2013年12月2日月曜日

浅黄斑『山峡の城 無茶の勘兵衛日月録』

 いよいよ師走になった。「いよいよ」という感がある。上空は冬の碧空が広がり、筋状にたなびいた雲がゆっくり流れていく。空気は凛と冷たい。

 昨日、浅黄斑(あさぎ まだら)『山峡の城 無茶の勘兵衛日月録』(2006年 二見時代小説文庫)をとても面白く読んだ。文庫本のカバーなどによれば、著者は、1946年に神戸で生まれ、関西學院大学を卒業後、技術者として会社勤めをされたあと、1992年に『雨中の客』で第14回推理小説新人賞を受賞されて作家デビューされ、推理小説の分野で活躍されたあと、時代小説を手がけられている方らしい。「浅黄斑(あさぎ まだら)」というのは、おそらくペンネームだろう。

 本書は、「無茶の勘兵衛」と渾名された一人の武士の少年時代からの成長を藩の動向に絡ませながら展開したもので、大変面白く、また味わい深い作品だと思う。舞台は、江戸時代初期の越前大野藩(現:福井県大野市)で、越前大野藩は、江戸初期の頃には藩主が次々と変わっていくが、関ヶ原の合戦以前は、織田信長の次男の織田信雄の子である織田秀雄が領主であった。しかし、その織田秀雄も関ヶ原の合戦で西軍に与したために領地を没収され、徳川家康の次男の結城秀康による越前福井藩の統治下に入る。秀康は父である家康に嫌われていたとも言われて、人質として豊臣秀吉の養子にやられたり、北関東の結城家に婿養子に出されたりしているが、武将としての器量は一流だったと言われる。

 作品の舞台と背景になっている越前大野藩は、その秀康の三男の松平直政が大野に五万石で入り、1624年(寛永元年)に立藩したものだが、直政は11年後の1635年(寛永12年)に信濃松本藩に転封され、代わりに秀康の五男の松平直基が藩主となった。しかし、9年後の1644年(正保元年)に直基も山形に移封され、秀康の六男の松平直良が藩主となっている。その直良が死去して、その子直明が家督を継いだが、1682年(天和2年)に播磨の明石に移封された。そして、その後は、幕府大老土井利勝の四男である土井利房が藩主となり、以後、明治まで土井家が藩主となっていくのである。

 つまり、初期の頃の大野藩は、結城秀康の子たちが藩主となっていくが、10年ほどで次々と変わり、ようやく松平直良のころになって、その子が家督を継いでいくという状態になったのである。本書はその直良の時代に、七十石の郡方勘定役を務める落合孫兵衛の長男として生まれた「無茶の勘兵衛」と呼ばれる落合勘兵衛を主人公にした物語で、初めの方で勘兵衛がなぜ「無茶の勘兵衛」と呼ばれるようになったのかが語られていく。

 まず、三歳の時に、屋根の雪下ろしをする父親について屋根に登った勘兵衛が、ふわりと積もった雪の上に飛び降りてみたいという衝動から飛び降りて、雪に埋もれて死にかけたことがあった。次に、五歳の時に、湧水池でミズスマシ獲りに夢中になりすぎて溺れかけ、七歳の時には楠に登って、ついには枝上で立ち往生状態になり大騒ぎとなった。そして、九歳の時には、梅雨で増水した川に飛ばしてしまった竹とんぼを取ろうとして飛び込み、流されて死にかけたのである。こうして、隔年に死にかけるような無茶をすることが評判になり、ついには「無茶の勘兵衛」と言われるようになったのである。

 物語は、その勘兵衛が11歳の時から始まり、学問に励み、剣の修行に明け暮れる日々を送っているが、親友で、藩主の若君の児小姓(遊び相手)を勤めている伊波利三から、その若君が官兵衛の無茶振りを聞いて会いたがっているという話が持ち込まれていく。藩主の若君である左門(後の直明)は、藩主直良の子でありながら微妙な立場に置かれていた。

 松平直良は家康の孫に当たり、その妻の奈和子は織田信長の孫で、大野藩主になった時には二人の息子と三人の娘がいたが、長女と次男は早世し、長男も12歳で亡くなり、後継がいなかったのである。そこで国家老の乙部勘左衛門は越前松平家から養子を取る策を進め、他方、側役であった松田吉勝は、江戸家老の小泉権太夫とともに直良の直径の子を設けるべく側室となる女性を探し出していた。

