「あわれ秋風よ 情(こころ)あらば伝えてよ―男ありて 今日の夕餉に ひとりさんまを食らひて 思ひにふけると」いうには、まだほんの少し早いかもしれないが、「あわれ秋風よ」と言いたくなるような季節が近づいている。温暖化の影響で今年はさんまの南下が遅れているらしいが、「男ありて」は、いつも変わらない。
ブログを掲載しているGoogleの表示が少しおかしくなり、前回デザインを変えてみた。よく「書きすぎ」と言われるので、「見ること」が中心の文化になっている今時は流行らない掲載量なのだろう。字数で言えば、全部で150万字近くにはなっているからなあ。200万字で400字詰め原稿用紙5000枚になる。まあ、そのくらいが良いかもしれない。
さて、少しミステリーの要素が入った同心物時代小説である泡坂妻夫『飛奴 夢裡庵先生捕物帳』(2002年 徳間書店 2005年 徳間文庫)を読んでみた。元々が推理作家である泡坂妻夫の作品は、以前、『からくり東海道』(1996年 光文社)というのを1冊だけ読んで、どことなく消化不良を起こしそうな作品だというのが、その読後感であったが、本作は、幕末の頃の北町奉行所同心である富士宇衛門という、自分の身なりについては全くの無頓着である剣の遣い手を主人公にした『夢裡庵先生捕物帳』シリーズの最後の作品になっている。
富士宇衛門は、頭脳も明晰で、剣の腕も立ち、情にも厚い、いわば剛の者であるが、容姿だけがあまりいただけず、「月代は伸び無精髭が生え、羽織はよれよれで色褪せている」姿で現れる。彼は、「空中楼夢裡庵」という雅号をもち、親しい者たちから「夢裡庵先生」と呼ばれており、彼を主人公にした最初の作品が『びいどろの筆』(1989年)で、第二作目が『からくり富』(1996年)と題して出され、本作はその完結編として出されたものである。
これらはすべて短編連作の形で書かれており、本作には、「風車」、「飛奴」、「金魚狂言」、「仙台花押」、「一天地六」、「向かい天狗」、「夢裡庵の逃走」の七篇が収められている。作者は自ら手品や奇術に凝ったと言われるが、本作でも、トリック風の謎解きや手品を使ったものが出てきて、女性の死体だけがある船が漂っているということについてのトリックの謎解きをする「仙台花押」や、サイコロを意味する「一天地六」を使った手品が使われている。
ただ、取り扱われる事件やその謎解きにはあまり深みも妙味もなく、一応の探偵役となる人物も一話ごとに変わり、誰のセリフもあまり特色がなくて似たようなセリフで説明がなければ誰が言っているのかわからないような書き方であるし、あっさりと謎が溶けるあたりも物足りなさが残る。
「風車」は、武具屋の主人が殺され、離縁された元の妻に疑いがかかるが、殺したのは彼が再婚した今の妻であるというもので、表題は、自分の人生は風車のようなものだという元の妻の言葉から取られている。「飛奴」は、鳩を使って大阪の米相場をいち早く知り、大儲けをしていた米問屋の話で、糞から鳩を割り出すというものであり、「金魚狂言」は、毒饅頭の噂を利用して袋物問屋の番頭を、彼が囲っていた妾が殺すというものである。そのほかのものもだいたい同じような展開だが、最後の「夢裡庵の逃亡」だけは、これがシリーズの完結であるだけに、剛の者であった夢裡庵先生こと富士宇衛門が官軍となった薩長軍に対抗して上野で戦いを展開した彰義隊に入り、そこで負傷して、彼を尊敬していた町人たちの手によって助け出され、前から想いを寄せていた娘と、やがて夫婦となって新しい明治の世を生き抜こうとするところで終わるという展開になっている。
彰義隊と薩長軍の攻防はよく知られており、その歴史が踏まえられて、戦いのさなかにある夢裡庵の姿を通して、それが描かれており、しかも、江戸町人の視点でそれが記されているので、読み応えのあるものとなっている。探偵小説としても時代小説としても、どこか古くて、少し不満足さが残っていたのだが、最後の「夢裡庵の逃亡」は、味のある結末だった。
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