2012年1月14日土曜日

山本周五郎『町奉行日記』

この2~3日、都内での会議のために早朝から出かけなければならず、PCを開くことができずにいたので、読書ノートを記すこともできなかったが、ようやく解放されて、ほっとしている。寒さが一段と厳しくなり、「この冬一番」が続いている。

 この間、少し時間をかけて山本周五郎『町奉行日記』(1979年 新潮文庫)を読んだ。本書は、第二次世界大戦に突入する前夜ともいうべき1940年(昭和15年)に書かれた「土佐の国柱」から、1945年(昭和20年)の「晩秋」、1947年(昭和22年)の「金五十両」、1949年(昭和24年)の「落ち梅記」、1950年(昭和25年)の「寒橋」、1952年(昭和27年)の「わたくしです物語」、1953年(昭和28年)の「修業綺譚」、1957年(昭和32年)の「法師川八景」、1959年(昭和34年)の「町奉行日記」、1960年(昭和35年)の「霜柱」までの十編の短編が収められた短編集である。

 このうち、「晩秋」と「金五十両」は、『山本周五郎中短編秀作選集2 惑う』(2005年 小学館)に収められており、「寒橋」は、『山本周五郎中短編秀作選集4 結ぶ』に収められていて、すでに読んでいた。ほかにもいくつかは以前読んだような記憶があるのだが、はっきりしないので、改めてここに記しておくことにする。

 第一話「土佐の国柱」は、織田信長や豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いでは徳川家康に味方して土佐藩主となった山内一豊(1545-1605年)の死に臨んで、辛苦を共にしてきた老職の高閑斧兵衛(こうがおのべい)という人物の自らを空しくして土佐藩の安定のために忠義を尽くした姿を描いたものである。

 土佐藩主となった山内一豊は、その死に際して殉死を禁じたが、ただひとり忠義の士であった高閑斧兵衛だけは、三年後という期限つきでそれを許された。土佐では、旧主であった長曽我部氏の遺徳を慕う風潮が強く残っており、外来の山内家との確執が根強く残っていた。土佐が真実に統一されないことを憂えて山内一豊が亡くなったことで、高閑釜兵衛は、一豊死後に領民たちの抵抗を抑えるために寛容にしてきたが、効果があがらず、藩内でも彼の寛容さに対しての非難の声が上がったりし始めるのである。特に藩内の若手の武士たちは、高閑斧兵衛に対する反発を強めていた。

 斧兵衛の隣家の池藤小弥太も、斧兵衛の娘を嫁にしたいと思っていたし、斧兵衛を尊敬していたが、その若手の武士たちの反発に巻き込まれていく。そんな中で、斧兵衛は、ついに考えを巡らせて反山内派の豪族たちなどを集め、山内家に対する反旗を翻そうと山砦に立て籠もる。だが、その計画が発覚し、立て籠もり之一味は滅ぼされ、斧兵衛も池藤小弥太に討たれてしまう。

 斧兵衛が山内家に反抗する豪族たちを集めて、叛旗を翻らせたのは、亡き山内一豊と約束した三年後の期日が迫り、反山内派を一掃するための最後の苦肉の手段として計画したもので、そこで自らを空しくして土佐藩の統一を図り、約束通り三年後に死を迎えるためだったのである。

 あえて自らを汚辱にまみれさせて、空しくし、それによって藩の統一という主君との約束を果たそうとする姿が、こういう形で描かれるのである。

 この作品は戦前に書かれてもので、そうした時代背景はあるが、たとえば、内心の充実と世間の評判や評価というもののかけ離れた姿を読み取ることができる。自らの矜持を守り、それが世間的には汚辱にまみれたものであったとしても、粛々と内心の充実を図っていく。そういう人間の姿として改めて読んだりすることができる。そして、こういう姿は、今も大きな意味があると思っている。

