2010年12月29日水曜日

坂岡真『うぽっぽ同心十手裁き 蓑虫』

 気温は低いがよく晴れた冬の碧空が広がっている。年の瀬で人の流れ無車の流れもどこか気ぜわしいところがあるが、とりわけてお正月の準備をするわけでもないので、通常どおりの日々が過ぎていく。

 月曜日に、カフカ論である『彷徨える実存-F.カフカ-』を掲載した機関誌の執筆仲間と来年度の計画などを話し合う集まりをして、池袋の居酒屋のようなところで食事をし、冗談を交わしながら「来年は対馬に行こう」とか「じゃ、また来年」とか、鬼が笑うようなことを言って深夜に帰宅した。相変わらず、遅い電車は人々の疲れも乗せて超満員で圧死が心配されるほどだった。もっとも、いつ、どこで、どのように終わってもいいと思っているが。

 火曜の夜に、坂岡真『うぽっぽ同心十手裁き 蓑虫(みのむし)』(2009年 徳間文庫)を面白く読んだ。これは前に読んだ『うぽっぽ同心十手綴り』のシリーズの続編のようなもので(巻末の広告によるとこのシリーズは全7巻で終わりだが、「綴り」ではなく「裁き」として書き続けられようとしているものだろう)、前シリーズは第三作目の『女殺し坂』しか読んでいないが、中心となる登場人物は同じで、「暢気な顔で飄々と町中を歩きまわる風情から」(10ページ)「うぽっぽ」と綽名されている五十六歳の南町奉行所臨時廻り同心である長尾勘兵衛の思いやり溢れる人情に満ちた姿とその活躍を描いたものである。名奉行といわれた根岸肥前守(時代小説ではおなじみの名奉行)も長尾勘兵衛の深い理解者として登場する。

 ただ、物語の時は流れて、勘兵衛のひとり娘「綾乃」は、彼女に思いを寄せていた若い同心の末吉鯉四郎と結婚し、お腹に子どもができており、行くへ不明になっていた妻の「靜」が記憶のないままで帰ってきている。また、長尾勘兵衛が思いを寄せていた料理屋の女将「おふう」は死んでいる。勘兵衛の深い理解者であり、そっと慰めるような女性であった「おふう」の死は「悲劇」とあるので、何か大きな事件があったのだろう。このあたりの顛末は、シリーズの4作目以降で展開されていると思う。

 本書は、ひどい強盗団に両親をはじめ一家皆殺しにあい、唯一生き残った女が、料理屋を営みながら家族を殺した強盗団を探し出し、その仇を討っていく第一話「降りみ、降らずみ」と、将軍献上の高価な熊の肝(「れんげ肝」と呼ばれる)を横流しして巨利を貪り、藩内の争いに乗じて藩の重臣となった秋田藩の重臣の悪を暴いていく第二話「れんげ肝」、そして、奉行所与力も荷担した抜け荷(密貿易)で巨利を得ていた商人を執念で暴き出していく第三話「蓑虫」から成っている。

 いずれも、人の悲哀から物語が展開され、第一話では家族を殺された女性、第二話では、地方から出てきた百姓のために労していた公事宿の主殺人と、よこしまな計略の中で浪人となって真相を探ろうとしている侍とその家族、第三話では、抜け荷事件を探っていた長尾勘兵衛の親しい同僚であった同心が、発覚を恐れた上からの圧力と悪徳商人の手によって娘を手籠めにされ、失意のうちに、じっと籠もっている姿から「蓑虫」と呼ばれるようになり、癌を患っていたが、娘を犯した犯人とおぼしき者の死体が見つかったことから、最後の力を振り絞って、それと対峙していく姿、そういう姿が丹念に描き出されている。それらがよく考えられて丁寧に構成されている。

 物語の展開の仕方が決して雑ではなく、行き場のない者をなんとかして助けようとするし、やむを得ない悲しみにはじっと耐え、それに寄り添い、欲の絡んだ悪には立ち向かおうとするといったひとつひとつのことに関わる主人公の長尾勘兵衛の切なる思いが伝わってくるので、同心物や捕物帖物の枠を越えて味のあるものになっている。思いやりと慈愛の響きあい、それがこの作品の中で描き出されている。奉行所の管轄外の事件を取り扱う際に、根岸肥前守を「薊(あざみ)のご隠居」として登場させるのもいいし、主人公の慈愛と響かせるようにして彼の名裁きが記されているのもいい。

 このところ年末年始という雰囲気もあって、あまり仕事をする気もなくなっているのだが、そうも言っておられないところもあって、年が明けるまでには少し片づけておこうと思っている。パソコンのフォルダも新年用に新しく作り直さなければ、新年早々の仕事もできないだろう。

2010年12月27日月曜日

米村圭伍『退屈姫君伝』

 晴れてはいるが書斎に座っていると寒さがしんしんと忍び寄ってくる。いささかの疲れを覚えながら土・日曜日を過ごし、暮らしていくだけがなかなか大変だと思いつつ、朝から掃除、洗濯、と家事にいそしんでいた。少しさっぱりしたところで、昨夜読んだ米村圭吾『退屈姫君伝』(2000年 新潮社)について記しておくことにした。