 そうしているうちに、越前松平家の兄に当たる松江藩主の次男の松平近栄(ちかよし)との養子縁組が決まり、近栄が跡目を次ぐことになった時に、側室となった女性が男の子を出産した。それが左門である。松田吉勝は江戸家老の小泉権太夫に相談し、側室の懐妊を極秘として、秘かに自分の屋敷内で預かっていたのである。やがて、藩内は近栄派と左門派に別れた暗躍が横行するようになっていたのである。そうした状態が長く続いたあと、松江藩主が病を得て、近栄の養子縁組解消が起こったのである。それによって、それまで藩の実権を握ってきていた近栄派の乙部勘左衛門が失脚していき、江戸家老の小泉権太夫と松田吉勝が実権を握っていくようになる。

 「無茶の勘兵衛」がその左門(後の直明)から呼びざされたころは、そうした政治的な背景が渦巻いていたのである。勘兵衛の父の落合孫兵衛は、一切の政治的動向から身を遠ざけて、七十石(実質年収40両ほど)の貧しい生活を支える内職したり畑仕事をしたりして家族を守って暮らしていた。落合家は、勘兵衛の姉と弟の五人暮らしで、家族がよく協力して日々の生活をしていた。しかし、孫兵衛が政治的動向から身を遠ざけていただけに、上司で乙部家老派である郡奉行の山路帯刀から陰湿な嫌がらせを受けたりしていた。勘兵衛が藩主直良の直系である左門に会うことで、ますます山路の嫌がらせが強くなることが危惧されたのである。山路帯刀の息子も勘兵衛に対して陰湿な行為を行ったりする。

 こうして、無邪気に、そして無鉄砲に育ってきた勘兵衛も、その父も、勘兵衛の成長に合わせるかのようにして、次第に藩政のいびつな勢力争いに次第に巻き込まれていくようになっていくのである。平穏な日々は破られていく。親友の伊波利三も左門の側役として江戸勤番となり、大野を離れることになる。

 そして、勘兵衛の友人の中村文左の父で、藩士の不倫事件をきっかけに郡代山役の配置替えとなった中村小八が何者かに惨殺されるという事件が起こる。そして、中村小八と官兵衛の父の落合孫兵衛が秘かに合っていたということで、孫兵衛が詮議を受け、禄高を半減され、役を罷免されて無役となる処分がくだされる。貧しい暮らしがますます貧しくなるが、勘兵衛は、それに耐えながら剣術の修行を続けつつ、事柄の真相を知ろうとしていく。そして、父の落合孫兵衛と殺された中村小八が、実は、銅鉱山の産出量を誤魔化すことで私腹を肥やしていた家老の小泉権太夫の不正を調べていたことが分かっていくのである。勘兵衛の剣術の腕は年ごとに上がっていくが、相手が家老ではどうにもならないし、それなりの覚悟もいる。

 だが、江戸から藩主直属の隠密の手助けなどもあり、やがて家老の不正の真相が暴かれていく。このあたりの展開は、ミステリーを手がけられていただけに、勘兵衛が一歩一歩推理を積み重ねていく展開になっていて、読ませるものになっている。

 結局、様々なことが慮れて、不正を働いた家老の処断は重いものではなかったが、勘兵衛の家の半減された家禄は元に戻されたばかりでなく、加増され、中村文左も父の功績が認められて加増される。官兵衛の親友で、官兵衛を助けてきていた塩川七之丞は学問への道を見出して江戸へ行くと言う。官兵衛は、この七之丞の妹の園枝にほのかに想いを寄せていたし、園枝もまた勘兵衛に想いがあるような素振りをしていた。落合勘兵衛、伊波利三、塩川七之丞、中村文左も、もう青年武士なのである。

 物語は、ここで終わるが、この作品はシリーズ化されて、やがて勘兵衛が江戸に出る話などが展開されていく。勘兵衛たちの会話の中に、習っている漢文が無理なく引用されたり、少年期から青年期にかけての成長、淡い恋心、そのしたものがふんだんに盛り込まれると同時に、「食うために働くのではない。働くために食うのだ」と教える落合孫兵衛の言葉を胸に刻んでいく勘兵衛の爽やかな姿などが滲むように描かれていて、味わい深い作品になっている。最初、表題だけで「どうかな」と思っていたが、真に面白い作品だった。

