予報では晴れだが、薄く雲が広がっている。いつものように、朝起き出して珈琲を入れ、新聞を読み、シャワーを浴びて、ゆっくりと動き出した。掃除や洗濯をしようかとも思ったが、少し寝不足気味で、「まあ、いいか」と思い直して、少し溜まった仕事を片づけることにした。風がはたはたと吹いて、こんな日の朝は、なんとなく孤独を感じたりしてしまう。
昨夕から夜にかけて、井川香四郎『梟与力吟味帳 花詞(はなことば)』(2008年 講談社文庫)を胡瓜の糠漬けを肴にしてビールを飲みながら読んだ。
この作者の作品は、前に一作だけ『船手奉行うたかた日記 風の舟唄』(2010年 幻冬舎時代小説文庫)を読んでいたが、『梟与力吟味帳』のシリーズは、天保の改革(1837-1843年)を断行した水野忠邦の意を受けて厳しい市中取締りを行った鳥居耀蔵(1796-1873年)が南町奉行、「遠山の金さん」で有名な遠山景元(1793-1855年)が南町奉行だった頃、自由と平等を謳う寺子屋で学んだ幼馴染みの三人組が、それぞれ協力して江戸の町で弱い者いじめをする権力者に立ち向かっていくという痛快時代小説とでも言うべきものである。
このシリーズを原作にして『オトコマエ!』と題されたテレビドラマが、NHK土曜時代劇で2008年に放映されているが、それは残念ながら見ていない。だが、2009年の秋に『オトコマエ!2』が放映され、それは、時折見ていたので、物語の大まかな設定は知っており、通説に従って、鳥居耀藏が悪で、遠山景元が善、という設定のあまりの通俗ぶりに「?」を感じながらも、主人公の藤堂逸馬が町人から奉行所与力になった青年であったり、幼馴染みで剣の腕も確かな武田信三郎(寺社奉行配下の吟味物調役支配取次という下級役人)が人のいい性格を持つ青年であったり、同じ幼馴染みで勘定吟味改役というかなりの重職についている毛利源之丞が、立派な名前を持ちながらも算盤が得意なところから「パチ助」と呼ばれ、しかも計算高いわりにどこか抜けていたりする青年であったりして、正義感と爽やかさだけで悪と立ち向かうという筋立てに面白さを感じていた。
ただし、「パチ助」こと毛利源之丞は、なぜかドラマの方には登場しない。もちろん、ドラマはドラマでそれでいい。
『花詞』は、このシリーズの四作目の作品で、第一話「花詞」、第二話「別れ霜」、第三話「東風吹かば」、第四話「やじろうべえ」の四話が収められており、いずれも南町奉行の鳥居耀蔵の暗躍や企みが影にあって、主人公の藤堂逸馬を中心にして、その企みをことごとく「人助け」の視点から粉砕していくというものである。
第一話「花詞」は、元金を保証して高利息を払うという名目で金集めをしていた札差に対して、預けた元金を返して欲しいという訴えが公事宿の「真琴」を通して出されるが、札差しは一年預かりという約定を盾にとって元金を返さないという事件の顛末を描いたものである。その札差しには、札差しを使って金儲けを企む鳥居耀蔵の手が働いていたし、主人公の藤堂逸馬の先輩であり鬼与力と恐れられていた正義感の強い元与力が、娘を殺されて与力を辞め、公事師(訴訟などを取り扱う者)として雇われていた。
だが、札差しの過去に不審を感じた藤堂逸馬は、その札差さしが、かつては貧乏長屋で蜆売りなどをしていた健気な子どもだったのが、いつの間にか札差しの養子となり、札差しの後継ぎや養父を殺してのし上がっていたことを知り、「誠実」というスミレの花言葉にかけて、真実を暴いていくのである。
第二話「別れ霜」は、工事現場で大怪我をした男を武田信三郎が名医と評判の医者に担ぎ込むが、医者はなぜか手当もしないまま他の医者の所へ行けといい、男は死んでしまう。死んだ男の女房はそのことに納得がいかずに、公事宿の「真琴」に頼んで医者を相手に訴訟を起こす。藤堂逸馬がその一件の裁きに当たることになる。
