久しぶりに篠つく雨の寒い日になった。車の水しぶきを上げる音が、どこか切ない。もはや騒音としか思えないようなお題目ばかりを叫ぶ選挙カーが行き交っていく。生きることのつらさや切なさを政治家は感じているだろうか。そんな思いを、ふともった。
昨夜は、滝口康彦『一命』(2011年 講談社文庫)を同級生で作詞家のT氏が、わざわざ届けてくれて、これが珠玉の作品集であることを痛感しながら読んた。
滝口康彦(1924-2004年)は、生涯のほとんどを佐賀で過ごした優れた作家で、下級武士の悲劇などを鮮烈に描ききった人である。先ごろ(2011年)、この人の『異聞浪人記』を原作とした『一命』が、三池崇史監督、市川海老蔵の主演で映画化されている。彼は直木賞を受賞しなかったが、6回も候補としてノミネートされている。しかし、作品のキレということでは極上の作品を書いている。
本書には、彼の作品の中から、映画の原作ともなった「異聞浪人記」、「貞女の櫛」、「謀殺」、「上意討ち心得」、「高柳父子」、「拝領妻始末」の5編の短編が収められ、いずれも作家の真髄を示すものとなっている。これは映画化されたことで新たに編まれた文庫本である。
「異聞浪人記」は、短編時代小説の傑作中の傑作で、1958年にサンデー毎日大衆文芸賞を受賞した作品で、既に1962年に小林正樹監督、仲代達矢主演の『切腹』という表題で映画化されており、2011年のものはそのリメイクであるが、1963年に光風社から出され、1982年に講談社で文庫化された『拝領妻始末』に収録されている。
時は、三代将軍徳川家光の時代である寛永年間で、前将軍徳川秀忠によって改易・取り潰された安芸・備後五十万石の福島正則の家臣で、江戸で浪人生活を送っていた津雲半四郎という55~56歳頃の武士が、老中井伊掃部守直孝の屋敷に現れ、呻吟して生活をするよりも、いっそ武士らしく腹を切りたいから玄関先を貸してくれと願うところから物語が始まる。戦国勇壮の武将の一人であった福島正則は、関ヶ原の戦いで反石田三成側として徳川家につき、安芸・備後五十万石の大名となるが、広島城の改築に絡んで、みだりに城を改築したという言いがかりをつけられて改易されたのである。改易された家臣の浪人生活は辛苦を極めた。
その頃、生活苦に喘ぐ浪人たちが、屋敷の庭先を借りて切腹をしたいと申し出て、相手を困らせて金を脅し取るという狂言切腹するということが時折起こっていた。津雲半四郎が「赤備え(武具をすべて赤く染めた)」の武門で鳴らした井伊家を訪れた時も、屋敷の家老をはじめとする用人たちは、津雲半四郎もまたそのような狂言切腹ではないかと思っていた。彼らは、狂言をゆるさずに、なぶって腹を切らせるように仕向けるのである。
ところが、津雲半四郎はひるむことなく堂々と切腹に臨み、介錯人を指名する。しかし、彼が指名した介錯人はいずれも出仕していなかった。そして、彼の口から言魂がほとばしり出る。
津雲半四郎には一人の寵愛の娘がいた。名を「美穂」と言う。妻亡きあとで半四郎は「美穂」を育て、浪々の貧しい生活ながらも「美穂」は美しく育った。そして、半四郎の無二の親友の忘れ形見であり、後事を託された千々岩求女と相愛となり、結婚し、男子が生まれた。貧しくささやかながらも幸せな生活が織りなされてきた。しかし、男子が三歳になった時に、「美穂」が血を吐いて倒れてしまったのである。カツカツの生活では薬代を出すこともできない状態に陥ったのである。そして、彼らの子どもも発熱してしまったのである。求女は医者を呼ぶ金を作ると言って出て行った。
