2009年10月30日金曜日

諸田玲子『からくり乱れ蝶』、『仇花』(1)

 秋晴れのよい天気が続いている。朝から洗濯をしたりして仕事にかかり、電話や来客や郵便物の整理をはさみながら、あっという間に時が流れてしまった。昨夜は、そろそろお鍋の季節になったなぁ、と思いながら、ビールを飲み、新しい首相の国会答弁のニュースを聞きながら、諸田玲子『からくり乱れ蝶』(1997 徳間書店、2005年 講談社文庫)を読だ。

 諸田玲子『からくり乱れ蝶』は、幕末期に生きた侠客清水の次郎長(山本長五郎 1820(文政3)-1893(明治26))の二番目の妻となった「お蝶」を主人公にした物語で、清水の次郎長は生涯に3人の妻をめとるが、いずれも名前は「お蝶」と呼ばれた。

 次郎長の評伝では、明治の初期に養子であった天田五郎の『東海遊侠伝』が著名であるが、次郎長は、最初の「お蝶」と最後の「お蝶」について語ることが多くても、二番目の「お蝶」については、ほとんど触れることがなかったと言われている。諸田玲子自身が、清水の次郎長の家系につながる末裔で、彼女には、他にも次郎長の第一の子分であり、明治期に富士の裾野の開墾に当たった「大政」を主人公にした『笠雲』(2001年 講談社)小政を描いた『空っ風』(1998年 講談社)がある。

 諸田玲子は、詳細が知れない「第二のお蝶」を「竹居の吃安」(中村安五郎 1811(文化8)-1862(文久2))の娘で、「黒駒の勝蔵」(小池勝蔵-池田勝馬 1832(天保3)-1871(明治4))に恋焦がれる女性として設定し、侠客の陰謀と策略が渦巻く中で翻弄されながらも、ひとりのどうしようもない男に恋焦がれ、ついに報われずに殺された女性として描き出す。

 作品の中で、「第二のお蝶」(お冴-お駒-お蝶と名を変えていく)が恋焦がれる「黒駒の勝蔵」は、荒々しい狂気をたたえて、自分勝手で、賭場破りと殺戮、強盗と強姦を重ね、極悪非道な人間として描かれ、そして、結局は矮小な人間となっていく人物であるが、この救いがたい男に、美貌だが気の強い「第二のお蝶」は恋焦がれるのである。次郎長と勝蔵は仇敵の間柄であるが、次郎長の妻となったのも、勝蔵への愛ゆえのこととされ、勝蔵の所業を知りつつも、結局は勝蔵を捨てきれない女の悲しさが全編を貫いている。

 諸田玲子は、歴史の中で実在した人間とその状況の中に、ひどい男と知りつつもその男への愛を捨てきれずに一途に思いつつける女の姿を置いて、彼女を創り上げていく。文体も、構成も、そして展開の仕方も、よく考え抜かれて見事である。

 しかし、余談ながら、たいていの美貌の女性は、その美貌ゆえに気丈に生きていかなければならない宿命を背負っているが、「こういうきつい女は、御免こうむりたい」という思いがあったりもする。だが、ひとりの人を思い続ける一途さは、涙が出るほど心を打つのも事実である。諸田玲子の実像はあまり知らないが、彼女の作品には、こういう女性が多く登場する。縁をもちたくない女性ではあるが。

 続いて、諸田玲子『仇花』(2003年)光文社)を読み始めた。この作品は、徳川家康の側室「お六」生涯を取り扱ったもので、史実的には、寛永2(1626)年、日光御宮に参詣して、神前で頓死したともいわれ、「家康御他界後も俗塵を離れず」にいたとも言われるが、詳細は、諸説があって不明。諸田玲子は、その「お六」を上昇志向の強い野心家で、その野心ゆえに様々なものを失っていく女性として描く。

 この作品は、なかなかこった作りになっており、物語は江戸初期の話であるが、各章の始まりと最後に、登場人物と同名の人物を幕末期の江戸に登場させ、こちらは市井に生きる女性として描き出すことで、いわば、江戸初期と幕末に生きる二人の「お六」の姿を対比させるようになっている。江戸初期の家康の側室「お六」と幕末期の市井で生きる「お六」は、その姿が対照的である。

 諸田玲子がこういう手法を使ったのは、本書が女性の生き方をテーマにしていることを明瞭にするためだろう。また、そのために無欲な人間を何人も登場させる。特に、同じ家康の側室「お勝」や父の「五左衛門」や父の友人の江戸與兵衛とその晩年の妻「真佐女」夫婦、「お六」が恋い慕う兄の「千之助」やその妻の「小夜」、これらの「お六」の周りを取り囲む人々は、「お六」に振り回させられつつも、無欲な人間として描かれる。

 「お六」について、彼女を家康と引き合わせた無欲な側室の「お勝」の心情が次のように描写されている。

 「お勝にはお六の飢えた心が理解できた。あの、失意と怨みと野望がうずまく長屋、生き延びよう這い上がろうと目をぎらつかせる残党(北条家の残党)の群れの中で生まれ育ったのだ。母の優しい胸もなければ、満ち足りた食糧、十分に寒さをしのぐ着物もない。お六が富や力を自らの手でもぎとろうとするのは生い立ちのせいだろう。その姿が痛々しく思えたからこそ、家康の歓心をお六に向け、お六が這い上がる後押しをしてやったのである。」(206ページ)

 もちろん、様々なことを出生と環境のせいにする心理学的な理解に基づくものではあるが、「お六」の生き方を示す上では明瞭で、その生涯を要約するのにわかりやすいし、諸田玲子もその視点で、「お六」を冷静に取り扱う。

 作品には、江戸期に遊郭吉原を作った庄司甚右衛門が重要な役割を果たした人物として登場するが、この作品の中では、凄腕の戦忍びで、強盗団の首領でもあり、残忍性を備えながら、財に飽くことなき欲望を抱いて策略を重ねる人物として描かれている。「お六」は、彼を後見として、彼の財によって贅を尽くし、徳川家の女たちの中で地位を得ていく。甚右衛門が彼の父を殺した人物とも知らず、また、彼の操り道具として使われていく。

 「お六」は、北条家の残党としての貧しい暮らしの中で、築城されていく富と力の象徴である江戸城を仰ぎ、それを目指して生きる。そして、それは成功する。しかし、家康後、比丘尼屋敷に暮らさなければならなかった「お六」が、何とかしてそこを出ようとして、古川公方家との縁談を受けた時、次のような素晴らしい描写が書かれている。

 「そびえ立っていた天守閣が、泣き笑いの目の中で紙細工のようにかしいでいた。」(334ページ)

 それは、「お六」の心情といより、野心を抱き、上りつめようともがいて生きる一人の女性を見る諸田玲子の目である。「紙細工のような人生」、それが野心を抱き、出世を望み、何とか這い上がろうともがいて生きる人間の人生だ、と言いたいのではないだろうか。しかし、その紙細工の人生でも、人の生には簡単に批判できない重みがある。そのことを諸田玲子は知っているように思われる。それが、この作品を面白いものにしているような気がする。

 気がつけば、もう2時になってしまっていた。『愛することと信じること』のパソコン入力も進めなければならないし、日曜日の準備もしなければならないが、なんとなく、体の痛みから来るだるさもある。怠け心もある。続きはまた明日にでもしよう。「明日できることは明日せよ」である。

2009年10月29日木曜日

北原亞以子『恋忘れ草』(2)、諸田玲子『恋ほおずき』

 昨日は、関係している仙台の保育園で法人の理事会があり、仙台にまで出かけていた。仙台のけやき通りは、四季を通じて心を和ませるものがあり、春から夏にかけては青葉茂れる森の都の風情を楽しませてくれるし、秋と冬は紅葉や落葉が美しく、その下を歩くのが本当に気持ちがいい。

 ただ、このところ仙台の地下鉄工事で伐採されたものが多く、淋しくなっている。けやき通りは、もちろん人工的なものに違いないが、便利さを求めるがゆえに切り取られるのは、やはり、淋しい。「自然」というのは、けっしてありのままではなく、常に人工的に手を入れられたものではあり、それが常に文化的風情を創っていくものではあるのだから、仙台の「自然」も、また、こうして変わっていくのだろう。

 ただ、日本の風情というものは、可能な限りのありのままを切り取って、それを保持しようとするところから生まれてきたものが多く、枯山水に代表される庭園作りにしても、そうした意匠が凝らされており、できる限り人間に無理を生じないような配慮がなされてきた。そうした配慮が、新しい都市計画に生かされることを望むだけである。

