が細切れになって、まとまったことができないではいるが、これもまたわたしに「与えられた時」だろうと思っている。

さて、吉川英治『万花地獄』(吉川英治全集4 1983年 講談社)に続いて、同年に出された講談社版の全集6に収められている『貝殻一平』(吉川英治全集6 1983年 講談社)を、これも面白く読んだ。通常、吉川英治の作品史において、初期の『剣難女難』や『鳴門秘帖』といった冒険活劇譚から作風を転化させたものとして本作があげられたりするが、わたしには、本作もエンターテイメント性の強い活劇譚のように思われた。本作も、江戸から中山道を通って京都へ、そして京都から紀伊、紀伊から大阪・京都という道行の中で登場人物たちの喜怒哀楽と愛憎が展開されているし、江戸城中の機密文書の争奪が最初のころの鍵となっている。

しかし、本書で歴史的事件が取り上げられ、それが大きな背景となっているし、特に幕末史の中でも暴挙のように記されている「天誅組」の事件が物語の山となっている点が、これまでとは異なっていると言えるかもしれない。

ともあれ、物語は、文久2年(1862年)5月25日、江戸城大奥に使える「扇子の方」が赤坂山王神社への代参の折に、城中の機密文書を盗んで疾走するという場面から始まっていく。

この日に年代が設定されているのは、このころ尊王攘夷の機運が高まり、幕藩体制が大きく揺らいで、江戸幕府と京都の朝廷間の関係が緊迫性を増し、薩摩藩の実権を握っていた島津久光が公武合体策を進めるために藩兵を率いて京都へ上洛するという出来事が起こっている。外様大名が藩兵を出兵させるというのはこれまでになかったことであった。

そうした歴史的状態を背景にして、「扇子の方」は、やがては明治天皇の外祖父(娘の中山慶子が明治天皇の母)となる中山忠能(ただやす)の娘で、江戸城中の状況を探るために大奥に送り込まれていたという設定になっている。天誅組を指導した中山忠光は「扇子の兄」となっている。

その「扇子の方」の逃亡の途中で、それを陰ながら護っていく人物として、沢井転(うたた)という青年剣士が登場してくる。この沢井転がこの物語の主人公の一人なのである。そして、「扇子の方」と機密文書の行方を追いかける大目付の与力たち、その中でも執念を持って追いかける青木鉄生や目明しの「すっぽんの定」などが追いつ追われつの逃走劇を中山道の下諏訪や飯田を経て京都へと展開されていく。

また、その道中で貝殻座という旅芸人一座が登場し、その女座主のお千代とその用心棒の青江左次馬が登場して、「扇子の方」の逃亡劇に微妙に絡んできたりする。そして、物語の後半部分で、この貝殻座に「一平」という人物が絡んでくるのである。

そしてさらに、実は、この「一平」と沢井転は、共に名奉行として名高かった矢部駿河守定兼(さだのり)の双子の忘れ形見であったことが明かされていく。矢部定兼は、勘定奉行、江戸町奉行を歴任した俊才であり、また情と正義感に厚い人であったが、老中の水野忠邦と目付の鳥居耀蔵らの策略で失脚させられ、桑名藩預かりとなり、自ら食を絶って憤死した(天保13年 1842年)人で、矢部家はその後、鶴松という養子を立てて再興されたが、本書では、6歳の時に行方不明となった定兼の実子「菊太郎」を探す矢部家の老臣たちも登場する。この老臣たちは、いわば「滅び行く忠義の見本」のような人物として描かれている。

一平と沢井転は、共に矢部定兼の子であったが、双子を嫌う風習で、一平は生まれて間もなく房州の海に流され、かろうじて拾われて育ち、やがて大阪の武家の仲間(下僕)として働くようになっていた。そして、その主人の一人娘の「お加代」と恋仲となり、駆け落ちするのである。この武家が新撰組に加わる山崎蒸の縁戚であったことから、山崎蒸に追われることになり、興行していた貝殻座に逃げ込んで、そこで道化役者に化けて逃げ延びる。彼は根っから陽気で、あまり物事も考えない代わりに邪気もなく、小心で臆病さをもち、女性の母性愛を掻き立てるような人物で、貝殻座の女座主の「お千代」の世話を受けていくようになる。一平は、まさに「庶民」の典型として描かれるのである。だが、物語そのものが彼を中心にして展開されないため、彼についてはどこか焦点がぼやけた感じがしないでもない。

