好天ではないが春の温かさを感じる日になっている。昨日はなんだか疲れ切ってしまい、今もその疲れが尾を引いている気がするが、午後から小石川に出かけることになっており、そこで発表することになっているある組織の百年余に及ぶ方策の歴史的検証のまとめを一気に書いていた。何らかの方策には、社会学的検証や人間学的検証が不可欠なのだが、それが浅いとその方策をとる組織は消滅して行かざるを得ない。模索されている大震災の復興策にも言えるだろうが、「哲学なき方策は意味を失う」ことを痛感している。
昨日行われた統一地方選挙では、現在の状態もあって、「現状維持」が採択された。現代日本社会の当然のような結果だろうし、政治の時代ははるか昔に終わっているのだから、「積み重ね」によってしか社会は動かないのが現状だろう。変化せざるを得ない状況下では、人は「防衛」を考える。
閑話休題。9日(土)の夜に、坂岡真『照れ降れ長屋風聞帖 あやめ河岸』(2006年 双葉文庫)を読んでいたので、ここに記すことにした。先月の風邪による疲れも残っていたのか、なんだか柔らかいものを読みたいと思って手にした次第で、このシリーズは、前に11作目の『盗賊かもめ』というのを読んでいて、本作は、それより前のこのシリーズの5作目の作品である。
このシリーズの主人公である浅間三左衛門は、ある藩を出奔し、江戸で貧乏浪人暮らしをしているくたびれた中年の代表のような人物であるが、小太刀の遣い手であり、知恵も機転も利き、洞察力もあり、思いやり豊かな人物である。「おまつ」という十分の一屋(結婚仲介業)を営む女性の亭主として養われ、普段は「ぼさぼさの頭髪に無精髭、よれよれの着流しを纏い、暢気そうな顔つきの痩せ傘張り浪人で、腰の刀は竹光である。「おまつ」にも事情があり、その連れ子「おすず」と共に裏店で暮らして、「おすず」からは、この作品ではまだ「おっちゃん」と呼ばれている。彼は家事もこなせば子守もする。だが、自分が背負っている過ちの贖罪のために人助けに奔走していくのである。
本作には「第一話 松葉しぐれ」、「第二話 あやめ河岸」、「第三話 ひょうたん」、「第四話 片蔭」の4話が収められており、「第一話 松葉しぐれ」は、「おまつ」の幼なじみだった女性が、つまらない男の口車に乗せられてその男と恋をして、その子を棄てられ、散々苦労させられたあげくにその男からも棄てられ、女性の髪を集めて売る「落買い」という惨めな姿でいるのに出くわし、他方で、近所に越してきた合羽職人が義弟の博打の借金のために高利貸しから苦しめられる事態にも遭遇して、これを何とか助けようとする話である。
物語の展開の中で、様々な人物とその人生が交差し、合羽職人を苦しめていた高利貸しが、実は「おまつ」の幼なじみの女を弄んだあげくに、その女性の家から大金を盗み出した男であることがわかり、女性が棄てた子どもが合羽職人に拾われて立派に育っている子どもだったことが分かってくる。因果が巡っていき、浅間三左衛門は、単身、高利貸しのもとに乗り込んでいく。高利貸しには凄腕の浪人が用心棒として雇われている。その用心棒にも罪過を背負っている陰があり、彼は、対峙した浅間三左衛門の前で、何を思ったか、雇い主である高利貸しの首をはね、一件は落着していく。
ここでは、自分の過ちに責められながらも、それを背負って生きなければならない人間の悲哀が丹念に描かれ、それを負いつつも生きる道を模索していく姿が、主人公の姿とも重ね合わされて柔らかに表出していく展開がとられている。「おまつ」の気っぷの良さと人を思いやる「世話好き」佐や、それに応える主人公の姿もあって、主筋の展開と共に物語を深めるものとなっている。
「第二話 あやめ河岸」は、主人公の浅間三左衛門の狂歌仲間であり、気があって、ときおり浅間三左衛門も事件の解決に手助けする南町奉行所定町廻り同心の八尾半四郎を中心にした物語である。八尾半四郎は、南町奉行の特番の隠密廻りとして働いている美貌で、利発で、武芸も達者な「雪乃」という女性に惚れているが、相手にされずにいる。母親からは次々と結婚話を迫られているが「雪乃」を思って母親が持ち込む結婚話には耳を貸さないでいる。だが、同心としての働きは抜群で、ここでは巧妙に隠されていた抜け荷(密貿易)に絡む殺人事件を丹念な捜査によって解決していく。当時流行していた千社札が事件の鍵となっていくという構成もよくできている。
「第三話 ひょうたん」は、「おまつ」の連れ子で、三左衛門も子として可愛がっている「おすず」の姿を中心に描いたもので、ふとしたことから艾(もぐさ)屋の子どもの拐かし(誘拐)話を聞いた「おすず」が、母親の「おまつ」の遊び人の弟の怪我などであたふたとする母親や三左衛門に、つい相談し損ない、ひとりで誘拐された子どもを探し出そうと苦労していく。小さい女の子が苦労して誘拐された子どもが押し込められている場所を探し出し、岡っ引きらが駆けつけるが、そこに子どもはおらず、「おすず」は「嘘つき」呼ばわりされたりする。
だが、三左衛門は、「おすず」を信じ、事件の解決に乗り出して、ついに誘拐犯を捕らえていくのである。そこには、「おすず」を「嘘つき」呼ばわりした岡っ引きも絡んでいる。こういう中で、「おすず」は三左衛門のことを、まだ「おとっつあん」とは呼べないが、三左衛門に信頼を寄せていくのである。
「第四話 片蔭」は、役者に惚れぬき、やがて人気が出てきた役者から棄てられても、その役者が帰る「湊」のような者になろうとする女性の、いま妾とされている詐欺師の男から陥らされた窮地を、三左衛門が命がけで守っていこうとする話で、やがて自らが招いたことで役者ができなくなった男が最後に彼女のところに帰っていくというところで決着が着く。
この作者の作品は、『うっぽぽ同心』シリーズも同じだが、中心となる人物たちが見せる日常での柔らかさがあっていいと思っている。あまり気を張らずに読めて、しかも事件の構成にも手が込んでいるので、事件帖物として味わいがある作品になっていると思う。何か集中して読むというのではないが、疲れた時は、こういう小説が本当にいい。
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