2011年10月31日月曜日

葉室麟『秋月記』(1)

 穏やかに温かく晴れた日になった。「小春日和」と呼んでもいいかもしれない。風も爽やかで、これで車の騒音さえなければ、ふにゃりと身を置くのにちょうどいい気配がかもしだされている。

 このところいくつかのことが重なって、いくぶん疲れを覚えて気分も低下していたが、そういう気分の低下とは無関係に、季節が秋を深め、銀杏が色づいて、静かな日々が流れている。わたしよりも若干若い友人のT牧師が、残されている時間が少ないので、今のうちに会いたい人に会うという便りを送ってくれた。わたしも、家系的に早死にの家系で、残されている時間は本当に少ないと思いながらも、しばらくは忍耐の日々を過ごそうかと思ったりする。老兵はただ静かに朽ちていくだけでいい。

 閑話休題。葉室麟『秋月記』(2009年 角川書店)を、感動をもって読んだ。葉室麟は極めて優れた硬派の作家だとつくづく思う。厳密に考証された歴史の中に主人公を置き、歴史的人物と縦横に関わらせながら、人の生き様を描き出す。彼が描く人間の姿は、まさに「生き様」であって、単純な「生きた姿」ではない。ある意味で、人間としての矜持や筋を通すことで抱え込む苦悩の中でも、「流されていかない姿」なのである。

 『秋月記』は、筑前福岡の分藩であった秋月藩を舞台にして、やがては状況の変化によって批判され、糾弾されていくひとりの矜持をもった武士の姿を描いたものである。この作品の舞台となった筑前の秋月は、本当に穏やかで静かな山間の一地方である。本書の最後で、流罪となる主人公が「その静謐さこそ、われらが多年、力を尽くして作り上げたもの。されば、それがしにとっては誇りでござる」(287ぺーじ)と語る言葉があるが、何度か訪れて、今も残る館の石垣に沿って桜並木を歩くと、質素でありながらも懸命に生きた人々の「高い精神性をもった静謐さ」をつぶさに感じることができるような雰囲気が漂っていた。

 秋月は、1203年に鎌倉幕府二代目将軍の源頼家から原田種雄(たねかつ)が秋月荘を拝領し、古処山に山城を築いて秋月姓を名乗るところから歴史に登場しはじめている。秋月氏時代は長く続いたが、1587年に豊臣秀吉が大軍を送って九州を制圧したとき、秋月家は、薩摩の島津家との盟約を重んじて抗戦し、破れて、日向に移封されてしまう。その後、関ヶ原の闘いの後で、徳川家康から黒田長政が筑前福岡52万石を拝領し、長政は叔父の直之を秋月に配置した。黒田直之は黒田孝高(黒田官兵衛・如水)やどの長男の黒田長政同様、熱心な切支丹だったともいわれ、このころはキリスト教信仰が盛んだったともいわれる。しかし、徳川幕府の禁教令で秋月の切支丹は廃れていったと思われる。黒田長政の長男黒田忠之が長政の後を継いで福岡藩主となったとき、長政の遺言で、三男の長興(ながおき)に秋月5万石を分知し、1626年に長興が将軍拝謁を賜って福岡藩の分家としての秋月藩が誕生した。祖父も父もキリシタン大名であったが、1637年の島原の乱では長興は幕府命によって出陣している。

 長興以後、12代にわたって世襲となり明治維新を迎えることになるが、藩の趨勢は勤王、佐幕のどちらともつかない状態で、そのために維新後には明治政府の政策に強い不満を持った秋月藩士たち250名余りが挙兵をして秋月の乱を起こしたのである。明治政府は挙兵した秋月藩士を鎮圧し、その後多くの藩士たちは秋月を離れ、秋月城下で賑わっていた商人たちも店をたたみ、過疎化が進んで今日に至っている。今では300軒余りの戸数を数えるだけになっている。
 
 この秋月の歴史の中で、八代目の藩主であった黒田長舒(ながのぶ 1765-1807年)が特に中興の祖として知られ、産業を保護し、学問文化を高め、この時代に、儒学者の原古処や日本で最初に種痘を行った医師の緒方春朔(しゅんさく 1748-1810年)、円山応挙らに学んだ絵師の斎藤秋圃(しゅうほ  1769-1861年)らの傑出した人物が登場している。原古処の娘で女流漢詩人として傑出した才能を発揮した原猷(はら みち 原采蘋)もこの時代の秋月の人である。また、長崎の眼鏡橋と同じような秋月眼鏡橋の設置も黒田長舒の発案だったといわれる。黒田長舒は、7代目藩主の黒田長堅(ながかた)に嗣子がなかったために、母方の血筋であった日向の秋月家から養子に入った人で、秀吉から日向に移封された秋月家から約200年後に秋月家が秋月に戻って来たことになる。

 黒田長舒の死後、次男の黒田長韶(ながつぐ 1808-1830 年)が後を継いで秋月藩主になるが、家臣団を統率する力はなく、家老の間小四郎らに専権を振るわれたと言われ、宗藩であった福岡藩の監督を強く受けた。

 葉室麟『秋月記』は、ちょうどこの頃の秋月藩を取り扱い、専権を振るったと言われる間小四郎(余楽斎)を主人公にした物語で、間小四郎が傲慢に専権を振るって私欲を量ったのではなく、藩のために自らを捨て、武士、あるいは人間としての矜持を強くもった人物であることを描き出すものである。

 間小四郎は、秋月藩上士吉田勝知の次男として生まれ、父親の勝知は、馬廻役200石の剛胆で精悍な人物であったが、無類の臆病者であったエピソードがいくつか語られる。大きな犬に吠えられて脅え、泣き叫ぶ妹を助けることができずに立ち尽くしてしまい、それが原因で妹が発熱して、緒方春朔(しゅんさく)が考案した種痘を受けることができずに死んでしまったことで自責の念に駆られ、また、賊が押し入ったときも震えて人質となり、小便をもらしてしまったことなどが語られ、彼が、自分の臆病心を何とか克服して「決して逃げない男になろう」と決心する経過が語られるのである。

 そして、十歳のころから藩の稽古館(武道の鍛錬と学問の場として七代目藩主の黒田長堅(ながかた)が創設し、長舒(ながのぶ)の時代に盛んになる)で懸命に武道と学問に励んでいくのである。初めのうちは先輩諸氏からひどい目にあい苛められていくが、やがて鍛錬に鍛練を積んで頭角を現していくのである。その稽古館で、伊藤惣兵衛、手塚安太夫らと友情を結び、元服して、青春を謳歌し、吉田家と同じ馬廻役の間家に夫婦養子となるのである。間家には子がなく、遠縁に当たる書院番80石の井上武左衛門の娘「もよ」と夫婦となって養子に入るというものであった。「もよ」は評判の美女であったが、小四郎は江戸遊学が決まり養子縁組は二年間延期されることになる。その延期で先のことはわからなくなるのである。

 だが、「もよ」は、当時としては大変な勇気が必要だっただろうが、江戸出立前の小四郎を訪ね、「江戸からのお帰り、お待ちしております」と告げる(28ページ)。「もよ」14歳である。

