2009年11月10日火曜日

佐藤雅美『物書き同心居眠り紋蔵 密約』

 空は、晴れたり曇ったりだが、初冬の感じがしてくる日になった。目覚めた時に寒さを覚える。4時くらいに起き出して、佐藤雅美『物書同心居眠り紋蔵 密約』(1998年 講談社 2001年 講談社文庫)を読んだ。

 この作品は、『物書同心居眠り紋蔵』、『隼小僧異聞』に続く、このシリーズの3作目で、前の2作はまだ読んでいない。しかし、読んでいなくても、主人公の藤木紋蔵の姿がよく描き出されているので、時代小説の捕物帳として、大変面白く読んだし、時代考証も物語の背景としてしっかり生かされているし、おそらく、この作者は古地図も古文書もきちんと読みこなせるのだろうと思われて、なかなかの作品だと思った。

 古地図はともかく古文書は、現代人が見慣れない字の崩し方や用語の使い方もあって、これを読むには相当の慣れを必要とする。しかし、作者は苦も無くこれを読みこなせるのだろうと伺わせる箇所が随所にあって、作法からしても、じっくりと練られた跡がうかがえる。

 物語の主人公藤木紋蔵は、文化・文政年間に南町奉行所で例繰方(判例などを調べる役職)の与力に仕える物書(記録係)の同心であり、本人の意思にかかわらずに所構わず不意に眠りこんでしまう奇病の持ち主で、「居眠り」と呼ばれる人物である。彼がそのような奇病にもかかわらず、閑職とはいえ、物書同心として勤められるのは、彼の人格と才能を認める上役や周囲の人々に支えられているからで、彼自身、様々な事件を彼のやり方で解決していく力をもっている。

 この作品は八話から成り立っているが、それらが連携して、最後に、藤木紋蔵の父が殺された事件の謎を解くという方向へと流れるようにできている。紋蔵は、父の死が一橋家と徳川家斉につながった事件であったことを地道な捜査で知っていくのであり、最後に、時の権力者である一橋家と南町奉行所との間で交わされた「密約」があったことを知るのである。

 藤木家には、すでに北町奉行所に勤めている長男と嫁に行った長女以外に、妻の里と次男の紋次郎、麦、妙の二人の娘の他に、ふとしたことで預かることになった文吉という子どもがいる。

 この文吉についての話が、「第一話 貰いっ子」と「第二話 へのへのもへじ」で、文吉の父遠庄助は、女郎屋の親父をしていた久兵衛を「無礼討ち」にしてしまったのである。藤木紋蔵は、上役に頼まれて、それが「無礼討ち」なのかどうかを調べるのだが、実は、昔、久兵衛が遠藤庄助の金を盗みだし、その怨恨もあったという事情を調べ上げ、遠藤庄助は、情状が酌量されて、罪一等を減じられて遠島になるのである。

 文吉は、藤木紋蔵を頼り、そのまま藤木家にいつくことになる。「紋蔵も里も、文吉が一緒に朝夕箱膳を並べていることに、やがてなんの違和感も抱かなくなった」(文庫版 54ページ)という結びの言葉が、まことにいい。

 圧巻は、その文吉を連れて遠島になる父親を見送りに行く場面で、紋蔵は文吉の手を引いて父親の前に立たせる。

 「遠藤庄助はぴくりとも表情を変えない。文吉もそうで、二人はしばらく睨み合っていて、やがて遠藤庄助は横付けされている小舟に目をやった。
 二人とも感激がないのではない。殺しているのだ。大人の遠藤庄助はともかく、わずか八つの文吉までが見事に感情を殺している。躾の問題だとは思うがそれにしても驚くばかりだった」(文庫版 115ページ)

 とあり、その文吉が、その後で行った料理屋の二階で、肩を震わせて泣くのである。そのくだりは、次のように表現されている。

 「お客さま」
 女が障子の向こうから声をかけ、源次が声を返す。
 「なんだ?」
 女は障子を開けて、声を細める。
 「お子が泣いておられます」
 「あっしが」
 源次が立とうとするのを手で制して、紋蔵は女に聞いた。
 「どこで?」
 「廊下の外れです」
 紋蔵は足音を忍ばせ、廊下を外に向かって角を曲った。
 突き当たりに円窓があり、どうやらそこから大川と海が見渡せるようで、文吉は外を見ながら、肩を激しく上下にゆすっていた。(文庫版 121ページ)

 藤木紋蔵は、情に厚い。「第七話 漆黒の闇」で、料理屋の美人「お裕」に思いを寄せられた時、彼自身も心憎からず思ってはいるが、奥方様のことがご心配でございますか」と言われ、「心配というより、居眠りのわたしを支えてくれたかけがえのない女房だ」という。「お裕」は「悔しい!」と返す。

 この会話にも藤木紋蔵の人柄がにじみ出ている。また、「悔しい!」という「お裕」も粋でいい女である。

 こうしたところが随所にあって、読ませる。

 佐藤雅美は、1994年に『恵比寿屋喜兵衛手控え』で直木賞を受賞し、『物書同心居眠り紋蔵』のシリーズは、1998年にNHKでテレビドラマ化されたとのこと。残念ながら、その頃は西洋哲学書ばかり読んでいて、時代小説にほとんど関心がなかったために、このテレビドラマのことは全く知らなかった。今思えば、おしいことをした。

 今日はこれから大江健三郎についての話をまとめる作業に入ろうと思う。来週の月曜日に話をしなければならないので、レジメも作成する必要があるから。仕事も少したまっているし、図書館にもゆったりと出かけたい。ただ、相変わらず貧しくはあるが、こんな日常も悪くはないと思ったりする。

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