 今日は、なんだか疲れ切ってしまい、一日中、掃除もせずにグダグダして過ごそうと思ったが、そうもいかず、なんだかんだと仕事をしてしまった。

 さて、北原亞以子『恋忘れ草』の続きであるが、第3話「後姿」の主人公「おえん」は、竹本七之助の名前で女浄瑠璃を語る女性であり、三歳の時に貧しさのために実の親から捨てられ、六歳で浄瑠璃の師匠に売られたのがもとで、この世界で生きるようになった。彼女は自分の経済的な後ろ盾として化粧水問屋の淡路屋長右衛門をもち、それは当然、長右衛門の愛妾であることを意味する。そして、「しんかたり(真打ち)になるためには、長右衛門の財力が必要であると思っている。もちろん、長右衛門の目を盗んで浮気もする。長右衛門も、前作で出てきた筆耕の香奈江に懸想している。そんな中で、彼女は、いわば、したたかに生きる女性である。

 その彼女の前に、風采のあがらない野暮な江戸僅番の田舎侍が登場する。「おえん」は鼻もひっかけないが、その田舎侍が彼女を訪ねてきて、深々と頭を下げ、礼を述べ、「わしは七百石の家に生まれたが、が番目の倅でね。三十俵の家に養子に出された。・・・三十俵の家は、どこまでいっても三十俵だ。わしの子も三十俵なら、孫も三十俵。今でさえ食えぬのに、これから先、物の値が上がったらどうせよというのか。誰も答えを出してくれず、わしらは、世の中の捨子も同然だと思っていた」と言う。そして、「江戸へ来てわかったよ。わしらだけが捨子ではない。・・みな同じだ。子々孫々、貧乏暮しをつづけねばならぬ。武士がおぬしにむらがるのは、寄席の木戸銭がやすいからではない。おぬしのように、自分の力を頼りに出世してゆきたいからだ」という(文庫版121-122ページ)。

 「おえん」は、そう言って去る田舎侍の後姿を見送りながら、初めて、人と向かい合って話をしたような心あたたまるものを感じていく。捨子で、生きるために斜めに構えて生きなければならなかった「おえん」と言う女性が、気丈に生きていても、まっすぐ向かい合って生きる者が必要だと感じるのである。

 第4話「恋知らず」は、小間物問屋の娘で、父と兄を亡くした後に店を切り盛りしながら、簪の意匠を考え、それが「お紺簪」として評判を取っている女性である。彼女もまた、ひとりで何とか自分の力で生き抜こうとしている女性である。その彼女が幼馴染で蝋燭問屋に婿入りした秀三郎と再会し、妻子あると知りつつ秀三郎に抱かれる。しかし、秀三郎が彼女を抱いたのは、幼い頃から優れていた「お紺」にたいして商売上の嫉妬からであることを、同じ幼馴染の平太から聞かされ、「お紺」は激しく泣いてしまう。そして、新しい簪の意匠で商売を盛りたてることを再び決意するのである。この作品で、前作の七之助(おえん)は、「お紺」の簪を贔屓にする客として登場する。

 第5話「恋忘れ草」は、歌川国芳を師匠にもつ女絵師で、歌川芳花という号をもつ「おいち」というのが主人公で、瓦職人だった父を亡くし、ひとり暮らしをしている。かつて彫り師の才次郎と恋仲だったが、才次郎は他の女と夫婦になった。才次郎がその女を身ごもらせたからである。「おいち」は才次郎に捨てられたのだが、どうしてもあきらめきれないで、ぐずぐずと関係をもっている。

 そういう中で、「おいち」は、地本問屋から百枚つづりの「江戸名所百景」の絵の制作を依頼される。「おいち」は、その彫りをぜひ腕のある才次郎に任せたいと思い、依頼する。才次郎もそれを引き受けるが、なかなか連絡がない。そこで、「おいち」は才次郎の家を訪ねる。しかし、そこで見たものは、恋した才次郎が妻と子と仲むつまじく暮らしている姿だった。「おいち」は悔しい思いをする。そして、江戸で二人といない絵師になる、と改めて思う。

 しかし、北原亞以子は、この物語を次の言葉で締めくくる。
 「強く締め過ぎたたすきが腕に痛い。
 が、ゆるめれば、寒念仏の鉦(かね)の音が軀にしみてくる。
 机の上の『三河町』がぼやけてきた。
 おいちは、涙で板下絵を汚さぬよう、机に背を向けた。」(文庫版 194ページ)

 この詩のような短い言葉に、ひとりで生きていかなければならない女性のすべての姿が凝縮されている。「ばかやろう!」と言って、自分を励まさざるを得ない人間の深い悲しみが「寒念仏の鉦の音」として軀にしみる。

 第6話の「萌えいずる時」は、料理屋「もえぎ」を営む女主人の「お梶」の話である。彼女は夫と別れた。夫は「山水亭」という大きな料亭の主だが、遊び人で、外に女を作り、その女と子どもを引き取り、さんざん散在した。「お梶」は、舅女の「おりく」もその女と遊び暮らしているのに嫌気がさして、山水亭を出て、自分で料理や「もえぎ」を立ち上げて暮らしてきた。そして十年が過ぎた。

 その頃になって、傾きかけた山水亭のために前夫の粂蔵が借金を申し出に来た。天保の飢饉で飢えて出てきた雇い人「おはつ」の親族の「おげん」の一家が転がり込んできて、人助けと思って雇った「おげん」が食べ物を盗んで行くようになり、前夫の粂蔵は「お梶」の名を使って借金をしてしまうという事態が起こってしまった。そして、借金取りに彼女の料理屋は見る影もなく壊されてしまう。料理屋をすることがもう嫌になる。

 しかし、すべてを失った後、思いを寄せいていた板前の新七が「その、何だ。枝を切り払われて、丸太ん棒のようになっちまった木からも、芽が出てきやす」(文庫版 246ページ)と言い、食べ物を盗んでいた「おげん」が、店を壊した人々に盗られていた銭箱を取り返してくる。「お梶」は、新七の言葉のとおり、「枝を切り払われて丸太のようになった木に、新しい芽が吹いたのかもしれない」(文庫版 247ページ)と思うのである。

 これらの6話に登場する6人の女性は、いずれも、恋に破れたり、叶わぬ恋を心に抱いていたりしながら一人で自立して生きようとする女性であり、そこには言い寄る者も、脅す者もあるし、また一人で生きなければならないがゆえに抱え込む淋しさも悲しみも辛さもある。そして、それらは単に女性だけではなく、ひとりで生きなければならない男も抱える辛さでもある。新しく生きようと決意することにも悲哀が伴う。北原亞以子は、そうした姿を描き出すのである。

 この作品は直木賞の受賞作だそうだが、そんな賞とは別にしても、短編でありながらも読みごたえのある作品である。取り扱われている時代は、文政から天保(1850年より少し前)で、第11代家斉の頃である。この頃から武家社会が揺らぎ始め、商人の力が大きくなり、物価が上昇し、下級武士は貧困を極め初め、農村では相次ぐ大飢饉に見舞われた。一揆や打ちこわしも頻発した。第6話「萌えいずる時」には、天保の大飢饉によって泥水を啜って生きて生きた農民の姿が描かれているが、その惨状にはすさまじいものがあった。しかし一方では、商人の財力が増して、江戸の文化は爛熟をみせはじめ、絵草子や錦絵、歌舞伎、浄瑠璃などが盛んになった。生活が苦しければ苦しいほど、人は享楽を求めたがる。「東海道四谷怪談」が上演され、柳亭種彦作、歌川国貞絵『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』が売れ、広重の『東海道五拾三次』が飛ぶように売れた。

 北原亞以子は、このような時代背景を駆使し、物語の中に織り込みながら、作中にもそうしたことを取り込んで、ひとりひとりの自立して生きなければならない女性の姿を描き出すのである。彼女は、1938(昭和13)年生まれだそうだから、戦後の混乱期とその後の成長、そして没落を経験してきた人であるし、その時代の女性の社会進出も見てきた人である。しかし、改めて思うまでもなく、いつの時代でも、ひとりで、しかも自分の力だけで生きなければならない人間が抱える悲哀と辛さは変わらない。時代小説は、そうしたことをさりげなく語ってくれるから、本当にいい。

 続いて、一気に読み終えたのは、諸田玲子『恋ほおずき』(2003年 中央公論社)である。

 諸田玲子は、他の作品でも非常に鋭い切り口をもち、重いテーマを扱ったり、女性とは思えぬ描写もしたりする優れた作家だと思う。本書もまた、堕胎がテーマとなっており、表題の「ほおずき」は、その根を乾燥させて煎じ、堕胎薬として用いられたものである。しかし、本書は、話の展開にもリズムがあり、描かれている人物も生き生きとして、いわゆる「おもしろく」て、一気に読める本である。

 本書の主人公江与(えよ)は、父の町医者六左衛門とともに中篠流(婦人科、堕胎専門)の看板を掲げる女医者である。彼女が中篠流の女医者となったのには理由があるが、その理由は、ほのめかされるだけで、ずっと後まで告げられない。また、彼女には真弓という年の離れた妹がいるが、その真弓には出生の秘密があり、これも後になって分かる仕組みになっている。