 江戸で、小四郎は神道無念流の道場に通い、そこで伊賀同心だった柔術の達人である海賀藤蔵と出会い、親交を結んでいくことになるが、秋月藩の情勢は、家老の宮崎織部と渡辺帯刀の専横ぶりが取り沙汰されるようになっていた。小四郎の江戸遊学は、国元への急使をたてる必要が生じて早めに切り上げられ、小四郎は秋月に帰る。急使は、財政難にも拘わらず、長崎の眼鏡橋と同じようなオランダ風の石橋である眼鏡橋建設に絡んだものだった。家老の宮崎織部が推進し、藩主の長舒(ながのぶ)の裁可が下ったのである。

 その時、一緒に江戸に遊学した坂田第蔵(さかた だいぞう)から依頼された坂田の妻「とせ」に宛てた手紙を届けるが、「とよ」は不義密通の噂があった。「とよ」の相手は、家老の宮崎織部のお気に入りの姫野三弥という男で、本藩の福岡藩から移ってきた人物だった。坂田の妻「とよ」は、やがて、姫野から捨てられて男狂いとなり、家の若党と出奔して、博多の遊女に売られて遊女となるが、この姫野三弥という男が、実は、陰謀を働く手練れのくせ者だったのである。姫野三弥は、小四郎に稽古館で武術を教えてくれた藤田伝助の一人娘「千紗」にも手を出し、「千紗」は姫野に捨てられて自害していたのである。

 そういう中で、小四郎は「もよ」との婚儀を果たして間家の養子となり、まだ無役ではあったが、家老の宮崎織部から依頼されて、緒方春朔(しゅんさく)の種痘のための天然痘患者から採取した落痂(瘡蓋など)を取りに福岡の医師香江良介と共に福岡に行くことを命じられる。福岡藩と秋月藩は軋轢を抱え、福岡藩が何とかして秋月藩を取り込もうと画策していることがあり、福岡藩が秋月藩の有名な医師である緒方春朔(しゅんさく)の名声を阻止しようとするかもしれなかったからである。小四郎は既に種痘を受けており、天然痘にかかる心配はないし、腕も立つ。黒崎の藩の蔵屋敷に勤めていた坂田第蔵と共に働くように命じられる。

 坂田第蔵は黒崎から福岡に来て、遊女となった妻の「とよ」に会おうとするが、「とよ」は四十過ぎの職人と心中しており、坂田の姫野への恨みは深いものとなっていた。

 福岡で種痘のための落痂を入手し、既に福岡にいた武術の師範の藤田伝助と会い、帰路についたとき、彼らは何者かに襲われ、藤田伝助は鉄砲で撃たれて死ぬ。実は、ここにも福岡藩の意向を受けた姫野三弥が働いていたのだが、まだ、そのことは明らかにされない。福岡藩と秋月藩の確執が激しくなり、軋轢が強くなっていくのである。「伏影」と呼ばれる福岡藩の隠密の暗躍が暗示される。

 他方、秋月眼鏡橋と呼ばれることになる石橋の建設が進み、そうしているうちに江戸で親交を結んでいた柔術の達人である海賀藤蔵が訪ねて来て、柔術師範として召し抱えられることになったりするが、家老の渡辺帯刀が大阪で馴染みになった芸妓の「七與(ななよ)」を、大金を使ってひかせて秋月に連れ帰り別邸を与えたことが起こったりする。「七與」には惚れた男がいたが、渡辺帯刀は「七與」を自分のものにするために、中間に殺させており、その中間が罪の重さに絶えかねて自殺するのである。渡辺帯刀が自分の罪を隠すために密かに中間を殺したのではないかとの噂が立つ。

 間小四郎は、石橋建設の見学にいったおりに長崎から出てきていた石工の吉次と知り合うが、この吉次に惚れていた村娘の「いと」を家老の宮崎織部が姫野三弥の甘言で召し抱えようとする出来事が起こる。そして、石橋が完成するが、崩れ落ちてしまい、石工の吉次はその責任を問われる。石橋建設を命じた藩主の黒田長舒(ながのぶ)が死去し、その子の長韶(ながつぐ)が後を継ぎ、そのことで石工たちは赦免されるが、家老の宮崎織部が石工たちの赦免の代わりに「いと」を女中奉公に出させて妾にしたという噂が飛び交うようになる。

 こうした中で、次第に家老の宮崎織部と渡辺帯刀に対する糾弾の声が高まり、藩の財政の逼迫と渡辺帯刀が藩金を使って私腹を肥やそうとしたことなどが明らかになり、石橋完成の折に「いと」を返してくれと直訴した吉次が警護の姫野三弥に斬り殺される事件が起こったりして、ついに、間小四郎らの若手が、小四郎を中心にして藩政改革を訴えるようになっていく。間小四郎は、福岡藩から来ていた姫野三弥の陰謀とも知らずに、彼の嘘で固めた策略にのり、親藩である福岡藩の力を借りて、ついに宮崎織部と渡辺帯刀の罷免に立ち上がっていくのである。

 こうして、通称「織部くずれ」といわれる家老の罷免と流罪という藩政の大変革が起こったのである。福岡藩の中老であった村上大膳は、福岡に滞在していた藩主の長韶(ながつぐ)に問いただし、大目付を送り、家老の宮崎織部らに厳罰を科したのである。間小四郎らは、その功績で、それぞれが藩の重職に就くことになったが、藩政は福岡藩の監督の下に行われるようになってしまう。

 間小四郎の意図とは異なり、秋月藩は全く福岡藩の指導の下に置かれ、稽古館の教授であった原古処は解任され、稽古館は閉鎖された。そして、それまで自主独立の気運を高めていた荻生徂徠(おぎゅうそらい)の系統の徂徠学ではなく、幕府が勧める朱子学を行うように命じられたりする。間小四郎は、自分がしたことがよかったのかどうか悩むのである。

 少し長くなりすぎたので、続きは次回にする。物語の経過を長く書いたのは、作品性を語る以上に、作品が示そうとする事件の顛末の中での主人公の苦悩と矜持を明確にしたいと思うからである。

2011年10月29日土曜日

浅田次郎『輪違屋糸里』

 今日も穏やかに晴れている。穏やかな秋の日々というものは、特別に何もなくてもいいものである。現代は、人が穏やかに暮らすことから遠くなった気がしないでもないが、「つつましやかさ」の美徳が失われて、高い精神性も失われ、穏やかさと静けさが失われたような気もする。

 ふと、武家の精進ということを思い起こした。子どもの頃から剣術道場に通い身体を鍛錬し、学問に勤しみ、素読をし、本がなかったのですべてを書き写し、そうすることで一つ一つを身につけ、礼儀と言葉使いに注意を払い、人間としての器を広げていく、そういう精進のことで、実際には多くは出世主義の中に置かれただろうけれども、幕政や藩政の争いとは関わりがなく、生涯をそういう精進の中で過ごした人もいただろう。ひとつひとつの思想性は別にしても、「凛」という言葉や「矜持」という言葉は、そういう人が身につけることができたものかも知れない、と思ったのである。