2013年11月28日木曜日

風野真知雄『菩薩の船 大江戸定年組2』

 寒気が降りてきて、よく晴れてはいるが気温が低い。銀杏の落ち葉がかさこそと乾いた音を立てて風に舞っていく。来月、ニーチェについて話をすることになっていて、彼の著作や日記などを改めて読み直したりしていたが、ニーチェは、その思想はどうであれ、ともかく「自分の頭で考えた人」である。彼の言葉だけがひとり歩きすることに危惧を感じているが、考えて、考えて、とうとう脳みそが爆発した人である。哲学者たちのあまり意味のないニーチェ理解よりも、森鴎外や夏目漱石の理解の方が正しいような気もする。

 それはともかく、風野真知雄『菩薩の船 大江戸定年組2』(2006年 二見時代小説文庫)を気楽に読んだ。作者は、今、実に多くのシリーズ物を手がけておられ、いずれも気楽に読める物だが、作者の作品に触れる度に、よくストーリーが混同されないものだと感心したりもする。これも、表題に数字があるようにシリーズ物で、その二作目ということあり、一作目はまだ読んでいないが、『初秋の剣』という作品名になっている。

 これは、奉行所同心、旗本、商人というそれぞれ仕事は異なっていても親しい友人三人がそれぞれに隠居した後、金を出し合って風光明媚な隅田川河口近くの深川熊井町に「初秋亭」と名づけた一軒の家を借り、「隠れ家」としてそこでたまに息抜きをしながら、市中のよろず相談のようなことをしていくという設定で、風流といえば風流、優雅といえば優雅であるが、それぞれの家の事情もあったりして「事もなし」というわけにはいかない展開がされていくし、隠居といっても五十代半ばで、まだまだ枯れているわけでもなく、持ち込まれる相談事もなかなか厄介であったりする。

 主人公三人のうちの一人は、北町奉行所で定町廻り同心をしていた藤村慎三郎で、息子の康四郎に家督を譲って隠居した。もう一人は、旗本の夏木権之助で、彼も家督を譲って隠居しているが、枯れるどころか、若い芸者の小助を囲って、足繁く通っている。そして、これも若い女房がいる商人の七福屋仁左衛門がいて、彼も隠居しているが、女房との間に子どもが生まれることになる。この三人は、それぞれ三様ではあるが、それぞれにお互いを認め合って協力し、気のいい仲で、もちろん、互いの領域に足を踏み入れるような野暮なことはしない。

 さて、物語は、札差(武家の俸禄米を取り扱い、多くは金融業も営んでいた)の女房と薬種問屋の女房が、そろって「初秋亭」を訪ねてきて、主人たちの素行がおかしいのでw真相を探って欲しいという相談を持ち込むところから始まる。

 元同心の藤村慎三郎はその依頼を引き受けて、夏木権之助、七福屋仁左衛門の手を借りて真相を探ることにするが、札差と薬種問屋は、戯作者の滝沢馬琴や薩摩藩藩主と思われる人物とつるんで秘密の会合をもっていることがわかり、藩主の秘密を守ろうとする藩士たちに襲われたりもする。

 何のことはない。彼らは、赤ん坊のように取り扱われて、おしめを替えてもらったり、おっぱいをしゃぶったり、ハイハイをしたりすることでストレスを発散させていくような趣味の集まりをしていたのである。幼児退行趣向というわけで、船宿の女将が母親役をしていたことが分かっていくのである。

 事件そのものは、そうしたアホのような結末なのだが、その間に、七福屋仁左衛門に子どもが出来て、跡目相続争いにならないように苦心したり、夏木権之助が惚れて囲っていた若い芸者の小助が、彼女が可愛がっていた子猫を権之助が誤って押しつぶしたのをきっかけに、年寄りの匂いがするとか言って、さっさと関係を切り、権之助がひどく落ち込んだり、藤村慎三郎が俳句の師匠に秘かに恋心を抱いていたりとか、そうした事柄の顛末がある。

 彼らが「初秋亭」を持つきっかけになった彼らの友人で、自害したと言われる事柄の真相を彼らが突きとめるという話も展開されている(第四話 幼なじみ)。

 要するに、隠居して風流人を気取ろうとしているが、まだまだ枯れないでいる三人が、よろず相談を受けながらも、好奇心旺盛に様々な事件に関わっていくのである。作者は、この手の人物を描くのがうまいし、密かな恋心を抱いている人物も、いろいろな作品でよく登場する。それがスケベ心ではなく純愛という形をとっているのがいい。人間理解も人物描写もなかなか味わいがあって気楽に読めるところが娯楽作品としていいと思う。

