2010年11月13日土曜日

出久根達郎『猫にマタタビの旅』

 薄く曇った肌寒い日になった。黄色くなった銀杏が、時おり差す陽の光に輝いたりするが、全体的に灰色の世界が広がっている。

 木曜日の夜から読み始めていた出久根達郎『猫にマタタビの旅』(2001年 文藝春秋社)を読み終えた。書名からして「マタタビ」と「旅」がかけてあったり、扉に「東西、トーザイ」という口上書きが記してあったりして、気楽に読めるようになっているが、仕事が少し立て込んでいたので読み終えるのに少し時間がたってしまった。この作品には『猫の似づら絵師』という前作があるが、そちらはまだ読んでいない。

 ちなみに「東西、トーザイ」というのは芝居の前口上の呼びかけの言葉で、「ご来場のみなさん」というのを洒落て言ったもので、この前口上が記してあることからわかるように、本書は、全体が洒落とユーモアに満ちたものになっている。

 主な登場人物は、猫の飼い主などに猫の似顔絵を描いて売っている銀太郎と、縁起物として貧乏神の絵を売っている丹三郎というふたりの青年、そして、年齢も正体も不明だが、うどん好きで、始終うどんを打っていて、人生の機知をよく知り、時には窮地を脱する手段を発揮する源蔵の三人である。この源蔵は春画を描いて糊口をしのいでいるが、実は、実際にわずか10ヶ月ほどしか活躍しなかったにもかかわらず独特の役者絵を描いた東洲斎写楽ではないかとの暗示もあったりする。三人はいずれも貧しく、そしてお気楽者である。そして、「なんとかなるさ」という脳天気ぶりが発揮される。

 本書は七編からなる連作集だが、最初の三編、「猫にマタタビの旅」、「禍福は猫の目」、「ぐるっと回って猫屋敷」以外の四編は、三人がうどんの名産地でもあった上州の高崎(現:群馬県高崎市)にうどんを食べに行くという旅物語で、源蔵が描く春画を欲する者がいるというのが旅の目的でもあった。

 最初の三編は、貴重な金目銀目の猫(猫の目が金と銀で、両方が金の目の猫も招福猫として考えられていた)を買いたいという柳橋の芸者置屋の女将の依頼を受けて、銀太郎が甲州街道の多摩に出かけていく話で、宿で盗っ人にあったり、猫の売り主が猫の帰家癖を利用して企んでいた詐欺がばれたりしていく「猫にマタタビの旅」、行徳河岸(現:千葉県市川市南)まで春画を描きにいく源蔵に銀太郎と丹三郎が同行し、そこからさらに木更津まで行って、そこで高価な三毛猫の雄(航海安全、招福として尊重された)が逃げて弁償しなければいけないという少年に会い、同情して三毛猫の雄を探したりしているうちに、実は、その猫の失踪そのものが同情をかって金を儲けるために仕組まれたものであることがわかっていくという「禍福は猫の目」、老い猫を捨てることを依頼された銀太郎が佃島まで猫を捨てに行くことに絡んでの佃島の猫屋敷と老い猫の買い主である女性の離縁話が語られた「ぐるっと回って猫屋敷」である。

 ちなみの、この話の第一話で、銀太郎は、猫を呼び寄せるために持って行ったマタタビを飲んで、発情してしまい、同行した男のような芸者置屋の奉公人「みん」と寝てしまうが、この「みん」が最後の第七話「人も猫も猫かぶり」で銀太郎に夫婦約束を迫る話も出てくる。マタタビは催淫剤でもある。

 第四話からは高崎への旅物語だが、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』よろしく、あちらこちらでてんやわんやの騒動が巻き起こり、三人はそれに巻き込まれていくのである。

 第四話の「鼠の猫じゃらし」は、高崎へ向かう途中の岩鼻(現:群馬県群馬郡岩鼻)で、蚕のネズミよけに貼る猫の絵を描く地主に出会ったり、密かに訳ありの子供を産ませることをしていた神官が生まれた子どもを使って遊女屋を営み、こっそり生んだ母親を脅したりしていた事件に遭遇していく話である。この事件で使い走りをさせられていた庄太郎という若者も三人に同行することになる。

 第五話の「猫なで声でうどん」は、四人が高崎に着いて見ると、源蔵に春画を依頼した者が伊香保温泉に保養に出かけたというので、金儲けの当てがはずれた四人が伊香保までいく話である。ここで千社札を貼ることを生業としている甚六という男と同行することになり、一行は、伊香保の手前の水沢観世音に美味しいうどんを食べさせる店があるというので、そこに出かける。ところが、彼らが入ったうどん屋は、いわばぶったくりのうどん屋で、酒も女も出すという怪しげな鼻つまみのうどん屋だった。

 彼らはすぐにその店を出ることにしたが、料金のことでもめているときに、水沢観世音の住職が通りかかり、彼らは窮地に一生を得る。そして、その店で嫌々働かされていた小冬という女性(小冬は弥山の源氏名で、実名はお春)も彼らと同行することになるのである。

 第六話「猫のひたいで盆踊り」は、源蔵の金主となる春画を欲しがる旦那が伊香保から草津に行ってしまい、全く金がなくなった一行六人が安宿の布団部屋で金策に走る中、宿に併設されている湯治客用の風呂で、貸本屋の金蔵と会い、彼の貸本を写本して金稼ぎを考えた銀太郎と丹三郎であったが、その貸本(春本)の絵に、風呂で見た背中に弁財天の刺青のある女性の姿を描いたところ、その女性の男の子分たちから脅しをかけられていく話である。彼らは女性の気っぷの良さと粋な計らいで窮地を脱していく。

 第七話「人も猫も猫かぶり」は、草津まで行って春画で金を稼いできた源蔵が戻り、伊香保で最上級の旅館に泊まることになった六人が、その旅館で起こる騒動に巻き込まれる話で、第五話で同行することになったお春の素性が明かされ、自分には子種がないから友人と寝て子どもを作ってくれというようなふがいない分かれた亭主が、たまたま一念発起して彼女を探しに来ていたのに出会ったり、逃げていた殺人者(実は怪我させただけで、殺人というのは噂に過ぎなかった)と出会ったり、てんやわんやの騒動の末に一件落着といき、銀太郎は江戸に帰って、第一話の「みん」と祝言をあげることになり、写楽のような役者絵を描いたらいいと勧められるところで落ちがつく。

 読んでいくと、味のある江戸浮世噺のような作品だと、つくづく思う。主人公の三人はすこぶるつきの善人であり、人が良すぎる人間であるが、つまらない妙な正義感が振り回されたりもしないし、てらいも構えもない人々が、そのまま面白く描き出され、人が良すぎていろいろな事件に巻き込まれていくが、それを何とも思わないのもいい。健康的なエロ話がユーモアたっぷりに描かれるのもいい。ただ、真面目な女性が読んで面白いとは思わないかも知れないが。

1 件のコメント:

  1. 「真面目な女性」を自任しておりますが、落語を読んでいるみたいで、クスクス笑いました。

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