この一両日が今年の夏の暑さのピークではないかと思えるほど、朝から強い日差しが差して気温が跳ね上がっている。何もかもがうだって、起き出した時からすでに脳が半分ほどどけだしているような気さえする。世界の基軸通貨となってきたドルが売られて、「金融」という経済幻想の上に建てられてきた社会がきしみを上げている。やがて、このきしみは貧しい者をさらに困窮に落とし込むだろう。そんな思いを抱きながら新聞を読んでいた。暑苦しいのに、なおさら暑苦しい。
だが、昨夜読んだ上田秀人『神君の遺品 目付鷹垣隼人正裏録(一)』(2009年 光文社文庫)はすっきりしている。現役の歯科医師でありつつ凝った時代小説を発表されている作者の作品は、『闕所物奉行 裏帳合』というシリーズの作品を以前に読んで、物語の設定と着想のすばらしさに目を見張ったことがあり、本書も、歴史の謎への奇抜な着想と物語の展開、主人公の設定などに卓越したものを感じる作品だった。
まず、「目付」という武家を監察した役職のものを主人公に設定すること自体が奇抜である。江戸時代の「目付」は、武家に対してほぼ絶対的な権力を有し、主に旗本・御家人を監察したが、政務も監察し、上司である若年寄や大目付を告発することもあったし、疑義のある場合は老中を飛び越えて直接将軍に意見を言うことも可能であった。また、三千はあると言われた城中儀礼の指揮監督にもあたり、たとえば畳の縁を踏んだというだけで告発したりもした。
そのために、恐れられる存在ではあっても、決して好まれる存在ではなかった。「目付」は、いくつかの役務を歴任した人物が選ばれ、勤め上げれば奉行にもなっていく旗本の出世コースだったが、後の鳥居耀蔵に見られるように、役職柄、気質的には権謀術策に富んだだ陰湿な印象を免れ得ない存在のような気がするのである。体制の保持に神経を使いながら、しかも、その体制の中での権力の掌握と上昇志向に満ちた役職が「目付」ではなかったかと思ったりする。
こういう役職にあるものを主人公にし、しかも魅力ある人物として描き出すためには、矛盾を抱えたものとしての人間への洞察が必要で、その点では、江戸時代の学問の第一人者であった林羅山が開いた私塾で抜群の成績を収めて、将軍の目にとまり、将軍による直接の推挙で「目付」となった頭脳明晰な青年という設定は、なかなかのものだと思ったりする。また、主人公自身が武芸に疎いために、剣の腕と変わらぬ友情によって彼の探索を助ける幼馴染みの友人や、その妹で彼の妻となった女性の愛情と凛とした姿など、主人公の真摯な姿を爽やかに描き出す上で重要な役割を果たすものとなっていることなど、この作品を面白くするために巧みな工夫がされているように思う。
また、彼を「目付」として直接推挙した将軍というのが徳川綱吉というのも、なかなか味わい深いものである。江戸幕府五代将軍徳川綱吉は、三代将軍家光の四男で、家光の長男であった四代将軍徳川家綱に継嗣がなかったことから家綱の養嗣子となり、五代将軍となった人である。前将軍である家綱は、幼くして将軍となり(10歳)、性格的に温厚で絵画や釣りなどに関心を寄せるだけで、政治に関しては「寛永の遺老」と言われ徳川幕藩体制を築いていった保科正之や酒井忠勝、酒井忠清、松平信綱、阿部忠秋といった名臣たちの言うとおりで「左様せい」と言うだけの「左様せい将軍」であった。いわば、家綱は幕府老中の思うままの操り人形に過ぎなかったのである。
そのため、家綱の後を受けて五代将軍となった学問好きで利発な綱吉は、将軍の実権を老中から取り戻すことに苦労し、細部にわたって手腕を発揮することを望んだといわれる。そして、綱吉の初期の頃は、大老であった堀田正俊を片腕にして、幕府の会計監査のための勘定吟味役を設置したり、戦国時代の殺伐とした風潮を一掃して徳を重んじる文治政治を推進し、学問の中心として湯島大聖堂を建立したりした。
しかし後に、大老の堀田正俊が稲葉正休に刺殺された後、儒教の「孝」を重んじるために母親の勧言を入れ、悪法と言われる「生類憐れみの令」などの悪政を次々と行うようになっていった。彼の利発さと表層だけの学問は独善となり、その独善が人々を苦しめることになるとは思いも寄らなかったのである。
こういう徳川綱吉の人物像を、作者は良く踏まえた上で、主人公の鷹垣暁(たかがき あきら)を「目付」として登用し、幕府の実権を掌握するために用いていくという筋立てにしているのである。
また、表題の『神君の遺品』というのも、本書の内容をよく表していて、「神君」というのは徳川家康で、「遺品」というのは、ようやく晩年になって徳川幕府の基を築くことができた徳川家康が残した幕府体制、特に総軍家に関わる意志そのものをさすものである。事柄が、徳川将軍家に関わる謎に迫るものであるということが示されているのである。
さて、物語は主人公の鷹垣暁が目付として抜擢され、綱吉から特別に声をかけられて「隼人正」という名前をもらって、目付の仕事を始めるところから始まる。その仕事の中で、書院番となったひとりの旗本が駿府勤務中の悪行で斬首され、幼い三人の子どもたちも切腹になる場面に目付として立ち会うことになる。だが、鷹垣暁は、その処分に疑念を持ち調べ始める。しかし、彼の調査を阻止しようとするものが現れ、やがて、それが綱吉の右腕であった大老の堀田正俊が稲葉正休に殿中で刺殺された事件の謎と繋がり、綱吉の父親であった家光の出生と乳母であった春日局、そして家康との関係にまで繋がるような将軍職そのものを巡る問題と関連していくのである。
将軍職を巡る暗闘の中で、綱吉とその側室である「お伝の方(瑞春院)」の意を受けて暗躍する黒鍬者たち、幕府の実権を握ろうとする老中の意を受けて探索する主人公を襲う伊賀者たち、将軍職を狙う甲府藩主徳川綱重(家光の三男)の長男である徳川綱豊(第六代将軍徳川家宣となる)の意を受けて活動する甲斐者たち、家康が残した秘密を守ろうとする「上野寛永寺慈眼衆」と名乗る僧兵たちという忍者集団が「家康の秘密」を巡って次々と登場し、主人公たちとの死闘を繰り返したりする。もちろん、その背後にある政治的な思惑と欲望が渦巻いているのである。こうした活劇的展開も本書の面白さの一つとなっている。
従って、「背面の虎、前面の狼」ではないが、主人公は幾重もの敵に囲まれながら、友人の御家人であり剣客である五百旗平太郎(いおき へいたろう)の助けを得て、真相の探索へと進んで行くのである。
そして、これだけの構成と作者の丹念さがあるのだから、当然、物語としては長編にならざるをえないだろう。文庫本書き下ろしという制約だから、物語の中核である徳川将軍家の謎をめぐる『神君の遺品』は途中で終わり、次ぎに『錯綜の系譜 目付鷹垣隼人正裏録(二)』へと繋がるが、本来は長編となる作品だろうと思う。
この作品には、権力に使われる側の人間の哀しみがあって、それが全体を薄く覆っている。その哀しみの響きがある中で、使われる側の人間にはそれなりの矜持があることが伝わってくる。そのことについては、続きを読んでからまた書き記しておくことにしよう。 主人公には、体制の中で生きなければならない悲哀があるので、これは特筆すべきことだろうと思っている。
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