初冬のよく晴れた日になっている。今日で霜月も終わり、明日から師走に入る。師走はやはりなにかと気ぜわしいし、半ばにはキルケゴールについての話もすることになっているので少し籠もる日々になるのではないかと思い、今日は特に何もせずにのんびりすることにした。とはいえ、だいたいがいつものんびり過ごしているのだから、まあ、いつもと同じというところだろう。今日も変わらず「リンゴの木を植える」わけである。
二日ほどかけて、葉室麟『花や散るらん』(2009年 文藝春秋社)を深い感銘をもって読み終えた。読み始めてすぐに、これが、以前に大きな感動をもって読み終えた『いのちなりけり』(2008年 文藝春秋社)の続編に当たることを知って、もうそれだけで嬉しくなったのだが、読み進める中で同じようにぐいぐいと引き込まれて描き出された人物に魅了されてしまった。
前作『いのちなりけり』で、ただひたすら「いのちなりけり」と呼ぶほど愛する者に会うために死闘を繰り返し、16年の歳月をかけてようやく本当の夫婦となった雨宮蔵人と咲弥は、京都の鞍馬の田舎での落ち着いた生活をはじめるようになっていた。蔵人は茅葺き屋根の家の庭先に掘っ立て小屋を建てて柔術指南の道場を作ったが、まだ、ひとりも門弟はいずに家の廻りのわずかな土地を耕して畑を作ったり、自己鍛錬の日々を送ったりし、咲弥は、ときおり京都に出て和歌を教えたりしながら静かに暮らしていた。
冒頭の部分に、「女房(農家の主婦で蔵人夫妻を敬愛し、咲弥の京都行きについて行っている)が包みの中から取り出したのは手鞠だった。女の子(蔵人夫妻の子どもだが、実はわけありの子ども)は手鞠を受け取ると嬉しそうにポーンと宙に放り投げた。放たれた手鞠は女の子の手には戻らず、地面に落ちそうになった。女(咲弥)があっと思った時、落ちてきた手鞠を武士(蔵人)が片手で受け取っていた。
武士と女は顔を見合わせて笑った。二人はゆっくりと鞍馬街道を北へ歩き出した。荷を抱えた女房が後からついていく。
陽炎がたち、道沿いの白いハコベの花が揺れている。女の子の笑い声が遠く野にまで聞こえた」(6ページ)
という夫婦と小さな女の子の平穏で平和な姿が、実に見事な光景として描かれている。これが蔵人夫妻と娘の「香也」の鞍馬での姿である。そして、冒頭にこうした平和で温かい姿が描かれるということは、この平穏がやがては壊されていくことも暗示している。鞍馬の村人たちは、大柄で武骨で、決して美男子とは言えない蔵人と気品があって美しい咲弥が夫婦であるとは信じられず、特に咲弥が、公家や富商の妻や娘たちに和歌の指導をし、かつては水戸家の奥女中取締りをしていたと聞いて、まことに不釣り合いの夫婦として咲弥を憐れむほどであったが、次第に蔵人の人柄と力量に触れ、蔵人を尊敬するようになっていくのである。
蔵人夫妻と娘の世話をなにかとしてくれて、咲弥が京都に行くときには同行していた農家の女房は、牢人者たちが村に押し入って彼女の娘を人質に取った事件で、蔵人から娘を助け出されたことで、親身になって彼らの世話を買って出ているような女性で、蔵人の家族が鞍馬の村人から慕われるようになった象徴でもある。
しかし、こうした平穏な日々は、江戸と京都、幕府と朝廷の争いや、幕閣内での老中柳沢保明や吉良上野介の野望、江戸城大奥内での勢力争いという人間の欲によって打ち壊されていくのである。時は、ちょうど将軍徳川綱吉の母である桂昌院に従一位という身分を与えるかどうかで幕府と朝廷との間で隠れた争いが起こっていた時で、将軍徳川綱吉におもねるために柳沢保明は高家(礼儀作法を取り仕切る家柄)の吉良上野介を使って朝廷側に桂昌院の従一位を授けるように働きかけていた。吉良上野介は幕府の朝廷対策を担っていたのである。ここで吉良上野介の役割が大きくなったということは、この物語がやがては「忠臣蔵」に続く複線でもある。こういう構成も実にうまいと感心する。
吉良上野介はまた、それを自分の勲功としてさらなる地位の安泰を狙い、柳沢保明とはまた異なった思惑をもっていた。吉良上野介は高家であることを誇り、柳沢保明の素養を軽蔑しているところがあり、柳沢保明もそのことを快く思っていなかった。吉良上野介は自分の家臣であった神尾与右衛門を使って公家に金を貸し、その金で縛って公家の意見をまとめて思い通りに動かし、桂昌院に叙一位が降りるように画策していたのである。神尾与右衛門は剣の腕も相当にたつ。
幕府に対して快く思っていなかった朝廷側の指導的立場におり、雨宮蔵人夫妻の面倒もみてきていた中院通茂は、吉良上野介の陰謀を砕くために雨宮蔵人に神尾与右衛門を斬るように咲弥を通して依頼するが、咲弥は、恩義のある通茂の頼みでも、「蔵人殿は自分たちの都合などによって人を斬ったりしない」ときっぱりと断るのである。咲弥は蔵人を信頼し、その人柄をよく知っていて、そこに彼女の深い愛情がにじみ出ているのである。だが、事柄はそれで済まなくなっていく。
