天気が猫の目のように変わって、昨日はどんよりと曇って寒かったが、今朝はよく晴れている。ただ、気温は低く、セーターを引っ張り出して着込んだりした。最近は、寒さに負けて出かける時に車を使うことが多くなっていたのだが、今朝、体力の衰えを感じて、今日は少し歩いてみようと思ったりする。
先日、松井今朝子『西南の嵐 銀座開花おもかげ草紙』(2010年 新潮社)を面白く読んでいたので記しておく。この書物を手にとって、これがすぐに『銀座開花事件帖』(2005年 新潮社)の続編だと気づいた。前作の出版が2005年で、これが2010年だから、5年もの月日があるので、その間にもこのシリーズで何か書かれているかも知れないが、どうもこれが続編のような気がする。前作である『銀座開花事件帖』を読んだのがいつか調べてみると、2010年9月21日で、わたし自身も一年以上たってから続編を読んだことになるのだが、明治初期の銀座を舞台にして、新しい世の中と古い世の中が混在する極めて混乱した時代に生きた人々を描いた作品だったのでよく覚えていた。
前作から引き続いて登場して来る人物は、大垣藩主戸田家の四男として生まれ、明治4年(1871年)に岩倉具視らの外交使節団に同行し、帰国後、洗礼を受けてクリスチャンとなり、銀座に原胤昭と共にキリスト教書店「十時屋」を設立したり、キリスト教会を設立したりして、民権運動でも活躍し、日本最初の政治小説である『民権講義情海波瀾』を書いた戸田欽堂(1850-1890年)や、元南町奉行所与力で、維新後クリスチャンとなって戸田欽堂(三郎四郎氏益)と共に「十時屋書店」を開き、民権運動に関わったりして、後に(明治16年)新聞条例違反で投獄された経験から日本初の教誨師となった原胤昭(1853-1942)などが、実に巧みに、それも物語の中心を為す人物として描かれている。「十時屋書店」は現在の教文館であり、原胤昭が設立した原女学校は女子学院である。教文館には時々出かけるし、女子学院も先生や生徒と出会う機会がよくある。
本書では戸田欽堂は、大名の子息らしくどこか育ちのよい器の大きな人物として描かれているし、原胤昭は西洋の新風を身につけた利発さをもちながらも、元町奉行所与力らしい毅然として生きる人物として描かれている。
だが、本書の主人公はこれらの人々ではなく、元旗本の次男で、上野戦争で薩摩藩士の残虐非道の仕打ちを見てこの藩士と争い、維新後、人を殺すことを快感と思うような残虐な薩摩藩士が明治政府の高官となったために銀座裏に身を隠しながら、薩摩藩士に殺された人々の恨みと、あのような人間は将来的に悪しか行わないことからその男を誅したいと思っている久保田宗八郎である。
旧来の文化や精神性と新しい明治の世の姿がぶつかり合う銀座で、侍としての矜持と新しい精神性を求める気持ちが主人公の中にあって、時代の激流の中で自分の生き方を探り出していこうとする姿が描かれていくのである。
上野戦争の時の薩摩の官軍隊長であった石谷蕃隆の残虐非道ぶりを偶然に目撃して、見るに見かねて彼と対決して峰打ちで斬り、命を取らなかったことが仇となって、維新後、政府高官になった石谷蕃隆に狙われるようになり、自分の親族や母親代わりに育ててくれた女性を殺され、なんとかその仇を討ちたいと思っていた久保田宗八郎は、戸田家の若様が作った銀座裏の赤煉瓦の借家に身を寄せながら、石谷蕃隆に近づく道を探し、無為徒食の日々を送っていた。前作では、その借家に住まう過程やそこで起こったいくつかの事件に関係して事件の解決に奔走する姿が描かれていたが、本作ではその借家に出入りしていた人々のその後の顛末が、1877年(明治10年)の西南戦争と絡んで展開されていく。
1876年(明治9年)に、明治政府は秩禄処分(武家の禄-給金-の廃止)や廃刀令を出し、それによって武家の生活は急激に瓦解していったが、そのことに不満を持ち、攘夷勤王の思想を強く引きずっていた熊本の肥後藩士たちが「敬神党」と呼ばれる集団を作り、大挙して反乱を起こした通称「神風連の乱」と呼ばれる反乱が起こった。これに引き続いて福岡で「秋月の乱」が起こり、山口の萩で前原一誠が挙兵し、やがてこれが西郷隆盛を担ぎ出した西南戦争へと繋がっていくが、本書はその明治10年の一連の事件を背景としており、まず、「神風連の乱」の生き残りである加瀬久磨次という青年を久保田宗八郎が銀座裏の煉瓦棟で一時預かりの形で匿っているところから始まるのである。
