立冬を過ぎて、このところ寒い日々が続いている。今日は冷たい雨が降り続いて、気温が低く、まさに冬の到来を感じさせる日になっている。その内、小春日和とかインディアンサマーとか呼ばれる暖かい日も訪れるだろうが、冬に向かっての歩みが一歩ずつ進んでいる気がする。このところ外出が多かったのと急激な気温の低下に身体がついていかないのだろう、少々風邪気味の気配がある。まあ。毎年今頃一度は風邪を引くのだから、通常通りであるに違いない。
硬質の葉室麟を読んでいたので、昨夜は少し軽いものをと思って、芦川淳一『おいらか俊作江戸綴り 雪消水(ゆきげみず)』(2010年 双葉文庫)を読んだ。この作者のこのシリーズの作品は前に『猫の匂いのする侍』(2009年 双葉文庫)と『惜別の剣』(2009年 双葉文庫)の2冊だけを読んでいたが、これはこのシリーズの完結編で、作者によるあとがきも記されている。
のんびりと春の日だまりのような気性故に「おいらか」と渾名される主人公の若い滝沢俊作が、藩の内紛に絡んで浪人となり、江戸の裏店で同じ浪人である荒垣助左衛門とともに用心棒稼業などをして糊口を潤しながら、自らが巻き込まれた藩の内紛に決着をつけていくというもので、想いを寄せていた女性が藩の権力を握ろうとした家老が使う隠密であったり、その女性が命をかけて彼を守ろうとして、やがて自害したり、主人公の新しい恋の行くへが展開されたりするという、最近の時代小説の浪人ものの典型のような作品である。
本書では、盗みに入った武家屋敷で殺されかけていた子どもを助けた人のよい盗人が、主人公の滝沢俊作や荒垣助左衛門の噂を聞きつけて、子どもの救済を頼むために彼らが住む長屋の屋根から落ちて来るところから始まり、殺されようとした子どもの武家屋敷では、祈祷師が幅を利かせて、このままでは災難が起こると脅して母親に子どもを殺させてお家の乗っ取りを謀ろうとすることが明らかになって、滝沢俊作と荒垣助左衛門、そして剣術道場を隠居して彼らの用心棒稼業の世話などをしている桑山茂兵衛らと一計を案じてその祈祷師を討ち取り、子どもが無事に育てられるようにしていくという第一章「千里眼」や、桑山茂兵衛を逆恨みした男の計略や、滝沢俊作が藩の内紛騒ぎで倒した隠密の復讐やらが記されている。
話の展開に少しリアリティーを欠くところがあって、たとえば、第一章「千里眼」で、祈祷師にたぶらかされて武家の母親が我が子に手をかけようとするということなど、いくら江戸時代の人々が信心深かったとは言え、呪いを信じて我が子を手にかける母親の姿などは、どうもいまひとつ足りない気がしないでもない。たとえば、祈祷師が美男で、母親を手籠めにして、手籠めにされた母親がその愛欲に狂っていくというストーリー展開だとまだいいのに、と思ったりする。そうでなければ武家屋敷に祈祷師が居着くということが少し考えられず、また、いかに気弱な主人であろうとも武家の後継ぎである子を母親が手にかけるような事態になるには、もうすこし陰湿なものがあった方がよいと思ったりする。あるいは、主人公の滝沢俊作は、お世話になった医者の手助けなどをし、その医者の娘に想いを寄せていくようになり、やがて医者の弟子となって人生を歩み始めるのだが、かつて想いを寄せていた女性が彼を守るために自死したことの重みが当然あるはずなのだが、まるでそのことがなかったかのように恋が展開されるところなど、どこか軽さを感じてしまうのである。俊作の「おいらかぶり」も何か物足りなくて、ただまっすぐな性格を持つ青年武士という筆致で描かれている気がしないでもない。
重荷を抱え、問題を抱えつつも、なお「おいらか」であること、そういう姿を期待するが、娯楽作品としても、やはり人間に対する洞察の深みと感動が必要で、シリーズの完結としてはいささか不満が残った。
作者はあとがきで、別の作品に取り組む旨を記しておられるので、また、主人公が全く異なるような別の作品に取りかかられることを期待するし、時代小説であるのだから背景となる歴史と社会についての深い洞察のある作品を期待する。出版社の意図もあるだろうが、時流に乗った設定はもういいのではないだろうか。ただ、この作品は、風邪気味の弱った体力の中で読むには、気骨もいらないし、ちょうどよいのかも知れない。きょうはちょっと辛口になってしまった。
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