物語は、歴史的事件である「天誅組」の方へと流れている。他方、京に逃げのびた「扇子の方」は、一時は捕縛されて二条城に連れて行かれるが、沢井転によって救出される。だがそれによってますます「扇子の方」と沢井転はお尋ね者としてさらに厳しい詮索の対象になっていく。時、あたかも会津藩主松平容保が京都守護職となり、新撰組が結成され、攘夷を叫んだ熱情的な浪士たちが中山忠光を主として天誅組を結成し、やがては紀伊で幕府軍との戦闘を開始するようになるのである。その戦に「扇子の方」も沢井転も、そして貝殻座のお千代も一平も巻き込まれていくことになる。

そして、天誅組は敗れ、中山忠光は沢井転の働きによって大阪に逃げ延びることができた。ちなみに中山忠光は、その後、長州藩によって保護されるが、第一次長州征伐後に長州藩内で再び保守派が台頭した時に、長州豊浦郡で刺客によって暗殺されている(元治元年 1864年)。

この物語は、社会の上層階級と下層階級を対比させ、幕末という動乱期に起こった出来事を通して、政治がもたらす非情さやつまらなさ、だが庶民を翻弄してしまう社会状況を人物像を通して展開しようとしたものだと言えるかもしれないが、そうした思想的な実験は、まだあまり成功しておらず、むしろ、活劇譚としての物語の展開と面白さが前面に出ている作品だと言えるだろう。

それにしても、吉川英治の構成力や物語の展開のスピード、そして様々な登場人物たちの個性を描く力量、歴史的検証の確かさなど、改めて敬服する。それらを踏まえて、なお、面白さが加わった作品であった。

2014年5月17日土曜日

吉川英治『万花地獄』

 このところ天気と気温が目まぐるしく変わり日々が続き、今日は曇天の少し肌寒い朝を迎えた。熊本での生活にまだ少し身体が慣れないところがあって、日常の業務に追われる日々になっているが、少しずつ気候にも環境にも親しんでいくだろうと楽観的に思っている。ただ、こちらでの市立図書館の蔵書の種類が全く異なって、なるほど、地方によって蔵書の種類が異なるのかと、改めて思った。司書の人たちの好みの違いかもしれない。

 そんなことを思いながら、吉川英治『万花地獄』(吉川英治全集4 1983年 講談社)を図書館から借りてきて、古典的な冒険活劇潭として面白く読んだ。この作品は、1927年(昭和2年)1月から1929年(昭和4年)4月まで雑誌『キング』に連載されたもので、90年近くも前に執筆されたものであるが、活劇時代小説として、今なお色褪せないストーリーの展開とテンポをもっていると思う。もちろん、登場人物は、善は善、悪は悪という類型的なものだし、思想的には勧善懲悪という大衆時代小説の典型的なものではあるが、活劇潭としては、埋蔵されている甲府金(武田信玄が密かに埋蔵していたとされる莫大な金の延べ棒)の在処を巡る闘いが甲州御代崎一万石の乗っ取りを企む者との闘いとして展開され、舞台が甲州御代崎と江戸という二つの舞台での交互の展開となって、波瀾万丈の面白さがある。

 物語は、悪と欲の権化であるような御代崎藩(作者の創作であろう)の家老司馬大学によって、藩主の駒木大内記(だいないき)が不治の病者とされて藩政が私物化されている状態から始まる。司馬大学は、藩主の駒木大内記に毒を飲ませて失明させ、ものを言うこともできない廃人同様の状態にされてしまっていたのである。さらに彼は、大内記の娘の光江と、陣屋内に埋蔵されていると言われる莫大な甲府金を我がものにしようと企んでいた。埋蔵金は、「万花多宝塔」にある。それがわかったが、さらに「多宝塔」の中の秘庫を開くのに鍵が必要で、その鍵の在処を知っているのが光江であった。大学は色と欲の権化なのである。