 父の六左衛門は土浦藩の藩医であったが、隠居し、浅草田原町に医者の看板を掲げるおおような人物で、娘たちを温かく見守っている。彼は、「凍鶴(いてづる)」と号して俳句を作り、その浅草田原町一丁目界隈を仕切る岡っ引きの梅蔵が俳句仲間として出入りしている。梅蔵の俳号は「孤鶴(こづる)で、この二人の俳句が、それぞれの章の扉に記されている。この家には、また、女中の「おとき」とその亭主で下働きをしている弥助もいるが、その夫婦の姿も温かく描かれている。そして、蛇骨長屋と呼ばれる貧乏長屋に住んで手癖が悪い悪たれの平吉も江与と知り合うことによって、やがて、医院の手伝いをして、梅蔵の手引きになる平吉という子どもも出入りしている。

 六左衛門の家は、だれもが、身分の区別なく、言いたいことを言い、それを温かく包む雰囲気で満ちている。

 また、江与は、ふとしたことで北町奉行所同心の津田清之助と知り合い、岡っ引きの梅蔵が、この津田清之助から手札をもらっていることも知る。津田清之助は妻子があるが、江与は彼に思いを寄せ、彼もまた江与に思いを寄せ、その恋の展開も面白く描かれている。

 江戸幕府は堕胎を禁じたが、産婦人科と小児科を建前としていた中篠流は黙認されてきた。しかし、時代は天保の改革の頃(1841-1843年)で、一切の贅沢が禁じられ、中篠流も禁じられる気配があった。奉行所同心の津田清之助も「命を殺すこと」に反対している。そういう中でも、江与は、やむをえず子どもを堕さなければならない現実の女性のために、中篠流の看板を掲げ続ける。

 彼女のもとを様々な女性が訪れる。それらの女性は、それぞれの事情の中で、子どもを産み育てることができずに彼女に堕胎を願うのである。

 老舗の蝋燭屋肥後蝋の女中「おきく」は、手代の新吉と恋仲になり、子どもを身ごもる。しかし、手代が妻子を持てるようになるまでには、まだ数十年かかる。新吉は、何年も辛い仕事に耐えて手代になった。今、子どもを産めば、その新吉の苦労も未来も水の泡となる。悩んだ「おきく」は江与のもとを訪れる。江与は、新吉ともう少し話をするように勧めるが、「おきく」はついに自害する。

 宿下がりの際に幼馴染のやくざ者に手込めにされ(強姦され)子を孕み、江与に堕胎薬をもらった武家の奥女中の勝代は、自分の上役の奥女中「蔦江」が役者にいれあげて子を孕んだと相談に来る。役者は女たらしのどうしようもない男である。江与はやむをえず堕胎薬を調合するが、役者のいいかげんさに腹を立てて、これを懲らしめる。

 吉原の遊女「喜蝶」は、妊娠しやすい体質なのか四度目の子を孕む。出産で休めば年季が長引くだけでなく、借金ともなり、生まれた子はすぐに余所にやられてしまう。江与は彼女にも堕胎薬を調合する。そして、「喜蝶」の同僚「綾瀬川」は、蛇骨長屋に住む飾り職人安次郎といい仲になり、彼の子を孕む。安次郎は妻子があり、幼い子どもたちがいて、女房はさらに子を孕み、貧しく、身受けもできない。しかし、「綾瀬川」は安次郎に会いたい一心で自分の妊娠を隠し、ついには安次郎と心中してしまう。

 子さらい(誘拐)事件が頻発する。平吉の機転で、それが、かつて子どもを堕ろし、その良心の呵責に耐えかねて気がふれた紙屑拾いの「おひさ」の仕業だとわかる。

 産んでも地獄、堕ろしても地獄の中を人は生きていく。それらの事件を津田清之助とともに関わりながら、二人の中が深まっていく。そして、清之助の友人井関彦十郎の妻志津が江与を訪ねてくる。志津は夫の出世を種に御小人目付の中沢兵庫という男から高位の者への取りなしとして不義を強要され、子を孕んでしまったのである。江与は何とかしようとするが、志津は兵庫に殺される。そして、その事実を清之助に話し、清之助は、思い悩む井関彦十郎に打ち明け、彦十郎は兵庫と果し合いをすることになる。その場に江与も立ち会う。

 彦十郎は兵庫に殺され、兵庫もまた高位の者が放った手で殺され、清之助も矢傷を負う。その清之助を看病する中で、ついに、江与は、清之助に妻子があることを十分承知しながら、彼に抱かれる。父親の六左衛門はそのことを知っていながらも黙って見守る。

 その間に、中篠流を使って武家と暴利をむさぼっていた事件が起こったりもする。

 江与の妹真弓は、自分が本当は六左衛門の子ではなく、飢饉で死に絶えた村の中で泣いていた赤ん坊を六左衛門が拾ってきた子どもであることを知り、悩む。しかし、六左衛門や江与や周囲の人々の温かさの中で自分を取り戻し、江与は、かつて駆け落ちまでしようとした男の中を引き裂かれて、無理やり、腹の中にいた子をさせられてしまった過去をきちんと整理していくようになる。そして、江与は中篠流の看板を下ろすことにする。

 江与は言う。「たとえ答えが出なくても、迷いが迷いのままに終わったとしても、真摯に心にとうてみなければなりません」と。

清 之助は言う。「尻餅をつこうが泥まみれになろうが、肝を据えれば怖るるに足らず」と。(284ページ)

 どうにもならない状態で生きなければならない人々を描きながらも、その基調は、それらを包む温かさである。「くさい」科白も、時代小説ならではのさわやかなゆるされるものである。状況の掛け合いが絶妙で、この作品は、重いテーマをさわやかに扱う絶品のひとつである。

2009年10月27日火曜日

北原亞以子『恋忘れ草』(1)

 今朝は4時に起きてしまい、そのまま本を読んだり、新聞を読んだりしていた。昨夜の雨も上がり、今日はよく晴れている。「秋晴れ」という言葉がふさわしい天気になった。

 プロテスタント教会の牧師をしている友人のT師から毎週メールで送られてくる『風のように』と題されたニュースレターをじっくり読んだりした。M.ルターの言葉がいつも触れられている。わたしは、M.ルターの神学の深さと彼の人格が別物であることを感じて、どうもそこまでM.ルターを敬服する気はないのだが、T師が毎週記している「牧師のぐち」はおもしろい。今日、牧師であることは己の身を削るようにしてしか成り立たない。頼りにできるのは、ただ、不確かに思えるような「神の言葉」だけだから。

 昨日の北原亞以子『深川澪通り燈ともし頃』について考えていた。北原亞以子は、この作品の中で、貧しくその日暮らしをしながらも、何のこだわりもなく生きている笑兵衛とお捨ての木戸番夫婦を描くことによって、「こんな人がいてくれたらなあ」と存在するだけで深い慰めとなる人間を描こうとしているのだろう、と思った。「笑兵衛」という名前も、お捨てが少し肥ってよく笑う女であるのも、「存在するだけで深い慰めと励ましになる存在」の姿なのだろう。

 昨夜、北原亞以子『恋忘れ草』(1993年 文藝春秋社 文庫版文春文庫(1995年)を読んだ。文庫版に収められている藤田昌司の解説で、彼女がこの作品で直木賞を取ったことを知り、また、デビュー作の『ママは知らなかったのよ』(1969年)以後20年ほどあまり認められずに、1989年の『深川澪通り木戸番小屋』で泉鏡花賞を受けるまで不遇に耐えたことを知り、『深川澪通り燈ともし頃』で描かれた政吉が、あまり文字を知らない時から一流の狂歌師になっていく過程で、周りに気を使い、その地位を確保しようと焦っていく姿に、彼女自身の苦労が重なっているのかもしれないと思ったりした。「認められてなんぼ」の人生を歩むつらさが、そこにある。

 さて、『恋忘れ草』であるが、この作品は6人の自立する女性を主題にした6編の作品からなる短編集であるが、それぞれが独立した短編でありつつも、それぞれの6人が、同時代に同じように近隣で生活し、それぞれに繋がりをもって登場する連作になっている。

 登場する6人の女性は、いずれも一人で自活して生きていく道を選んだ女性であり、作者の言葉を借りて言えば、「江戸のキャリアウーマン」である。

 最初の「恋風」に登場するのは、父親が開いた手跡指南(学習塾)を受け継いで、子どもたちに読み書き算盤を教えている女性(萩乃)である。父親は、仇討の敵の相手を最後まで看取ったことで評判を取り、手跡指南所を繁盛させた。しかし、それが虚偽であることが発覚し、彼女は質の悪い岡っ引きから強請られる。以前の婚約者も、そのことで彼女から去ってしまった。女一人で生きていかなければならない苦難が襲ってくる。