 前にこの作者の『風流冷飯伝』(1999年 新潮社)を読んで、奇想天外・荒唐無稽の話ではあるが、ひと味もふた味もあるなあ、と思っていたので、その続編と言うか、『風流冷飯伝』がら生まれてきたと言うか、同じ四国の風見藩にまつわる話である本書を続けて読むことにした次第である。

 今回の作品は、同じ風見藩でも江戸屋敷の方の話で、しかも風見藩主の時羽直重の妻となった陸奥磐内藩の姫「めだか」の天真爛漫な活躍を、これもまた面白おかしく語りながら、藩の取りつぶしを画策する田沼意次との対決の中で描き出したものである。

 もちろん、田沼意次以外の人名も藩名も作者の創作によるものだし、人物も戯画化され、物語そのものも荒唐無稽の物語とはいえ、背景となる歴史的検証がかなりしっかりしているので、どこにも違和感はない。『風流冷飯伝』で活躍した幇間の格好をした幕府お庭番の手先であった「一八」の妹「お仙」が、少女ながらも女手先として主人公の「めだか姫」と共に活躍するし、どこか間の抜けたお庭番である倉知政之助も登場するが、何と言っても主人公の「めだか姫」の天真爛漫な個性的な姿が光るし、それでいてほんわかとしたムードの中で名推察と知恵を働かせて難局を乗り切っていく面白さがある。

 陸奥磐内藩五十万石の藩主の末娘として天真爛漫に育った「めだか姫」は、弱小藩である風見藩の時羽直重の元に嫁ぐことになったが、嫁いでしばらくした後、藩主が参勤交代で国元に帰ったために、毎日退屈して過ごさなければならなくなる。退屈をもてあました「めだか姫」は、風見藩江戸屋敷に「六不思議」なるものがあることを知り、その「風見藩六不思議」の謎を解いていこうとするのである。そして、嫁いだ風見藩と親元の陸奥磐内藩との間に交わされた密約があることを知っていく。

 一方、弱小藩である風見藩を取り潰して私腹を肥やすことを企む田沼意次は、幕府お庭番の密偵を放って風見藩の内情を探ろうと倉知政之助を使い、倉知政之助は四国の風見藩に行ったまま所在が分からなくなった手先の「一八」に代わって妹の「お仙」を手先として使うのである。だが、「お仙」も倉知政之助も、「めだか姫」と出会って、その天真爛漫ぶりと素直さに惹かれて、ついには田沼意次の画策が頓挫するように「めだか姫」に協力していくことになる。

 風見藩と陸奥磐内藩の間に交わされていた密約とは、「風見藩六不思議」の一つにも挙げられている下屋敷に関係するもので、財政が苦しい風見藩が苦肉の策として取っていたもので、些細なことではあるが幕府の拝領屋敷に関することなので発覚すれば藩の取り潰しにもなりかねないことであった。田沼意次はそれを知って密約の発覚を企むのである。しかし、「めだか姫」の機転の利いた対抗策で、田沼意次はの画策は見事に頓挫していく。

 大筋はそうだが、たとえば「風見藩六不思議」の六番目は「ろくは有れどもしちは無し」というもので、これが、貧乏藩である風見藩が倹約に倹約を重ねて商人から借金をせずに藩の財政を運営し、藩士は他藩よりもずっと少ない俸禄をもらっていて、涙ぐましい節約ぶりはあるが、そのことを少しも苦労とは感じておらずに、借金(質)がないことを誇り、それを自ら「六不思議」に数えて笑い飛ばしながら生活しているということを意味しているという。そしてそれが、実は物語の全体を流れるものとして物語の最後で記されている。

 戯作ふうの作風の中で、「貧しさに負けず、心豊かにのんびりゆったり暮らしている風見藩江戸藩邸の人々」(307ページ)の姿、そういう大らかな雰囲気が全編を覆っていて、荒唐無稽の話の展開の中で、人の暮らしのあり方をしみじみと、そしてじんわりと考えさせるものになっている。細かいことにこだわったり執着したりせずに、その日の暮らしを大らかに楽しみつつ過ごすことを「よし」とする作者の姿勢がよく、それが直接的な言葉ではなく物語の中でゆっくり示されるのがとてもいい。

 深刻に考えられがちなことを深刻に受け止めないことは人間の器量に繋がっていくことであるが、井上ひさしが語った「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと」を彷彿させる。

2010年12月24日金曜日

千野隆司『逃亡者』

 ニューヨークやシカゴでよく使われた「クリスマス寒波」という言葉が日本の天気予報で使われるようになって、日本海側と北陸、北海道では大雪の荒れた天気に見舞われるとニュースで伝えられたが、こちらは晴れた碧空が高く広がっている。ただ、気温は低く、忍び寄ってくる空気は冷たい。今夜は寒いクリスマス・イブになるだろう。