 他方、それを阻もうと、元駒木家の家臣で剣の遣い手である小枝角太郎(さえだ かくたろう)と、かつて光江に仕えていた奥女中の「お妻」が生命を賭して司馬大学との闘いを展開していくのである。小枝角太郎と「お妻」は恋仲であった。それに「お妻」の兄で、将軍家御用達将棋の駒作りのための木材を探す飛車兵衛が助成し、さらに廃人同様になって幽閉されている駒木大内記の病を癒すために医者の幸安と弟子の少年荘八が加わる。作者は少年の描き方が巧みで、荘八は明朗闊達な少年で、吹き矢をよく遣い、すばしっこいところがあって、小枝角太郎やお妻の危機を何度も救ったりもする。

 また、角太郎が使う愛刀の国重を研ぎに出したことから、御代崎の名人研師の研八とその娘の「お吟」が事件に関わり、司馬大学の悪政に業を煮やしていた研八と「お吟」の運命を変えていく。研八は司馬大学に殺され、「お吟」も捕われ人になったりする。さらに、「お吟」も角太郎に惚れ、「お妻」のと微妙な関係を生じたりもする。角太郎にしろ、光江にしろ、あるいは「お妻」や「お吟」にしろ、すべて美男美女である。

 司馬大学の方にも凄腕の浪人の久米段之進とその毒婦の「お兼」などがついたり、縁戚として老中の水野山城守が登場して政治的な駆け引きが行われたりして、欲でつながった人間関係が出来上がっていく。

 それらに加えて、美少年とも思われる美貌の持ち主で柔術の達人で、山窩(山の民)の一党と共に強盗団を率いる花又三日之助という不思議な人物が登場し、あるときは司馬大学に、又ある時は小枝角太郎に加担したりする。彼もまた、埋蔵されている甲府金を狙っているように見えるが、実はそこには深い事情があり、本書の中では重要な役割を果たしていく人物となっている。

 物語は司馬大学の奸計によって主人公たちが陥る危機の連続で、危機一髪のところで思わぬ助けが入ることで展開されていき、最後の「万花多宝塔」の内部での死闘で決着がつく。現代の優れた時代小説のように人間が掘り下げられて描かれることは少ないが、ストーリーの展開の妙があり、エンターテイメント性は抜群である。ここでは詳細は記さないが、あらゆるところで善が忍従を強いられ、悪が勝利を収めそうであるがそうはならないという山場がいくつも作られている。よくもこれだけのことを思いつき、味のある小道具でリアリティを出したと着想の素晴らしさに感嘆する。

 この頃、吉川英治は作家として多いに売れた時代で、物語り手として脂がのった時代であった。だが、家庭的には妻の「やす」との間にひびが入りはじめ、「やす」のヒステリー症状が昂じていった頃であった。それだけにまた、作品の執筆にのめり込む度合いも高かったのかもしれない。筆運びが自由奔放で、思う存分に書いたという印象が随所に見られ、それだけでも愉しめる作品である。

2014年5月14日水曜日

風野真知雄『穴屋佐平次難題始末』

 午後から雨になり、今は雨音が木霊するくらいに激しく降っている。午後、少し時間ができたので、風野真知雄『穴屋佐平次難題始末』(2008年 徳間文庫)を気楽に読んでいた。まったく肩の凝らない滑稽本の類で、「穴屋」という不思議な商売を生業にする佐平次という男を主人公にし、葛飾北斎は登場するは、太田南畝(蜀山人)、写楽、首切り浅右衛門で知られる山田浅右衛門は登場するは、果ては二宮金次郎、シーボルトまで登場するという予想外の展開を見せる作品である。

 主人公の佐平次自体、元公儀御庭番で、佐渡の金山の内偵に行ったときに上司にもぐった穴を爆破されて、危うく命を失いかけ、それ以来、御庭番から逃げて、変わった商売をする者たちが住む長屋で「どんな穴でも開けます」という看板を掲げて「穴屋」を始めたという経歴を持っている。