 その時、大人になって文字を習いたいといってやって来た傘問屋の手代(栄次郎)が、最初は鬱陶しいと思っていたが、すべてを承知して彼女の問題を解決してくれる。

 話はそこで終わるが、一つ一つの展開が、実に巧みで、女性が一人で自立しなければならない時に揺れ動く心情が細やかに描かれている。

 「男の八分」は、地本問屋(江戸時代の出版社)の筆耕で身を立てている香奈江で、長谷川香果という名で柳亭種彦(実在の人物-歌川国貞の画で『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』などを出す-)の作品の浄書なども引き受けている。一度結婚したこともあるが、別れた過去をもつ。その元亭主が、再び言い寄って来たりする。ある時、種彦の弟子と称する御家人崩れの井口東夷の『草枕』の浄書を頼まれる。しかし、それは種彦の『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』と似た部分があるということで出版できなくなりそうになる。井口東夷を憎からず思い、その作品も面白いと思った彼女は、その似通った部分を書き直してしまう。怒った井口東夷は彼女に詰め寄る。しかし、彼女の真実の思いが伝わって、東夷も納得するようになる。前作の萩乃は、ここで主人公香奈江の友人として登場する。

 ここまで書いて、なんだかとてつもない睡魔が襲って来たようで、続きは、また明日にする。

2009年10月26日月曜日

北原亞以子『深川澪通り燈ともし頃』

 低気圧と前線の影響で、昨夜から雨が降り、今も冷たい雨が降っている。あざみ野の山内図書館に先の6冊を返却し、新しい6冊を借りてきた。一人2週間6冊というのが貸し出しの規則になっている。ついでに、神戸珈琲物語でコーヒー豆を購入。セールで少し安くなっていた。

 昨夜、北原亞以子『深川澪通り燈ともし頃』(1994年 講談社 文庫版(1997))を一息に読んだ。文庫版は、「第一話 藁」と「第二話 たそがれ」の二部構成になっているが、いずれも、江戸深川の「澪通り」に住む木戸番笑兵衛と妻お捨ての夫婦を心のよりどころ、人生の要とする話で、「第一話 藁」は、捨子でかっぱらいなどをして暮らし、やがて塩売りとなった政吉が喧嘩をし、木戸番に運び込まれてから、この夫婦に触れ、笑兵衛から文字を習い、狂歌を作るようになって、やがて狂歌師として成功し、そして、妻に裏切られ、労咳を病んでいる場末の娼婦を愛するようになり、すべてを失っていくという話である。「第二話 たそがれ」は、幼い頃に親を失い、ひとりで腕の良い仕立屋となり、妻子ある男の、いわゆる「江戸女」でもあり、何人かのお針子も使っている気丈な「お若」とその長屋に住む人々の人生の変転の姿を織り込みながら、ひとりの心細さと寂しさ、やりきれなさが募る時に、ふとしたことで知り合った笑兵衛夫妻の元へ向かい、そこで生きることを恢復していく話である。第一話の政吉も、第二話で、すべてを失い塩売りに戻って同じ長屋で暮らす人物として登場する。

 いずれも、武家の出だとか由緒ある家の生まれだとか噂されながら、その日暮らしの貧しい暮らしをしている木戸番の笑兵衛とふっくらと肥って笑うと笑窪ができ、よく笑い転げる妻お捨ての夫婦を拠り所とする話で、辛い者や淋しい者、人生を捨てなければならない者に、無条件に、何も問わず、ただお茶を飲ませ、一緒の食事をし、必要なら四畳半の狭い家に泊めもする木戸番夫婦の温かさが、政吉やお若のそれぞれの人生の苦しみの中でにじみ出てくる。

 この作品には前作『深川澪通り木戸番小屋』があるが、まだ読んでいない。北原亞以子には『慶次郎縁側日記』というシリーズ物もあり、娘を失い隠居した元同心の慶次郎も、「仏の慶次郎」と呼ばれ、同じような役割を果たすが、『深川澪通り燈ともし頃』は、江戸市井物小説の中でも珠玉の傑作だろうと思う。構成も展開もまことにすばらしい。

 もう少し内容を詳しく書くと、第一話は、塩売りというその日暮らしの生活をしながら詠んだ狂歌二首が認められ、本に掲載されることになった政吉のことを一緒に心底から喜び祝う笑兵衛とお捨ての姿から始まっているが、そのことを真っ先に木戸番夫婦に知らせようとする政吉とそれを心底喜ぶ木戸番夫婦が、道路と二階の物干し場で会話する場面は、真に心憎いほど心を打つ。

 政吉は、それから結婚し、煙草屋の主となり、狂歌師としても成功していくが、狂歌にのめり込んでいくあまり妻を失う。妻は雇い人と駆け落ちして逃げていくのである。一流の狂歌師として体面を繕おうとするが、うまくいかずに、そのうちに岡場所の労咳を病んでいる女「おうた」にのめり込み、彼女のためにすべてを失う決心を固め、元の塩売りに戻る。

 こうした展開の中で、どうすることもできなくなった時に、政吉は木戸番夫婦のもとへ行き、何気ない二人のまっすぐな温かい振る舞いに慰めと励ましを受けていくのである。

 第二話も、腕の良い仕立屋となったお若が、まだ若い頃に、薬売りをしていた妻子ある男と知りあう場面から始まる。お若は男に妻子があるとは知らなかった。いわば、男に騙されたのだが、男を捨てることもできず、しかし、仕立屋を気丈に切り盛りしていくのである。

 そして、同じ長屋に住む人々やお針子たちのそれぞれの人生の変転にかかわりながら、一人ぼっちの淋しさと心細さにうめきながら、どうすることもできなくなった気持ちを抱えた時に、木戸番夫婦を訪ねていくのである。

 辛く悲しい人生を送らなければならない市井の人々、そして、それを受けとめていく木戸番夫婦、その日常を描く筆は、何とも言えないほど深い味を持つ。

 第一話の中の「燈ともし頃」に描かれている一場面。

 「何もできやしないんですよ、私達には。おきくさんにご飯を食べてもらって、政吉さんを探しただけ。それも、弥太右衛門さんやおくらさんの手をお借りしちまって」
 「それだけで、もう充分」
 と、おきくが言った。
 「それより嬉しいことなんざ、ありゃしません。勝手なことをして飛び出して行ったのに、あそこなら帰れると思えるところがあるだけでも幸せなのに、何しに帰ってきたと言われずにご飯を食べさせてもらえるなんて・・・・」
 おきくの声がくぐもる前に、政吉の目がうるんだ。
 政吉も今日、中島町澪通りへ行こうと思った。澪通りの木戸番小屋なら、なぜ空腹で目がまわるまで裾継の女にいれあげたとなじる前に、黙ってご飯を食べさせてくれると考えたからだった。」(文庫版 241-242ページ)

  「おきく」というのは、雇い人と駆け落ちして逃げた政吉の前の女房で、うらぶれて、政吉に謝罪するだけのために帰ってきた女であり、裾継というのは最下級の岡場所の女(売春婦)。

 もう一か所、最後の場面。うらぶれた政吉が帰って行くのを財布を持って走って追いかけてきた笑兵衛と政吉の会話。笑兵衛は、お捨ての財布を政吉に渡しながら、

 「ま、時々は、うちの婆さんにも顔を見せてやってくな。けたたましい声で笑うんで、少々うるさいかもしれねえが」
 「とんでもねえ」
 政吉はかろうじて涙を抑え、かぶりを振った。
 「俺あ、あの笑い声を聞きたかったんだ」
 「物好きだねえ」
 笑兵衛は、目尻の皺を深くして笑った。
 「あの声で笑われても、昼間は眠っている芸当を身につけるのには、ずいぶんと苦労したんだぜ」
 「そんなことを言っていいのかえ、親爺さん。あの笑い声が聞こえなくなったら、夜も眠れなくなるくせに」
 笑兵衛は、黙って笑顔の皺を深くした。
 「おきくも言っていたが、俺あ、深川へ流れてきてよかったよ」
 「住めば都さ」
 「違う。都にゃ、お捨てさんも親爺さんもいねえ」
 「どこにでもいらあな、こんな親爺と女房は」
 「でも、俺が出会えたのは、お捨てさんと親爺さんだった」
 お捨て夫婦に出会えて文字を習い、狂歌の会へ入ってみる気になった。自分の狂歌がはじめて本にのることになったのを喜んでもらったのもお捨て夫婦なら、おきくの失踪を隠すため力を借りたのも、この木戸番夫婦だった。
 気分が晴れぬ時に思い浮かぶのも澪通りの木戸番小屋であり、空腹で目がまわりそうになった時、すがりつきたくなったのも、二つの川の音が聞こえ、笑いころげるお捨てを笑兵衛が見守っている木戸番小屋であった。(文庫版 246-248ページ)