2013年11月25日月曜日

田牧大和『泣き菩薩』

 先日、アメリカの古いTVコメディドラマを見ていて、周囲がうんざりするようなひどい音楽の演奏の後で一人だけ、これも風変わりな思考をする女性が、その演奏を誉める場面があり、その時のセリフに「すごくよかったけど、評価されないのは生きている時代が違うのよね」というのがあり、なかなか洒落たセリフだと思った。それをさらりと言ってのけるのがウィットに富んでいる。何かに齟齬を感じる時に、「まあ、生きている時代が違うからなあ」と爽やかに言い放つくらいがちょうどいいような気がする。

 閑話休題。田牧大和『泣き菩薩』(2008年 講談社 2011年 講談社文庫)を清涼な読後感とともに面白く読んだ。これは、江戸後期の天才絵師で、東海道五十三次などで著名であると同時に、ゴッホやモネなどの印象派にも大きな影響を与えて世界的に知られている歌川広重の若い頃の姿を中心にして、彼が江戸定火消しの家督を継いで、火消し役人として生きている姿を軸に、江戸市中で起こった付け火(放火)事件を気の合う友人たちと解決していくという筋立てになっている。

 歌川広重(17971858年)は、数え年13歳で江戸定火消しの家督を継ぎ、その年に母に続いて父親を亡くし、歌川豊広に絵を学びながらも、文政6年(1823年)、数え年27歳で家督を祖父方の嫡子として迎えた仲次郎に譲るまで、14年間ほど江戸定火消しを勤めているし、その後も仲次郎の後見を勤め、職を正式に辞したのは36歳の時である。有名な東海道五十三次が発表されたのは、その翌年の天保4年(1833年)からである。広重は天才だと、彼の絵を見てつくづく思う。

 歌川広重の本名は安藤重右衛門、後に安藤鉄蔵と名乗るが、本作で登場するのは19歳の若き安藤重右衛門で、暇があればのんびりと写生をする「絵かき侍」で、見たものを詳細に記憶し、それを絵で表すことができる才能の持ち主として描かれる。

 この安藤重左衛門の気の合う定火消し仲間として、幼馴染の二人の人物が設定されており、いずれも極めてユニークな人物設定になっている。

 その一人は「鞭を思わせるしなやかな体つき」で、「八代洲河岸(現:八重洲、丸の内)の孔明」と渾名されるほどの明晰な頭脳と判断力を持つ西村信之介で、彼は「三度の飯よりも推理と探索」が好きという人物である。もう一人は、「がっちりとした大男」で、剛力の持ち主であると同時に情に厚く、火消し働きをする臥煙(火消し人足)たちから慕われている猪瀬五郎太である。重右衛門(広重)の広い視野と信之介の的確な判断、そしてそれを実行する五郎太のこの三人によって、「八代洲河岸定火消しが出没した火事は、燃える家も壊される家も少なくて済む」と評判をとっているほどである。彼らは、いわば、知恵と感性、そして体力であり、この物語の爽やかなところは、この三人がそれぞれの特徴を認めあって協力し、お互いを思いやる強い心で結ばれているところである。

 彼らは才能豊かな若い定火消し同心であるが、彼らの上役に当たる与力として登場する小此木啓祐(おこのぎけいすけ)も、直心影流の使い手で、声を荒げるわけでも力を誇示するわけでもないが、身体から発する気迫で周囲を圧倒する人物であり、物事を見通す眼力をもち、三人の若い同心の才能を信頼する人物である。彼は、どこか池波正太郎が描いた長谷川平蔵を思わせるし、彼が愛用する愛馬「東風」は、前田慶次郎の「松風」を彷彿させる。そのほか、飄々としているようではあるが見るとことは見て、清濁あわせ飲むような宮沢という町奉行所同心も登場するし、事件の中では寺の利発な小僧が登場したりしていく。それらが、すべて、互いに相手を信頼するということで廻って行くので、物語全体が温かい。