 そして、彼が住む長屋に蛇を商いにする女性の「お巳い」と知り合い、恋仲となるが、「お巳い」は女陰のない女性で、最後にはシーボルトのオランダ語通詞から教えられた「リーフデ(liefde)」(love 愛)の深い姿に目覚めていくという恋話も展開されている。

 その穴屋佐平次が最初に出会うのが葛飾北斎で、北斎は絶世の美女と言われる女を覗いて絵にしたいから覗き穴を掘るように佐平次に依頼するのである。だが、それは北斎のスケベ心ではなく、その女性の美しさにも負けない富嶽百景を描くためだという落ちになる。

 こういう具合に、著名な人々が、さもあり得るかもしれないという脚色を交えて登場し、穴を掘ることで佐平次が親交をもっていく展開になっている。

 こうした娯楽作品は、まさにエンターテイメント性にあふれていて、だからと言って歴史的なことが踏まえられて、そこに作者の筆力が加わるので、まことに気楽に読めるのである。だから、こうした作品は一気に読めて、読む方も気楽になる。まことに現代の滑稽本である。

 だが、最近、再び凛とした人物を描いた作品を読みたいと思っている。凛としたものを秘めながら生きる人物を描いた作品を探すが、これが意外に難しい。

2014年5月8日木曜日

熊谷達也『邂逅の森』(2)

 連休が明けて皐月の碧空が広がっている。連休中に一度だけ、車で15分ほどのところにある温泉に行ってきた。今のわたしにとってはそれでもう十分で、後は買い物に出たり、自宅での本の整理などを少ししたりであった。

さて、熊谷達也『邂逅の森』(2004年 文藝春秋、2006年 文春文庫)の続きであるが、富治が「文枝」に会いに行った日に、「イク」は、自ら身を引いて失踪した。「文枝」の息子が訪ねてきて、「イク」と話をしたという。富治は、「イク」が自分にはかけがえのない存在であることを改めて感じて、必死になって「イク」の行方を探す。「イク」が富治の実家に行ったと聞き、実家に行ってみるし、仙台の遊女屋にも行ってみる。だが、「イク」の行方はようとして知れなかった。そして、以前、「肘折温泉に行きたい」ということを思い出して、肘折温泉に出かけ、そこで、身を引いて土産物屋で働こうとしている「イク」をようやく見つけるのである。それは、富治と「イク」が最初に出会った場所であった。富治は、「俺の大事な女房に買ってやるから」と言って、こけし人形を売り子として働く「イク」に求めるのである。

 こうして「イク」と富治の生活が元に戻り、富治はマタギ仕事に出かける。マタギの仕事もすっかり様子が変わり、富治はこのままマタギを続けることの是非を自らに問うていた。マタギを辞めて「イク」と二人で暮らすつもりであった。

 だが、富治は最後のマタギ仕事に出る。そして、「山の神」の化身とも思われる熊に出会うのである。こうして、熊と富治の真剣勝負が始まる。互いに死力を尽くす。富治は右足をやられ、朦朧とする意識の中で「イク」の待つ家に向かって歩きはじめるところで終わる。富治の生死はどこにも記されないが、読者は富治が片足を引きずり、朦朧とした意識のままでも「イク」のところにたどり着くことを期待するだけである。

 「山の神」とも思える熊との対決は圧巻で、互いに力と知恵を尽くして対決する。「山の神様が宿っていようがいまいが、山の中で、一対一で対峙した時、野生の生き物のほうが人間に勝ってしかるべきなのだ。それが自然の姿であるべきなのだ」(文庫版530ページ)という一文が本書で示される自然の中での人間の姿の一つの帰結であろう。

 時代は明治から大正という、いわば日本の近代化が急速に、半ば強制的に進められた時代で、自然を相手のマタギの生活にもその時代が大きく影を落としていく姿が生活の座の視点で克明に描かれている。現代の日本には、もはやここで描かれたような自然はないが、自然の厳しさとその恩恵を受けていく素朴な人間の在り方が主題として取り上げられ、そこに人間の愛情の物語が織りなされているのである。その意味でも、作者が意識してこの物語を著わした視点があり、この作者の作家としての力量の確かさを感じる作品だった。