 第二話から、やるせなくなったお若が、自分の気持ちをもてあまして、木戸番小屋を訪ねる場面。

 木戸番小屋は、きっと、表の木戸を一枚だけ開けて、暗くなった澪通りを家の中の明かりで照らしているだろう。笑兵衛とお捨ては、焼芋の壺や、商売物をのせた台に占領されている土間の奥の狭い部屋にいて、「お帰り」と、お若に言ってくれるかも知れなかった。
 お若の足は、次第に速くなった。(文庫版 327ページ)

 この文章の「暗くなった澪通りを家の中からの明かりで照らしている」というのが、この木戸番夫婦とこれを取り巻く人々の姿を描いた本作の主題だろう。時代小説の良さは、この温かさを、思想や論理をこねまわしたり、饒舌に語ったりするのではなく、人間の姿として正面から描ける所にある。この作品は、その意味で、まことに胸を打つ傑作である。

2009年10月24日土曜日

大江健三郎『宙返り』(7)

 昨日、いつものようにサンダル履きで出かけたはいいが、どうしたことかバランスを失って花屋の店先で転倒してしまった。もっていた傘が使い物にならないくらい歪んだので、ドスンという相当の転倒だったのだろう。周りにいた人が驚いて振り向かれたのを覚えている。大人の転倒は、どこかおかしげで悲哀があると客観的に思う。左半身を打撲し、擦り傷の後もある。また、おそらく、無意識のうちに強制的に筋肉が収縮したのだろう筋肉痛も打撲痛とあわさって、どうしてこうも左半身ばかりを痛めるのだろうかとさえ思う。

 さて、『宙返り』の下巻を一気に読んでしまった。それは、下巻に入っての新しい展開が急速に進んでいるからでもある。

 新しい活動の舞台が、愛媛県喜多郡真木町に移る。かつての信者である関西支部(建設会社の曾田氏が中心メンバーで、曾田氏は古賀医師と友人)が「燃え上がる緑の木教団」の跡地を買い取っていたので、そこを中心に新しい活動が展開されるという設定である。

 この設定によって、師匠(パトロン)の活動が、「燃え上がる緑の木教団」に続くものであると同時に、この地は、『万延元年のフットボール』やそのほかの大江健三郎のほとんどの作品の舞台となった地であり、万延元年の一揆、明治期の一揆、戦後の反乱(「先のギー兄さん」と呼ばれる人の指導で行われた農村改革の一つ)、『燃え上がる緑の木』のギー兄さんらの歴史を継ぐものとなる。

 この地は、もちろん実際に大江健三郎の故郷でもあるが、「テン窪」と呼ばれる森に囲まれた閉鎖された社会が小説の主要舞台となるのである。

 『宙返り』では、『燃え上がる緑の木』の「サッチャン」や「ギー兄さんの息子(「ギー」と呼ばれる)が重要な役割を果たしていく者として登場し、これが『燃えあがる緑の木』の続編(もちろん、独立した物語であるが)であることが意識されている。

 「第17章 場所には力がある」は、新しい活動の拠点となる「テン窪」がそうした歴史を有し、その歴史を継承するものとなることが語られる。

 「第18章」と「第19章」は、「受容と拒否」と題された二つの章であるが、その主題は、新しく移動してくる師匠(パトロン)の教会に対する町の人々の反応を描いたものである。この設定は、当然のことながら必要な設定で、それが社会における「新しい活動」の位置づけともなっていく。

 「第18章」で、まず、「燃え上がる緑の木」の「サッチャン」と師匠(パトロン)が対話する場面が描かれ、「サッチャン」がどのようにこれを受けとっていくかが語られているが、その中で、師匠(パトロン)が「救い」について述べる内容が興味深い。師匠(パトロン)は、救いについて次のように言う。

 「私自身の救いへの考え方というか、救いのイメージというか、それは「宙返り」して十年間考えているうちに、しだいに単純化されたと思います。数学の易しい公式のようなものになったとさえ思います。人間が死について考える際に、あるいは死に臨んで、自分の生と死がこれでいいのだと確信を持つことができる。「すべてよし」(傍点)と、自分の生および死についていいうるようになる。つまりそれが、救われるということではないか?
 私の新しい教会では、信者たちがおのおの死を考えて、また実際にそれを前にして、確信を持って「すべてよし」(傍点)という。ハレルヤ!というのでもいい。それが無理なくできる方向へと導く。これが教会運動の基本的な方向づけです。そのために、真に悔い改めるのです。世界の終わり、時の終わりを本当に認識することから、それが達成されると思います。」(44ページ)

 これは、また、大江健三郎の正直な心情かもしれないと思ったりする。救いは、確かに、存在の肯定そのものにほかならない。人間がその確信を得ていこうとする所に救いへの道も、また、ある。

 物語としては、「サッチャン」は、この師匠(パトロン)の「救い」を受け入れ、また、師匠(パトロン)も「燃えがある緑の木」の活動を理解し、こうして、協力と継承が行われていく。「第19章」は、新しい活動が、たとえ急進派が加わったものであれ、実際のオウム真理教とは異なっいぇいることが詳細に論理づけられていく章でもある。

 「第20章 『静かな女たち』」は、新しい活動の構成メンバーとなった「静かな女たち」と呼ばれる女性グループについて述べられることを中心に、教会の新しい活動が地域の中で展開されていく実際を語ったものである。「燃え上がる緑の木」の農場が受け継がれ、古賀医師は町の診療所の医師を引き受ける。ただ、「静かな女たち」のグループは、独自の雰囲気を持つグループとなり、それによって、アメリカのファンダメンタリズムや多くの原理主義の一つの類型ともなっていく。

 こういう視点は、やはり、大江健三郎が、宗教教団というものをしっかり捕えている所から出てくるのだろう。ファンダメンタリズムや原理主義は、一つの矮小な現実によって壊れていくことも大江健三郎は知っている。

 「第21章 童子の蛍」は、「燃え上がる緑の木」の「ギー兄さん(救い主と呼ばれた)」の息子である「ギー」を中心にした訓練された中学生のグループで、やがてこれが、新しい活動の重要な役割を果たしていくこととなることが示される章である。「童子の蛍」のグループは、やがてはこの土地に残るか、この土地に帰ってくるか、この土地を根拠として生きるかを決意したグループで、いわば、これは「未来」を表すグループにほかならない。「育雄」は、このグループと接触し、このグループとともに「未来」に向かう者となっていく。

 大江健三郎の子どもの描き方は、どの作品にも共通の特徴があり、それは「子どもらしさ」ということからは縁遠い存在であり、ただ「未来を切り開く者」の象徴として扱われる。これは、重要なことでもある。

 この章の中で、「ギー」と師匠(パトロン)が語りあう場面が描かれ、そこで、「ギー」が「神を信じるとはどういうことか」と問うのに対して、師匠(パトロン)は次のように答える。

  「私にとってみれば、神を(傍点)ということと、信じる(傍点)ということを、ひと続きで口にすることができなくなっているということですね。しかし、これまでの永い経験からいうのですが、神を(傍点)から切り離しても、信じる(傍点)ということは言えると思います。難しくなりますが、信じる(傍点)、ということは、自分自身を垂直的にとらえるようになることです。水平軸にそってだけ考えを進めなくなる、ということなんですよ」(129ページ)

 これもまた、大江健三郎自身の、宗教に対するというより、生き方全体に対するひとつの姿勢でもあるように思われる。この点では、大江健三郎は極めて実存的である。

 「第22章 よな(傍点)」は、育雄が「童子の蛍」のグループから、「ヨナ」ではなく「よな」と呼ばれることが示される章であり、ここで再び、『ヨナ書』の主題が展開される。

 結局、ニネベの町の破滅を伝えたヨナが、ニネベの町の人々の悔い改めによって、その言葉通りにはならず、苦しむ。聖書は、そのヨナに「とうごまの木」によって神の憐れみが伝えられて終わるが、育雄は神に抗議するヨナを考え続ける。それは、「宙返り」によって宣べ伝えてきた神を裏切った師匠(パトロン)と先の案内人(ガイド)の問題でもある。『ヨナ書』が、本書の基調である。木津は、新しい活動の拠点となる礼拝堂の壁面を飾る絵に、師匠(ぱとろん)と「よな」の姿を描くようになる。木津の癌は進行する。

  「第23章 技師団」は、かつての急進派のグループであった「技師団」(実際的行動グループ)がどのようにこの新しい事態を受け止めて参与しているのかが述べられる章である。彼らは新しい活動の農場運営と建築などの具体的な面を担当する。しかし、彼らが求めるのは、知識人として、どこまでも理性の一貫性である。

 だが、理性(知識)の一貫性は、現実の矛盾の中で敗れざるを得ない。現実の矛盾を貫く一貫性を、かれらはもたない。ただ、古賀医師と曾田氏は、年齢のこともあるだろうが、この矛盾を許容する理性をもつとも言えるだろう。