その過程で、津軽藩の追手番(藩内から逃亡した犯罪者を探す役)と知り合い、事故で死んだ男が、かつて仲間と共に津軽藩で強盗事件を起こしていたひとりであったことを知り、強盗仲間が逃げる途中で長崎帰りの医者を道中で襲ったが、強盗仲間の首領は立ち向かった医者に殺され、残った二人の子分たちがそのことで医者を脅していたことを知る。どんな事情があっても殺人は殺人として裁かれるために、医者は彼らから脅され、そのひとりが大怪我をして担ぎ込まれたのである。
そうした事情があったことを探り出し、医者を脅した強盗の子分を捕らえ、津軽藩追手番の侍に引き渡す。ところが、追手番の侍は津軽への犯人連行の途中で、強盗たちが奪った金を隠していることを知っており、その隠し場所を吐き出させて奪い取ろうとしていたのである。そのことを見抜いていた藤堂逸馬は、武田信三郎の手を借りて、強盗の子分を取り戻す。追手番の侍は、どうにもならないことを知って自死する。また、名医として慕われていた医者に対しては、以後三年の間牢医者として働くという裁きを下して、一件を落着させるのである。
第三話「東風吹かば」は、逸馬の幼馴染みである「パチ助」が、上役から頼まれて上役の妾をあずかる話で、老中水野忠邦は厳格な人物で、勘定吟味役の上役は自分が妾を囲っていることがばれると改易させられるかも知れないと恐れて、人の良い「パチ助」に偽装を依頼するのである。
だが、妾として囲われていた女性には、かつて相愛の菓子職人がおり、その菓子職人が鳥居耀蔵も一枚噛んでいた大店の商人たちの「阿片句会」の見張りに使われ、捕縛されて、ひとり罪を着せられて鳥居耀蔵によって遠島の刑を受けていたのである。だが無実の罪で嵌められたことを知って菓子職人が島抜けし、舞い戻ってきた。
鳥居耀蔵は「阿片句会」のことが発覚するのを恐れ、家臣を使って島抜けした菓子職人を殺そうとする。だが、藤堂逸馬によって菓子職人は捕らえられ、鳥居耀蔵の企みは失敗し、逸馬の進言で遠山景元は、評定所会議(各奉行が集まって裁きをする会議)で、菓子職人が嵌められて遠島になったのだから無罪であることを主張して、菓子職人を放免し、妾として囲われていた相愛の女性共々に江戸を離れるという結果になる。そして、妾を囲っているのではないかと疑われた「パチ助」のために、逸馬はその家族を屋形船にさそって、家族の仲を取り持つというところで終わる。
表題はもちろん、「東風吹かば 匂いをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」という「飛梅伝説」で有名な菅原道真の歌からとられたもので、望郷の歌であったこの歌を、この作品では男女の相聞歌として用いているものである。
第四話「やじろべえ」は、かつて寺子屋の「一風堂」で同席していた男が、儒学者として江戸に舞い戻り、江戸の町を混乱させることを企んで、鳥居耀蔵と水野忠邦によって非業の死を迎えなければならなかった武田信三郎の父親の恨みを晴らしたいと思っていた信三郎の母を巻き込んで騒動を起こそうとするのを、信三郎と逸馬が協力して阻止していくというものである。様々な政治的な力が働く中で、「ただただ人々を守る」という思いで働く逸馬の姿が貫かれていく。
江戸末期の混乱していく幕府体制の中で、どこまでも非政治的であろうとし、しかも弱者のための行動や正義、人への思いやりや情を大切にし、その姿勢を爽やかに貫こうとする主人公たちの姿は、ある意味で考えさせられるものであるが、人の爽快さというのは、そういうものかもしれないと思ったりする。
作品全体に少し雑なところもあるし、人物像も通説に従いすぎているのだが、作品の展開としては、こうした展開は面白く読めるだろう。欲を言えば、歴史的考察はきちんとされているのだが、鳥居耀蔵や遠山景元は、歴史上の人物であり、実際の人物像と通説には大きな隔たりがあるのだから、もう少し深く掘り下げた人物として描かれた方がよい気がした。鳥居耀蔵などはあまりに戯画化されすぎている気がする。
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