 「それにつけても疲れる日々よ」と組織の中で思う。もともと非組織的人間である者が、覚悟はしていたとはいえ組織の中に組み入れられているのだから当然ではあるが、なんだか30年前に帰ったようで、旧日の感覚を思い出したりしている。まあ、これも一生かもしれない。

2014年5月2日金曜日

熊谷達也『邂逅の森』(1)

 今年は4月末から5月のはじめに都内での会議が続いたので、いつの間にか皐月になっていたという感がある。自然を楽しめない日常には問題があるなあ、と怒涛のように過ぎ去った4月を振り返って思ったりする。まだ、生活に身体がなじまないところがある。スローに生きることを素晴らしいと思っている自分が、どだい時間的に無理がある仕事量をしているのが原因だろう。しかし、碧空のさわやかな五月、大きく背伸びをして、また始めますか。

 閑話休題。随分前に作詞家のМ氏からいただいていて、気になっていた熊谷達也『邂逅の森』(2004年 文藝春秋、2006年 文春文庫)をようやく読み終えた。この作品は、2004年に山本周五郎賞と直木賞を受賞した作品で、山岳民族の流れを汲む秋田のマタギ(狩猟生活者)を主人公にした長編である。厳しい自然と人間、そこで営まれる人間の姿、自然への畏敬を持ちながら、時にそれと対峙し、時にそれに包まれる人間の姿が主人公の人生を通して描かれる。時代は、日露戦争前後の、まさに近代化に向かう過渡的時代である。

 狩猟によって生計を立てる秋田の寒村に生まれた主人公の松橋富治は、先祖の代から伝わるマタギとして厳しい山の掟にしたがって一人前になっていく。山の掟は、自然や動物への畏敬、自然が与えてくれる恵みの賜物への深い感謝、そしてともすれば命を失うことになる危険から身を守るためのもので、それらはマタギとして暮らす人々の謙遜な生き方を映すものである。彼らは「山の神」によって自分たちの生活と人生が支えられていることをよく知り、それだけに畏怖の情も深く持っていた。生きとし生けるものの命の営み、それが山での生活であった。彼らが狩る主たる動物は、アオアシと呼ばれるニホンカモシカと熊であった。特に熊は、「熊の胆」と呼ばれる貴重な漢方薬であり、大きな現金収入の道となっていた。本書では、その熊との対決が圧巻である。

 松橋富治は、そうしたマタギとしての生活の中で一人前の鉄砲撃ちになっていく。その彼が25歳の時、地主のひとり娘「文枝」と恋仲になる。だが、本来は小作人である富治と地主のひとり娘との仲は許されざる恋であった。そして文枝が妊娠してしまったことで二人の仲が発覚した。文枝には婿になる許嫁があったといい、その許嫁が文枝のお腹の子を自分の子として育ててくれると言っているということで、二人の仲は無理やり裂かれ、富治は村を追い出されることになる。富治は文枝との駆け落ちを試みるが、それも失敗し、阿仁の銅鉱山で鉱夫として働かなければならなくなる。

 富治の人生は一変した。だが、マタギとして修練を積んできていた富治は銅鉱山でも次第に重きを置かれるようになり、やがて鉱山で働いていた大柄の小太郎という人物から「兄貴」として慕われるようになっていく。それは、小太郎が鉱山仕事の傍らで行っていた熊撃ちで、富治がマタギとしての優れた技量を発揮したからで、富治は次第に鉱山仕事ではなく、再びマタギとして生きていく道を探っていくようになる。彼のマタギとしての血が彼をマタギに呼び戻したと言ってもいい。