 生来の「ものぐさ太郎」のようなわたしにとって今の時季は特別に睡眠不足になってしまうのだが、昨夜、遅くまで千野隆司『逃亡者』(1998年 講談社 2001年 講談社文庫)を作者の力量を感じながら読み続けた。

 これは、いわば、人生の負を背負って生きなければならない人間の物語である。主人公を初めとする登場するほとんどの人物が何らかの負を背負い、その負に押し潰されそうになりながら生きていく姿が描き出されていく。

 打物屋(包丁や鉈などを売る店)の優秀な番頭として妻とひとり娘に恵まれて暮らしていた主人公の燐之助は、自分の妻を犯して弄んだ破落戸(ごろつき)の錠吉を殺して出奔し、各地を流浪して六年ぶりに江戸に戻り、残してきた妻と娘を案じながら生きている人間である。

 彼が妻と娘の様子をそっと見に行った夜に、ひとりの男が二人の男に襲われている現場に出くわし、その男を助けたことから知り合って身を寄せることになった遊女屋「春屋」の主人庄八は、かつては強盗団の一員であり、わけありの妻「お絹」と遊女屋を営んでいる。彼は、かつての強盗団の首領を殺して強盗団を抜けたことから、その昔の仲間から執拗に命を狙われているのである。

 彼の妻「お絹」は、かつては武家の妻であったが、子どもを産んだ後に病を得て家人から冷たく扱われ、その頃に強盗団を抜けようとして彼女の家の奉公人であった庄八の命を救おうとして強盗団に捕まり、首領から犯され、その時に首領を殺して救い出した庄八と共に逃げた過去を背負っている。庄八と夫婦になって、元の武家に戻る気はないが、自分が生んだ子のいく末を陰からそっと見守っている。

 その遊女屋で働く女たちも、当然、暗い過去を引きずりながら生きている。自分の悲運を決心して引き受けようとする新米女郎、ひどい母親に売られ続けて身を落としていく女、周囲から「意地悪女」と言われながらも惚れた男の病のために身体を売り続けていく女、そういう女たちの姿が主人公の日常の姿の中で絡まっていく。

 燐之助に殺された破落戸の錠吉の兄の辰次郎は、地回りと結託する質の悪い岡っ引きであったが、復讐に燃えて燐之助をつけ狙う。しかし、彼もまた、悪であったころに弟の錠吉に助けられ、そのために錠吉が足を引きずって歩かなければならなくなったという負い目をおっている。そのために、錠吉を殺した燐之助をつけ狙い、燐之助の妻と娘を追い回すのである。そして、ついに燐之助の妻と娘を捕らえ、人質として燐之助をおびき出そうとする。

 破落戸に犯されて汚されてしまったが、一途に燐之助を思い続け、つけ狙う辰次郎の手を逃れながら生きていく妻の「お澄」と父親を慕う娘、そして、遊女屋「春屋」で庄八・お絹夫婦の姿や女たちの姿を見ながら自分の思いを徐々に整理していき、妻と娘を辰次郎の手から救い出そうとする燐之助、そうした心の綾が克明に描かれる。

 これらの人生の負を背負わなければならなかった人たちが、それぞれに自分の悲運を受け止め、その悲運の中で、それと対峙し、そこでもがきながらも生きていく姿が、丁寧に、克明に展開されている。そして、登場人物の視点で同時間的に物語が進行していくので、それぞれの人物のリアリティーと重さが伝わってくる。たとえば、ほんの些細な描写なのだが、

 「朝の日が、障子紙を通して差し込んでいる。やかましく、小鳥のさえずる声が聞こえた。
 春屋の夜が終わった。まんじりともせず、夜を明かした女が二人いる。過ぎ去った日々に執着を持ちつつ、今の動かし難い暮らしがあるお絹。そしてどういう境遇になろうとも、忘れたいこれまでの日々を引きずり、それに縛られて生きるお島。
 蝉の鳴き声が、すぐ近くから聞こえる。今日も暑くなりそうだ」(文庫版 180ページ)

 という描写があるが、ここで描き出される情景は、過去を背負いながらそこから逃れることができないで日々を過ごさなければならない二人の女の心であり、妻を犯した破落戸とは言え、その男を殺した燐之助の過去の重さと、犯された妻をなおも思い続ける心である。

 こうした同時間的な、あるいは同視点的な描写で物語が綴られているので、作中人物が、まるでそこで生きているような展開がされていく。こういうリアリティーのある文章手法は、他の作品でも取り入れられて、それだけ描写が克明となり、作者が確立した真骨頂のような気がする。そして、人間に対する洞察の深さを伺わせる。

 人はだれでも、その大小の差はあっても、負を引きずりながら生きている。人間の生は業が深く、生きることは負を背負うことでもある。その負をどう背負って、どう対峙していくのかが、その人の価値ともなり人格ともなる。作者の作品には、そうした視点が、作者なりの温かさをもって語られる。そこにこの作者の作品の良さのひとつがあることは疑いえないだろう。藤沢周平や池波正太郎の作風も思い起こさせるものもあって、今まで読んだこの作者の作品に「はずれ」はなかった。