 そうした「凛」とか「矜持」とかとは無縁であったと思われる幕末の新撰組の中に、浅田次郎は、人から守銭奴とか出稼ぎ浪人とかいわれた吉村貫一郎(実像は不明なところが多く、浅田次郎は子母澤貫の創作に基づいたといわれる)に「凛」や「矜持」が一貫して流れている姿を『壬生義士伝』の中で描き出した。

 その浅田次郎が同じように新撰組を題材にした『輪違屋糸里 上下』(2004年 文藝春秋社)を感慨深く読んだ。「輪違屋」とは、京都の遊郭町であった島原の遊郭で、「糸里」はそこの太夫(花魁)である。「糸里」は、小浜(現:福井県小浜市)の浜の産屋で産み落とされ、母親が産後の肥立ちが悪くて死んでしまい、孤児となり、養父母に育てられていたが、6歳で島原の遊郭「輪違屋」に売られ、そこで育った女性である。

 物語は、その「糸里」の出生から始まるが、「輪違屋」で「糸里」に目をかけて可愛がってくれた太夫(花魁)の音羽太夫が、上洛してきた壬生浪士隊(新撰組)の芹沢鴨に斬り殺されるのである。音羽は島原の太夫としての矜持を貫き、傲慢無礼な芹沢鴨が無礼打ちとして彼女を斬り殺したのである。音羽は臨終の時に「恨むのやない。だあれも恨むのやない。ご恩だけ、胸に刻め。ええな、わいと約束しいや」と「糸里」に言い残す(34ページ)。

 そこから芹沢鴨の人物像が描き出されるのであるが、特に芹沢鴨が強引に犯して、やがて愛妾となり、やがて芹沢鴨と同衾しているところを土方歳三らに殺された太物問屋(呉服商)の女房のお梅を中心にして描き出す。お梅は、京都の西陣に生まれ、島原のお茶屋にいたところを太物問屋の菱屋太兵衛に引かされて妻(一説では妾)になったとされるが、22~23歳くらいの美女で、借金の掛け取りにいったところを芹沢鴨に犯され、後には自ら進んで芹沢のもとに通っていたといわれる。本書では、江戸の幕連女(すれっからし)で、菱屋太兵衛と出会、京都に来て太兵衛の女房を追い出し、傾きかけた菱屋の立て直しのために奔走していた女性として描かれている。そのために菱屋の中では孤立し、夫からも裏切られ、美貌と才能があるだけに孤独になって、周囲と闘いながら生きていくところが、同じように孤独の影をもつ芹沢鴨に惹かれていく姿になっている。

 芹沢鴨は、常陸芹沢村(現:茨城県行方市芹沢)の郷士で、水戸藩上席郷士の芹沢家の三男として生まれ、後に水戸天狗党(攘夷を主張して横浜での外国人殺害を計画していた)に入り、神道無念流の免許皆伝者で、やがて清河八郎が提唱した浪士組に入って京都に来て、清河八郎と別れて京都近藤勇らとに残って壬生浪士組を結成したのである。攘夷思想に凝り固まった傲慢で凶暴なところがあり、鉄扇を愛用して傍若無人に振る舞った。

 だが、本書では、それらの傍若無人な振る舞いには、会津藩が絡んだ朝廷と幕府を巡る長州に対する裏工作があり、酒を飲んで暴れる芹沢鴨と、しらふの時の草花を愛でるような孤独な優しさをもつ芹沢鴨の両面が描かれて、生き難い世の中で肩肘を張って生きなければならない人間の姿として語られていく。

 もちろん、新撰組を題材としているのであるから、新撰組が結成される経緯やそれぞれの人物たちの姿が特徴的に描かれ、近藤勇や土方歳三をはじめ、沖田総司など名が残っているそれぞれの隊士の姿が詳細に描かれていくが、それらが、彼らが屯所とした壬生の八木家や前川家の人々を通して描き出されるのである。これらの新撰組の隊士たちの中で、土方歳三だけは、冷酷な策略家として描き出されている。

 そして、対立した芹沢鴨の一派と近藤勇の一派の闘いが、、武士と百姓の下克上の闘いでもあったという視点で、新見錦を切腹に追い込み、芹沢鴨を斬殺したのは、百姓出身の近藤勇や土方歳三らが抑圧してきた傲慢な武士階級に対する反逆の出来事でもあるという展開がされていく。

 こういう中で、土方歳三に密かな想いを抱いていた「輪違屋」の「糸里」は、その土方歳三の策略で芹沢鴨の家臣としてついてきていた平間重助と寝るように言われ、さらには芹沢鴨暗殺のために睡眠薬を仕掛けるように依頼されるのである。「糸里」の心境は複雑で、芹沢鴨に殺された音羽太夫の恨みもあるし、同僚で、やはり芹沢派のひとりであった平山五郎に惚れてその子を身ごもっていた桔梗屋の吉栄を助けるためもあり、土方歳三の依頼を受けてしまう。

 物語の頂点は、いうまでもなく土方歳三、沖田総司らが芹沢鴨や平山五郎を斬殺した夜で、その夜、夫に裏切られたことを知ったお梅も夫を殺し、芹沢鴨のところに来ているという設定で、「糸里」は、すべてを承知の上で眠り薬を仕込み、平間重助と同衾して襲撃の手引きをして待つ。そして、雨が降りしきる中で芹沢鴨がお梅と共に斬殺されるのである。

 実際は、糸里と吉栄はその場から逃れて行くへがわからなくなったのだが、本書では、その後、「糸里」は、女の矜持をもって、凛として会津藩主と会い、身ごもっていた吉栄が子を産めるように手配を依頼し、自分は島原の太夫としての生涯を送っていくということになっている。

 そして、吉栄は「糸里」が生まれた小浜で無事に子を産み、自分を助けてくれた「糸里」の名前をもらって、生まれた子に「いと」と名づけ、小浜で生きていくというところで終わる。

 権謀術策と暴力、欲が渦巻いてほとんど無政府状態となっていた幕末の京都で、それぞれに身勝手な振る舞いをした男たちに京都の女たちも翻弄されたが、これは、その翻弄された女たちの中で、矜持をもって生き抜こうとした女性と、時代に翻弄されていく男たちの哀れを描いた「哀しみの物語」であり、結末の爽やかさが救いとなる物語である。

 新撰組の経緯についての永倉新八に長饒舌をさせるところや沖田総司の長い独白などは、わたしのような読者にとっては若干興ざめするところがあるのだが、新撰組を武家と百姓として描き、「糸里」の姿で、女の生き方を描き出す展開は見事という他はない。「糸里」や吉栄の姿は感涙を禁じ得ず、深い感動をもって読み終わった。

2011年10月27日木曜日

宇江佐真理『夕映え』

 昨日まで晩秋の気配が漂いはじめた仙台にいた。こちらに帰宅しても木枯らし1号が吹いて、急な寒さに思わず身震いしたが、今日は爽やかな秋空が広がっている。季節はこうして巡っていくのだろうなと、思いながら、また、山積みしている仕事を横に見て、ゆっくり時を過ごそうと考えたりしている。

