春の天気は変わりやすいいが、こうも気温の変化が激しいと、「うむ」と思ったりしながら日々を過ごさなければならず、身体的な齟齬が生まれてきたりする。春ののどかな陽射しには縁遠い湿気を含んだ冷たい風が吹き抜けていく。
以前、滝口康彦『一命』(2011年 講談社文庫)を読んで、その作品の質の高さに感嘆して、この人の作品をもっと読んでみたいと思っていたら、演歌の作詞家をしているT氏が『遺恨の譜』(1996年 新潮文庫)をもってきてくれて、これも味わい深く読んだ。
これも『一命』と同じ短編集で、この中には「高柳親子」、「仲秋十五夜」、「青葉雨」、「下野さまの母」、「昔の月」、「鶴姫」、「一夜の運」、「千間土居」、「遺恨の譜」の九篇の短編が収められ、このうちの「高柳親子」は『一命』にも収められており、この作品については、2012年12月21日に記したので、ここでは割愛する。。
本書の巻末に、縄田一男の「解説」が記されており、その中で縄田一男は「一般に滝口康彦の一連の士道小説は、武家社会の掟のきびしさや非人間性を描く、封建期の慟哭譜として捉えられてきたし、事実、私もそう記したことがある。しかしながら、・・・・彼ら侍は、歴史の枠組みの中でそうした生き方しか許されなかったのである―滝口作品が、まず私たちに教えてくれるのは、この動かしようのない事実である」(本書373ページ)と述べて、組織の中で個を確立していくことに難儀していく姿がそのテーマとなているというようなことを述べているが、全くその通りだと、わたしも思う。
そして、滝口康彦の作品が光彩を放つのは、そうした普遍的なテーマと共に、その文学性の高さにあるとも思う。短編として、実に質の高い構成で、切れのある文章で綴られる物語と登場人物の余韻が響く。
「仲秋十五夜」は、夫が亡くなって七年の歳月を経た後に、夫の死の真相を知ることができた妻が、夫の真実の姿を知り、それによって夫への愛情や夫婦であったことをしっかりと心に収めていく話である。
薩摩島津領の日向の郷士であった淵脇平馬と押川治右衛門は、薩摩藩主島津忠恒が催した鹿狩りの際に、鹿と間違えて、分領の帖佐二万石の領主伊集院源次郎忠真を鉄砲で撃ち殺してしまい、その場で切腹して果てた。誤って撃たれたのは伊集院源次郎忠真と、もう一人薩摩藩の重臣の子であった平田新四郎の二人で、薩摩藩島津家は、重臣の子の平田新四郎も死んだのだがら、これが全くの過失であると主張したが、その場に駆けつけた帖佐伊集院家の家臣たちは納得ができず、島津家家臣団との間で戦いとなり、十数名が討ち死にし果ててしまうという出来事になった。
この出来事を招いたことで、淵脇平馬と押川治右衛門の葬儀もゆるされなかったが、伊集院源次郎忠真の一族も、後の憂いを断つために、その後すべて殺された。
その後、平馬の妻「とせ」は、平馬が死んだ八月十七日を心に刻みながらひっそりと生きた。そして、七年が経ち、子どもの平次郎も十二歳になったとき、地頭が藩主からの金子を持って「とせ」を訪れ、実は、あの事件には政治的な裏があって、平馬は藩主の命令を受けて伊集院源次郎直実を殺害したのだということを聞かされるのである。
そこには、かつて伊集院一族が起こした変によって揺るがされた薩摩島津家が、伊集院家の禍根を断つという政治的思惑があったのである。
事件の前々夜の八月十五日、暗殺の密命を受けた淵脇平馬と押川治右衛門は、自分の生命を賭した、しかも自分の意に沿わない密命を受け、それぞれに逡巡し、仲秋十五日の夜をそれぞれで過ごしていく。平馬はいつもと変わらぬように静かに寝ていた。だが、事件の真相を聞き、「とせ」は、平馬が寝ていたのではなく、必死に何かに耐えていたのだと気づく。殿様からくだされたという金子が重みを失う。
そして、「平馬は、七年前の八月十七日に死んだ。昨日まで、とせにとって、忘れてはならない日は八月十七日だった。でも、いまは違う。ほんとうに忘れてならないのは、八月十五日なのだ。今夜なのだ」(90ページ)と思うのである。「とせ」は、そのことによって、藩命で死んだ夫を再び自分の手に取り戻すのである。
こういう密度の濃い展開と人間の姿は珠玉の短編ならではではないかと思う。第三作目の「青葉雨」は、権力の横暴の中でも、強い意志と愛情をもって生き抜く男女の姿を描いたものであるが、これもまた珠玉の作品である。
「綾」は、家人の留守中に領内見廻りと称して立ち寄った藩主によって手篭にされた。彼女には結城伊織という相愛の許嫁があり、伊織が出府から帰国したらこの秋にも祝言をあげるばかりであった。
藩主の左近将監忠房は、正室の他に数名の側室を置き、その他にも奥女中に伽を命じるような好色な男で、「綾」に目をつけ、しかもお側頭の深尾主馬と望月宗十郎が画策しての「綾」への狼藉だった。深尾主馬は出世頭第一の男といわれ、結城伊織のことを知りながらも「綾」に後添いを申し入れ、にべもなく断られたことを根にもって、藩主の狼藉を企んだのである。そして、殿様のお手がついたことを藩内の噂として流した。
だが、「綾」は、そういうことは一切なかったと断固として言う。彼女はそうしながらも、ひとり伊織との結婚を諦め、屈辱に耐えることを決心した。
だが、殿様のお手がついたのだから側妾として差し出すようにという申し入れが「綾」の兄の伊吹源三郎になされる。「綾」は、断固として、お手がついたというのは噂に過ぎず、もし、藩主が許嫁の定まった娘に主君の威をかさに力づくでてをつけたことになると、藩主は避難の的になるだろうと主張する。
そうしているうちに、許嫁の結城伊織が帰国した。伊織は直情怪行で無鉄砲なところがあったが、磊落で、こだわりのない真っ直ぐな性格の男だった。そして、「綾」についての噂を知りながらも、なお「綾」を妻に迎えると言う。自分は「綾」を信じており、噂が本当ならなおさら自分が「綾」を妻として迎えなければならないと言い張った。
だが、藩への婚姻の届出は御側頭の深尾主馬によって却下されてしまう。しかし伊織は、、主君の名を汚さぬようにしているということを主張して婚姻を認めさせる。しかし、「綾」は、自分は伊織の妻にはなれないと思っていた。
そういう「綾」の姿を見ていた兄嫁は、すべての事実を知りながらも、「綾」が耐えているのは伊織への想いが断ち切り難くあることを素直に認めて、伊織も同じ想いだから、その結婚を承知するようにと語りきかせるのである。「綾」は、その言葉を青葉の雨の中で泣きながら聞くのである。
権力の横暴によって泣かされた人間は山ほどいる。そして、その中を、自分の思いを強く持って忍耐して生き抜いた人間もいる。この作品は、そういう人間の姿を、自分の思いに正直になって愛を貫く男女の姿として提示するのである。相手に対する思いやりが深い男と女の仲は、そう簡単には崩れないし、また、崩れないでいて欲しい。
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