晴れてはいるが、ひどく寒いクリスマスイブになった。ホワイトクリスマスかもしれないという予報もある。寒さや貧しさはクリスマスにふさわしいと思うが、どことなく堪えるなあという気がしている。人々が愛を語り、感じるのはいいことで、わたし自身は心を澄ませて過ごそうと思っている。黙することの大切さを改めて感じている。
閑話休題。乙川優三郎『霧の橋』(1997年 講談社 2000年講談社文庫)を、これも良質の作品だと思いながら読んだ。この作者の作品は、『五年の梅』(2000年 新潮社)を読んで、かなり質の高い作風だと思っていたが、本作も、人間の「綾」を描き出したいい作品だった。本書は第7回時代小説大賞の受賞作である。描かれているのは、武士を捨てて商人となった主人公が、彼が持つ武士らしさのために壊れかけた夫婦の愛情を取り戻していく過程である。しかし、その背景や過程は、武士の仇討ちや商人どうしの争いと葛藤があり、決して単純なものではない。
本書は、最初に主人公紅屋惣兵衛の父親の江坂惣兵衛が殺される場面から始まる。江坂惣兵衛は陸奥一関藩の勘定組頭で、四十五~六の中年で、妻女は二男を生んで亡くなっており、通いの小料理屋の女将「紗綾」に想いを寄せている。「紗綾」は武家の出を思わせる清楚な女性で、惣兵衛は「紗綾」との再婚も考えている。そして、同僚の林房之助に「紗綾」を紹介しようと小料理屋に伴っていたのである。
林房之助は惣兵衛の次男与惣次の養子縁組の話を持ち出し、与惣次が相当の剣の使い手であることを聞いたりしていたが、彼の妻が彼を馬鹿にしているなどの鬱屈した気持ちを持っていた。林房之助は、自分が弱くて、人の機嫌をとって生きてきたと卑屈になっているのである。そして、江坂惣兵衛が「紗綾」を紹介したとき、房之助は彼女に見覚えがあり、彼女が元一関藩普請奉行の娘であったことに気づく。彼女の父親は城の外堀工事の際に不正を働いたかどで領外追放となっており、その不正の証拠を提出したのが林房之助だった。房之助は惣兵衛と「紗綾」の婚儀に強く反対し、惣兵衛は「紗綾」の前身がどうであれかまわぬ、と言い出し、房之助が持ち込んだ次男の養子先に問題があることなどを指摘し、二人は口論となる。その小料理屋に来る前に林房之助は、自分の妻が息子の私塾の師匠と人目をしのびながら茶屋に入っていくのを見かけ、彼の気分は散々に鬱屈していたのである。林房之助は次第に狂気を帯びていくようになり、「紗綾」を斬るとまで言い張るようになる。彼は刀を抜いて「紗綾」に襲いかかる。そして、惣兵衛はその「紗綾」をかばって、背中に刀を刺されて絶命するのである。林房之助はその場から逐電する。
これが最初の章で語られ、場面は一変して、紅屋惣兵衛の話になる。紅屋惣兵衛は紅だけを扱う自分の小さな店を乗っ取ろうとする小間物問屋の大店との闘いの中に置かれている。小間物問屋の勝田屋は、実に巧妙に商人らしい仕掛けをして紅屋を乗っ取ろうと画策してくるのである。
紅屋惣兵衛は、実は、殺された江坂惣兵衛の次男で、事件の後、病弱な兄に変わって仇討ちの旅に出て、十年に及ぶ放浪の旅をし、偶然に江戸で仇の林房之助に出会い、これを見事に討ち果たした。そして、国元に帰ってみれば、彼の兄は公金横領で処刑されて、家族は離散し、彼もまた追放処分となって、再び江戸で窮乏生活をしていたのである。彼の生活は困窮を極めたが、あるとき、一人の娘が浪人者に襲われているところを助け、その娘の父親から人柄を見込まれて、刀を捨てて商人となり、その家と娘を引き受けたのである。その店が、紅を扱う紅屋で、彼の妻となった娘は「おいと」であり、与惣次という名前を改めて紅屋惣兵衛を名乗ったのである。
「おいと」は、控えめでありながら商売のコツをよく掴んだ、よくできた妻で、彼は「おいと」を可愛がり、夫婦仲はよく、小さな店ながら平穏でかけがえのない日々を送っていたのだが、大店の勝田屋が乗っ取りを企んできたのである。