 往復の新幹線やホテルで、いくつかの感動的な小説を読んだが、宇江佐真理『夕映え』(2007年 角川春樹事務所)もそのひとつだった。巻末の書註によれば、これは2005年12月から2007年5月にかけて連載された新聞小説をまとめたもので、激動していく幕末の動乱から明治の初めにかけての江戸庶民の姿を、作者らしい温かい筆致で描き出したものである。

 社会と歴史の表舞台で活躍した人物に焦点を当てる歴史時代小説はたくさんあり、特に幕末期に生きた人物が傑出した人物であると描かれることは多いが、歴史の表舞台にはならなかった江戸で、しかも歴史と社会に翻弄されながら生きる小さな一膳飯屋の夫婦とその家族の姿を、彼らが営む一膳飯屋を舞台にして描き出すところに、作者の凛とした姿勢があり、拍手喝采を贈りたいような作品だった。

 蝦夷松前藩の栂野尾右衛門(とがのお こうえもん)は、商人とつるんで私腹を肥やしていた家老のことを藩主に告げるために江戸に出てきたが、家老の先手によって謀反者の汚名を着せられ、脱藩者とされ、意気消沈して、通っていた一膳飯屋「福助」の出戻り娘と結婚し、侍を捨てて名を弘蔵と改め、一男一女をもうけて、奉行所の同心から手札をもらって岡っ引きをしている。

 弘蔵の妻で、一膳飯屋の「福助」を切り盛りしている「おあき」は、一度、深川の船宿に嫁いだが、引き出しから一両の金がなくなる事件で、よく仕えていた姑や小姑に盗っ人呼ばわりされ、その金が仏壇の後ろから出てきた時も、「昨日、今日嫁に来たお前が生意気な口を利くんじゃない」と言われ、夫も「ここは堪えてくれ」と言うだけだったことから、婚家を飛び出し、両親が営んでいた一膳飯屋の福助に出戻っていたのである。「二度と嫁になど行くものか」と思っていたが、福助に通っていた弘蔵に惚れられ、両親も弘蔵の真正直なところが気に入って、弘蔵が福助に転がり込む形で夫婦になったのである。

 二人に間に出来た長男の良介は、13歳の時から商家に奉公に出たりしたが、尻が落ち着かずに、あちらこちらを転々としながら、ときおり金を無心に帰って来ていた。娘の「おてい」は、母親を手伝って一膳飯屋で働いている。

 「福助」には、近所の者や仕事を終えた職人たちが集まって酒を飲みながら世間話に興じているが、激動していく社会の流れと歴史が、その「福助」での世間話として物語られていく。嘉永6年(1853年)のペリーの来航(黒船騒動)から安政の大地震(安政2年-1855年)、安政7年(1860年)の桜田門外の変から尊皇攘夷の気運の高まり、討幕運動、そうした時代の変遷が「福助」での庶民の世間話として織り込まれていくのである。

 考えてみるまでもなく、出来事の詳細を知ることのなかった江戸の庶民にとって、困窮してきた生活の実感と瓦版、あるいは一膳飯屋などでの世間話が情報源であったに違いなく、世相の動きに無関心ではいられなくなっていたのだから、話題はいつもそうした世の中の流れに対する不安だっただろう。彼らは彼らなりに社会について論じざるを得ないし、そうした会話の展開で時代背景が織りなされていくというのは、庶民の立場に立った当然の光景だっただろう。この作品は、そういう構成を取っていることで、いわば、庶民の幕末史にもなっている。

 しかし、人々にとっては時代と社会の流れに翻弄されながらも、個人の日々の営みもあり、歴史もある。弘蔵と「おあき」の娘「おてい」は、青物問屋の息子に惚れているが、息子には親が決めた許嫁があった。両親が死んでひとりぼっちになった娘を友人の青物問屋の主が引き取って育て、やがて息子の嫁にするつもりだという。だが、青物問屋の息子は、その娘の気持ちも考えずに、「おてい」と所帯を持ちたいと言い出す。弘蔵も「おあき」も、そんな青物問屋の息子が気に入らず、「おてい」も「人を悲しませたくない」といって諦める。弘蔵と「おあき」の家族は、そんなふうに人の「情」を大事にする家族なのである。

 だが、青物問屋の息子の許嫁は祝言が間近に迫って入水自殺してしまう。様々な思惑が「おてい」を苦しめるが、後で、許嫁が妻子ある店の番頭に惚れてその子どもを身ごもっていたことがわかり、青物問屋は改めて「おてい」に結婚を申し込むのである。そして、見切りをつけていたとはいえ、どうしても息子に惚れていた「おてい」は、その息子と所帯を持つことになるのである。

 他方、長男の良介は、浮き草のような生活をしながらも脳天気な性格で、伊勢への抜け参りに行ったりして親に心配をかけどうしだ。だが、弘蔵と「おあき」はそんな息子を大切に思っている。江戸では、薩摩藩士による横暴が繰り返されたりして、尊皇攘夷の名を借りた強盗や押し込みが続き、状勢はますます不安になっていく。やがて、大政奉還(1967年)が起こり、江戸幕府が崩壊し、1986年の正月に鳥羽伏見の闘いが起こり、徳川慶喜が江戸に逃げ帰り、春に江戸城の明け渡しが行われ、江戸は騒然とした空気に包まれていく。そんな中で、息子の良介は、自分は侍の子であるということで、彰義隊に入る。そして、上野戦争で敗北し、親友の首をもって逃げ帰ってくる。

 弘蔵と「おあき」は親として気が気ではない。「福助」にも、敗残兵狩りで薩摩藩士が襲ってきたりする。良介は弘蔵の配慮で松前に逃げることにするが、良介が惚れていた娘が薩摩藩士に手籠めにされたことで、薩長連合と闘うことを決心し、榎本武揚の軍艦に下働きとして乗り込み、函館に向かう。松前藩は弘蔵の故郷でもあった。だが、祖父母を訪ねようとしたときに、松前藩士に襲われて殺されてしまう。弘蔵と「おあき」は、嘆きと悲しみのどん底に陥れられる。

 時代は明治となり、江戸は東京となって、版籍奉還が行われたりして目まぐるしく変わっていく。世相は一段と変わっていく。だが、暮らしは変わらず、娘の「おてい」にも子どもができたりする。そんな中で松前の弘蔵の父が危篤であるという知らせが届き、良介の墓参もかねて弘蔵と「おあき」の夫婦は松前まで行くことにする。

 松前で、弘蔵の父親や家の者から、「おあき」が一膳飯屋をしていることでなじられたり、弘蔵に松前での役職の話なども起こったりするが、二人は夫婦として江戸で変わらずに暮らしていくことの決心を改めてしていくのである。やがて、孫も大きくなり、弘蔵は奉行所の勧めもあって、1971年(明治4年)に警察制度が出来たときに邏卒(らそつ-巡査)になるが、勤めの最中に倒れ引退し、二人は、相変わらず「福助」に来る客と世相に一喜一憂しながら過ごしていく日々を送るのである。