 今日はクリスマス・イブで、毎年、この夜は静かに過ごすことにしているが、今年も変わりない。更けていく夜をしみじみと感じながら、「さやかに星はきらめき」という讃美歌を聴きながら過ごす。そういういい夜にしたいと思っているが、どうだろうか。

2010年12月21日火曜日

平岩弓枝『へんこつ』

 このところ日毎に天気も変わり寒暖の差も激しい。もともと寒いのが苦手なのに、身体が外界の変化についていかない気がしている。毎日曜日に、幼稚園の園長もしている知り合いのプロテスタント教会の牧師がニュースレターをメールで送ってくれているが、そのエネルギッシュな活動ぶりにほとほと敬服する。彼から見れば、生来のエネルギー量が少ないわたしのような生活はぬるま湯につかったようなものかもしれない。

 週末から昨夜にかけて、ようやく平岩弓枝『へんこつ(上・下)』(1975年 文藝春秋社 1986年 文春文庫)を読み終えた。1932年生まれの作者が43歳の時の作品で、作者の作家としての力業が滴るような見事な長編小説だと思った。1971年から「週刊文春」に掲載され、1976年から1977年にかけて刊行された松本清張の全5巻に及ぶ『西海道談綺』(文藝春秋社)を彷彿させるような冒険譚も盛り込まれ、女流作家とは思われないような大胆な発想と表現に目を見張るものがあった。

 「へんこつ」とは、作者が文庫版上巻の巻末に「『へんこつ』について」という文章を書かれていることによれば、頑固で偏屈、また反骨精神に富んだような人間を指す中国地方の呼称だそうだが、わたしが生まれ育った福岡や長崎、熊本などの九州北部地方でも「頑固な変わり者」を指す言葉としてよく使われる言葉である。平岩弓枝は、この言葉をこの作品の中で重要な役割を果たしている江戸時代の戯作者滝沢馬琴(曲亭馬琴)を示す言葉として使われ、なるほど滝沢馬琴という人を一言で表すのに最も適切な言葉だと思う。

 滝沢馬琴(曲亭馬琴・1767-1848年)は著名な『南総里見八犬伝』を1814年から1842年までの28年間を費やして書き、著述業だけで生計を立てた日本で最初の作家だといわれるが、武家の出ということもあって人づきあいも苦手で、どこか武骨で、頑固さの点では、恩師であり競争相手でもあった同時代の山東京伝(1761-1816年)や、歌麿や写楽の浮世絵を出した蔦屋重三郎(1750-1797年)も手を焼くところがあったようだ。

 さすがに平岩弓枝はこの馬琴のことを丹念に調べ、その生活ぶりや家族の事情などをうまく盛り込みながら、60-62歳にかけての馬琴をある種の探偵役として登場させ、江戸城大奥に端を発する権力欲と金欲、色欲にまみれた一大事件を展開していくのである。特に、精力的で「おっとせい将軍」と渾名された徳川家斉の愛妾「お美代」の養父として権力をほしいままにした中野清茂(碩翁)が札差と結託して米の価格操作を行い、また、権力掌握のために行った大奥の女たちを虜にした淫靡な行状から派生した事件を描き出していく。

 そして、男と女の情念も、近親相姦や、今でいう性同一性障がいをもつ人物を作品の重要な人物として登場させたりしながら、そのどろどろした姿と苦悩や悲しみを色濃く描き出し、その中で作品の主人公とでもいうべき奉行所同心で馬琴と親しく交わっている青年を登場させ、彼の一途な愛情の姿も描き出す。

 この青年が事件の核心をつかむために長崎に行き、不帰島(富貴島)と呼ばれる秘境(島の一族を守るために自由に性交渉が行われる島)に行ったり、福岡の冷水峠での山崩れで難を逃れたりする冒険譚もあり、物語が長崎と江戸を結ぶ壮大な展開となっている。

 物語の発端は、馬琴の『南総里見八犬伝』に描かれる八房という犬と伏姫の姿のように、大きな犬を連れた不思議な女性の登場を馬琴が目撃するところから始まり、蔭間(男娼)殺しに出くわすところから始まる。そして、六本木の方で大きな犬と不思議な女を目撃したという百姓が殺され、何かに関係していたと目される奉行所与力の変死体が見つかり、馬琴と親しい青年同心の犬塚新吾の探索が始まっていくのである。そして、これらがやがて大奥の女たちの淫靡な習癖や金欲にまみれた権勢者の米価格操作による権謀術策へと繋がっていく。この主人公の名前も『八犬伝』と関係している。米価格操作のために蓄えた米倉を発見するのは馬琴である。実在の馬琴をうまく取り込んだこうした展開と設定は、見事としかいいようがない。