 「第24章 聖痕(傍点)はいかに受けとめられたか」は、師匠(パトロン)にある脇腹の傷(聖痕)が悪化したことによって、それが知られ、それがそれぞれのグループでどのように「聖痕」として受けとめられていったかを述べた章である。

 この章の中で、先の「燃え上がる緑の木」にも関与したもと中学校長夫人の「アサさん」が、「師匠(パトロン)と「案内人(ガイド)」について次のように述べるくだりがある。それは、大江健三郎が、おそらく、『ヨナ書』とともに、もう一つの隠れた基調としているダンテの『神曲』を明白に示す場面でもある。

 『ヴィルジリオ(ダンテが地獄に行ってすぐに現れて、煉獄の一番高い所まで同行し、そこからさらに高く天国へと昇っていく弟子と別れて、自分は永遠にある者として、ひとり地獄へ帰る)は、初対面のダンテが叫んだ通り、詩を作るすべての人の師匠(傍点)であるし、また地獄から上昇する旅の案内人(ガイド)でした。ヴィルジリオが単独で受け持った役割を、あなたたちの指導者たちは、ふたりひと組で担われたのではないだろうか?』(192ページ)

 この言葉は、師匠(パトロン)がどういう人間であり、また、これからの彼の歩みがどういうものであるかを示唆する点で面白い。大江健三郎は、師匠(パトロン)を『神曲』のヴィルジリオとして描いていることを自ら明白にしている。(もしかしたら、これは大江健三郎のずるさとサーヴィスかもしれないが、こういう所は本書の最終章でも現れているような気がする)。

 師匠(パトロン)の傷は、「聖なる者の苦しみのしるし」としての「聖痕」として受けとめられていく。そして、そう受けとめられることによって、「静かな女たち」のグループも「技師団」のグループも、ひとつになっていく。まことに「人々はしるしを求める」なのである。集団が一つになるのにもっとも効果的な方法は、「犠牲の羊」をもつことである。師匠(パトロン)の傷は、その「犠牲の羊」となり、やがて、師匠(パトロン)自身が、「燃え上がる緑の木」の「ギー兄さん」と同様、「犠牲の羊」となる。

 「第25章 テン窪を舞台とする芝居」は、木津の癌が進行・悪化し、それに関連し、育雄の過去が語られる。育雄は、かつて、自分を同性愛に弾きいれた家庭教師を、神の「ヤレ!」という声を聞いて殺害したと木津に告白する。これを、どうして大江健三郎が「芝居」と題したのか、今のわたしにはわからないが、おそらく、やがては活動の中心になっていく育雄について、ここでその姿が明瞭にされたことと「宙返り」前のことを冗談として神をコケにしたこととの関連かもしれない。木津は、これらの活動を示す者として、「よな」としての育雄と聖痕をもつ師匠(パトロン)の両者が並んでいる図を描く。

 「第26章 未編集ヴィデオのような人間」は、「立花さん」の友人で、この活動にヴィデオ記録者として参加していた「飛鳥さん」(風俗で働いていたという設定になっているが、その設定はあまり掘り下げられない)が倒れた木津の世話を一手に引き受け、その過程で、彼女自身のことが述べられると同時に、ヴィデオのような客観的な記録媒体というものを通しての、という形で、事柄の客観性を再度位置づけようとした章である。

 「飛鳥さん」は、徹底して「仕える人」である。木津を心から配慮する。その意味では極めて魅力的な女性として大江健三郎は描いているような気がする。

 「第27章 『新しい人』の教会」は、彼らが「燃え上がる緑の木」教団が起こったテン窪で始めた新しい活動が、「新しい人の教会」として命名されるくだりである。この名前自体が、この活動の思想と今後の展開を示唆するものとなる。「新しい人」は、言うまでもなく、古い師匠(パトロン)や木津や古賀医師やこれまでのもろもろの過去を引きずった人々ではなく、文字通り、「未来を生きていく人」である。

 この「新しい人」というのが聖書から取られた言葉であることが師匠(パトロン)自身によって告げられる。引用される聖書の箇所は2か所。いずれも『エフェソの信徒への手紙』からである。

 「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を破棄されました。こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(新共同訳 エフェソの信徒への手2章14-16節)

 「だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」(新共同訳 エフェソの信徒への手紙 4章22-24節)

 大江健三郎がここから「新しい人」の概念を導きだしたことは明白であるが、彼の概念は聖書から離れた独特の意味をもっている。ただ、この物語では、「苦難の十字架による和解」と「隔ての壁を壊す」ということが、実際の「新しい人の教会」の置かれている現状を打ち砕くものとして強調されていく。
大江健三郎の「新しい人」については、『新しい人よ目覚めよ』(1983年 講談社)にもその表題として使われているが、こちらは、ウィリアム・ブレイク(17-18世紀イギリスの詩人)の後期の詩『ミルトン』の序の一節「Rouse up, O, Young men of the New Age !」から取られていると言われている。しかし、大江健三郎が「新しい人」という概念を大事にしていることは間違いない。

 「第28章 奇跡」は、「聖痕」をもつ師匠(パトロン)を描いていた木津の癌が消え去るということが起こったことが述べられている。ここでは、「癒し」の問題も大きい。

 この章の最後のところで、師匠(パトロン)が木津に向かって次のように語ることが、大江健三郎自身の在り方を知る上でも興味深い。

  「超越的なものには、・・・想像力はないのです。その点、スピノザはつくづく正しい。神という言葉を使うとすれば、神に想像力はない。キリストが十字架にかかるくだりを福音書で読むたびに、神の子にも想像力はない、と思います。キリストには、神の作りたもうた、また神そのものであるこの世界と、その進み行きがあるだけです。<わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか>。こう叫んで、しかもすべてを受け入れます。
 しかし、反キリストには想像力がある。むしろ想像力しかない、といってもいいほどです。私は反キリストの作法で「新しい人」の教会を建てようとしています。」(309ページ)

  「第29章 教育」は、「新しい人の教会」という概念のもので展開されるそれぞれのグループの姿が描かれていく章である。

 この章で、木津が描いて礼拝堂に掲げられた師匠(パトロン)と「よな(育雄)」の絵が、ワッツの「予言者ヨナ」と似ていることが述べられる。大江健三郎は、むしろ、ワッツの「予言者ヨナ」からインスピレーションを受けることが大きかったのだろうと思われる。

 ワッツとは、G.F.ワッツ(George Frederic Watts-1817-1904-)のことで、わたしは、まだ、彼の「予言者ヨナ」という絵を見たことがないので、何とも言えない。

ま た、預言者ヨナの最後について、グレゴリウスの説が紹介され、大江健三郎が、ここからも索引のインスピレーションを受けていることが明かされている。グレゴリウスは、「ヨナがイスラエルの滅亡を予見し、預言者の祝福は次第に異教徒達へ移りゆくことを予覚するにつれて、・・・ヨナは布教よりその身を退き、彼の教団の事情を疑問視し、古き高位と高職の法悦の塔を捨てて、自らその身を悲嘆の海へ投じた」と語る、というのである(336ページ)

 わたしはここで引用されている「グレゴリウスのヨナ書の解説」を知らない。初代教父のニッサのグレグリウスかグレゴリウス1世なのか、それともグレゴリウス13世なのかもわからない。ただ、いずれにしても、大江健三郎が『ヨナ書』に関してかなり綿密に注解を調べただろうことは想像できる。もちろん、この「グレゴリウスのヨナ理解」は、それ自体あまりにも我田引水的で、聖書学的に見ても聖書の注解とも言えないが、物語の中では意味をもつ引用ではある。

  「第30章 案内人(ガイド)の思い出」は、「新しい人の教会」の記者会見という形で、これが客観的に検証される場面であるが、この中で、もと中学校長の妻「アサさん」が「テン窪」の歴史と「新しい人の教会」について次のように語るくだりがある。これは、大江健三郎の連続する作品について自らが語ることでもあると思われるので下記に記しておく。

 「小説家の私の兄(こういうことで大江健三郎の作品の連続性を示唆するのだろう)は、人間のやることはたいていのものが、わずかにズレをふくんだ繰り返しだ、と書いたことがあります。単なる繰り返しじゃない、ということです。
 どちらもメイスケさん(万延元年の一揆の指導者)と繋がりのある二度の一揆に始まって、先のギー兄さんの根拠地(傍点)、新しいギー兄さんの「燃え上がる緑の木」の教会に到るまで、それぞれがわずかにズレをふくんだ繰り返しでした。ズレが生産的なんです。
 そこで、ということですが、師匠(パトロン)と皆さんの新しい教会も、これからはこの土地に建てられてゆきます。そうですからね、これまでここで起こった出来事の繰り返しに見えることもあるでしょう。あるいはあなた方が別の所でなさろうとしたことの、繰り返しのようかもしれません。しかし、ズレをふくんだ繰り返しであるはずだと思います。」

