2012年1月9日月曜日

火坂雅志『黄金の華』

今日は寒さが少し緩んで、日だまりが有り難い日になった。今年のお正月明けは格別に山のような仕事を抱えているのだが、まあ、今日一日生きていければいいか、と思いながら変わらず暢気に過ごしている。朝から掃除や洗濯、片づけ物をしたりしていた。毎週火曜日が可燃物のゴミの収集日になっているので、月曜日にゴミの整理をすることにしている。

 この2~3日、冷え込みが厳しかったので、テーブル式の炬燵に足をつっこんで、徳川家康を陰から支え、江戸幕府の財政基盤を作り、金融政策の要である金座を作った後藤庄三郎光次の姿を描いた火坂雅志『黄金の華』(2002年 日本放送出版協会 2006年 文春文庫)をとても面白く読んでいた。

 後藤庄三郎光次(1571-1625年)は、元は京都で貨幣の鋳造をしていた後藤家の職人であったが、後藤家の当主であった徳乗に才能を認められ、代理人として認められ、やがて徳川家康の厚い信任を得て徳川幕府の財・金融政策の要となっていった人物である。京都の後藤家は室町幕府以来の御用金匠で、京都三長者の一つといわれる分限者であり、豊臣秀吉の天下統一後は秀吉が発行した天正大判などを作製していた。庄三郎光次は、その後藤家の代理人として徳川家康が秀吉によって江戸に移封された際に、関東一円で通用する貨幣の政策のために江戸に派遣され、家康の信任を受けて「一両小判」を作製していくのである。

 庄三郎光次は、やがて江戸幕府の金山・銀山の総責任も負い、まさに江戸幕府の財・金融政策の要となり、以後、後藤家は金座を預かる特別なものになっていく。彼は江戸幕府の財政・金融政策の要として幕府の成立と安定に尽力を尽くすのである。しかし、彼以後は、後藤家にはとりわけて卓越した人物は出ていないような気もする。

 物語は、庄三郎がまだ後藤家の職人であった頃に、京都の大原にある江文神社の祭礼で行われていた男女野合に出かけ、そこで一夜限りの契りを結んだ相手が、京都三長者の一つであった門倉了以の娘であったことから始まり、その門倉了以の娘は、豊臣秀吉の甥で後継者とされていた豊臣秀次の側室になることを嫌って江文神社の男女野合に出て、闇の中で庄三郎と出会って契り、その評判が京都中に流れ出ることで秀次の側室話を断る口実を作るのである。

 実際に後藤庄三郎が京都の門倉家と関係があったかどうかはわからないが、こうした男女野合のような出来事を通して、豊臣秀次が殺されたことの顛末や京都における門倉家の業績を記す当たり、作者の力量の豊かさを思わせるものがある。

 さて、徳川家から関東で流通する貨幣の鋳造を依頼された後藤家では、だれも関東の片田舎に行くことを望まず、庄三郎が秀次側室予定の門倉了以の娘「おたあ」と契ったことが評判になり、庄三郎が京都におれなくなったこともあって、後藤家の当主である徳乗は、嫌っていた弟の長乗と共に江戸へやるのである。だが、長乗は江戸の水かあわずにすぐに京都へ帰り、庄三郎一人が徳川家康の命を実行することになる。関東は関西からは常に蔑まれた土地であり、それは今も根強く残っている。

 江戸を開き、ここに一大都市を作ろうとした家康の炯眼に触れた庄三郎は、飾り物ではなく実際に流通可能な「一両金」の製作を行っていくのであるが、その間に、秀吉に秀頼が生まれたことから豊臣秀次が殺されたり、秀吉の死後の徳川家康の動向が記されていったりする。庄三郎は後藤家の出戻り娘を嫁にもらい、後藤家の養子として後藤姓を名乗ることを許され、徳川家の財政を支え、金策を行っていくようになっていく。

 豊臣秀吉死後の徳川家康の姿と関ヶ原の戦い、大阪冬・夏の陣という歴史的な大転換を経済の面から見た展開がなされるあたり、味わい深い展開が続いていく。家康の策略の影に後藤庄三郎有り、なのである。

 そして、徳川幕府の初期に金山・銀山奉行として権勢を誇った大久保長安との対決など、見事な展開がされていく。大久保長安は、一時、初期の江戸幕府の中では家康の信頼を得て膨大な権力をふるっていたが、なぜか死後、遺体を掘り起こしてまで処罰されるという結末になった人物である。その辺りの事情を後藤庄三郎という家康の財政相談役となった御用金匠の目を通して描かれるのも面白い。

 庄三郎光次は、家康の子を身ごもっていたとされる大橋局を後妻として迎え、その子の広世が後藤家の二代目を継ぐが、その辺りの展開もおもしろいし、結局は、権力を握った人物がいかに転落するかを重々承知して、自ら眼を潰して隠居し、最初に契りを結んだ門倉了以の娘「おたあ」と京都で静かな暮らしをするという結末も、小説ならではのよさがある。

 江戸初期に政治の中枢として徳川幕府を形成していった人物たちの末路は、ほとんどが惨めなものであったが、本書は、先を見越した庄三郎が、晩年、自ら眼を潰して保身を図ったとはいえ、それによって京都で穏やかな生涯を過ごしたことで終わり、その点でも味わい深くなっている。

 後藤庄三郎光次は、卓越した財政感覚と才覚をもった人物であった。本書は、その庄三郎の生涯を描くことで江戸幕府成立の過程をこうした視点で捉え、しかもその人物像を味わい深く描き出し、優れた力作になっていると思う。

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