 事件は、八丁堀の玉円寺の火災から始まる。そして、牛込光照寺の勢至菩薩像の小火騒ぎへと繋がる。光照寺の小僧が仲間の小僧にかけられた失火の濡れ衣を晴らしてくれと五郎太に頼みに来るのである。甘いものに目がない五郎太が、その小僧から美味しい団子屋を教えてもらったという恩義を感じ、そこから三人が乗り出していくのだが、重右衛門(広重)の慧眼によって、その小火騒ぎには裏があることがわかっていくのである。

 半分ほど焼けた勢至菩薩像の小火には、それを彫った彫師の師弟間の問題も絡んでいくが、その裏には更に、金で頼まれて火付けをする「頼まれ火付」の一味が絡んでいたのである。信之介の名刹と重右衛門の観察眼、五郎太の剛力で真相を暴き出し、「頼まれ火付」の一味との対決が起こる。そして、小此木啓祐の剣技が光っていく。そこにも、やむを得ずに罪を犯した人間に対する温情があったりする。

 物語の導入部分の安藤重右衛門(広重)を子どもたちが取り囲んでいる姿は、微笑ましくはあるが、甘い作為が感じられるが、その後の展開は、本当に面白くて一気に読み進んでいくものになっており、しかも、爽快感がある。この作者の作品は、前に読んだ『散り残る』(2011年 講談社)もそうであったが、趣がある。主人公が三人という設定は、ほかの作品でも多く見られ、それが作品に奥行きをもたらしていると思っている。三位一体というのはいいものである。

2013年11月21日木曜日

犬飼六岐『叛旗は胸にありて』

 このところこちらでは小春日和の日々が続いて、どことなく嬉しくなる。研修会の疲れもあるが、ようやく日常が戻った気がしてほっとしている。来年の3月に転居することに決め、なんとか一週間ほど転居の準備をする日程を開けたいと、まだぼんやり思ったりする。

 先日、犬飼六岐『叛旗は胸にありて』(2009年 新潮社)を面白く読んだ。この作者の作品は、前に『囲碁小町嫁入り七番勝負』(2011年 講談社)を読んで、物語の展開の面白さもあるが、その背景にある歴史的事象も丹念に調べられており、なかなかの作品だと思っていたので、本書を読んだのだが、これも主人公の設定と視点がすこぶるいい作品で、次第に物語に引き込まれていく展開になっている。

 物語は、元治元年(1864年)、尊王攘夷の機運が高まり、江戸幕府がいよいよ崩壊の兆しを見せ始めたころ、但州(但馬 兵庫県北部)の湯村というところにある宿の息子が、宿泊客を迎えに正福寺に向かい、そこで客人と共に正福寺の住職から、およそ200年ほど前の慶安4年(1651年)に起こった「慶安の変(由井正雪の乱)」の顛末を昔語りに聞くという構成になっている。

 この作品の良さと面白さは、その「慶安の変」の顛末が、色の浅黒い小柄で風采が上がらない、らっきょうを逆さにしたような顔をしている貧乏傘張り浪人の熊谷三郎兵衛という人物を中心にして展開されていくところである。

正福寺の住職の昔語りは、その小心者でもある熊谷三郎兵衛が住んでいる貧乏長屋に、彼とは対象的に覇気があって彫りの深い顔がきりりと引き締まった兵法者のような金井半兵衛という人物が越してきて、彼に押し切られるようにして「張孔堂」と名づけられた軍学塾に連れて行かれるところから始まる。

熊谷三郎兵衛は、傘張りをして糊口を凌いでいる浪人暮らしの惨めさを感じつつも、金井半兵衛の強引さに押し切られるようにして「張孔堂」の仲間に加わっていく。金井半兵衛が彼を「張孔堂」に誘ったのは、その健脚ぶりを見込んでのことであった。「張孔堂」では、藩の取潰しなどで浪人となり、やむなく窮乏生活をさせられている者たちの救済策と幕府政治の改革案が練られていた。その「張孔堂」の主要なメンバーは、師範代の吉田初右衛門、僧籍の廓然、豪放磊落な丸橋忠弥、そして、理論派で弁舌の立つ岡村久之助らであった。だが、そこには当然いるべきはずの師範である由井正雪の姿はなかった。

「張孔堂」では、諸大名、特に紀州藩との交渉においては押し出しの良い吉田初右衛門が、武術の試合などでは金井半兵衛が、そして説得を必要とすることにおいては岡村久之助が由井正雪を名乗り、由井正雪の実態がない。熊谷三郎兵衛は困惑の中に置かれるが、やがて、由井正雪という人物は、「張孔堂」を設立した人間たちによる架空の理想像として置かれている存在に過ぎないという秘密を知ることになるのである。