江戸の商人の世界が展開されていく。勝田屋は、あの手この手の絡め手で自分の企みを進め、紅屋惣兵衛は幾度の危機にさらされながらも、商人としての闘いを繰り広げて紅家を守り、新しい商品の開発などにも尽力を注いでいく。このあたりの展開は、その駆け引きを巡る緊張感をもって、詳細に描かれていく。それはまさに商人と商人の駆け引きの世界であり、策謀の世界である。
闘いは精神的な緊張感を生んでいく。それが緊迫感を持って描かれていくが、それだけに、その闘いの中で紅屋惣兵衛が元は侍であったことが出てきたりする。闘いの仲では人の本性がでる。妻の「おいと」は、そのことに不安を覚え始める。惣兵衛がいつか商人であることをやめて武士に戻るのではないか、そういう不安を惣兵衛は「おいと」に抱かせてしまい、夫婦仲が微妙にずれ始めるのである。
そういう中で、一関藩の奥女中をしている美しい女性が紅屋惣兵衛を訪ねてくる。彼女は、紅屋惣兵衛の父親が殺された時に一緒にいた「紗綾」の姪であった。そして、江坂惣兵衛が殺された時の真相を語る。
「紗綾」は、確かに元普請奉行の娘で、藩の重臣たちの策謀と林房之助にぬれ衣を着せられて追放されて無念のうちに死んだ父親の仇を討つために、一関藩に戻ってきて、林房之助が精神的に不安になるように、彼の女房に化けて私塾の師匠と密会する現場を見せたりして、様々に活動していたのである。だが、江坂惣兵衛に出会い、彼に想いを寄せるようになっていて、林房之助が剣を抜いたときに、思わず惣兵衛をかばい、それによって逆に「紗綾」をかばった惣兵衛が殺されたのである。だから、惣兵衛を死に追いやったのだから、惣兵衛の本当の仇は自分であると告げるのである。そして、自分は紅屋惣兵衛に討たれてもいいと思っていた。
紅屋惣兵衛は、その話を聞いて悩む。父は「紗綾」に惚れて、その「紗綾」のために死んだのだから本望だったのではないかとも思うし、父の本当の仇を討つことは、自分の務めだとまで思い込む。そして、密かにしまっていた刀を取り出して「紗綾」を討つために出かけていってしまうのである。
しかし、「紗綾」と対峙したとき、彼の口からは思いもかけなかった言葉が出てきて、父は本望だったと語り、あなたは父が妻にしたいと願った女性だ。「夫が妻を守るのは当然のことで、その結果たとえ命を失ったとしても妻に死なれるよりはましだということです」(本書318ページ)と言い、「商人のわたくしにはもう用がないものです」と言って、持っていた刀を父親の形見として「紗綾」に渡すのである。こうして、紅屋惣兵衛は、きっぱりと侍を捨てるのである。そのを物陰から見ていた彼の女房の「おいと」が見ていて、惣兵衛は「おいと」のところに駆け寄るところで終わる。
その最後の描写は巧みだし、まことに胸を打つものがあるので、記しておきたい。
「ふみ(「紗綾」の本名)と別れ、深い霧の中を戻りかけて間もなく、不意に力強い日の光が差してきた。日は惣兵衛の背後から霧を射るかのように照らしてい、夜が明けたらしかった。何気なしに空を仰ごうとして、惣兵衛はそこから二間と離れていない先に仄かな人影が浮かんでいるのに気がついた。・・・・
・・・・咄嗟に感じたのは驚駭に近いものであったが、霧に濡れ、朝の光を浴びながら身じろぎもしないその姿は、まるで幻を見ているように美しかった。・・・
・・・薄い寝間着の上に赤い綿入れを羽織り、足下は裸足だった。胸の前で祈るように組んだ手を握りしめ、凍え切った顔でこちらを見つめている。
惣兵衛は堪りかねて歩き出した。
・・・・・・
「おいと」
惣兵衛がひとこと呼びかけると、涙が雫のように零れ落ちた」(本書323-324ページ)。
本作は、父親が殺されたり、その仇討ちが行われたり、商人どうしの熾烈な駆け引きがあったりする中で、何ということはない平穏な暮らしの大切さが描かれているのである。それをこういう形で物語って描き出すところに、この作者の優れた力を感じる。これままた、本当にいい作品だった。
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