秋晴れのよい天気が続いている。朝から洗濯をしたりして仕事にかかり、電話や来客や郵便物の整理をはさみながら、あっという間に時が流れてしまった。昨夜は、そろそろお鍋の季節になったなぁ、と思いながら、ビールを飲み、新しい首相の国会答弁のニュースを聞きながら、諸田玲子『からくり乱れ蝶』(1997 徳間書店、2005年 講談社文庫)を読だ。
諸田玲子『からくり乱れ蝶』は、幕末期に生きた侠客清水の次郎長(山本長五郎 1820(文政3)-1893(明治26))の二番目の妻となった「お蝶」を主人公にした物語で、清水の次郎長は生涯に3人の妻をめとるが、いずれも名前は「お蝶」と呼ばれた。
次郎長の評伝では、明治の初期に養子であった天田五郎の『東海遊侠伝』が著名であるが、次郎長は、最初の「お蝶」と最後の「お蝶」について語ることが多くても、二番目の「お蝶」については、ほとんど触れることがなかったと言われている。諸田玲子自身が、清水の次郎長の家系につながる末裔で、彼女には、他にも次郎長の第一の子分であり、明治期に富士の裾野の開墾に当たった「大政」を主人公にした『笠雲』(2001年 講談社)小政を描いた『空っ風』(1998年 講談社)がある。
諸田玲子は、詳細が知れない「第二のお蝶」を「竹居の吃安」(中村安五郎 1811(文化8)-1862(文久2))の娘で、「黒駒の勝蔵」(小池勝蔵-池田勝馬 1832(天保3)-1871(明治4))に恋焦がれる女性として設定し、侠客の陰謀と策略が渦巻く中で翻弄されながらも、ひとりのどうしようもない男に恋焦がれ、ついに報われずに殺された女性として描き出す。
作品の中で、「第二のお蝶」(お冴-お駒-お蝶と名を変えていく)が恋焦がれる「黒駒の勝蔵」は、荒々しい狂気をたたえて、自分勝手で、賭場破りと殺戮、強盗と強姦を重ね、極悪非道な人間として描かれ、そして、結局は矮小な人間となっていく人物であるが、この救いがたい男に、美貌だが気の強い「第二のお蝶」は恋焦がれるのである。次郎長と勝蔵は仇敵の間柄であるが、次郎長の妻となったのも、勝蔵への愛ゆえのこととされ、勝蔵の所業を知りつつも、結局は勝蔵を捨てきれない女の悲しさが全編を貫いている。
諸田玲子は、歴史の中で実在した人間とその状況の中に、ひどい男と知りつつもその男への愛を捨てきれずに一途に思いつつける女の姿を置いて、彼女を創り上げていく。文体も、構成も、そして展開の仕方も、よく考え抜かれて見事である。
しかし、余談ながら、たいていの美貌の女性は、その美貌ゆえに気丈に生きていかなければならない宿命を背負っているが、「こういうきつい女は、御免こうむりたい」という思いがあったりもする。だが、ひとりの人を思い続ける一途さは、涙が出るほど心を打つのも事実である。諸田玲子の実像はあまり知らないが、彼女の作品には、こういう女性が多く登場する。縁をもちたくない女性ではあるが。
続いて、諸田玲子『仇花』(2003年)光文社)を読み始めた。この作品は、徳川家康の側室「お六」生涯を取り扱ったもので、史実的には、寛永2(1626)年、日光御宮に参詣して、神前で頓死したともいわれ、「家康御他界後も俗塵を離れず」にいたとも言われるが、詳細は、諸説があって不明。諸田玲子は、その「お六」を上昇志向の強い野心家で、その野心ゆえに様々なものを失っていく女性として描く。
この作品は、なかなかこった作りになっており、物語は江戸初期の話であるが、各章の始まりと最後に、登場人物と同名の人物を幕末期の江戸に登場させ、こちらは市井に生きる女性として描き出すことで、いわば、江戸初期と幕末に生きる二人の「お六」の姿を対比させるようになっている。江戸初期の家康の側室「お六」と幕末期の市井で生きる「お六」は、その姿が対照的である。
諸田玲子がこういう手法を使ったのは、本書が女性の生き方をテーマにしていることを明瞭にするためだろう。また、そのために無欲な人間を何人も登場させる。特に、同じ家康の側室「お勝」や父の「五左衛門」や父の友人の江戸與兵衛とその晩年の妻「真佐女」夫婦、「お六」が恋い慕う兄の「千之助」やその妻の「小夜」、これらの「お六」の周りを取り囲む人々は、「お六」に振り回させられつつも、無欲な人間として描かれる。
「お六」について、彼女を家康と引き合わせた無欲な側室の「お勝」の心情が次のように描写されている。
「お勝にはお六の飢えた心が理解できた。あの、失意と怨みと野望がうずまく長屋、生き延びよう這い上がろうと目をぎらつかせる残党(北条家の残党)の群れの中で生まれ育ったのだ。母の優しい胸もなければ、満ち足りた食糧、十分に寒さをしのぐ着物もない。お六が富や力を自らの手でもぎとろうとするのは生い立ちのせいだろう。その姿が痛々しく思えたからこそ、家康の歓心をお六に向け、お六が這い上がる後押しをしてやったのである。」(206ページ)
もちろん、様々なことを出生と環境のせいにする心理学的な理解に基づくものではあるが、「お六」の生き方を示す上では明瞭で、その生涯を要約するのにわかりやすいし、諸田玲子もその視点で、「お六」を冷静に取り扱う。
作品には、江戸期に遊郭吉原を作った庄司甚右衛門が重要な役割を果たした人物として登場するが、この作品の中では、凄腕の戦忍びで、強盗団の首領でもあり、残忍性を備えながら、財に飽くことなき欲望を抱いて策略を重ねる人物として描かれている。「お六」は、彼を後見として、彼の財によって贅を尽くし、徳川家の女たちの中で地位を得ていく。甚右衛門が彼の父を殺した人物とも知らず、また、彼の操り道具として使われていく。
「お六」は、北条家の残党としての貧しい暮らしの中で、築城されていく富と力の象徴である江戸城を仰ぎ、それを目指して生きる。そして、それは成功する。しかし、家康後、比丘尼屋敷に暮らさなければならなかった「お六」が、何とかしてそこを出ようとして、古川公方家との縁談を受けた時、次のような素晴らしい描写が書かれている。
「そびえ立っていた天守閣が、泣き笑いの目の中で紙細工のようにかしいでいた。」(334ページ)
それは、「お六」の心情といより、野心を抱き、上りつめようともがいて生きる一人の女性を見る諸田玲子の目である。「紙細工のような人生」、それが野心を抱き、出世を望み、何とか這い上がろうともがいて生きる人間の人生だ、と言いたいのではないだろうか。しかし、その紙細工の人生でも、人の生には簡単に批判できない重みがある。そのことを諸田玲子は知っているように思われる。それが、この作品を面白いものにしているような気がする。
気がつけば、もう2時になってしまっていた。『愛することと信じること』のパソコン入力も進めなければならないし、日曜日の準備もしなければならないが、なんとなく、体の痛みから来るだるさもある。怠け心もある。続きはまた明日にでもしよう。「明日できることは明日せよ」である。
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