昨日は朝から池袋まで出て、気のおけない人たちと昼食を共にしながら、今の社会状況などをだべって過ごし、その往復の電車の中で読みさしていた喜安幸夫『御纏奉行闇始末 うごめく陰謀』(2010年 学研M文庫)を読んだ。
この作者の作品を読むのは、前回に続いての二作品目で、これはこのシリーズの二番目の作品ではあるが、登場人物たちや取り扱われる物語の背景はわかるようになっている。シリーズの第1弾は『果てしなき密命』と題される作品である。
これは加賀前田家の「御纏奉行(おまといぶぎょう)」であった橘慎之介が藩主の密命を受けて江戸市井で浪人の身をやつしながら使命を果たしていく物語で、徳川家斉が将軍であった天保年間(1830-1843年)の不安に大きく揺れ動いた社会背景をもとに、特に閨房によって権力を得ていた中野清茂と日蓮宗の僧であった日啓の謀略に主人公の橘慎之介が立ち向かっていく姿を描いたものである。
江戸は火事の多かった都市で、町火消しとは別に各藩の江戸屋敷でも火事に対する備えに神経を使ったので、火消しのための組織が置かれていた。加賀百万石の前田家にもそうした組織が置かれ、大名火消しとして有名であったが、その火消し組織を束ねるのが御纏奉行である。残念ながらそういう役職が実際にあったのかどうかの詳細な知識はわたしにはないが、あり得ることだろうと思う。その御纏奉行であり、臥煙(火消し)たちから信頼と尊敬を得ていた橘慎之介が藩主から密命を受けるのである。
それは、藩主前田斉泰(まえだ なりやす)と溶姫との間に生まれた双子のひとりである松千代を影ながら守るというものである。溶姫は犬千代(後の前田慶寧)と松千代の双子を生んだが、双子は不吉で、将来のお家騒動のもとになるという理由で、松千代を捨てる。だが藩主と溶姫はその行く末を案じ、、捨てられた松千代の行く末を見守る役を密かに橘慎之介に命じるのである。
前田斉泰の正室(妻)となった溶姫は、徳川家斉とお美代の方との間に生まれた第21女であり(家斉はオットセイ将軍と異名を取るほどの精力家で、記録に残されているだけでも16人の妻妾をもち、53人の子をなしたといわれる)、お美代の方は、日蓮宗の僧であった日啓の娘で、その美貌が見込まれて家斉の側用人であった中野清茂の閨房策として養女となり、家斉のお気に入りとなって、中野清茂、日啓とともに権力をほしいままにした女性である。家斉とその側近たちは、次々と生まれてくる子どもたちを各大名たちに押しつけたが、溶姫もそのひとりとして加賀前田家に嫁いだのである。
この溶姫が生んだ子は幼名を犬千代といい、後に前田慶寧となるが、彼に双子の兄弟がいたというのは作者の創作だろう。犬千代は、後に、溶姫の母であるお美代の方によって幕府内の権力保持のために将軍継嗣にされそうになるが、その企ては家斉の正室であった広台院(寧姫・篤姫・・・ちなみに後の天璋院が「篤姫」を名乗ったのは、彼女にあやかったもの)と水野忠邦らの幕府側によって阻止された。
このあたりをかんがみながら、本書では、双子の兄弟である松千代を日啓と中野清茂が狙って、将来の前田家の乗っ取りとあわよくば将軍職の乗っ取りを企むという筋立てになっている。犬千代も松千代も日啓の孫に当たるが、日啓は権力掌握のために、双子であることを利用して松千代をわがものにしようと企んでいるというのである。このあたりの筋立てにちょっと無理がないわけでもないが、中野清茂と日啓の欲と権力願望のすさまじさはそうとうのものがあったので、こうした設定もありだろう。
さて、物語の中で、捨てられた松千代は、板橋の寺が引き取り、寺僧の佳竜(よしたつ)に預けられて仏門で育てられることになるが、彼を守る橘慎之介の存在を邪魔に感じた日啓と中野清茂は刺客を放ってくる。そのあたりの顛末は第一作の『果てなき密命』で記されているのだろうと思う。そして、危険を感じた佳竜と松千代(次郎丸と命名)は板橋から芝の増上寺に移り、それと同時に橘慎之介も、臥煙であった手下の仁七とともに増上寺門前の長屋へと移ってくる。本書はそこでの顛末を描いたもので、そこでも日啓の手の者が襲撃してきたり(「白昼の襲撃」)、日啓が増上寺近くに自分の拠点を築くために画策したりするのを繰り返すのである。
日啓は、増上寺近くの浜松町の旅館にまつわる怨念話を利用して、息子の日尚に怨霊退散の祈祷をさせて成功し、拠点を築きそうになるが、橘慎之介の計らいと佳竜によって失敗していく(「二代目祈祷師」、「描かれた女」)。日啓と日尚は、いわば佳竜との祈祷合戦に敗れるのである。そして、橘慎之介は祈祷合戦の場となった浜松町の旅館にまつわる怨霊話のもとである十年前の事件を探り出し、その怨念を晴らすために真犯人を捜し出していくのである(「許されぬ陰謀」)。ここで、木戸番の杢之助という不思議な人物が合力することになるが、おそらくこの木戸番・杢之助というのは作者の他の作品に出てくる人物だろう。
こういう顛末が述べられていき、最後に、板橋で松千代を守って殺された加賀藩邸からの奥女中であり、日啓が差し向けた浪人に斬殺された沙代の妹と名乗る沙那という美貌の女性が登場するところで終わる。おそらく続く物語で、沙那は大きな役割を果たしていくのだろう。
娯楽時代小説としては、歴史的考証の上で物語が自由に展開されているので面白いが、日蓮宗の祈祷師日啓と浄土宗の僧である佳竜の法力合戦というところや怨念話にまつわる事件は、まあ、相手が日啓なのだからいいとしても、本筋とはあまり関係のない幽霊の話を前提にしてその恨みを晴らすという筋立ては、こういう権力がらみの話ではどうだろうか、と思わないでもない。そこで作者の別の作品の人物が大きな役割を果たしていくというのも、その人物についての前提が他にある気配が漂って、わずかではあるが作者の商魂のようなものを感じたりもする。しかし、面白い作品であることに変わりはない。
ともあれ、私観ではあるが、江戸幕府の崩壊は、どうも家斉あたりが根源のような気がしているので、このあたりの作品を読むことは別の意味で興味がある。上から下まで人間のよこしまな欲が渦巻いた時代であるような気がしている。いずれにしても権力に限らず、力を欲するとすべては醜い。
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