 そして、富治は鉱山を辞め、再びマタギとしての生活を、自分を慕ってくれている小太郎の村で始めることにする。その小太郎には、家の事情で娼婦に売られて出戻っている「イク」という姉がいた。「イク」は男好きで、ほとんどの村の男を誘っては関係を持っていたし、時折、町に出て娼婦として働いて金を稼いではまた帰ってくるという生活をしている女性だった。彼女は、いわば、その村の「厄介者」であった。富治が小太郎の家にしばらく逗留している間に、彼女と小太郎が、実は男女の関係にあることもわかっていく。小太郎と「イク」の間には、姉弟とはいっても血のつながりがなかったのである。こういう状況の中で、富治は村の長たちから、「イク」を嫁にもらうなら村への定住を認めるという条件を付けられ、「イク」をよく知るようになり、かつての恋人であった文枝の想いは抱いていたが、「イク」に結婚を申し込んで、その村で「イク」と所帯を持って、マタギとしての定住生活を始めるのである。

 富治と所帯を持った「イク」は、まるで別人のように変わった。それまでの男漁りはピタリとやみ、富治の女房としての務めを立派に果たすようになった。ある意味で、それまでの彼女が境遇に翻弄された者であったのであり、それが「イク」の本来の姿だったと言えるかもしれない。彼女は、富治との間に娘をもうけ、その娘を立派に育てた。彼女は亭主によくつくす働き者の女房になったのである。そして、富治とよく話し合った末に、その娘を嫁に出すまで、きちんと育てたのである。こうして、マタギとしての富治の17年の年月が平穏に過ぎ、富治はマタギの頭としての生活を営み続けた。やがて第一次世界大戦が勃発すると、西欧での毛皮の需要も増え、日本軍のシベリア出兵によっても毛皮の需要が伸びたりしたが、次第に主要な獲物であったアオアシ(ニホンカモシカ)の数が減り、昭和9年(1934年)にニホンカモシカが全面禁猟となったりして、次第にマタギの生活も追い詰められていくようになる。

 そんな折、突然に、かつての恋人の文枝から「会いたい」という手紙が届く。富治は「イク」に内緒で「文枝」に会いに行く。そして、「文枝」を抱こうとし、「文枝」も進んで躰を開くが、突如不能に陥ってしまう。「文枝」には、ある計算があったのだが、失敗した結果になったのである。その「文枝」の話によれば、息子が家出をし、その息子を探しに来たということであった。その息子は、「文枝」と富治との間にできた子で、自分の父親が誰かを知り、今の父親から邪険にされたことで、実の父親である富治のところに来たのではないかと、「文枝」は思っていたのである。

 「文枝」の夫になった医者は、地主であった「文枝」の父親が亡くなった後、女遊びを始め、「文枝」や息子に辛く当たるようになっていた。そして、父子の決定的な対立が起こって、「文枝」の息子が家を出たのである。

 物語はそこから富治と「イク」の夫婦の深くて豊か、そして堅い絆へと進んでいき、それから「山の神」と思われる熊との対決の深みへと展開されるが、そのくだりがおそらく本書の佳境であり主題ともなっていくので、それについては次回に記すことにしよう。

2014年4月25日金曜日

内田康夫『地の日 天の海』

 よく晴れて、新緑が鮮やかに映える碧空が広がっている。風邪の咳がなかなか抜けないでいるが、風薫る季節になりつつある。来週は、月曜日から木曜日まで東京で会議で、木曜日の最終便で帰宅して、金曜の早朝から仕事という過密な日程が続く。その代わりに数十年ぶりで五月の連休を迎えられることになる。温泉にでも行こうかと思ったりもする。

 それはさておき、先日、内田康夫『地の日 天の海』(2008年 角川書店)を、推理小説を主眼とする作者にしては珍しい歴史時代小説だと思い、よく知られている『太閤記』に資料を取りつつも独自の歴史解釈が推理されている点が作者らしいといえば作者らしいと思いつつ読んだ。作者は、江戸初期に徳川家康の政策顧問として、文字通り江戸幕府の礎を築いた「天海」(1536?-1643年)の姿を中心にして戦国史を捉え直したいという意図があったのかもしれない。しかし、「随風」と名乗った若き日の「天海」をほんの少し描くだけで、ほとんどが戦国史の再解釈に費やされ、織田信長、明智光秀、豊臣秀吉といった人物をめぐる人物たちとその行動の背景を探る筆運びになっている。また、「天海」の実像が歴史的にはっきりしている江戸初期の家康との関係は最後に少し触れられるだけで、「天海」を描くものとしては、未完に終わっている気がしないでもない。