この辺りの作者の創作は、もちろん、由井正雪が、不明な点が多いが、慶長10年(1605年)から慶安4年(1651年)まで実在のした人物であることを知っていても、なかなか面白い。人は、現状に不満があればあるほど、何らかの理想的な人間像や指導者像を描きたがるし、結局それによって破滅へと向かうことになるという集団心理を突くものとなっているからである。

熊谷三郎兵衛は、そのことを知り愕然とするが、浪人の窮乏は目に余るものがあり、その浪人を救済する政道の改革を求めていくということで、「張孔堂」の計画に加担していくようになる。もちろん、気の弱い熊谷三郎兵衛は、周囲に引きずられるようにして行動していくのであるが。

この「張孔堂」の主張に一枚噛んでいき、資金の援助や手助けを影でしていくのが、三代将軍徳川家光亡き後の将軍位継承を狙う紀州藩の徳川頼宣であり、「張孔堂」のメンバーたちは、一気に幕府転覆計画を加速させて、江戸、京都、大阪で叛旗をあげ、江戸を火の海にするという計画の実行へと進んでいく。

「慶安の変(由井正雪の乱)」に紀州藩が絡んでいたかどうかの問題は諸説があり、奥村八左衛門の密告によって計画が露見して駿府で捕縛された由井正雪が残した遺品の中から徳川頼宣の書状が見つかったことが諸説の大きな根拠ではあるが、この書状が偽造だということで、幕閣で曖昧なままにされて、徳川頼宣は何の処罰もされなかった。だが、本作では、紀州藩の画策が裏であると同時に、計画の失敗を恐れた紀州藩による裏切りがあったと展開されている。

そして、密告が起こったことに対して、作者は「張孔堂」内部における武闘派と穏健派の対立で、穏健派で江戸を火の海にして庶民を困らせるようなことがあってはならないとする穏健派による計画の頓挫を狙ったものとされていく。穏健派の人物は、岡村久之助、丸橋忠弥、熊谷三郎兵衛などであり、豪放磊落で屈託がない素朴な丸橋忠弥は、いわば自らを捨てて、武闘派が起こそうとした反乱を頓挫させた者として描かれる。そして、熊谷三郎兵衛は、徹底した庶民感覚と人への優しさをもつ人物として描かれ、長屋の隣人たちを困窮に合わせるわけにはいかないと考える人物として展開されていく。この視点で、「慶安の変」が語られていくのが、本書の真髄だろうと思う。

「慶安の変」によって、結局、徳川頼宣が失脚させられ、戦国時代から引きずっていた武力政治から文治政治へと明瞭に移行していくことになるが、それを権力者の政争としてではなく、「人間の愚かさと弱さ」という観点で描かれているところがいい。

最後に、正福寺の住職からこの話を聞いた客人が、長州の桂小五郎であるとし、「正義というのは、いくつもあるのではないですか。いましがた和尚のされた話のように」(300ページ)という言葉が記されている。この言葉が、本書の主眼であろう。

最後に、桂小五郎が坂本龍馬の言葉を引いて、「上の者が下の者の給金の心配をする」と語る場面が小さく記されているが、そういう人間で成り立つ社会をわたしも夢想する。「人をいかに安く効率よく働かせるか」と考える人間とその人間の下で編み出されるシステムを是とする社会は、本当につまらない社会である。人はそこで、結局は、自分で自分の首を絞めることになる。

2013年11月18日月曜日

井川香四郎『うだつ屋智右衛門縁起帳』

 今日は、小春日和の嬉しくなるような温かさを感じる日になっている。今日から水曜日までの3日間、幕張で研修会というのがあり、何か話すように依頼されてはいるが、「すべて世はこともなし」でもいい気がしているし、「立派になること」が前提とされている会議や研修は、自分の肌に合わない気がしている。

 それはともかく、ある程度の能力と財力を持った人間が他者の危機を救い、成功していくという物語は、たとえばわたしのような人間にとって、面白くも何ともないばかりか、うんざりする思いがするし、どことなく、社会的に成功したいと思っている人間や世間に媚びたような感じさえする。