 時代と社会に翻弄されながらも、ささやかな日々の暮らしの中で生命を静かに全うしていく姿が松前の夕映えの景色のように描かれ、情感のあふれる作品だとつくづく思う。この中で、主人公のひとりである「おあき」が、おでんの種を銅壺にたしながら、「何があっても自分はこうして毎日毎日、商売の仕込みをして、時分になれば暖簾を出して店を開けるだろう。子どものため、亭主のために飯の仕度をし、洗濯や掃除をするだろ。その他に自分ができることはない。世の中の流れに身を置くしかないのだ。落ち着いた世の中にして欲しいと誰に訴えたらよいのだろう」(94ページ)と思う言葉があるが、それがこの作品の神髄で、そういう人間の姿を描き出すことは極めて大きな意味がある。翻弄されるが、したたかに、しかも愛情を持って温かく生きる、これまで宇江佐真理が描いてきたそういう人間の姿がこの作品には、たくさん盛り込まれているのである。

 個人的に、歴史や物事を考えるときに、わたしはこういう視点は欠いてはいけないと思っている。幕末史がこういう日常の形で描き出されたとことには、極めて大きな意味がある。しかも、情のある小説として人間が描き出されるのだから、この作品には拍手を贈りたい。

2011年10月24日月曜日

坂岡真『影聞き浮世雲 ひとり長兵衛』

 ひと雨ごとに秋が深まっていく。このところあまりぱっとしない天気が続いているが、今日も曇ったり晴れたりの空模様となっている。やがて季節は晩秋を迎えようとして、樹々が葉を落としはじめている。今頃の季節、葉を落とした大きな欅の枝が空に向かって枝先を伸ばしている姿が好きで、枝越しによく空を眺めていたことを思い起こしたりする。

 昨日の午後から夜にかけて、坂岡真『影聞き浮世雲 ひとり長兵衛』(2008年 徳間文庫)を面白く読んでいた。これもシリーズの書き下ろし作品で、巻末の「坂岡真 著作リスト」によれば、前作として『影聞き浮世雲 月踊り』が2008年3月に徳間文庫から出されている。前作はまだ読んでいない。

 表題の「影聞き」というのは、作者によれば、依頼を受けて女房の浮気の証拠を掴んだり、人の嫌がることを探り出したりしていく商売のことで、今でいえば興信所のような仕事のことであり、作品の中で直接この仕事をするのは、「どぶ鼠」と渾名されるような見かけも貧相な伝次という男である。しかし、物語の中心人物は、この伝次が出入りし、頼りにしている町飛脚問屋の「兎屋」の主で、一風変わった浮世之助と名乗る人物である。

 浮世之助は三十歳を少しばかり過ぎているが、店を長年勤めてきて信頼できる長兵衛に任せて、若隠居を企み、奇抜な格好をしながら遊んでばかりいて、ふわふわして「腑抜け野郎」と思われているが、どうしてどうして、剣の腕はぬきんでており、鋭い明察力をもち、受容力のある懐の大きな男である。

 本書は、この浮世之助の大きさが余すところなく描かれていくのだが、読みながら、昔、秋山ジョージが描いた『はぐれ雲』という漫画の魅力的な主人公を思い起こしたりした。『はぐれ雲』の主人公も、女物の着物をだらりと着て、雲のようにふわふわしながらも、明晰力の鋭さと人格の大きさをもった人物で、本書の浮世之助は、その『はぐれ雲』の主人公の再来のようなものである。こういう人物は、やはり特別の魅力がある。作者は、たぶん、秋山ジョージの『はぐれ雲』を愛読したのではないかと思う。

 浮世之助の十九歳になる若女房の「おちよ」は、師走の寒空の下で子犬のように震えているところを浮世之助に助けられ、そのまま居着いて、いつの間にか女房になったのだが、自分よりも若い男を追いかけては家出をしてはふられ、何日か経って、しょぼくれてまた帰ってくるということを繰り返している。浮世之助はこれを受け入れて、月々の手当を出して別に住まわせている。「おちよ」は心底浮世之助に惚れているが、ちゃきちゃきした元気者で、男好きでもある。

 本書で取り扱われるのは、「第一話 狂い咲き」、「第二話 乱れ髪女生首」、「第三話 ひとり長兵衛」、「第四話 老剣士」の四話であるが、いずれも浮世之助の懐の深さと活躍が光っている作品になっている。

 「第一話 狂い咲き」は、養子に入った男が邪魔になった女房のもつ家作の権利を奪い取ろうと画策し、女房が浮気をするように仕掛け、その浮気の調査を「影聞き」の伝次に依頼するところから始まる。話の筋は単純で、足袋屋の女房は、亭主が仕掛けたことだとも知らず、間男を作り、それを種に間男から強請られ、家作の権利まで奪われようとするのである。間男は亭主から依頼されて女房が浮気をするように仕向けたのである。そして、そこには、ただ養子に入った男だけではなく、さらにそれを操る同じ足袋問屋仲間の主がいて、凄腕の用心棒も雇われている。だが、浮世之助らは事の真相を見抜き、彼らの悪巧みを暴いて、騙された女房を助けていくのである。

 この話の落ちが、間男が改心の心を見せて、騙された女房と再び一緒になっていくという話で、男と女の不可思議さであるというのが、なかなか味のあるものとなっている。

 「第二話 乱れ髪女生首」は、旗本の異常な色欲が絡んだ犯罪を扱ったものである。「影聞き」の伝次は、浮世之助がもつ隠居所に集う仲間である浮世絵などの版元から、興奮すると肌に桜色が浮かび出るという透かし彫りをされた女を描いた枕絵に描かれている女を実際に捜してくれと依頼を受け、堀に浮かんだ女の首なし死体を見に行き、そこで怪しげな侍を見かけてつけてみると、それが腰物奉行を勤める大身の旗本の家来であることがわかっていく。首なし死体は、その旗本家に出入りする商家の女房だという。商家の女房は元島原の太夫で、肌に透かし彫りをもつといわれ、好色な旗本が商家に差し出すように命じたのである。だが、商家は、一計を案じて身代わりを作り、これを殺して女房に見立てたのである。

 旗本はそれを知り、商家の主を殺し、その女房も見つけ出して、彫り師と共に慰み者にして殺してしまう。そのことを知った浮世之助が、旗本を捕らえ、花火と共に打ち上げて、旗本の行状を世間に曝すのである。淫靡で陰湿な経過の後で爽快な結末を迎えていくことになる。

 「第三話 ひとり長兵衛」は、浮世之助が営む飛脚問屋の帳場を預かる老いた長兵衛の話で、孤独に暮らす長兵衛が路上で倒れ、それを助けた娘が絡んだ詐欺事件に巻き込まれるのである。病が癒えてお礼に訪ねたところ、娘は病身の父親と貧しい暮らしをしていて、借金のかたに売られるという。長兵衛はこつこつと貯めた金を渡して娘を助けようとする。そして、ある夜、その娘が訪ねて来て、もってきた団子を食べて長兵衛は眠らせられる。その隙に、娘の父親を名乗った男たちが飛脚問屋に押し込み、蔵にあった大金を盗んでいくのである。完全に騙されて店の大金を盗まれた長兵衛は、責任を取って死のうとする。

