2010年10月29日金曜日

千野隆司『鬼心 南町同心早瀬惣十郎捕物控』

 今日もどんよりと曇って、肌寒い。台風が九州沖に接近し、もしかしたら関東地方を直撃するかも知れないと予報が出ている。先の雨で被害を受けた奄美の人たちは、また台風の接近で踏んだり蹴ったりでたまらないだろうと思う。九州南部もそうだが、自然災害が毎年のように続くので経済的に豊かになる時がない。ただ、その分、自然の恵みも大きいが、貨幣経済社会では生活が苦しくなる。

 千野隆司『鬼心 南町同心早瀬惣十郎捕物控』(2005年 角川春樹事務所 ハルキ文庫)を大変面白く読んだ。以前、この作者の作品で『札差市三郎の女房』というのを優れた作品だと思って読んでいたし、書棚を見るとこの作品をバザーか何かで購入していたのに気づき、さっそく読んで見たのである。

 これはシリーズ化されていて、本作品は第3作目だそうだが、書き下ろしとは思えないくらい丁寧に物語が展開されていて、奇をてらうこともない平易な文章で、物語も人物もじっくりとにじむように綴られている。最近多く出されている書き下ろしの時代小説の中では完成度の高い作品だと思った。

 主人公の早瀬惣十郎は、南町奉行所の同心で、この作品では妻の琴江と結婚して9年目になるが、子どもはいない。元々、妻の琴江は既に他の者との結婚が決まっていたのを、惣十郎が惚れて奪うようにして結婚したのだから夫婦仲は決して悪くはないし、生涯連れ添う女は他にはいないと思ってはいるが、忙しさにかまけているうちに、いつの間にか夫婦の間に溝のようなものができてしまっている。

 そして、それを打開するためにも、また子どもができないためにも、養子をもらうことを決めるが、琴江が養子として選んだのは、惣十郎の又従兄弟の三男の末三郎で、八歳になるが貧相で、顔は猿のようだし、少しも落ち着きがなく、食い意地が張って、意地悪で、弱い者いじめも平気でし、強く出ると泣き叫んで我を通すような、どうしようもない子どもだった。琴江は「子どもは育て方次第です」と言い張るが、惣十郎は手を焼いている。

 こうした主人公の家庭を背景としながら、市中に起こった事件の探索を、ひとつひとつ積み重ねるようにして物語が展開されるのだが、『鬼心』は、巧妙な誘拐事件を取り扱ったものである。

 日本橋に本店のある小間物屋に長く勤めていた市之助という男が、本店の娘と結婚し、暖簾分けされて深川に小間物屋を開いていた。だが、あまり才のない市之助は、焦って商売に穴を開け、借金をこしらえていた。妻となった娘のお光は、派手好きで、性悪で、市之助と結婚する前も遊びくれて、誰の子かわからぬ子を妊娠し、市之助はいわば外聞をつくろうためにていよく押しつけられた結婚だった。そして、結婚してもその行状は変わらず、親元から金をもらいながら派手に遊んでいた。市之助は相変わらず奉公人としてしか見られていなかった。

 そこで、借金の穴埋めのために、市之助は、市中の剣の腕のたつ冷徹な浪人、鑿(のみ)を使って人を殺す破落戸(ごろつき)、本店の小間物屋に恨みを抱く男に依頼し、妻の誘拐事件を企んで、自分を馬鹿にする本店から金を脅し取ろうと計画する。

 雪の降る夜、誘拐は決行される。だが、その現場を岡っ引きに見られ、腕の立つ浪人はこれを一刀のもとに斬り殺す。その現場をまた見たお光の顔見知りの身重の「おあき」に見られる。「おあき」は身重であったが、お光が拐かされることを知り、後をつけて助け出そうとする。だが、「おあき」も発見され、監禁される。

 早瀬惣十郎は岡っ引き殺しの犯人を追おうとするが、手がかりが何もない。いろいろと調べてみても何も浮かんでこない。そうしているうちに、身重の妻が帰ってこないと心配する亭主が現れる。事件に繋がりがないように見えるが、惣十郎はかすかな繋がりの匂いをかぐ。

 そして、誘拐の金の受け渡しのさい、最初の計画とは違って、自分で何でもできると傲慢に思っていたお光の父親が剣の使い手である剣道場主をつれて受け渡しの現場に行く。道場主も相当な剣の遣い手であったが、犯人の冷徹な浪人に斬り殺される。だが、その時、犯人が印籠を落としてしまう。

 惣十郎は、その印籠から手探りのようにして持ち主を捜し出すが、事件全体の姿はまだ見えてこない。そして、あれこれと探索の結果、ようやく、小間物屋の娘が誘拐されたのではないかと推察する。小間物屋の本店の主でお光の父親も、二度目の金の受け渡しの時に殺されてしまう。その殺しの現場に残る足跡を辿り、誘拐されたお光と「おあき」が監禁されている武家屋敷跡に行き、犯人と対決するのである。

 事件の粗筋はそんなものだが、ここには周囲に馬鹿にされ認めてもらえないが自意識だけは強い小心者の市之助と、親元から離れられずに我が儘な限りを尽くし、自分のことしか考えられないお光と言う夫婦、身重で出産を控え(監禁された場所で出産する)、亭主をどこまでも信じようとする「おあき」と「おあき」の身をひたすら案じる亭主、そして惣十郎と琴江という三組の夫婦の姿が描かれている。また、娘の我が儘を何とも思わない傲慢な父親とそれを当たり前のように思う娘、手を焼く養子の末三郎を暖かく包もうとする琴江の親子関係、金を巡って仲間割れを起こす犯人たち、そういう人間模様が織りなされている。

 巻末の、
 「『あいつが望むなら、もうしばらく末三郎との三人で過ごしてみるか』
  惣十郎は胸の中で呟いてみた。
  おあきは、自分が助けに行くことを必ず待っている。仁助はそう信じていた。惣十郎も、琴江を信じてみようと思ったのである」(248ページ)
 という言葉が、この物語の核をよく示している。

 事柄の顛末が、無理なく丁寧に展開され、それぞれの人間模様が真っ直ぐ描き出されている所がいいし、あれこれと枝葉がなくて、一つの事件が一冊で取り扱われるのもいい。中編の優れたところも持ち合わせている時代小説で、読ませるものがある。

 今日は、これから少し出かけなければならない。雨模様で寒いので、早めに帰りたいとは思っている。昨日めいっぱい仕事をしたので、少し時間的に余裕があるから、図書館にも行きたい。夕食にお肉でも買ってきて焼こうかと思っている。

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