2011年6月3日金曜日

高橋義夫『意休ごろし-投げ節お小夜捕物控』

 久しぶりに晴れ間が覗いたので、洗濯をしたり掃除をしたりしていたら、あっという間に時間が過ぎていった。ひとつのことをするのに時間がかかるようになったからだが、時間がかかるというのは、無聊を感ぜずにすむ天の配剤だろうとも思ったりする。
 
 昨夜、児戯に等しい国会の茶番劇を「地に足がつかない根のない社会」の典型のように感じて眺めながら、やがてこれがこの国の人間にとって大迷惑を及ぼすことに繋がることを覚えて愕然としたりした。この国の政治から哲学が失われて、もうどれくらい経つだろうか。深く考えたわけではないが、末期の徳川幕府の老中の姿を見るような気もした。

 そういうことを感じながら、高橋義夫『意休ごろし-投げ節お小夜捕物控』(1995年 中央公論社 2000年 中公文庫)を読んだ。書物の頁数はそんなに多くないし、短編連作なのだが、なぜか読むのに時間がかかった。江戸中後期の火付盗賊改与力の「踏ん張り」のようなものを描いたものである。

 池波正太郎の『鬼平犯科帳』で著名になった江戸中後期の火付盗賊改役で、「本所の平蔵さま」とか「今大岡」とか呼ばれて人々に慕われた長谷川平蔵こと長谷川宣似(はせがわ のぶため-1745~1795年)の死去後、わずか一年余の期間に過ぎなかったが火付盗賊改役を任じられたのは森山源五郎(孝盛)という人で、どうも長谷川平蔵を敵視していたところがあったようだし、文人で狂歌師として著名だった蜀山人こと太田南畝(1749-1823年)が登用試験である「学問吟味」の最初の受験の時に、成績が抜群だったにもかかわらず彼を嫌って落とした上役だったようで、狭隘な人物像しか浮かんでこないのだが、その人の下で新規に火付盗賊改方となった若い与力の活躍を描いたものが、本書である。

 森山源五郎の下で新たに火付盗賊改廻り方与力として登用された若い妹川数馬(せがわかずま)は、ぼや騒ぎの最中に起きた殺人事件の現場に出かけ、そこでであった町方の同心に素人と馬鹿にされて闘志を燃やし、事件の解決に臨むが、規約を重んじ現状維持を図る上司の森山源五郎のやり方ではどうにもならなくなり、同僚の書物役与力である吉羽清一に相談し、長官の森山源五郎は嫌っているが森山には内密にして探索のための付人(密偵)を使うしかないと言われ、前任の長谷川平蔵の元で与力をしていた山辺友之丞を紹介してもらう。この山辺友之丞は、優秀な与力として働いていたが平蔵の死去に伴って免職となり、釣り三昧な生活をしているところなどから「竿月」と名乗ったりしていた人物で、妹川数馬は、彼からさらに付人(密偵)の「お小夜」を紹介される。

 「お小夜」は、深川の芸者であり、当時の流行歌である投げ節の師匠などをしているが、裏では私娼たちのとりまとめ役などもしており、弥次郎という用心棒もいる。竿月の愛人でもあり、竿月は家をほったらかしにして彼女のところに入り浸ることもある。

 こうして、妹川数馬とその手下同心である相沢銑二郎、同僚の吉羽清一、山辺竿月、お小夜、そしてお小夜の用心棒である弥次郎の五人で、ぼや騒ぎの最中に小料理屋の夫婦を殺し、金を奪ったのが、辻番でぼやを消し止めた男であることを突きとめたり(「腐れ縁」)、「髭の意休」と呼ばれていたやり手の女衒(女性を売る)が殺された事件に、奥州黒岩郷の代官による手ひどい女漁りの背景があることを明白にしたり(「意休ごろし」)、次々と夜鷹が無惨に殺されていく事件に女の狂気が隠されていたり(「どでごんす」)、役者の奇妙な素振りから強盗団の一味に繋がっていることを突きとめたり(「謎坊主」)、火事で焼け死んだはずの息子が帰ってきたという大店の強盗事件(「初穂勧進」)や蔭間(男娼)茶屋の主殺害事件(「三筋の鳴子」)の真相を暴いていったりするのである。

 ただ、表題が「投げ節お小夜捕物控」とあるわりには、物語の中心は「お小夜」ではなく、あまり理解のない上司の下で、上司に不満を持ちながらも、青年らしい熱意で事件の解決を行おうとする妹川数馬が主人公で、それなりにまとまった面白さはあるが、事件にうごめく人間の業の深さや社会的人広がりなどはあまり感じられないし、登場人物像もいまひとつ深く描かれないのが残念な気がする。

 この作者の『花輪大八湯守り日記』が面白かっただけに、少し残念な気がした。若干の物足りなさが後を引いた。

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