 それにしても、徳川家斉とそれに続く家慶の時代は、江戸時代の中でも最も腐れ斬った時代の一つであり、その大奥で展開されたことや閨房によって権力者となっていった人間やそれにおもねる人間の姿、あるいはそれに端を発する疑獄事件を見ると、人間とは、かくも愚かしいと感じたりするが、それは今もあまり変わらないだろう。とかく性欲と権力欲が絡まると人間はおぞましくなる。

 この作品は『御宿かわせみ』のような作品とは異なった作者の力業の作品だとつくづく思う。力業といっても、作品の中に無理があるというのでは決してない。近親相姦や性同一性障がい者というものが作品の中の重要な鍵となっているだけに、そこに馬琴を絡ませることに作者の力を感じたのである。

2010年12月17日金曜日

山本一力『梅咲きぬ』

 昨日は九州でも雪が降ったらしい。今日も晴れた冬空だが、冷気が忍び込んでくるような寒さがある。昔はこうした寒気の襲来を「冬将軍の到来」と呼んでいたような気がする。わたしは、その「冬将軍」を「ジェネラル・サビンコフ」と名づけていた。周囲の人たちから「?」と言われたりしたが、「さび~」という言葉がよく使われていて、寒気団はロシアから来るので、ロシア風の名前にしたのである。昨日と今日の寒さは、そのことを思い出させた。

 昨夜は、昨年買ったテーブル式のコタツに入って、山本一力『梅咲きぬ』(2004年 潮出版)を一気に読んだ。ことさら優れて文学的な表現があるわけではないが、文章のテンポが良くて、物語の展開の仕方に絶妙な速度感があるので、「読み進ませる」のである。だからといって、これまで読んできた彼の作品と比べ、作品の深みがことさらあるというわけではなく、むしろ、手慣れた内容であるだろうと思った。おそらく、『だいこん』や『菜種晴れ』などに並ぶ花などの植物の名を使った頑張って成功していく女性の姿を描いた一連のものの一つとして位置づけられるだろうと思う。

 『梅咲きぬ』は、『だいこん』(2005年)や『菜種晴れ』(2008年)よりも前に書かれており、2000年の『損料屋喜八郎始末控え』や2001年の『あかね空』の中でも重要な役割を果たす女性として登場してきた深川の老舗料理屋「江戸屋」の女将「秀弥」の姿を描き出したものである。ちなみに、秀弥という器量の大きな老舗料理屋の女将は、彼の他の作品でも度々登場している。

 深川の老舗料理屋「江戸屋」の女将は、代々「秀弥」という名前を襲名している(こういう設定で山本一力の作品に登場する「秀弥」に齟齬が起きないように工夫されているのである)が、『梅咲きぬ』で描かれるのは、その四代目秀弥のずば抜けた見識と器量を持つ成長の姿と、それを通して母である三代目秀弥の姿である。

 時代は寛延(1748-1750年)から宝暦(1751-1763年)、明和(1764-1771年)、安永(1772-1780年)、天明(1781-1788年)、そして寛政(1789-1800)とめまぐるしく元号が変わっていった時代で、江戸幕府は世情の不安を押さえるために、縁起を担いで改元していったから、そこからもこの年代がいかに世情不安定の中に置かれていたかが分かる。幕府の政策もめまぐるしく変わった。

 そういう時代に、深川の老舗料理屋「江戸屋」のひとり娘として生まれた玉枝は、いつも背筋をしゃんとのばし、思いやりのある細かな配慮をしながらもだれもが認めるような大きな器と物事を見極めていく力で大胆な決断と英断をしていく母の三代目秀弥から、老舗料理屋の女将としての厳しい、しかし愛情ある躾をされて成長していく。玉枝の父親は玉枝が一歳の時に病気でなくなっていたが、玉枝は、その母に応えるだけの資質を持っていたし、その母を敬慕していた。

 玉枝が六歳になった時から上方から出てきた踊りの師匠のもとでの踊りの稽古が始まり、この踊りの師匠がまた彼女に厳しい躾を施していくのである。踊りの師匠とその夫も、人格的で思いやりのある才人で、躾は厳しかったが、玉枝の資質を見抜き、それ以後生涯に渡って玉枝を支えていくようになっていく。

 いくつかのエピソードが描かれていくが、周囲を思いやる心と気配り、そして礼儀、物事や人間を見抜いていく力、事柄を受け入れていく器量と決断力を母親から受け継ぎ、その資質を開花しながら玉枝は成長し、子どもながらに江戸屋の危機を救う知恵を発揮し、十五歳で、若年ながら老舗料理屋の若女将になっていく。

 描かれるエピソードはそれぞれに山場があるし、展開も丁寧なので、玉枝の成長ぶりがよくわかる。そして、その年に敬慕してやまなかった三代目秀弥である母親が病で急逝し、彼女は第四代秀弥となるのである。そして、若年ながら彼女の店の切り回しは群を抜いて、誰からも老舗料理屋の女将として認められるようになっていく。こういう女性の姿は、後に書かれた『菜種晴れ』でも描かれているが、ここでは料理屋としての才覚が細かく描写されている。

