薄雲が秋の陽光を遮っているような、陽がさしかけては曇る日だったが、気温が高からず低からずで、気持ちの良い月曜日となった。風邪は治りかけているのだが、まだ少し咳が残り、テッシュもたくさん使うし、身体的には爽快とは行かない。それでも、まあ、日常は変わりなく流れていく。
土曜の夜から日曜日の夜にかけて、宮部みゆき『初ものがたり』(1995年 PHP研究所)を絶妙な文章表現に感心しながら読んだ。まず、松下幸之助氏が設立したPHP研究所がこうした文芸書を出版していたことをあまり知らなかったので、出版元を見て、へぇ、と思ったりしたが、ハードカバー二段組み228ページの本の体裁は、持ち運びには便利でよかった。
本書は、本所深川一帯を縄張りとする五十五歳になる中年の岡っ引き「茂七」のミステリー仕立ての捕物帳もので、取り扱われる事件も、巧妙に仕組まれたアリバイ崩し(「お勢殺し」)や浮浪の子どもたちが毒殺される事件(「白魚の目」)の狂気、武家や商人に「畜生腹」と嫌われた双子にまつわる事件(「鰹千両」)、兄弟殺しにまつわる人間の哀れな嫉妬心(太郎柿次郎柿))、お店の婿となった小心な手代の元の恋人の失踪事件(「凍った月」)、大地主が訪ねてきた妾腹の子を「恥」として監禁する事件など、人間の心情の綾が生み出す悲しさを伝えるもので、ミステリーとしてもなかなか凝ったものがある。
また、全編に流れる「茂七」の思いやりの心情と彼の手下たちの個性、そして屋台の稲荷寿司屋を出す謎の人物や、後半に登場する「霊感少年」への対応など、連作の繋がりがしっかり構成されている。
物語の内容も面白いが、それ以上に、個人的に、宮部みゆきらしい優れて豊かな表現が随所にあって、それが本当に気に入っている。
たとえば、狂気のような残虐性をもつ美貌の大店の娘によって引き起こされた浮浪の子どもたちの毒殺事件を取り扱った「白魚の目」では、「二月の末、江戸の町に春の大雪が降った。冬のあいだ、ことのほか雪の多い年のことだったので、誰もそれほど驚かず、また珍しがりもしなかったが、そこここで咲く梅の花にとっては迷惑なことだった」(47ページ)という書き出しがあり、「春の大雪が梅の花にとっては迷惑なことだ」という表現は普通ではできない表現だと感じ入った。
そして、「手の甲を空に向けて雪片を受け止め、茂七はひょいと思った。降り始めの雪は、雪の子供なのかもしれねぇ。子供ってのは、どこへ行くにも黙って行くってことがねぇから。やーいとか、わーいとか騒ぎながら降り落ちてくる。そうして、あとからゆっくりと大人の雪が追いついてくるーー」と続いて、その豊かな感性のままに、本所深川に増えてきた浮浪の子どもたちの問題へと続いていく。
やがて、五人の浮浪の子どもが、小さなお稲荷さんの中で、石見銀山(毒)が仕込まれた稲荷寿司を食べて死ぬ。茂七が駆けつけてきたときに、ひとりの子どもにまだ息があった場面が描かれる。
「『坊ずがんばれ、今お医者の先生がくるからな』
抱き支えてそう話しかけてやる。子供はそれが聞こえたのか聞こえないのか、口を開いて何か言おうとする。耳をくっつけると、息を吸ったり吐いたりする音にまぎれて、ほんのかすかな声を聞き取ることができた。
『・・・ごめんしてね、ごめんしてね』
そう言っていた。
おそらく、食い物を盗んでつかまりそうになったり、ここにたむろしているところを大人に叱り飛ばされたりするたびに、この子はそう言ってきたのだろう。向かってくる大人を見るたびに、そう言ってきたのだろう。
目の奥が熱くなりそうなのをこらえて、茂七は静かにその子をゆすってやった。
『心配するな、誰も怒りゃしねえ。今先生が診てくださるからな』
子供の目が閉じた。もうゆすぶっても返事をしてくれなかった。口元に耳をつけてみる。息が絶えていた」(56-57ページ)
「この子らは、きっと仲よく助けあって暮らしていたのだろう。もしも、先に帰ってきた者が、あるいは力の強い者が、よりたくさんの稲荷寿司を食べるというようなことだったら、食べ損ねた子供は命を拾ったはずだ。だが、彼らはそうではなかった。いくつだったか定かではないが、皿の大きさからしてそうたくさんはなかったであろう稲荷寿司を、仲よくわけあって、みんなで揃って食べたのだ。だから、ひとりも残らなかった」(58-59ページ)
こういう情景が描き出せる作者に、わたしは深く敬服する。作者の情景描写の豊かさは、まだ他にも多くある。
「凍る月」の書き出しの部分では、「回向院の茂七は、長火鉢の前に腰を据え、ぼんやりと煙草をふかしながら、屋根の上や窓の外で風が鳴る音を聞いていた。こうしていても、凍るように冷たい外気のなかを、風神が大きな竹箒に乗って飛び来り、葉が落ちきって丸裸になった木立の枝をざあざあと鳴らしたり、道行く人たちの頭の上をかすめて首を縮めさせたりしては、また勢いよく空へと駆け昇っていくのが目に見えるような気がしてくる」(147ページ)というのも、木枯らしが吹き荒れている様を見事に表現したものだと思う。「凍る月」は、その木枯らしのような冷たい損得勘定で生きる人間の姿を描いたものである。
この物語の事件の推理そのものにも凝ったものがあるのだが、こうした情景の描写や表現に作品の豊かさを感じさせてくれるのが、宮部みゆきの作品ではないかと思う。そして、こういう豊かさがやがて『孤宿の人』という名作につながっていったのだと思う。
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