2010年7月21日水曜日

宮部みゆき『ぼんくら』

 「炎天」という言葉では足りないくらいの猛暑日が続いている。風もほとんどなく、少し身体を動かせば汗がしたたり落ちる。夜になっても気温が下がらずにむっとした空気が漂うだけで、何とも過ごしがたいが、読書の方は、宮部みゆき『ぼんくら』(2000年 講談社)を面白く読んだ。

 これは先に読んだ『日暮らし』(2005年 講談社)の前作に当たるもので、登場人物は、主人公的な引き回し役の井筒平四郎が、この作品では奉行所の定町廻り同心だが、『日暮らし』では臨時廻り同心となっている。井筒平四郎は、四男だったが家督を継がなければならなくなり、仕方なしに同心をしているのであり、家でごろごろして、できるだけ働きたくないと思っているのだから、「背中にひびができる」と言われるほど江戸市中を巡回しなければならない定町廻りよりも臨時廻りの方が性に合っている。

 井筒平四郎は物覚えも悪く、あまり細かいことも考えたくなく、どこか呆然としたところのある人間であるが、実は、人を罪に定めることが嫌いで、鷹揚で懐が深く、情け深い。繊細な感性と明察力をもっているが、それを決して表に出さないだけである。だから、かなりいいかげんな人間に映る。容貌も風采が上がらず、細い目に頬がこけて無精ひげがぼそぼそと生え、ひょろりとした体格をしている。

 彼の細君は絶世の美貌の持ち主で、明るく機知に富んでおり、手習い所の師匠をするほどの女性であるが、二人には子どもがない。その細君の姉が藍玉屋に嫁いでもうけた12歳になる五男の弓之助を養子にしたいと思っている。

 この弓之助が真に優れた子どもで、誰もが振り返るほどの美少年であるが、測量にこっており、「わたくしは、必ず一尺二寸の幅で歩くのです」と言って、ものとものとの距離がわかれば、「ものの有りようがわかります」と言ったりする天才的な頭脳の持ち主なのである。そして、おねしょの癖があってからかわれたりするが、叔父の平四郎が関わる事件を見事に見抜いて、平四郎を助けていくのである。平四郎はこよなくこの弓之助を愛し、包み込んでいる。その関係が絶妙で、弓之助との会話の中にそれがよく表されている。元来、天才的な頭脳の持ち主はおねしょ癖があるものである。作者は多分そのことをよく知っていて、物語の綾として取り入れているのだろう。

 先の『日暮らし』でも触れたが、この作品には、もうひとり天才的な少年が登場する。それは、母親からも「鈍くて人の足を引っ張る」と言われて捨てられ、井筒平四郎が懇意にする岡っ引きに引き取られている「おでこ」と呼ばれる少年で、彼はあらゆる出来事を記憶する能力の持ち主で、弓之助と友だちになって事件の解決に一役買っていく。

 こうしたユニークな登場人物を中心にして『ぼんくら』は、深川の通称「鉄瓶長屋」と呼ばれる貧乏長屋の住人たちが巻き込まれた事件の真相を暴いていくというミステリー仕立てになっている。「鉄瓶長屋」の家作(持ち主)は、築地の大店の湊屋総右衛門で、彼の意を受けた差配人(管理人)久兵衛の下で、八百屋、煮売屋、魚屋などが表にあり、裏には桶職人や水茶屋で働く女などが住んでいる。

 「鉄瓶長屋」というこの奇妙な名称は、昔、共同井戸の汲み換えの時に井戸の底から錆びた鉄瓶が二つも出てきたところからつけられたもので、そこには物語全体の重要な鍵となる複線が張られていて、古来、鉄は魔を封じるものとされてきたところから、井戸の底にある「魔」や「怨念」を封じるために誰かが投げ入れたものである。その「怨念」を封じなければならなくなった人間の事情、それがこの物語の格子なのである。

 「鉄瓶長屋」の中心となっているのは差配人の久兵衛と煮売屋のお徳で、お徳は、腕っぷしも強く、きっぷもあって、住人を束ねているが弱い物を助ける人情家でもある。井筒平四郎は、このお徳の煮売屋に始終立ち寄って、お徳の料理をつまみながら時間を潰しているのである。

 最初に、この「鉄瓶長屋」の住人たちに次々と禍が起こってくる。八百屋の息子が何者かに殺され、桶職人が博打に狂って娘を売りそうになり、水茶屋で春を売って働く女性が越してきて一騒動起こり、ついには差配人の久兵衛までもが失踪するのである。店子たちは次々といなくなっていく。こうした出来事の悲喜こもごもが丹念に描かれて、それらのすべてが複線となり、これらの出来事の背後に、「鉄瓶長屋」の持ち主である湊屋総右衛門の意向と、その事情が隠されていることがわかっていくのである。

 この作品は実に多くの複線が張り巡らされて、しかもそれが丁寧に、巧みに描かれて、後になるに従って、なるほどあれはこういうことだったのか、というようなミステリーの巧みさが見事に生かされている。大きな筋立てだけでなく、たとえば、最後に井筒平四郎と湊屋総右衛門が屋形船で会い、事の真相をはっきりさせる場面で、屋根船に揺られたために平四郎の「腰が重く」なるのだが、それが、結末で彼の「ぎっくり腰」として現れるという具合である。事件の顛末も単純ではなく、平四郎や弓之助が、殺されて鉄瓶長屋に埋められているのではないかと思っていた湊屋総右衛門の愛人の女性が、実は生きていたりする。いわば最後のどんでん返しも仕込まれているのである。若い男女の恋愛もあり、春をひさいでいた女性が性病で死んでいく場面もあり、また奉公人と主人の関係も見事に描かれている。

 そして、何よりも少年の弓之助と「おでこ」、そしてそれを暖かく包む平四郎や岡っ引きの政五郎の姿も物語の要となっているところがいい。事件は陰惨だが、物語はユーモアに満ちている。小説のおもしろさを全部持ち合わせている。この作品と『日暮らし』は、宮部みゆきの作品の中でも傑作と言えるかもしれない。

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