 この玉枝の恋も描き出される。相手は、彼女がまだ子どもであった時に、彼女の振る舞いの立派さに心を打たれたある藩の武士であった。彼もまた、物事の道理をわきまえ、心の大きな男であった。だが、料理屋の女将と藩士が結ばれることはない。二人は、契ることは決してなかったが、お互いの思いを寄せつつ、双方共に結婚話にも見向きもしなかった。しかし、藩士が国元に帰らなければならなくなり分かれてしまう。玉枝の恋はそういう忍びやかな悲恋であった。ずば抜けた器量の大きさをもつ才覚のある女性には、そうした悲恋が似合う、と作者は思っているのだろうし、またそれは男女を問わずそうかもしれない。しかし、それは理想的すぎる気がしないでもない。

 この物語でも、深川の富岡八幡宮の祭りが重要な背景として取り扱われ、書き出しもその祭りのことであり終わりも祭りのことで終わっているし、互いに助けあう深川の人情気質というのが理想的に描かれている。老舗料理屋の「江戸屋」の女将が代々にわたって富岡八幡宮の氏子総代であるという設定であるから、その祭りの関わり方で人間の器量の大きさを示すために描き出されるのだが、この祭りの描写は作者の他の作品でも度々登場し、時代や状況の設定も寛政の改革で打ち出された武家の借金棒引き策である「棄損令」を挟んだものであるのはおなじみのもので、いくつかの作品を読んでいると少し興ざめしないでもない。

 物語としては大変面白い。一気に読ませるものもある。ただ、人間を「器量」というもので計ろうとする傾向があることが、この作者の作品についていつも気になることの一つとしてある。それは、わたしが「器量なし」だからかも知れないが、人間をいたずらに美化してしまうことになるような気がするのである。作品の中の多くの登場人物が美化されている。いや、美化され過ぎすぎていると思えてしまう。人とは、五体に欲を内蔵し、もっと利にさといし、弱く脆いものではないだろうかと、ここでも思う。

2010年12月15日水曜日

米村圭伍『風流冷飯伝』

 よく晴れていたが気温が低く、黄昏時から雲が広がって冷え冷えとしてきた。明日からはまた寒さが一段と厳しくなるという予報が出ている。葉の落ちた木々の梢も震えている。

 だが、米村圭伍『風流冷飯伝』(1999年 新潮社)を、その軽妙で奇想天外な着想を楽しみつつ読んだ。本のカバーの裏に記された作者の略歴によれば、作者は1956年横須賀生まれで、1997年に『安政の遠足異聞』で菊池寛ドラマ賞佳作に入選され、1999年に本書で小説新潮長編新人賞を受賞して、本格的な作家活動を始められたようで、「圭伍」という作家名は佳作ばかり五回入選されたことによるらしい。

 この作者のことについては全く無知であったが、わたしがこの本を手に取ったのは、その題名の面白さに惹かれたからで、「冷飯伝」とあるから居場所のない武家の次男か三男の「冷や飯喰い」の境遇にあった誰かの生涯を描いたものかと思ったら、そうではなく、作者が創作したと思える四国の風見藩という小藩を舞台にした少し風変わりな「冷や飯喰いたち」を中心にした小説で、語り口も軽妙なら物語の展開も軽妙で、しかしながら時代や社会に対する風刺も洒落ている、いわゆる「気楽に楽しめる小説」だった。

 物語の中心になるのは、目立つ桜色の羽織を着込んだ吉原の幇間(たいこもち-宴の座を楽しく取り持つ者-)「一八」と、彼が風見藩で知り合った武家の次男の飛旗数馬で、幇間である一八と物事に拘泥せずにのんびりとして心優しい純粋な数馬の絶妙な掛け合いの中で物語が進んで行く。幇間が主人公なのだから、その語り口は洒落に富んでいるのだが、歴史的な知識や文学的な知識も洒落の中にきちんと収められている。

 ともあれ、一八は、幇間ではあるが、老中田沼意次から風見藩を探索するように命じられた隠密の手先として風見藩にやってきて、そこで「見る」ことが趣味だという風変わりでのんびりしている飛旗数馬と知り合うのである。そして、この数馬を通して、他の「冷や飯喰い(武家の次男や三男)」と知り合っていく。数馬の無欲ぶりも群を抜いているし、数馬の双子の兄や兄嫁も特色があるが、そこで知り合った「冷や飯喰い」たちは、皆、一風変わっている。

 お互いがもっている手製の将棋盤と駒を持ち寄って数馬の家で将棋を指している男たち、真っ黒になって毎日魚釣りばかりしている男、身体が大きいので身の置き所がないと思って、自分の物を整理し、ついには自分自身まで整理しようと考えている男、そういう武家の次男や三男が数馬の友人として日々を暇つぶしの穀潰しとして過ごしているのである。

 その風見藩自体に風変わりな慣習や規則がある。まず、城そのものが二層半という中途半端な天守閣をもち、開けた湊(港)の方ではなく南の山側を向いており、武家町も南にあって、通常なら武家が出入りする大手門はその武家町の方にあるのだが、風見藩では大手門は町人町の方に、搦手門(裏門)が武家町の方にあるという門が逆になった造りになっている。そして、男は城を左回りに、女は右回りに廻るように定められているという。つまり、武士はもし右隣に行こうと思うなら城を左回りに一周しなければならないのである。