 だが、事柄を察知していた浮世之助は、蔵にあった大金をすでによそにやっており、死のうとする長兵衛に、「騙すよりも騙される方がいい」といって、長兵衛を騙した娘が長兵衛を助けた気持ちに嘘はないから、謝りに来るはずで、それを待とうと語りかける。

 長兵衛を騙した娘は、浮世之助の言葉通り、自分に親切にしてくれた長兵衛を思い、謝りに来て、詐欺と強盗を働いた一味のことを浮世之助に話し、浮世之助たちは強盗たちを糞まみれにしていくのである。娘は、十歳の頃に火事で焼け出され、悪党に拾われて手管として使われていただけであった。そして、事件が決着した後で、一人暮らしをしていた長兵衛と一緒に暮らすことになるのである。

 この話の中で、病が少し癒えた長兵衛が店に現れたときに、浮世之助が、いつも長兵衛が坐っていたところに長兵衛を坐らせ、「な、おめえの代わりはいねえのさ。おめえは家族なんだよ」(208ページ)という仕草と言葉が光っている。人には居場所がいるのだから。

 「第四話 老剣士」は、理不尽に息子を殺された老いた道場主が、息子の無念を晴らそうと命をかけているのを知った浮世之助が、これを助けていく話である。常陸府中松平家の藩の剣術指南役である仇は、藩主の午前試合で、前日に道場主の息子の手が仕えないように手を打ちたたいていた。息子は手が使えないにも関わらず武士として公然と試合に臨み、そこで打ち殺されたのである。そこには、藩の実権を握ろうとした江戸家老の欲が絡んでいた。

 忍従のうちに暮らしていた老剣士は、息子の死に企まれた思惑があったことを知り、ついに、剣術指南役に決闘を望むが、相手は多数の人数を用意してこれをなきものにしようとしたのである。ふわふわした浮き雲のように見えても、その実、及びもつかないような剣の腕をもっていた浮世之助は、老剣士の苦闘を見て、これを助け、ついでに、彼の隠居宅に集う仲間に頼んで藩主である松平播磨守のお出でを願うのである。そして、松平播磨守の英断によって、すべてが不問にふせられることになり、浮世之助のことを面白いと思って、そのうちに浮世之助の隠居宅まで遊びに行くとまで言い出したりして、一件が落着していくのである。

 この作品は、登場人物たちの会話で物語が進展していく。その会話の妙があって、明晰な頭脳と優れた剣の腕をもちながらも、ふわふわと生きている主人公の人格の大きさと、彼を取り巻く人物たちの会話が生きて雰囲気を醸し出すように描かれている。その意味では、坂岡真は、人の情を描き出す作品が多いが、この作品もそうで、読み易い娯楽時代小説の一つと言えるだろう。

2011年10月21日金曜日

笠岡治次『からくり糸車』

 今日も曇って、夜から明日にかけては雨の予報が出ている。昨日、リビアのカダフィー大佐の死亡が報じられたが、その最後の血まみれの姿が報じられ、無惨を感じていた。カダフィー大佐が行ったことは決して肯定されるべきではないだろうが、人の死を喜ぶ心はわたしにはない。以前、中近東や北アフリカの人たちと少し話をしたり、食事をする機会があったとき、その直情的な姿勢に驚きを禁じ得なかったが、テレビの報道を前にしてそのことを思い出したりした。

 閑話休題。笠岡治次『からくり糸車 百姓侍人情剣』(2009年 廣済堂文庫)を面白く読んでいたので、記しておこう。

 この作者の作品にはじめて接するのだが、物語の展開も面白いものがあるが、何よりも登場人物たちの設定が奇抜で、文章も読みやすい。文庫本のカバーの裏によれば、歴史関連の編集者をしながら、時代漫画や映像作品のシナリオなどを手がけ、ミステリーなども書かれてきたようで、それだけに、物語のそれぞれの場面が視覚的に描かれている。

 本書は、このシリーズの7作品目で、これまでの作品はまだ読んでいないのだが、『百所侍人情剣』のシリーズは、主人公の神岡茂平が、元は上州(現:群馬)で百姓をしていた茂平が、百姓の生活が嫌になって江戸へ出てきて、金に困って、ついには小盗っ人などもするようになったが、香具師の親方に見込まれ、香具師見習いとなり、剣術道場にも通うようになって、そこで抜群の剣の腕を身につけるようになり、やがて、北町奉行所定町廻り同心に気に入られて養子となり、奉行所同心として活躍するようになるという、真に面白い設定になっている。彼の周辺にいる人物たちも独特なキャラクターをもって描かれている。

 近在の百姓が食べることが出来なくなって江戸に流れ込み、町人となって日々の暮らしに汲々としながら過ご過ごすことは普通であったが、人別の厳しい時代の中で士分にまでなることはほとんどなかったであろう。それだけに、茂平の素朴で飾らない正直な姿が、江戸の顔役でもあった香具師の親分や同心に気に入られて用いられていくという設定は、茂平の純朴さを語るものとしては十分な設定とも言える。そうした経過は、前6作までで詳細に述べられているのだろうが、本書では、既に養父の役職を継いで北町奉行所の定町廻り同心となり、持ち場である板橋宿で小間物屋の女房が殺された事件などに関わっていく話である。

 本書では、主として三つの事件の顛末が「第一章 捕り物のあと」、「第二章 騒乱大怪盗」、「第四章妻殺し」で記されるのだが、その間に、互いに反目しあっている奉行所同心の葛岡銀次郎との顛末を描いた「第三章 銀次郎の悪巧み」が挟まれている。

 「第一章 捕り物のあと」は、人を信じることが出来ない女性と彼女にたぶらかされて大金を盗み出す手伝いをさせられた商家の底抜けに人のいい真面目な手代との話である。

 密告によって一網打尽にしたと思っていた強盗団事件の裏に、店の手代をたぶらかして捕り物騒ぎを利用して強盗団が押し入った店の金蔵から大金を盗み出した強盗団の首領の娘がいて、たぶらかした手代と共に逃走を図るのである。

 強盗の娘として育った女は、人を騙して生きることが普通であり、狙いをつけた商家に女中として入り込み、そこで人のいい真面目な手代を騙して大金略奪の計略を練る。彼女は父親までも騙して、父親を捕縛させる騒ぎで大金を持ち逃げしようとするのである。彼女にたぶらかされた手代は、百姓の子として生まれ、12歳で日本橋の大店に見習い奉公に出て、以後30年あまりも真面目に働き、40歳に手が届きそうになってようやく暖簾分けをされるまでになっていた。これまで女性には全く縁がなく、ただひたすら真面目に働いてきたのだが、店の女中として入ってきた強盗の娘に騙され、彼女のためにこれまでのすべてを捨てて大金強奪の片棒を担がされることになるのである。