 井川香四郎『うだつ屋智右衛門縁起帳』(2012年 光文社文庫)は、そんな作品だった。表題の「うだつ屋」というのは、建築物の棟上げをする意味の言葉として用いられる「うだつが上がる」から来た「成功する」とか「立派になる」とかいう意味で使われる言葉を用いたもので、要するに「人を成功させるのを商売にしている」という意味であろうし、主人公の「智右衛門」という名前は、知恵を用いてそれを行う人物という設定であろう。表題からして、安直な気がするし、この作者の同じような成功物語である『てっぺん 幕末繁盛記』(2012年 祥伝社文庫)を読んだときにも感じた軽薄さが、本作でも感じられた。

 本書には四話が収められているが、いずれも、財力も知恵も人徳も備えた智右衛門が、財政窮乏で困窮する商人や個人、あるいは諸藩の財政再建策を打ち出して、それを成功させていく物語である。その策も、まあ、陳腐といえば陳腐のような気がする。

 社会への迎合以外に作者がどんな思考をしてこういう作品を書くのかはわからないし、この作品については、ここに記しておくほどでもなかったのだが、まあ、一応読んだということで記した次第である。

2013年11月14日木曜日

上田秀人『お髷番承り候二 奸闘の緒』

 今週明けから真冬のような寒さが続いているが、今日は、抜けるような碧空の下で気温の低い日になった。急に寒くなって、身体機能がなかなかついていかない気がしている。先週の疲れも出たのか、どうも調子が戻らないでいる。

 読書は読み手の気分にも左右されるので、今回読んだ上田秀人『お髷番承り候二 奸闘の緒』(2011年 徳間文庫)も、何かもうほかの作品と同じような展開が繰り返されているだけのような気がして、少し辛口の気分で読んでしまった。

 これは、このシリーズの第一作『潜謀の影』(2010年 徳間文庫)の続編で、四代将軍徳川家綱の信頼を得て「お髷番」として抜擢された旗本の妾腹の子である主人公の深室賢治郎がいよいよ将軍後継問題をめぐる陰謀に巻き込まれていくようになる次第を描いたものである。

 四代将軍家綱が病弱で子がなかったために、次期将軍を巡って、同じ三代将軍家光の子であり兄弟であった徳川綱吉と徳川綱重が相続位を争うことになり、それぞれの生母による権力獲得の工作が大奥を使って行われたりするし、幕閣内での権力争いが起こっていく。

 もともと、家綱が将軍位を継いだ時は、若年11歳であったが、叔父の保科正之や大老の酒井忠勝、知恵伊豆と言われた松平信綱、阿部忠秋といった「寛永の遺老」と言われた優れた人物が幕閣を形成しており、家綱の将軍としての権威が認められつつも、「左様せい」ということで安定した政権運営がなされていたが、それらの老臣たちが死去したり、高齢のために政治の表舞台から隠居したりしていく中で、酒井忠清が大老としての実権を握るようになり(寛文6年 1666年)、将軍位継承問題が幕閣の権力掌握問題と絡んで表面化していくのである。

 本書では、次期将軍位を狙う四男綱吉(館林藩主)の母桂昌院(お玉)と三男綱重(甲府藩主)の母順性院(お夏)の互いの争い、将軍家綱を殺害して将軍位を早く手に入れようとする画策、そして、将軍を「お飾り」として実権を握ろうとする堀田正俊、酒井忠清らの陰謀が巡らされ、主人公の深室賢治郎がそれらの陰謀を打ち砕いていく設定になっている。こうした設定は作者の十八番であろう。

 ただ、面白いのは、深室賢治郎が婿養子として入った深室家の娘三弥と賢治郎との仲が、次第に互いを認めていく愛情に変わっていく姿が描かれていて、気の強い三弥が気の強いなりに賢治郎への想いを強めていくと同時に、賢治郎も三弥への愛情を感じ始めていく展開がなされていくことと、賢治郎の兄が保身と出世のために堀田正俊らに利用されて、弟の賢治郎の殺害を企てていくという展開で、将軍位を巡る兄弟の争いと、保身と出世のために弟の殺害を企てる暗殺が平行に描かれている点である。