 しかし、実際、「天海」が戦国時代を生き抜いて大僧正という高僧の身分で家康の側近となったことは紛れもないことではあるが、「天海」の出自も、「随風」と名乗った若いころのことにしても、ほとんど不明で、謎の多い人物であることに変わりがないから、後は作者の想像力に頼るしかなく、その点では、例えば、「天海」が会津芦名家の重臣の舟木家に生まれつつも足利将軍のご落胤で、最後の足利将軍となった足利義昭の腹違いの兄弟という説を巧みに取り入れたり、明智光秀との交流などを取り入れたりして、伝承を巧みに活かしていると言える。

 本作では、その他にも仮説として、豊臣秀吉が商人(諸国を歩いて針を売る商人)の出であったがゆえに、合理性に富んだ思考力を持っていたとか、光秀の妹が信長の側室であったがゆえに信長が光秀を重用した(もちろん、光秀自身の才覚を信長は認めていたが)とか、本能寺の変の背後には、足利義昭の画策があったといったような説が巧みに取り入れられている。

 もちろん、いくつかの通説、たとえば、若いころの信長の「うつけ」ぶりが計算の上での行動であったとか、「天下布武」がそれまでの日本の国体を全く変えるようなものであったとか、反信長勢力が足利義昭の画策であり、光秀もその画策に踊らされたとか、あるいは秀吉の行動などにまつわる通説などが取り入れられているし、史的事実もきちんと踏まえられている。

また、「随風(天海)」が純粋に戦を嫌い、殺戮を嫌うがゆえに僧となり、その苦悩を背負っていたという姿も描かれている。戦の参謀でもある陣僧としての「天海」の姿は、きわめて純化されたものになっている。「天海」が学僧としても人格的にも優れた人物であったことが前提となって本書が展開され、こうした事柄は、歴史の検証としては少し物足りなさを感じるのだが、読み物としては面白く読める。

それにしても改めて、織田信長という人間は、それまでの日本社会の根底を覆すような極めて特異な人間であったと思う。光秀にしろ、秀吉にしろ、そして家康にしろ、信長の周りを回る衛星のように映り、作者が用いる「日輪」という言葉が指す人物が時代とともに変わってはいくが、ある意味では信長の影響下での変化といえなくもない。

「天海」は怪僧として描かれることも多いのだが、本書では、高尚な精神を持ち、学問を究め、人格者としても多くの人々から尊敬を受けていたことが記されている。信長、秀吉、家康という三代にわたる覇者たちの姿を彼との関わりの中で描くことで、当時の人々の思想傾向などを浮き彫りにしようという姿勢があって、それが本書の根幹になっている。

歴史小説の中でも、戦国武将物はどちらかといえばあまり好きではないが、それでも本書は面白く読めた。

2014年4月21日月曜日

野口卓『飛翔 軍鶏侍』(2)

 雨模様の寒い月曜日なった。昨日は、よほど疲れがたまっていたのか、風邪気味でもあって午後から夕方まで眠ってしまい、ほぼ何もしない日曜日になった。このところ本を読む気力もわかないほど疲れていたので、まさに「休日」となってしまった。こういう疲れも、なんだか久しぶりのような気がしている。

 さて、野口卓『飛翔 軍鶏侍』(2012年 祥伝社文庫)の第三話「巣立ち」であるが、大村圭二郎の父は、公金横領の罪を着て腹を斬り、大村家は家禄を減らされて濠外の組屋敷に移されていた。自死したのは大目付の林甚五兵衛の屋敷の庭先だった。その父親の死について、当時、小目付として林甚五兵衛の下で働いていた綾部善之助が病を得た死の床で、圭二郎の兄に、父親は自死ではなく、林甚五兵衛によって斬り殺されたのであり、公金を横領していたのが林甚五兵衛であったという真相が告げられるのである。林甚五兵衛は、圭二郎の母の芙蓉に懸想して、横恋慕もしていたが、芙蓉がそれを受け入れるわけがなく、その逆恨みもあったと語る。だが、源太夫も絡んだ藩の政変が起こり、林甚五兵衛は隠居させられ、家禄も減らされた。しかし、林は今もなおかくしゃくとしており、剣の腕も相当に立った。