 その逃避行の中でも、女性にたぶらかされた手代は純朴に女性のことを思い、身を捨てて彼女を逃がそうとする。そして、人を騙すことが当たり前だと思っていた女性のとげとげしい凍った心は、次第に溶かされていくのである。

 奉行所の同心たちは彼女の計略に翻弄されていくが、神岡茂平の機転によって、ついにその行き先を探り出して二人を追う。板橋の国境で人混みにまぎれて逃れようとする二人の捕り物が始まるが、必死になって女性を逃がそうとする手代の心に触れて、女性は取ってきた金を捨てて手代の手を取り逃げ出していくのである。茂平たちはそういう二人の姿にあっけにとられていくのである。

 「第二章 騒乱大怪盗」は、つまらないものを盗んでは「この世に善なし悪もなし、人の欲のみるばかり」と書かれた短冊を残していく怪盗が現れ、江戸市中で評判となっていたが、茂平がその犯人を捕まえてみれば、それが親なしで宿無しの十歳の子どもであったというもので、世をすねて人が困るのをおもしろがるという子どもの哀れな心情がそれとなく描き出されている。

 「第三章 銀次郎の悪巧み」は、北町奉行所の同僚で、人を人とも思わぬ粗野な葛岡銀次郎が、日頃反目しあっていてどうしても人柄や剣の腕が適わない神岡茂平の弱点を探ろうとして奔走する話で、弱点を探ろうとすればするほど茂平の純朴さや素直さ、人柄の良さや剣の腕のすごさを知っていくというものである。だが、茂平に惚れた女性が二人いて、ひとりは百姓娘の「トキ」で、もうひとりは「トキ」とは反対に上品な商家の娘「ナミ」で、二人は茂平を挟んで互いに恋敵として反目し、その間で茂平はうろうろと狼狽する。その様子を見た銀次郎が溜飲を下げるというものである。

 「第四章 妻殺し」は、正真正銘の殺人事件の探索の話である。茂平の持ち場である板橋宿の小間物屋の女房が殺され、近所では評判がいいが、夫は悪妻だったという。茂平は夫が悪妻だという殺された女性の問題を探ろうとするが、女性の男関係を探っても何も出てこない。だが、実は、彼女は男には興味がなく、彼女と関係していた長唄の師匠が、彼女が若い女性に気を移したことに嫉妬して殺したことがわかっていくというものである。

  こうした事件の顛末が、茂平と彼を取り囲む個性的なキャラクターをもった人々との関わりの中で軽妙に展開され、事件そのものよりも、むしろその人間模様の展開がおもしろく描かれている。ここではその詳細には触れないが、シリーズ物としての面白さが十分にあって、それぞれの人物の個性が特徴的に描かれているので、味のある作品になっている。このシリーズは、機会があれば他の作品もぜひ読んでみたい。

2011年10月19日水曜日

風野真知雄『耳袋秘帖 王子狐火殺人事件』

 秋の天気は変わりやすいが、今日は曇って、空気が肌寒い。朝晩の冷え込みがこれから次第に厳しくなっていくのだろう。街路樹の銀杏も色づき、葉を散らしはじめた。

 友人で作詞家をしているT氏が送ってくれた風野真知雄『耳袋秘話 王子狐火殺人事件』(2011年 文春文庫)を昨夜読んだので記しておこう。これはシリーズの5作目で、最近読んだ4作目の『耳袋秘話 妖談さかさ仏』(2011年 文春文庫)は、作者自身が楽しんで書いていることを感じさせられる作品だったが、この作品にはあまりそういうことは感じられなかった。

 一つは、このシリーズでずっと登場してきている脇役で、独特なキャラクターをもって描かれていた二人の人物がこの作品では登場しないこともあるかも知れない。二人は、いずれも南町の名奉行の根岸肥前守の探索に欠かせない人物で、朴訥だがまっすぐな性格を持つ椀田豪蔵、手裏剣の名手で二名目だが醜女が好きな宮尾玄四郎で、こういう人物を抱える根岸肥前守の懐の深さを示す人物でもあったのだが、作品のタイトルにこれまで使われてきた「妖談」という言葉がないように、この作品には登場しないし、その意味ではシリーズの中でも特異なものになっていると言えるかも知れない。

 物語は、例によって根岸肥前守が著した『耳嚢(袋)』から取られたいくつかの話を基に、それらを挟みながら、王子稲荷の側の料理屋で祝言を上げるばかりになっていた花嫁が疾走し、側の大榎の下でその花嫁衣装を着けて狐面をかぶった別の若い女性の斬殺死体が発見されるところから始まる。そして、各地の稲荷神社で、次々と女性の死体が発見されていく。

 根岸肥前守は、部下の同心である栗田次郎左衛門と坂巻弥三郎を使って、その事件の探索をはじめ、そこに王子稲荷の巫女たちの間で行われた苛めと、幼い頃からだれからも愛されずに育った伊勢津藩藤堂家の桃姫の、天真爛漫だが歪んだ愛憎が絡んでいることを発見していくのである。

 だれからも愛されなかったが故に、愛情を求めていく桃姫の姿は哀れで、その屈折した思いが殺人に繋がっていく。幼少期に愛情を感じることができなかった人間が、成人して人間関係に破綻を来しやすいというのは発達心理学的な学説のひとつであるが、桃姫の姿はそうしたことの延長で、ことに望んだ結婚が破談になったことから狂いが生じていくというのは、少し定説すぎる気がしないでもない。

 根岸肥前守の鋭い洞察力と優れた頭脳はよくわかるが、そのために真相に至る過程が簡略化されるきらいがないでもなく、いくつかの事柄が急展開して物足りなさが残らないでもない。

 とはいえ、このシリーズは最初から読む機会が与えられて、根岸肥前守にも関心が深かったので、娯楽時代小説として面白く読んでおり、この作品も楽しめる作品であることは間違いない。作者の軽妙な語り口もいいと思っている。

 毎年、十月はどうしても仕事が詰まって体調を壊しやすくなっているし、鬼が笑うような来年の計画もそろそろ入ってきて、どちらかと言えば、逃げ腰になり、早く引退して田舎に引き込みたいとばかり思ってしまう。そういうわたし自身の精神状況も、作品を読むときに影響しているのかも知れない。

2011年10月17日月曜日

今井絵美子『鷺の墓』

 昨日は夏日を思わせる暑さで、今日も秋の蒼い空が広がっている。若干風邪気味で身体に怠さを感じるのだが、このところ毎年2~3回は手ひどい風邪に悩まされるようになっているので、まあ、日常のことだろう。「栄養不足じゃない?」とT大の友人は酷評するが、熊本のSさんから「腹をくくると楽」という言葉が届いて、「腹をくくって過ごそう」と思ったりしている。

 昨夕から夜にかけて、今井絵美子『鷺の墓』(2005年 角川春樹事務所 ハルキ文庫)を、書き下ろし作品にも拘わらず,ずいぶんとしっかり構成などが考え抜かれた作品だなあ、と想いながら読んでいた。