 さらに、武家の長男は囲碁将棋が禁じられ、武士が対面を隠すために頬かむりなどをして顔を隠してはならない、などの武家の規則が設けられているのである。それらは風見藩の先々代の藩主が定めたものだという。

 その風変わりな風見藩で吉原の幇間を装いながら隠密の手先として一八が探索するのは、藩で一番将棋の強い者とその腕前の程度という、真に人をくった内容だが、それが実は、老中田沼意次が企む藩の取り潰し計画と関係しているという大事へと繋がっていく。

 藩主が帰国して、突然、藩の将棋所を作ると言い出す。将棋はそれまで禁じられていたので藩をあげての大騒動となる。その騒動で一八は、二年前に江戸で流行った流行歌に謎があることに気づき、城の改築を賭けた将軍家治との将棋の勝負が行われることを突きとめていく。田沼意次は、その勝負に勝っても負けても藩を取り潰す腹らしい。

 物語の後半では、展開が一気に進んで行くように構成されている。藩では、将軍との将棋の試合をする人物を選抜する試合が行われ、将棋道を極めようとした人物が慢心から敗れ、将棋とは縁のないと思われていた美貌の青年が勝利する。彼は藩内の武家の娘たちから道を歩くたびに黄色い声をかけられていた青年である。彼の家には難解な詰め将棋の問題である『将棋無双』があり、将棋の才能があった姉が青年に教えていたのである。青年は江戸に出て藩の代表として将軍家治との試合に出る。勝っても負けても藩が窮地に陥ると一八と数馬から知らされた青年は、勝ちも負けもしない「千手詰め」で試合に臨む。そして、事情を察した将軍家治が、「封じ手」をして試合を無期の延期とし、田沼意次の企みは頓挫する。

 一件が落着して、一八は江戸に帰ろうとするが、数馬から藩には秘密の文書があると聞かされ、その文書の探索を命じられて再び風見藩に戻っていくところで終わる。

 こうした物語の発想そのものが奇想天外で滑稽極まりないが、風見藩の姿について、「どうにかやりくりをしてゆくために皆がほんの少しずつ我慢する。それでこの藩はうまくのんびりゆったり成り立っているのでしょう。いえ、もしかしたら・・・ただ我慢しているだけではなく、遊び心で我慢を楽しんでいるのかも知れません」(253ページ)と記すあたり、なかなかどうして、無理難題を押しつける権力に対する庶民の抵抗の姿を描き出すものである。

 この作品は、面白いの一言に尽きるが、そこには人間味が溢れる面白さがある。読後の爽快感と期待感もある。こうした洒落た滑稽本は最近では珍しいと思う。

 今夕、中学生のSちゃんが来たので、数学の絶対値というものの考え方を話したりした。絶対値という考え方は、極めて西欧的な感覚から生まれてきた考え方だから、「絶対」なるものを想定してこなかった日本人の日常的な感覚で理解することが難しいだろうとは思う。中学生も、今は、本当に大変だ。Sちゃんはヴァイオリンの演奏もし、今度、発表会でモーツアルトのヴァイオリンソナタ5番を弾くといって、その練習もしている。いつか聴く機会もあるだろう。

2010年12月13日月曜日

宮部みゆき『本所深川ふしぎ草紙』

 冷たい凍るような絹雨が降る月曜日になった。山沿いは雪かも知れない。
 土曜日の夜と日曜日の午後にかけて宮部みゆき『本所深川ふしぎ草紙』(1991年 新人物往来社 1995年 新潮文庫)をしみじみと読んだ。

 これは、1992年の吉川英治文学新人賞の受賞作品で、連作の形を取った短編集でもあるが、彼女の感性の豊かさとそれを表現する表現力の絶妙さ、物語を構成する構成力と展開の巧みさがよく現れている作品だと思った。

 かつて、1999年に彼女が『理由』で直木賞を受賞した際に、井上ひさしが「驚くべき力業に何度でも最敬礼する」と讃辞を寄せたことがあるが、『本所深川ふしぎ草紙』は、「力業」というよりも作家としての情感溢れる資質の豊かさが開花している作品だと思う。