 そこのことを知った圭二郎の兄の嘉一郎は、激情型の弟に真相を告げることを逡巡した。圭二郎の暴走を恐れたのである。嘉一郎には、貧しい家でも嫁に来てくれるといった「和」という婚約者がいたが、圭二郎が暴走するとその結婚も危ぶまれることになる。だが、母の芙蓉は既にその真相を察していたし、圭二郎にもそれが告げられた。そして、くれぐれも短慮にはやるのではなく、まず、林甚五兵衛に勝つだけの腕を磨くように圭二郎を諭す。そして、その日から圭二郎の様子が変わった。父の無念を晴らすことが圭二郎の目標になった。彼は、そして以前より稽古熱心だったが、さらに拍車をかけたように稽古に邁進しはじめたのである。

 その変化を師である源太夫が見逃すはずがない。源太夫は兄の嘉一郎から事の真相を聞きだし、なんとか藩の仇討免状をとり、圭二郎に仇を討たせたいと思い始める。そして、友人で中老をしている芦原讃岐に相談するが、真相の証拠がないので難しいとの返事であった。源太夫は圭二郎を道場に住みこませて腕を磨かせることにし、圭二郎もそんな源太夫の気持ちをくみ取って、早朝の掃除なども含めてさらに稽古に励んでいく。

 他方、源太夫自身は、「闘わずして勝つ」ことに向けて自分を向上させることへと向かっていたが、彼に闘いを挑む新たな人物が出現する。川萩伝三郎という浪人で、彼は、かつて旗本の秋山勢右衛門(二代目)から刺客として送り込まれた馬庭念流の使い手の霜八川刻斎を倒すことを目標にしていたが、その霜八川刻斎が源太夫にあっさり破れたことを知り、源太夫に勝負を挑んできたのである。彼は源太夫の秘剣「蹴殺し」と闘うことを願う。源太夫は川萩の申し出を受けて、彼と闘うことになる。そして、「蹴殺し」を使って源太夫は川萩を破る。それから次々に源太夫に挑戦してくる者が現れるが、源太夫はことごとくこれを退け、「蹴殺し」の多様な技を使う。それは、彼が秘剣を超えたところの技をすべて「蹴殺し」と呼ぶことを弟子たちに示すためであった。そして、彼は大村圭二郎に「蹴殺し」が生まれた経過を語って聞かせる。

 そのころ、源太夫から相談を受けた中老の芦原讃岐も、圭二郎の父親の冤罪の証拠を探し出そうとしていたし、圭二郎の兄の嘉一郎の縁談話も進んでいた。嘉一郎は仇討のことがあるので自分の縁談話を逡巡していたが、母親の芙蓉は、「和」が嘉一郎と苦労を共にしたいと言っているのを聞いて、それで十分だと、その話を進めるように言う。そして、嘉一郎と和の婚儀が整うし、芦原讃岐の働きによって藩主から仇討免許状も出ることになる。和は「己を知る」よくできた嫁で、自分は字を知らないから教えてほしいと義母の芙蓉に頼んだりする素直で働き者であった。そして、圭二郎と嘉一郎は見事に父親の無念を晴らすのである。こうして大村家の家禄も元に戻されることになったばかりか、圭二郎に分家を立てることもゆるされるようになる。だが、大村圭二郎は出家すると言い出す。彼は彼なりに人生と人間を考え、そのような結論に達したのである。だから、源太夫は、圭二郎の剣の腕を惜しみつつも、彼を碁仲間の正願寺の恵海和尚に託すことにする。こうして圭二郎は僧としての修業を重ね、得度をして恵山という僧名を持つ者となるところで終わる。

 父親の無念を晴らす仇討ということを通して、一人の若者が精神的に大きく成長していく姿を描いているのだが、それと同時に、師である主人公の源太夫も、そして、それを読む読者をも精神的に大きくしていくような展開が意図されている気がする。第四作目が楽しみではある。