加瀬久磨次は、頑なに西洋風の生活を拒み、部屋の中で蟄居同様に生活していたが、窓の外を通る若い女性に岡惚れし、この女性が男に連れ去れれるのを目撃して家を飛び出し、ついには官憲に捕まってしまうのであるが、女性には女性の事情があり、彼女はただ母親との貧しい生活を支えるために酌婦になるだけだったのである。一本気な加瀬久磨次の古い体質の武家としての直情的な姿と、生きるための手管を使う女性、そういう姿が描かれていくのである。大体において、男は状況の中で死んでいくが、どんな世の中になっても女は生き残るような力がある。したたかさを生来的にもっているのだと思う。
それはともかく、やがて西南戦争が勃発する。銀座裏の煉瓦棟の住人であり、戸田や久保田とも親交があった純朴な市来巡査も所属する警視庁の命令で西南戦争に駆り出されるし、久保田宗八郎が仇と狙う残虐な石谷蕃隆も九州へ向けて出発する。久保田宗八郎に惚れて一緒に生活していた古い江戸の気っぷの良さをもつ髪結いをしている比呂(ひろ)が助けていた旧旗本の子女の夫も、生活のために官軍の輜重(弾薬や食糧を運ぶ役)として西南戦争に行く。戦地は熊本である。
そして、田原坂の激戦の最中に、市来巡査は殺されかけるところを石谷蕃隆に助けられ、その石谷蕃隆が右足を打たれたところを彼が助け、その蕃隆を荷車で引いて野戦病院となっていた寺まで運んだのが、比呂が髪結いとして助けていた旗本の子女の夫であるという運命の巡り合わせが起こるのである。旗本の子女の夫は西南戦争で命を落とす。
熊本にいたころ、西南戦争の激戦地であった田原坂は毎日のように通った。少し山の中に入れば、その痕跡は今も生々しく残っているが、そこを通る度に「分け入っても 分け入っても 青い山」という山頭火の言葉が浮かんでいたのを思い出す。
その田原坂で市来巡査が助けた石谷蕃隆が友人である久保田宗八郎の仇敵であることを知りつつも、市来巡査は片足を失った石谷蕃隆を介護する役が命じられ、帰京する。そして、銀座に帰り着いたときに、久保田宗八郎と出会い、久保田宗八郎は石谷蕃隆と対決する。だが、石谷蕃隆が既に片足を失っていることで、彼は刀を収めていくのである。
そうしているうちに、久保田宗八郎に惚れて、彼の世話をしていた比呂が癌に冒されていることがわかり、次第に比呂は痩せ衰えていって宗八郎のことを想いながら死んでいく。比呂は、医者の娘であり、原胤昭や戸田欽堂とも親交をもってクリスチャンでもあった闊達な娘であった鵜殿綾が久保田宗八郎に惚れていることを知っており、彼女に跡を託していくのである。比呂の宗八郎を想う愛情の深さは涙を誘うものがある。比呂は、以前は品川の遊女であったが、しゃきしゃきの江戸っ子気質をもつさっぱりとした女性で、髪結いをしながら宗八郎を支えてきたのである。その支えを宗八郎は失う。
それは、宗八郎にとって一つの終焉であった。だが、久保田宗八郎は、比呂を失い、仇と思っていた石谷蕃隆との決着も自ら刀を引くことで終え、それらを胸に納めながら、かつて比呂と一緒に渡りたかった品川の海を眺め、いつかはこの海を渡れそうな気がしていくのである。時が新しい時を刻みはじめ、その流れ来ては去っていく時を眺め、再び歩み出していくのである。
明治10年(1877年)は、ようやく旧体制が終わりを告げる年でもあった。だが、新しい夜明けはまだ来ずに、混沌とした状態が続き、人の暮らしは逼迫し、人心も荒れていた。だが、始まったのだから、人はその中を歩んでいく以外の道はない。西郷隆盛のように、それが愚かなことであると重々承知してもその道を行かなければならない時でもあった。そういう中で生きるひとりの人間、それがこの書で描かれているような気がする。読了後、たぶん、主人公の久保田宗八郎のような人間が、時代に翻弄されることなく自らを貫いて生きていく人間になっていくのだろうというような、漠とした感想をもった。前作もそうだったが、本作も味のある作品だと思う。
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