公家の借金については、雁金屋(天皇家の呉服御用達として財をなした呉服商)の息子であった絵師の尾形光琳が動いて、借金を返すことにしたが、今度は尾形光琳が狙われることになり、尾形光琳は雨宮蔵人のことを聞いて警護を依頼するのである。尾形光琳は鞍馬の雨宮家に身を隠す。そこを神尾与右衛門によって襲われたりするが、雨宮蔵人に守られる。そしてその時、娘の「香也」が拐かされそうになったりする。そして、、公家の借金返済の金を出す者が脅され、再び、桂昌院への従一位叙位への画策が始まっていく。蔵人と咲弥、娘の香也の廻りで、こうした事件が起こっていくのである。
他方、江戸では、桂昌院の従一位叙位の問題には、江戸城大奥内での勢力争いが絡んでおり、庶民育ちの桂昌院に女子で最高位の従一位などもってのほかだと思う公家方の出である綱吉の正室一派と、桂昌院や綱吉の愛妾であった「お伝の方」などの一派による争いがあったのである。特に、公家のであり大奥総支配であった右衛門佐(うえもんのすけ)は、正室「信子」と義母である桂昌院との長年の確執の中で桂昌院への叙位に強く反対していた。
そこには、将軍となった徳川綱吉がもっていた愛妾や、綱吉が自分の家臣であった牧野成貞の妻や娘をわが物としたり、柳沢保明の側室とも柳沢家で関係を持ったりした乱行があり、正室側としては不快感極まりないことがあって、それらが綱吉の母である桂昌院の身分が低かったことと関連して唾棄すべきことに思われたことが関連していたのである。徳川綱吉という人物は、「生類憐れみの令」もあるが、どこか欠如したところが多かった人物である。
桂昌院の従一位叙位に反対する右衛門佐は、朝廷を重んじる山鹿流軍学を学んだ赤穂浅野家の浅野内匠頭を使って、剣豪として著名になっていた浅野家の家臣堀部安兵衛によって吉良家の家臣であり公家の工作をしていた神尾与右衛門を討とうと画策するのである。そして、吉良家に近づくために浅野内匠頭を吉良上野介が指導する勅使饗応役に任じるように柳沢保明に命じるのである。大奥の意向は幕府の中で絶対的ともいえるものがあった。こうしたどろどろとした画策が、大奥、柳沢と吉良、朝廷内で繰り広げられていくのである。
だが、吉良上野介の陰謀で桂昌院への従一位の叙位は決められ、事柄が大事になる前に大奥での反対を抑えようとした中院通茂は、大奥の女性たちを鎮めるのには男子禁制である大奥に入ることのできる優れた人物が必要だと考え、蔵人の妻で才色兼備、水戸光圀にも仕えたことがある咲弥に大奥に行ってくれるように依頼するのである。そして、浅野家の取り潰しを防ぐためにも、咲弥は不承不承ではあるが、それを引き受け、蔵人と香也を残して江戸へ行く。
大奥に入った咲弥は、彼女の持つ技量を発揮して、正室の信子や右衛門佐を説得しようとするが、その時に、浅野内匠頭による殿中での刃傷事件が起こってしまうのである。そして、事柄は、いわゆる「忠臣蔵」へ向かって進んで行く。
浅野内匠頭がなぜそれまで経験のなかった勅使饗応役に任ぜられたのか、あるいは「忠臣蔵」の最も大きな謎とされている江戸城殿中で吉良上野介に斬りかかるという刃傷沙汰をなぜ起こしたのか、小さ刀は突く以外に相手を討つことはできないのだが、彼が切腹覚悟でそこまでしておきながら吉良上野介の額を少し斬りつけたぐらいだったのはなぜか、そういうことが、朝廷と幕府、あるいは大奥内での勢力争いの確執を背景としていたということが本書では述べられていく。
また、京都で公家を操ろうとした吉良上野の家臣である神尾与右衛門の殺害を浅野家家臣で剣豪であった堀部安兵衛を使って行うことを大奥から命じらるが、堀部安兵衛から「武の義」を説かれて断られたことで窮地に追いやられて自らの犯行に及んだというように語られる。もちろん、これらは作者の「忠臣蔵」についての解釈である。そして、この解釈は大変興味深く、面白いと思う。
浅野内匠頭の刃傷事件によって吉良上野介が失脚し、それまでの権勢のすべてを失っていったことは事実で、それによって桂昌院への従一位の叙任が決定され、その勲功として柳沢保明に加増が認められてますます柳沢保明の権勢が強くなったのも事実である。こうした権力者たちのどろどろした姿が描かれるのには理由があり、それが後に明確にされていくのである。
この書物についてはまだ書き記したいことがたくさんあり、少し長くなってしまうので続きはまた次に記すことにする。
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