  「ズレ」が生産的である、という視点は、思想的にも重要だろう。人は、少しずつズレながら生きていく。それが生産いうことかもしれないから。

 「第31章 夏の集会」は、いよいよこれまでの歩みが集約されて「新しい人の教会」の出発点ともなる「夏の集会」についてであるが、物語はここから一気に加速していく。集会は企画する育雄を中心に成功裡に始まっていく。しかし、その終わり近く、集会の中心ともなる師匠(パトロン)の説教の前に、師匠(パトロン)は錯乱状態に陥り、死滅の恐怖に襲われる。そして、それによって、「静かな女たち」や「技師団」の信頼も、育雄の信頼も、失うのである。

 「第32章 師匠(パトロン)のために」は、第31章に続いて、師匠(パトロン)への信頼を失った「静かな女たち」が、自分たちの信仰を一気に成就するために集団自決を決意し、「技師団」もまたそれに手を貸すことを決意する動きに出たことから始まる。新しい出発となり、集会の中心となるはずであった師匠(パトロン)の説教も、中途半端な色あせたものとなる。

 それは、たとえばファンダメンタリズムや原理主義、知性の一貫性を求めることは、結局は、師匠(パトロン)が下っていったような地獄のままであることを認めることができずに、言いかえれば、結局は人間が罪深いものであることを認めることができずに理想主義に走るということでもあるだろう。

 育雄は、古賀医師と図って、「静かな女たち」が自決用に用意した毒を強烈な下剤とすり替えて、この事態を現実的に回避する。しかし、そのフィナーレを飾るはずであった檜(かつて「燃えあがる緑の木」の「ギー兄さん」が最後に燃やしかけた檜)を燃え上がらせるという場面で、師匠(パトロン)は案内人(ガイド)の張りぼてをかぶって自ら焼死する。「宙返り」後の師匠(パトロン)によって救われ、師匠(パトロン)の世話をしてきた「立花さん」と「森生さん」も師匠(パトロン)と死を共にする。

 大江健三郎は、おそらく、こうして「悔い改め」を語る師匠(パトロン)の苦難が成就することを語るものであろう。それは、「苦界に身を投じたヨナ」であり、「地獄に留まるヴィルジリオ」であり、また「犠牲の羊」の姿でもある。

 こうして、「新しい人の教会」は、先の「燃え上がる緑の木教団」と同様、終結を迎えたかに見える。しかし、大江健三郎は、「ズレ」を「終章 永遠の一年」で語る。これがなければ『宙返り』の意味はない。

 この章の中で、この活動の歴史を「荻」青年が記すことになり、「新しい人の教会」が育雄(もはや「よな」とは呼ばれない)と「踊り子」(ダンサー)を中心にして、残った「静かな女たち」(激しい下痢をすることでもはやファンダメンタリズムをもたなくなっている)と「技師団」の残り(他の者は去ってしまう)、そして、次の「救い主」となると考えられているギー(童子の蛍-土地に根づく者)によって継承され、発展していく姿が描かれる。

 ただしこの章の中で、「第5章 モースブルッガー委員会」で示された「荻」青年と津金夫人との性交場面について、「荻」青年が自らそれを描く必要がないのではないかと語ったということが、462ページに記されているが、こういう書き方はずるくて、これもまた不要ではないかと思ったりする。

 しかし、より重要なことは、最後に、木津の最後の場面が描かれ、そこで育雄に残された言葉である。
木津は、最後に、「育雄、ヤハリ、神ノ声ガ聞コエナクテハ、イケナイカネ?神の声は、イラナイノジャナイカ?人間は、自由デアル方ガ、イイヨ」と語る。「オレハ、神ナシデモ、rejoiceトイウヨ」と言う。

 カタカナで表記されていることも特別な意味をもつが、これは、「神なき時代」に生きなければならない現代人の一つの声でもある。「神の死」の概念は、現代の人間の在り方に重要な意味をもつ。「神なし」で人間が本当に自由でありうるのかの問題は別にして。

そ して、育雄は、「神なしの教会」ということに対して、「教会という言葉は、私らの定義で、魂のこと(傍点)をする場所のことです」と答える。

 この言葉で本書が終わっているのは、重要な意味をもっているだろう。

 いずれにしても、少し時間がかかったが『宙返り』を読み終わった。読みごたえのある内容であり、決して『燃え上がる緑の木』の続編としては簡単に言えない重みのあるものである。

2009年10月23日金曜日

大江健三郎『宙返り』(6)

 天気予報では秋晴れだが、目覚めた時は雲が広がっていた。昨夜、ビールを飲んでそのまま眠ってしまい、1時半ごろに目覚めた。昨夜は、それから明け方まで、ずっと『宙返り』を読んでいた。昨日、今日と、いくつかの委員会があったり、実務的なことが多かったりして、どうも集中できないでいるし、時間も足りない。こういう日常的な実務は、仕事上処理していかなければならないにしても、なんと意味のないことだろうと思ったりもする。しかし、人生はまた雑務の連続でできているのだから、手を抜くこともしないでいる。

 さて、『宙返り』の「第13章 追悼集会のハレルヤ」の続きであるが、この集会の中で、「宙返り」後も信仰を保っていた女性グループのリーダーである重野夫人が、師匠(パトロン)の説教に答える場面が描かれている。これも師匠(パトロン)の「宙返り」と第二次世界大戦後の天皇の「人間宣言」とを並べて、意味を持つものと思われるので、抜粋しておく。

 「(師匠-パトロン-の「宙返り」は、)神の子から人間に戻ったというよりも、もともと普通の人間だったのだということですが、それこそ師匠(パトロン)の「人間宣言」ということではなかったでしょうか?ラジオのかわりにテレヴィで、滑稽なほど愛嬌のある身ぶり手ぶりでしっかり「人間宣言」されましたよ。
 そこで私は、師匠(パトロン)の「宙返り」を理解したいという一心で、あらためて天皇様の「人間宣言」を見直してみようとしたのです。「宙返り」の後、若い方はみなさんエモーショナルになられたけれども、私はそういう年でもございませんでしたしね。そしていろいろ考えて私の辿りつきました結論は、こういうことです。
 天皇様は確かにあの時「人間宣言」をなされたけれども、この国で、この国の人間の心で、天皇様のことはなにも変わりはしなかったのじゃないか?長くなりますから詳しいことははしょりますが、そこで私は師匠(パトロン)のことも次のように考えたのです。師匠(パトロン)はいま、自分は神に直接繋がる者ではない、といわれた。そうであれば、これはどうにも仕方ないのではないか?これから師匠(パトロン)は、神から切り離された師匠(パトロン)として生きられるのだ。私は仲間の人たちと、神と直接繋がっていない師匠(パトロン)を信仰し続ける者となろう。そのように覚悟いたしたのです。」(368-369ページ)

 「今日の説教で、あらためて自分は神と直接繋がる師匠(パトロン)に戻ったと軽々にはいわれなくて、本当によかった、と思います。苦しみに苦しまれた師匠(パトロン)が、私たちのところに戻って来てくださって、活動の再開を呼びかけていられるのです。私たちがやはり苦しい十年の後でお迎えするのに、これ以上ふさわしい教会のあるじはいられないと思います。いまあられるままの師匠(パトロン)でいいのです。」(369ページ)

 こうして、「宙返り」後の師匠(パトロン)の新しい出発は受け入れられていくのであるが、天皇の「人間宣言」がいったいどんな意味を持つのか、それは、この国の形を考える上では極めて重要な問題でもあるので、この女性リーダーの発言として記されていることは、その後の「新しい教会」の展開が述べられる上でも重要な意味をもつだろう。

 「第14章 まぜ、いま師匠(パトロン)は帰って来たか?」は、追悼集会後の記者会見をとおして、かつての急進派のひとりである古賀医師の見解を述べることによって、案内人(ガイド)を死にやった側としての急進派もまた、この「新しい教会」の出発に参与していくことが述べられ、「宙返り」後に、新しく仲間となった「立花さんと知的障害をもつ弟(森生さん-この弟が後で重要な役割を果たしていくことになる)」の受容が述べられる。

 この「立花さん」の言葉で、「世界の終わりということも、イエスが十字架につけられて復活されたことと同じに、歴史の時間のある一点で行われたことであると同時に、私たちがつねにそれとともにある出来事だと思います」ということが述べられている。これが、終末思想の基本的視点であるということも興味深い。

 「第15章 積年の疲労」は、新しい案内人(ガイド)となった木津の抱えていた癌が進展し、一年ほどの余命となったことが語られ、それは、ある意味では、個人的終末を迎えた時の一つの展開であろう。「第16章 臨床家」は、かつての急進派に属していた古賀医師のこれまでの歩みが語られたもので、自閉的症状に陥り、そのことによって母親を死に追いやった経験を持つ古賀医師が、いかにして、かつての師匠(パトロン)と案内人(ガイド)の信仰に入り、また、その「宙返り」を経験したのかが述べられる。