 江戸の深川に「本所七不思議」と呼ばれるような現象があった。両国橋の北の小さな堀留に生える芦(葦)の葉が、どうしたことか片側だけにしかないこと(片葉の芦)、夜道を独り歩きしていると、提灯が浮くようにして後をついてくること(送り提灯)、夕暮れ過ぎに本所の錦糸堀あたりを魚を抱えた釣り人が通りかかると、どこからともなく「置いてけ」と声が呼びかけられ、家に戻ると魚を入れていた魚籠が空っぽになっていること(置いてけ堀)、松浦豊後守の上屋敷の椎の木が、秋の落ち葉の季節になっても一枚の葉も落とさないこと(落ち葉なしの椎)、夜中にふと目を覚ますと、どこからともなくお囃子が聞こえてきて、翌朝調べてみてもどこにもそんなお囃子をしている所などないこと(馬鹿囃子)、ある屋敷で人が眠っていると、突然天上から大きな足が降りてきて、「洗え、洗え」と命令し、それをきれいに洗ってあげれば福が来るし、いい加減に洗うと災いが起こること(足洗い屋敷)、そして最後が、ある蕎麦屋の掛け行灯の火が、油も足さないのにいつも同じように燃えていて、消えたところを誰も見たことがないこと(消えずの行灯)の七つである。

 作者はこの「本所七不思議」の絵を錦糸町駅前の人形焼き屋の包み紙で見て着想したそうであるが、それを、「本当に深い意味で人を助けること」を行っていた父親とそれが理解できないでいた娘、その娘の気まぐれで食事を恵まれ、その娘に思いを寄せることで忍耐してきた男、自立できるように助けられた兄妹の思い、それらを「片葉」として描き出したり(「第一話 片葉の芦」)、自分のことを心底心配してくれた男の思いを誤解していた娘の心情として描き出したり(「第二話 送り提灯」)、一つのことを罪の意識で受け取る者と、それを自分への励ましとして受け取る者の姿として描き出したりする(「第三話 置いてけ堀」)。

 あるいはまた、第四話「落ち葉なしの椎」では、「七不思議」は、罪を犯して島送りになり帰ってきた父親と、幸せをつかもうとする娘の関係として心情豊かに描き出され、第五話「馬鹿囃子」では、「あんたのまずい顔が嫌いだ」と言われ女に捨てられて「顔切り魔」になった男と、婚約が整っていたのに相手の男が他の女を好きになり、「きれいとは思えない」と言われて捨てられ気を狂わせてしまった女の姿として描き出されている。

 貧しい家に生まれ、宿場で人の足を洗って成長してきた女が、汚い足を洗い続ける夢を見るたびに、貧乏が恐ろしくなり、金が欲しくなって、その美貌と色艶で商家の主を殺して財を奪う女になっていったという第六話「足洗い屋敷」、結婚するなら真面目で優しい働き者の男だと決めていた娘が、子を失って狂った妻のために「偽の子」になることを依頼されていく中で、夫婦の微妙な関係を知っていく第七話「消えずの行灯」も、どこかやるせなくて切ない人の心のひだとして描かれているのである。

 人間に対する視点や物語の展開も絶妙なものがあるが、本書でも、その表現の豊かさには脱帽するところが多々ある。

 まず、第一話「片葉の芦」の書き出しは、「近江屋藤兵衛が死んだ」というものであるが、何の情景描写もないこの独自の書き出しは、それによってここで描き出される物語に急激に引きづり込まれる力を持っている。A.カミユの『異邦人』の書き出しも「昨日、ママンが死んだ」という衝撃的な書き出しだが、それを彷彿させる。そして、最後は、
「『片葉の芦』
 お園がぽつりとつぶやいた。
 『不思議ねぇ。どうしてかしら』
 二人のうちの一人の心にしか残されていなかった思い出を表すように、片側だけに葉をつける-
 『わからねぇからいいのかもしれねぇよ』
 彦次はそう言いながら、ひょいと手を伸ばし、芦の葉を一本、ぽつりと折った」(文庫版 46ページ)
で終わる。折られた芦の葉のように余韻が残る終わり方であり、「片葉の思い」を持ち続けた男女二人の行く末を想像させて終わるのである。

  第二話「送り提灯」では、その初めの部分で、八歳で煙草問屋に奉公に出なければならなかった「おりん」が、飯炊きをする場面が描かれ、「おりんは毎朝、小さな胸が破れそうなほどに火吹き竹をふかなくてはならない」(文庫版 49ページ)と記されて、この少女が懸命に働き続けたことがこの一文だけで伝わってくる。この「おりん」が、煙草問屋のお嬢さんの言いつけで夜中に回向院まで行かなければならなくなり、暗闇の中を歩き出す姿が、「勝手口を出ると、木枯らしが吹きつけてきた。夜の木枯らしには歯があった。おりんは身体を縮めた。左手に下げた提灯の火の色も縮まった。・・・町並みを包んでいる闇は、手を触れれば重く感じられそうなほどに濃い。味わえば、きっと苦いに違いない」と描き出される。こういう感性と言葉の使い方には舌を巻く。

 こうした豊かな表現が至るところにあって、それが主人公の心情や状況を見事に反映しているから、物語が豊かになっている。

 宮部みゆきは卓越したストーリーテラーとして高い評価を得ているが、表現力も卓越していると思う。なお、この短編集には物語の引き回し役として「回向院の親分」と呼ばれる岡っ引きの「茂七」がどの話にも共通して登場しているが、茂七の事件の裁き方も思いやりの深いものとなっている。この人情溢れる「茂七」を中心にした『初ものがたり』も先に読んでいたとおりである。