明日から少し暖かくなるそうだが、まだすこぶる寒い。日陰には先日降った雪が残っている。だが、近くの公園の梅がもう3~4分咲きで、どこかほっとするような芳香を放っていた。慎ましい梅は、その姿だけで大きな感動を呼び起こしてくれる。武骨で派手さが少しもないのがいい。
久しぶりに胸のすくような爽やかな作品を読んだ。梶よう子『柿のへた』(2011年 集英社)を読んで、まずそう思った。この作者の作品も初めて読むが、主人公の設定や物語の展開、行間に流れる心情がにじみ出るような文章のうまさなど、感服した。
作者の個人的なことは何も分からないが、東京で生まれ、2005年『い草の花』という作品で「九州さが大衆文学賞」を受賞されて、作家としての本格的な活動に入られたようである。2008年に『一朝の夢』(2008年 文藝春秋社)で「松本清張賞」を受賞されている。個人的なことを公にはしないという、こういう姿勢もわたしは大変気に入っている。
本書の主人公の水上草介は、江戸幕府の薬草園であった小石川御薬園の御薬園同心である。御薬園同心は、薬草園の管理や働く園丁たちの管理をする役務であるが、二十俵二人扶持の薄給で、いわば最下級の御家人である。水上草介は二十歳の時にこのお役を継いだが、初めて出仕した時に、手足がひょろ長くて、吹けば飛ぶような体躯から、「水路でほわほわと揺れ動く水草」にたとえられて「水草」と渾名されるほどの頼りなげな青年である。のんびりした性格で、人よりも反応が一泊ほど遅く、「水草」と言われても意にも介さない。しかし、彼は自分のそういうところが嫌いではなく、ただただ植物が好きで、御薬園の仕事を喜々として行う日々を過ごしているのである。小石川御薬園は4万5千坪という広大な敷地の中に450種類のほどの草木が植えられており、草介は飽きることなく草木相手の生活を送っている。
彼は、代々が御薬園同心の家柄だったので、幼いころから本草学を学んでおり、薬草に関する知識に長けている。その知識を活かして、日々の中で起こって来る出来事に当たっていくというのが全体の流れであるが、主人公自身が穏やかな雰囲気を醸し出している人物であるだけに、その知識の活かし方も出来事の解決の仕方も、味わい深い穏やかなものである。
その彼の気質や人物像を際立たせるようなヒロインが設定されている。それは、御薬園の西半分の管理をする芥川家の息女の「千歳」で、17歳の美貌の娘だが、若衆髷を結って剣術道場に通うという気の強い男まさりの娘である。彼女は、本来なら大身の旗本の姫であるが、そんなことは気にもせずに、思ったことはずけずけと言い、さっさと行動も起こすが、人を思いやる気持ちを深く持っている。
草介は、そんな彼女を柔らかく、そして温かく包むような所があり、密かな想いを持っているし、千歳も草介への深い信頼と想いをにじませる。一見すれば性格がまるで反対のように見えるが、人への優しさは深く、そんな二人のやりとりも妙味がある。
物語は、小石川御薬園の中には、八代将軍徳川吉宗が大岡越前守の意見を入れて開所した小石川療養所があり、そこに女看護人として働く「およし」という人望の厚い働き者の女性のところに金をむしんに来る御家人崩れのような侍がいるというところから始まる。
その療養所に南町奉行所の小石川療養所見廻り方同心である高橋啓五郎がいて、草介と親しく、彼は「およし」に惚れており、その心配事を草介に話すのである。高橋啓五郎は、元定町廻り同心であったが、その剛直で懸命なところで上司とそりが合わずに、療養所見廻り方に左遷されていたが、彼もまた、あまりそのことを気にするふうでもなく、心優しい人物で、草介を信頼していた。その時は、たわいもない「惚れ薬」の話などをしていたが、やがて、江戸市中に風疹が流行り、多数の風疹患者が療養所に押し寄せるという事態になったりする。療養所で使う生薬は草介らが薬草園から採取して作っていた。小石川療養所は、看病する家族がいない重病人や、薬代が払えない貧しい者のために設置された施療施設で、流行病にも対応が求められていた。そして、その中で療養所の薬がなくなるという事態が発生するのである。薬の管理は「およし」がしていた。
そして、「およし」のところに金をむしんに来ていた男が、実は、元は「およし」の家の主家で、その主家が役目上の失態で没落し、その主家の息子であった男が博打や酒に溺れるようになり、賭場の借金を抱えて、昔の奉公人の娘であった「およし」に金をむしんにきていたのである。そして、「およし」の伝手で療養所に出入りする薬種問屋の用心棒になり、その薬種問屋への押し込み強盗を計画していたことがわかっていくのである。「およし」が薬を盗んだのは、その男の借金を返すためであった。「およし」とその男はただの主従関係ではあったが、「およし」は、その男の借金を返して、その男に真人間になってもらいたいと思っていたのである。
その男と古着屋が結託して押し込み強盗を企んでいることを突きとめたのは千歳であるが、その様子を探っているうちに動けなくなり、草介に助けを求めてきたのである。草介と高橋啓五郎は千歳のところにかけつけ、押し込み強盗を企んだ男を取り押さえるのである。草介は植木挟みか鍬ぐらいしか振るえず、最初はしり込みしていたが、いざとなればその男を叱責するくらいの度胸はもっているのである。
この出来事が決着して、千歳は父親から若い娘が捕物のまねごとをしたとこっぴどく叱られ、しばらく外出禁止をもらい、くわえて、いざという時に草介に身を護られたことが気に入らずに少々ふて腐れていたが、「およし」は高橋啓五郎に想いを寄せて、その仲立ちを草介が風疹を患った気配がある高橋啓五郎に届けさせるという形でとっていくというところで第一話が終わる。
こういうふうに物語が進み、やがて、啓五郎と「およし」は夫婦となり、草介のもつ魅力や人格がじんわりとにじみ出るような展開になっていく。いいと思ったのは、蘭学を学んで鼻高であった療養所の医師にも変わらずに接し、本草の持つ力をそれとなく示したりしていくが、草介に惚れこんだ人々から長崎に行って医学を学ぶように勧められた時の彼の対応である。
多くの周囲の人々が、草介がもつ能力を高く買い、紀州藩主でさえも、本格的な医者になって名をなすような人物になると言うが、彼は、それをきっぱりと断る。「大切な方々とは離れたくありませんから」と彼は言う。ひとつひとつを大切にしながら自分の道を歩いていく。彼は、天明の飢饉にあえぐ人々のために馬鈴薯の栽培とその食べ方などに工夫を凝らしていこうとする。そういう姿が本書に貫かれていて、上質な人間、という思いがした。
ちなみに、本書で出てくる薬草茶などは、わたしも自分で作ったりするので、より一層興味深く読んだりもした。しかし、それがなくても、この作者の視点というか人間の見方というか、とにもかくにも、軽やかで柔らかく深みを持ち、これから少し意識して他の作品をぜひ読みたいと思っている。秀作である。
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