 人間の醜さとほのぼのとした愛情の温かさが混在して物語が展開されるあたりは、現代の時代小説の面白さで、それが遺憾なく発揮されているのはさすがであると思う。

2013年11月11日月曜日

竹田真砂子『あとより恋の責めくれば 御家人南畝先生』

 もうすっかり寒くなってきた。先週は日々が怒涛のように過ぎて、小説は折々には読んでいたのだが、ついにこれを記す時間が取れずにいた。日々が怒涛になるのは、安直に予定を入れていくからで、すべからくこうなるのが昔からのわたしの悪い癖だと反省している。今週はようやく少し時間が取れるが、来週はまた身動きの取れないの日々となる。どうなるかな、と思いつつも、愚かなり、である。

 さて、竹田真砂子『あとより恋の責めくれば 御家人南畝先生』(2010年 集英社)を比較的面白く読んだ。これは江戸天明期を代表する狂歌師であり文人であった太田南畝(太田直次郎 17491823年)の恋の顛末を描いた作品で、この時代の狂歌は最高に洒落ており、読むだけで吹き出したり、にやりとしたりする作品がたくさん作られているが、その中でも、幕府の御家人でありながらも狂歌師として一世を風靡した太田南畝はなかなか面白い人だったと思っている。彼は四方赤良(よものあから)とか寝惚先生とかいう名を使って、狂歌や洒落本、漢詩文などを作る他にもたくさんの随筆を残している。後年は「蜀山人」という号も使っている。南畝は彼の学者としての号である。

 太田南畝が生まれた太田家は、代々徒歩という幕府下級御家人の家で、南畝(直次郎)は御徒歩としての役目も地道に果たしながら家を守り、24歳の時の安栄2年(1773年)の将軍(家治)上覧の水泳大会では泳者の一人として参加するなどしているし、昌平坂学問所の新しく創設された学問吟味試験(1794年)では、47歳という高齢ながら、御目見得以下の中では首席で合格している。それによって彼は、やがて勘定所勤務となり、支配勘定方にまでなっている。他方、19歳で『寝惚先生文集』を著し、これが評判となって、狂歌や洒落本を作り、彼を中心にした狂歌師のグループが形成されたりしている。彼の狂歌は風刺とウィットに富んでいるが、「それにつけても金のほしさよ」というような何にでも使える下の句を作ったりして、遊び心が万点である。

 竹田真砂子という人の作品を読むのはこれが初めてで、奥付によれば、法政大学文学部を出られて、1982年に『十六夜に』でオール読物新人賞を受賞され、小説の他にも邦楽を軸にした舞台作品なども手がけられている方らしい。

 読んでいて、この作者の日本語はすこぶる美しいと思った。語彙が豊かで、それがきちんと使われているので、文章に澱みがない。こういう美しい日本語を使うことができる人がまだおられるのだと、改めて思った次第である。

 本書は、太田南畝が天明6年(1786年)に吉原の遊女であった三保崎という女性に惚れて身請けしたことを中心に話が展開されていき、やがて、田沼時代の終わりに田沼意次の腹心だったと言われる土山宗次郎と親しかったことで目をつけられ(土山宗次郎は斬首の刑を受ける)、交友のあった戯作者の山東京伝らが弾圧されるのを見て、狂歌をやめて、随筆などを執筆していく姿などが描かれている。

 南畝が身請けした遊女の三保崎は、本書では、病を得ており、これを何とかしようと御家人の身分でありながらも四苦八苦して身請けし、養生をさせていった姿が描かれている。南畝は三保崎に惚れているが、ひたすら養生をするようにと言うだけである。

 本書には、南畝がもっていた真面目さや庶民感覚、他者への思いやりなどが記されており、彼は、面白おかしい洒落た狂歌を真面目に作ったのであり、それが本書でいかんなく描かれている。

 ちなみに、太田南畝は1804年に著した随筆でコーヒーを飲んだことを記しており、これが日本最初のコーヒー飲用記になっている。彼曰く「焦げ臭くて味ふるに堪えず」と記している。1804年は彼が長崎奉行所へ赴任した年である。

 本書の眼目は、従来、太田南畝は遊女の三保崎を身請けして「妻妾同居」をしたと言われていたが、その証拠はどこにもなく、南畝は、病身の三保崎を身請けして、今で言うターミナルケアーをしたのではないかという着想をされて、それが展開されている点であろう。事実を知るすべはないが、面白い着想であり、それが自然に展開されている辺りに作者の力を感じる。幕府による言論統制は幕府崩壊の兆しでもあったが、それもよく盛り込まれて、面白く読めた一冊だった。