激しく降り続いた雨が上がって晴れ間も見え始めた。洗濯をしながら、ふと、山本周五郎の短編『雨あがる』を思い起こしたりした。やるせなさに涙がこぼれる。
それはともかく、昨夜も前作に続いて上田秀人『闕所物奉行 裏帳合(三) 赤猫始末』(2010年 中公文庫)を面白く読んだ。
表題の「赤猫」というのは火事のことで、特に放火をさした言葉であることから、本書の全体が放火事件を取り扱ったものであることが推測できるようになっている。「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど、江戸は本当に多くの火事に見舞われ、人々は特に火事に対して神経質になっていたが、本書では、江戸町屋の火事ではなく、町火消しが出を出すことができなかった旗本屋敷の不審な出火が続いたことの裏にある政治的な陰謀に闕所物奉行の榊扇太郎が巻き込まれていく話となっている。
旗本屋敷が火元となって本所で火事が起こった。それに続いて八丁堀の旗本屋敷でも火が出た。失火であっても武家にとっては重罪で、お役御免になるか、最悪の場合は改易(取り潰し)された。だが、今回の失火元は、前将軍で、隠居してもなお大御所として権力を握っていた徳川家斉のお気に入りの旗本で、通常なら失火が握りつぶされるところが、改易となり、財産没収の闕所となった。
旗本屋敷の火事の調査は目付である鳥居耀蔵が行い、その手足として使われている榊扇太郎が調べてみると巧妙に仕組まれた放火の匂いがし、しかも、通常なら握りつぶされるはずの失火が改易となった裏に何かがあるとにらんだ鳥居耀蔵にその裏を探るように命じられる。
こういう政治がらみのことに可能なら関わりたくないと思っていた榊扇太郎であったが、大目付直々の命でその旗本の闕所に関わらねばならなくなり、しかも、闕所から得られた金は、普通の勘定方ではなく、大目付の処に直接収めるように命じられる。
旗本屋敷の火事はさらに相継ぎ、しかもそれらの旗本屋敷のすべてが大御所である徳川家斉の側近ばかりである。そこに不審を感じ、放火であることを明白にしようと調べを進めていく過程で、刺客集団に襲われていく。その刺客集団と死闘を繰り返しながら、放火の狙いを探っていくのである。
実は、それらの旗本屋敷の放火と改易に、「おっとせい将軍」と言われた家斉の子どもたちの養子縁組を有利にして、自分たちの地位の安泰を図ろうとする大目付を初めとする家斉側の金策があり、財を貯めていた旗本を改易し、その財産没収によって得た金で養子の持参金とするという策があったのである。そして、最終的な目的は、彼らと対立する老中水野忠邦の屋敷に放火し、これを改易に追い込もうとする陰謀が巡らされていたのである。
この放火に、品川一帯を牛耳じって江戸に進出しようし、放火を請け負っていた地回りと、榊扇太郎の闕所を行っていた浅草の顔役である天満屋幸吉との抗争もからみ、展開が多重となって物語に面白さが増し加えられている。単なる政権抗争だけでなく、地回り同士の縄張り争い、力を用いて人を利用するだけの人間の悪辣さが描き出されるのである。
そして、天満屋幸吉と共に、水野忠邦の屋敷が狙われていることを知った榊扇太郎が、その放火を未然に防いでいくのである。もちろん、水野忠邦も鳥居耀蔵も、そして天満屋幸吉も、人を利用する人間として描かれるのだが、そういう人間の中で、利用されていることを承知の上で、自分の身の廻りの者を守り、飄々と日々の暮らしを営んでいこうとする主人公の姿が光っていくのである。痛快といえばまさに痛快な姿ですらある。主人公がいい意味で現実主義的であるところが面白いし、政治に巻き込まれながらも非政治的であり、自分の営みを続けようとするところに、シリーズの作品としての醍醐味もある。いずれにしても、闕所物奉行という主人公の設定が卓越した設定となっている。
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