 文庫本の裏表紙に「瀬戸内の一藩を舞台に繰り広げられる人間模様を描き上げる連作時代小説」とあり、まさにその言葉の通り、瀬戸内のある藩の藩士たち、とくに下級武士たちの哀しくて切ない人間模様を、「鷺の墓」、「空豆」、「無花果、朝露に濡れて」、「秋の食客」、「逃げ水」の5編で描き出し、それぞれの人物たちの直接の関係はないが、どこかで繋がっていて、全体的に藩政の権力争いに巻き込まれる形で物語が仕上がっているという凝った構成が取られているのである。

 作者は、1945年生まれで、各地の文芸賞などを受賞されているようだが、画廊を経営されているともある。描き方が丁寧で、ちょうど下絵から順に仕上げに向かっていくように物語が展開され、最後まで読み進めてはじめて全体像が見えてくるような仕上がりになっている。

 第一作「鷺の墓」は、なにかの理由(この理由は後に明らかになる)で切腹して自死した父親のために減封されて祖母と暮らす保坂市之進が、幼少から励んできた剣の腕をかわれて藩主の病弱な腹違いの弟の警護を命じられるところから始まる。

 その背景には、まだ子がなかった若い藩主がにわかに病を得たために、後継ぎ問題が起こり、腹違いの弟を擁立しようとする一派と藩主の生母に繋がる次席家老を中心とする一派の権力争いの確執があったのである。

 その警護の中で、保坂市之進は、自分を警護役につけた人物が、実は、先の藩主に彼の母を差し出して出世の階段を上ってきた人物であることを知り、また、「上意」といわれてそれを忍んできた父が恥辱の故に自ら腹を切って自死したことをしるのである。そして、自分が警護する藩主の腹違いの弟が自分の義弟であることを知る。だが、そのことをもはや公にすることはできなし、忍従の日々を過ごすことになるのである。

 そうしているうちに、藩主に子ができ、もはや後継ぎ問題が解消されて、警護役は終わるが、病弱は藩主の義弟であり、また市之進の義弟でもあった松之助が病の故に到頭死んでしまい、母もその後で亡くなってしまうのである。市之進は、すべてが終わったことで、これからも祖母と二人で生きていこうと思うのである。

 第二話「空豆」は、風采があがらずに顔が長いことから「空豆」と渾名されて馬鹿にされていた栗栖又造が、妻が亡くなった後に自分の世話をしてくれていた姪のやりきれない恋の結末に対する義憤を晴らしていく話である。

 栗栖又造の姪の「芙岐」は、若い頃は又造と剣技を競ったが、彼とは異なり出世の階段を上って家老の右腕といわれるまでの藩の重職となった副島琢磨の息子から弄ばれて妊娠し、自害した。副島琢磨の息子は藩の家老とも繋がる郡奉行の娘との婚儀が整っていた。真相を知って、ただ謝罪を求める来栖又造に対して、副島琢磨と息子は軽くあしらうだけである。

 だが、又造は意を決して、自らを副島琢磨に斬らせることで、姪の恨みを果たすことを決心していくのである。そして、第二話の中では記されていないが、この事件を機に、副島琢磨の息子の婚儀は取りやめとなり、副島も藩内で信用をなくしていくことになる。

 第三話「無花果、朝露に濡れて」は、六十石取りの古文図書方であった牛尾爽太郎の後妻に入った紀和は、先妻の子と幼い子を抱え、針仕事の内職をしながら家計を助けていたが、夫の爽太郎の藩史編纂の仕事上の手違いから減封され、ますます生活に瀕していくようになる。

 そういう中で、先妻の子は学業が優秀であったが藩の役職の登竜門である学塾に進むには金がいるといわれるし、藩内での役替えの噂があって、何とか夫を元の役職に就けるためには、多額の賄がいるといわれる。針仕事も、手違いがあって注文が減ってしまう。

 そして、ついに金策に困り果て、甘言に乗って金貸しのところへ行ってしまう。武家に金を貸していた男は、武家に対する恨みから、武家の妻女を食い物にしていた男だった。だが、危ういところを、第一話で登場した保坂市之進の叔父で、部屋住の身であった保坂彦四郎に助けられる。

 保坂彦四郎と紀和とは因縁があり、若い頃、紀和の友人の画策で、二人きりで嵐の離れ島に残されるということがあり、それが藩内の風評となって紀和は婚期を逃していたのである。彦四郎は自分の責任を感じて紀和の行く末を案じていたのであった。

 こうして、危ういところを助けられてみれば、金がいると思っていた先妻の子は自力で学塾に進むつもりだと言い切り、夫は、藩史編纂の手違いが自分の責任でないことが明らかになったが、家族に無理をさせてまで元の職にもどろうとは思っていないと言い切る。紀和は「自分の足許を見よ」と彦四郎に言われた言葉をしみじみ思い返し、家庭を守っていくようになるのである。

 第四話「秋の食客」は、副島琢磨に殺された「空豆」の家に家換えとなった祖江田藤吾のところに、亡くなった父親を頼って仕官の道を探しているという不思議な食客が現れ、やむを得ず逗留させることにしたが、その食客が、実は、藩政の権力を握ろうとしていた一派から反対派の重鎮であった副島琢磨の暗殺を依頼された刺客であったという話である。

 祖江田藤吾の食客となった男は、不思議な魅力を持って藤吾の家族と打ち解けていったが、副島琢磨が何者かに暗殺される前に、その姿を消すのである。

 第五話「逃げ水」は第一話で登場した保坂市之進の恋の話で、他藩に嫁いでいた野枝が子どもを連れて実家に返され、市之進が通う剣術道場に子どもが入門して苛められたことから、なにかと世話を焼くようになり、野枝が自分の母親と同じように、出世の道具として藩主に差し出されようとするのを彼女の夫が察知して、彼女を離縁して実家に返したことがわかっていくのである。市之進は次第に野枝に心惹かれるようになる。

 そして、叔父の彦四郎が、自分の世話をしてくれていた娘と結婚するために武士を捨てて百姓になるという決心を聞き、彼もまた野枝に結婚を申し込もうとするが、野枝は他藩の藩士の所に嫁に行くのである。だが、祖母が気にかけてもってきた縁談の相手が、実は、友人の従姉妹で、ずっと市之進を慕っていたことを聞き、友人の熱意もあって、彼女との結婚を考えていくのである。

 これらの話は、一つの藩の中のそれぞれの人間模様なのだが、権力争いで揺れ動く藩政の中で、それと微妙に絡みながら生きている下級の武家たちの姿が、淡い糸で繋がれ、紡ぎ出されていくのである。語り口というか切り口というか、それが淡々としているだけに、「忍従」ということの辛さと切なさが伝わるし、策をもって効を為す者は、策によって滅びるということも言外で語られているのがよくわかる。全体が、やはり、薄ぼんやりとしていたものがやがてはっきりわかっていくような構図で、どちらかと言えば、一つの優れた文学作品のような気がする作品である。ただ、それでけに、直截的でなく、明瞭さを好む読者には想像力が必要となる作品かも知れない。