昨日は雨模様で震えるほどの寒さだったが,今日はお昼近くになってよく晴れてきた。師走の日々が慌ただしく過ぎていく中で、可能ならひとつひとつを丁寧に、誠実にしながら過ごしたいと思っているが、いくつかの事柄は自分でも納得がいかないままに過ぎてしまう。
そういう中で,丁寧に構成されて描かれた葉室麟『川あかり』(2011年 双葉社)を、やはり大変興味深く、また感銘をもって読み終わった。葉室麟の作品は、『銀漢の賦』や『秋月記』、『いのちなりけり』、そして『花や散るらん』と読んできて、非常に優れた感銘深い、質の高い嬉しくなるような作品が続いたが、『川あかり』も、これまでとは少し文体を変えた軟らかさをもちながらも、心に深く残る作品だった。
これは、雨で川止め(川の渡航禁止)となった巨勢川のほとりで川の渡航が開始されるのを待つひとりの青年武士の真摯で、まっすぐな姿と、互いに支え合い愛情をもって生きていく人々の姿を描いた作品である。川止めを題材にした作品として、すぐに山本周五郎の『雨あがる』を思い起こしたが、『雨あがる』が苦境の中で生き抜こうとする夫婦の深い愛情の姿を描いた作品であるなら、これは、同じように苦境の中で、深い愛情をもちながら真摯に、誠実に生きる姿を見事な筆致で描き出した作品である。
川止めとなった巨勢川で渡航が開始されるのを待つ伊東七十郎は、自他共に認められた藩内一の臆病者として、これまで綾瀬藩の中で下級藩士として過ごしてきた青年武士である。ちなみに、舞台の背景となっている巨勢川は佐賀県に流れている川であるし、その源とされている鹿伏山は長野県にその名前があり、また、京都の丹波に綾部藩というのはあったが、綾瀬藩という藩はなく、いずれもが作者が創作した背景だろうと思う。
ともあれ、自他共に臆病者と認められる伊東七十郎に、江戸から急遽帰国しようとする家老の甘利典膳を刺殺するようにとの密命が下されるのである。綾瀬藩は、中老の稲垣頼母を長とする一派と家老の甘利典膳を長とする一派の藩を二分する派閥抗争が激しくなり、派閥勢力の一方の長である稲垣頼母が何者かに闇討ちをかけられて殺される事件が起こっていた。藩政を巡る権力争いや派閥抗争は、単に江戸時代の諸藩だけでなく、どこの組織でも起こることであるが、綾瀬藩の場合は、小身の身分から家老にまで成り上がった甘利典膳が藩財政を立て直すために急激な藩内改革を断行したため、旧来の重臣たちが身を守ろうと集まって稲垣派を作り、甘利典膳への抵抗勢力となっていたのである。この辺りの藩政を巡る事情は2009年に角川書店から出された『秋月記』で記された秋月藩の藩政改革を巡る事情を思い起こさせるものでもある。もちろん、本書では、人物像は全く異なっている。
稲垣頼母が殺されたことから、稲垣派は崩壊に追い込まれ、以前から策士として聞こえていた元勘定奉行の増田惣右衛門が稲垣派をまとめることになる。しかし、保守色の強い増田惣右衛門に対して稲垣派の血気にはやる若者たちが稲垣頼母の暗殺についての藩主への直訴を求めて寺に立て籠もっていた。巧妙に立ち回る儒学者の扇動にあおられたところもあった。彼らを扇動した儒学者の振る舞いには裏があったのである。だが、そのことはまだ明らかにされない。
臆病者であった伊東七十郎は、親の代から稲垣派には属していたが、軽格でもあり、恐ろしさもあって、立て籠もりには加わっていなかった。また、周囲からは何の期待もされず無視されるような存在でしかなかった。寺の立て籠もりに誘われるが、場合によっては切腹覚悟であると聞き、母と妹たちを残しては死ねないと思い、何よりも切腹が怖くて青ざめてしまい、若者たちからは嘲りを受けていたのである。
その伊東七十郎に稲垣派の長である増田惣右衛門から藩堺にある巨勢川で甘利典膳を待ち受けて殺すように命令が下りるのである。増田惣右衛門は、家老の甘利典膳が藩政改革の中で大阪商人と癒着して私腹を肥やしていた事実をつかんでいたし、典膳が帰国すれば、寺に立て籠もった若者たちを制裁して、私腹を肥やした証拠を隠滅させて事件を終えるつもりであることを恐れ、なんとか典膳の帰国を阻止しようとしたのである。だが、甘利典膳の剣の腕も相当なもので、藩内のだれも彼を討つことなどできないので、自他共に認める臆病者である伊東七十郎ならば、相手が隙を見せて近寄ることができるのではないかと言う。
そして、伊東七十郎が密かに想いをもっていた稲垣頼母の娘で美貌の美祢という娘と夫婦にさせると約束する。美祢は寺に立て籠もった若者たちの指導的立場にあった藩士に想いを寄せており、その藩士を救うために自分を犠牲にするというのである。伊東七十郎は、その美祢の気持ちを知っており、それだけに、美祢に想いを寄せてはいるが夫婦になるつもりはなく、ただ、美祢の願いを聞き入れたいという思いで、それを引き受ける。
増田惣右衛門は、策士であり、臆病者の伊東七十郎が甘利典膳を殺すことなどはとうていできないが、巨勢川のほとりの隣国で騒動を起こせば、その間に何とかなると考えていたのである。伊東七十郎は、典膳の足止めのための捨て駒として利用されるのである。刺客はいつも利用されるだけの捨て駒に過ぎない。テロリストや下級兵士はいつでもそのようにしか扱われない。
伊東七十郎は、そのことも十分に承知している。しかし、自分はただ、美祢と約束をしたから、その約束を果たすだけだと言うのである。
こうした背景を背負って巨勢川のほとりで伊東七十郎は、川の渡航が許可されるのを待つのだが、路銀が少なくなったこともあり、いつ川あけが行われるかはわからない状態なので、そこで知り合った佐々豪右衛門という牢人者と共に粗末な木賃宿で寝泊まりすることになるのである。この木賃宿には不可思議な男女が寝泊まりしており、素朴でまっすぐな伊東七十郎は、その木賃宿で佐々豪右衛門から手玉に取られていくようになる。伊東七十郎は、佐々豪右衛門を中心とするその木賃宿の泊まり客と不思議な交流を持っていくことになるのである。
だが、この交流こそが本書の主題で、伊東七十郎の素朴でまっすぐな人柄が、難問を抱えた多くの人たちの中で、まるで「川あかり」のように輝いていく物語が展開されていくのである。今日は他のこともしなければならず、そのことについては、また今度にでも記しておくことにする。ともあれ、これも名作であることは間違いない。
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