そして、窮した千々岩求女が向かった先が井伊家であり、彼はやむにやまれずに狂言切腹を行うのである。井伊家は、求女が狂言切腹であることを十分承知の上で、よってたかって彼に腹を切らせる。求女は覚悟して、せめて数日待ってくれというが、井伊家の家老をはじめとする用人たちは聞き入れずに、無理やりそう仕向けたのである。その時、求女が差していた脇差は竹光であった。求女は脇差までも売り払って生活を支えていたのである。井伊家は、それが竹光であることを承知の上で、その竹光で彼に腹を切らせたのである。彼らは求女をなぶり殺しにした。「以後のみせしめ」、それが井伊家の言い分であった。
そして、発熱した男の子は高熱に苛まれて死んでしまい、それから三日後には「美穂」も亡くなってしまった。
津雲半四郎は、狂言切腹もあさましい所業ではあるが、井伊家の人々の仕打ちも酷い、と言う。「武士たるものが死のどたん場で、恥も外聞もなく、一両日がほどの御猶予を願いたいと訴えたは、よくよくの事情があればこそ、せめて、一言なりとも、いかなる理由あってのことか、問いただすほどの思いやり、方々にはなかったものか」(本書33ページ)と激憤の中で語る。
半四郎は、求女に竹光で腹を切らせようとよってたかって責め立てた用人たちの髷を切り落として、それから飄然と井伊家に現れたのであった。そして、彼は、それだけを告げると家中の者たちと斬り結び、切り刻まれて死を迎えるのである。それは、あまりにも壮絶である。是も非もない。ただ、武士の一分で一矢報いるだけであるが、わたしには津雲半四郎の口惜しさがよくわかる気がする。
「貞女の櫛」は、1983年に講談社文庫で出された『葉隠無残』に収められている作品で、『葉隠』の巻九に記載されている田代利右衛門女房という女性に関するエピソードから題材が取られているもので、『葉隠』が貞女の鏡のようにして記している事柄を、不義密通の罪で無礼討ちされた奉公人の純愛として描き出したものである。
物語は、田代家に奉公人として仕え、機転の利く働き者として重宝されていた巳之吉の遺体が、戸板に乗せられて無残な姿で金立村の実家に運び込まれるところから始まる。無礼討ちをされて首と胴が切り離されたという。田代家に気に入られていた優しい兄が何故こうなったのか。妹の「おくみ」はその理由を知りたいと思った。
藩内で様々な噂が飛び交う。巳之吉が主人の妻である「夏」に懸想して、主人の留守中に不義密通を迫り、「夏」の機転で物置小屋に閉じ込められ、帰ってきた主人に首をはねられたというのである(『葉隠』巻九はそのように記している)。しかし、兄の巳之吉が不義を働こうとしたことがどうしても信じられない「おくみ」は、田代家を訪れて、「夏」と会い、その真相を聞くのである。「夏」は、藩内でも評判の美人で、溢れるような色気がある女性だった。「夏」は、巳之吉が下男の矩を越えて懸想したと言い張るが、首を切られた巳之吉の顔には満ち足りた安らぎが漂っていた。「おくみ」はその理由を聞く。
「夏」は、あくまでも奉公人としてではあるが、巳之吉には優しく接していた。その優しさが巳之吉には響いて、一心に「夏」を想うようになっていったのである。そして、巳之吉は、確かに主人の利右衛門が留守の時に、その想いを遂げようとした。そして、「夏」は、貞女として機転を利かせて物置小屋に閉じ込めたのである。だが、閉じ込められた巳之吉は、想いを打ち明け、命を捨てていたのだから、と言い張って、穏便に済ませようとする「夏」の申し出も断り、平然と利右衛門の刀の下に首をさらしたのである。巳之吉は、ただ自分の一途な想いに殉じた。「おくみ」はそのことを知る。不義密通を働こうとした男として噂される巳之吉が、実は、純愛を貫こうとしたことが行間に漂うような作品である。
短編とは言いながら、ここに収められているのは内容も濃く、また優れた余韻を響かせる作品であり、どれにも切なくてやるせない情景が描かれているので、「謀殺」以降については、また次回に記すことにする。
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