 ここで引用されている二つの詩

 「はかなしとまさしく見つる夢の世界をおどろかで寝るわれは人かは」と
 「おのが身のおのが心にかなはぬを思はば物を思ひ知りなむ」

は、両方とも和泉式部の歌である。両方ともおそらくは恋歌であるが、大江健三郎は、これを自閉的になった古賀医師へのどうにもならない悔しい思いをもつ母親の心情として用いている。

 この古賀医師が「宙返り」前に師匠(パトロン)が語ったこととして次のように述べている。

 「この堕ちた世界で決着をつけないかぎり、どこに逃れても魂にとって窮境は続く。ここから逃げだすことが救いであることはありえない。そのように、きみの魂は、肉体を備えたきみに声をかけているのだ。・・・
 魂の声を聞きとる者がやらねばならないのは、この世界が堕ちた世界であり、人間は汚れた存在だと目覚めて、つまり悔い改めて、この堕ちた世界の終わり、時の終わりを迎えるよう務めることだ。既にその魂の声を聞く者らが多数現れて来ている以上、世界の終わり、時の終わりが遠いはずはない。むしろ、それはごく間近に迫っている。悔い改めた者としてその到来を準備し、率先してそれを迎え入れることが、すでに魂の声を聞いている者の役割なのだ。そのように覚醒している人間は、きみひとりではない。きみのように大きく痛ましい苦しみをへてきた人間こそ稀であるにしても、私はそのように目覚めた人間の教会を組織している。」

 おそらく、この思想は『燃え上がる緑の木』でも展開された思想で、終末論とそれを生きる人間の姿の一つの類型として大江健三郎が描き出すものであろう。その意味では、「宙返り」と「終末の遅遠」は、決して無関係ではない。

 物語は、いずれにしろ、こうして「新しい教会」の構成メンバーがそろい、いよいよ新しい出発の段階に入る。上巻がここで終わっているというのは、上巻が「新しい教会」の準備の書であるということだろう。これは、心憎いまでの演出でもある。

2009年10月22日木曜日

大江健三郎『宙返り』(5)

 今日は午後から委員会で早稲田に出かけなければならないが、少し早く目覚めたので、掃除と洗濯をして、これを書き始めている。相変わらず、秋の過ごしやすい気候だが、騒音にみちている。何通かのメールを読み返事を出すが、あまりにも依存度の高いメールにはどこか腹立たしささえ感じる。

 さて、『宙返り』であるが、319ページに、新しい案内人(ガイド)となった木津の思いとして、ここまでの『宙返り』全体の筋が簡略に述べられている。

 「救い主という呼び名から想起もする、いかがわしさがその属性の一部をなしていた人物と、同じく預言者と呼ばれていた男の二人組が、自分らの信者たちを放棄する「宙返り」を行い、十年間、かれらのいう地獄に降りていた。いま悔い改めのための運動を再開しようとしている。世界の終わり、時の終わりを人々に深く認識させ、備えるために。」

 大江健三郎は、このことを、繰り返し、繰り返し、それぞれの登場人物の立場で述べ、「悔い改め」と「回復」が何なのかを述べようとするのである。「終末(世界の終わり」、「人間の罪性」、「悔い改め」、「回復」それらがキーワードなのである。

 「第12章 新しい信者のイニシエーション」は、「宙返り」後もなお信仰を持ち続けて共同生活を行っている女性のグループについての物語である。彼女たちは、静かに祈りの生活を行っている。そして、このグループが、新しく再生される「教会」の中心メンバーのひとつにもなっていく。

 大江健三郎が、ここで「イニシエーション」という言葉を使っているのは、明らかにオウム真理教がこの言葉を使って信者の訓練を行っていたことを意識してのことであろう。initiationは、元々は、開始、入会、手続きなどを意味する言葉であるが、オウム真理教は、この言葉で、信仰の儀式を意味させていた。だから、大江健三郎は、ここでは、ただ静かに祈りをささげること以外のことを語らないのかもしれない。

 「第13章 追悼集会のハレルヤ」は、亡くなった案内人(ガイド)の追悼集会で、12章で語られた女性グループや案内人(ガイド)を死に追いやった急進派のグループとの新しい和解が成立していく過程を述べた章である。

 ここで、師匠(パトロン)の長い説教という形で、この新しい「教会」の思想が述べられる。それは、『宙返り』が語る、ある意味で、「悔い改め」と「恢復」のヴィジョンでもある。少し長くなるが、以下に抜粋する。ただし、物語から離れて、それを神学として見るならば、それは、汎神論的でもあり、スピノザの汎神論に近いものといえるかもしれない。あるいは、K.バルト(K. Barth)の言う「啓示神学」も混入されていると見られないこともない。物語の本質からいえば、神がどうであるかということはあまり問題にならないからである。大江健三郎には、元々、そのような視点はない。「神」が問題ではなく、「神を信じて生きるということがどういうことか」という人間の姿が問題であり、その意味では、大江健三郎は、徹底して実存的であるとも言えるであろう。

 「神はこの世界を作り上げている自然の総体だ、というのが根本です。私たちが信仰を抱いて生きることは、正確にかつ豊かにその総体を認識していくことであって、それをよく成し遂げた時、私たちのお認識そのものが、そもそもの初めから神による認識であったことがわかる。神から私たちに流入しているものの働きによって、私たちはその認識に到り、それを言葉にすることもできるのだ。
 「宙返り」の際、自分らの神学を冗談だといった私の胸のうちには、それをひねくうたもうひとつの悲惨な神学が芽ばえていました。この惑星の総体をなす自然は、いまや人間の環境として破壊され続けている。それがすでに後戻り不可能であることも見えている。神としての自然の総体が-それは人間をもふくんでいるが-破壊され続けているのである。自然の総体である神が、回復不能の病におかされていることになる。
 しかも、その破壊された神、不治の病を病む神という、ただいまの私たちの認識は、そもそもの初めから神の認識のうちにあった。いま私たちは、もう遅すぎる認識を、破壊される神、病む神から、赤ん坊への母親の口移しの言葉のように、導かれているにすぎない。破壊され、恢復しえぬ病に死のうとする母親が、彼女とともに滅びるほかない赤ん坊に、初めからわかっていた成り行きを口移しに話している。そういうことなのだ。
 私はいま、「宙返り」の際に自分の新しい神学としたものに根ざしながら、次のようにいいたい。私ら赤ん坊の側からいえば、母親の死と相前後して死ぬほかない自分らが、このように破壊され、恢復しえぬ病におかされている。それがそもそもの初めの神の認識のうちにあった、というのは正しくない。赤ん坊の私らにそう言いたてる権利はある。その熱を出した赤ん坊のウワゴトが瀕死の母親に聞きとられ、まともな文脈にのせられて子供の口に戻される。その母と子の対話にこそ、人類の心からの悔い改めがあるはずだ。世界としての自然、すなわち神を破壊し、恢復しえぬ病にした、その実行者は人類なのだから。神へ抗議するやり方によって、悔い改めを導く者、反キリストの教会は、そのようにして建てられるのではないか?
 これが案内人(ガイド)を喪い、瞑想のヴィジョンを読みとくすべを失った、そしてなお「宙返り」を引きずっている私の、いま辿りついている地点です。私はこのような悔い改めに向けて、活動を再開することを決意したのです。
 キリストの、辱められた死の意味が疑えないように、反キリストの地獄に足を踏み入れた後の、死にものぐるいの奮闘にも、意味はあるはずです。そうでなければ、神は世界を造り出したその最初の認識において、どうして世の終わりに向けた反キリストの、多数の出現を構想されたでしょう?神こそが、その造り出したすべてのもののうち唯一冗談に解消されない、つまり「宙返り」をする理由を絶対に持たない存在なのです。」(362-364ページ) 

 この師匠(パトロン)の説教の中には、ここでもっとも深い問題となっているのが、「宙返り」をして、人間、つまり、裏切り、罪を犯し、徹底的なまでに恢復不可能となった存在の、その深みにおける意味である。「悔い改め」は、その意味を知ることである、ということが明瞭に示されている。

 案内人(ガイド)の追悼集会において、木津もまた、こう祈る。それは、神を信じることができない者の、言い換えれば、非信仰者の祈りである。

「私はあなたに呼びかけていながら、じつはあなたについて確信を持たぬ者です。しかし私はこの若者を通じて、自分のすべてをあなたに託します。」(366ページ)

 大江健三郎は、東京女子大学の講演で『信仰なき者の祈りについて』語っているが、この木津の祈りは、おそらく、大江健三郎そのものの「祈り」ということに対する姿勢でもあるだろう。