 第二話「晩秋」と第三話「金五十両」については、すでに記しているので、第四話「落ち梅記」について記しておこう。

 これも自分を空しくして他者の幸いを願う人間の物語で、ここでは「愛」が大きなテーマになっている。幼馴染みで周囲からも認められていた愛する女性が、自分の友人と結婚するという事態に立ち入り、その女性の幸せを願って自分を犠牲にして愛する者のために友人の出世を図っていく男の物語である。

 藩の家老の息子であった沢渡金之助は、一人息子として愛情豊かに平和なうちに育てられ、温厚で学問もでき、学友の公郷半三郎とは藩主の継子の学友としても親しくしていた。友人の公郷半三郎は藩校の助教を務めていたが、朱子学以外の学問が強く禁じられた時代の中で陽明学などの古学や老子を教えたために罷免され、それ以来身を持ち崩して酒と賭博に明け暮れ、方々から借金をする生活をしていた。

 そういう半三郎を案じていた中で、明るく闊達な由利江が突然、半三郎のところに嫁ぐと言い出す。金之助は由利江を愛していたし、周囲もそれを認め、由利江も金之助の嫁になるものばかりと思っていたが、半三郎の妹に兄を立ち直らせてほしいとせがまれ、断り切れなくなって半三郎を支えるために嫁に行くというのである。

 金之助は愕然とするが、自分の想いを押し殺して、それを黙って受け入れる。ここで記されている女性の言葉は残酷で、由利江は「これまでどおり、あなただけは公郷さまの支えになってあげて頂きたいんですの。・・・わたくしできるだけのことは尽くすつもりでございますから、どうぞあなたもお変わりなく力をかしてあげて下さいまし」(127ページ)と、金之助の想いを知りつつも言うのである。女性には、ときおり、こういう残酷さがあるのは事実で、言われた男性は何ともやりきれない思いをもつものである。

 こういう中で家老をしていた金之助の父が倒れ、死を迎える。父は、藩政の中で何か重要な秘事を守っていたらしく、藩主の交代の際に、これまでの老臣たちが藩の産物を使って私腹を肥やしていたことが明らかになっていく。しかも、それを画策していたのが金之助の父親だというのである。

 だが、実際は、老臣たちが私腹を肥やすのに金之助の父親の名前が利用されただけで、父親はそのことの証拠を金之助に託していた。老臣たちは捕らえられ裁きを受けることとなり、金之助も同じように裁きを受ける立場となり、金之助は父親が残した証拠を差し出し、自分を裁く者として公郷半三郎を推挙するのである。金之助は粛々とその裁きを受け、改易されて禁固の刑を受ける。

 そして、金之助の推挙によって良い働きをした公郷半三郎は金之助に代わり次席家老となって金之助の裁きに当たっていくのである。金之助はただただ由利江の幸せを願って静かに半三郎の裁きを待つ。

 この物語は、ある意味で美しい物語である。由利江のような女性はいるかも知れないが、金之助のような男はめったにいないだろう。だが、決して非現実的な話ではなく、人の愛情の深さが滲むような話で、身を引いて孤独のうちに粛々と裁きを受けようとする姿は、深い愛情をもつ現実の人間の姿ではないだろうか。

 第五話「寒橋」は割愛して、第六話「わたくしです物語」も、人の過ちのすべてを「それはわたくしです」といって引き受け、しかも気負うことなく爽快に引き受けていく人間の物語で、登場人物の名前が、たとえば、「与瀬弥市-よせやい」とか「沢駒太郎-さあ、こまったろう」とかで付けられて遊び心のある作品であるが、人の過ちを引き受け、そうしている人間であることを周囲の人もわかっていくという展開がされている。

 人の過ちを黙って引き受けても、周囲も引き受けられた人間もわからないで、それを黙々と背負いながら生きていくのが現実であるから、こういう物語は、どこかほっとする気がする。

 第七話「修業綺譚」は、家中でも屈指の武芸の達人でありながら、いたずら心があり、どこか傲慢になっていた河津小弥太が、許嫁の伊勢の計らいで傲慢さを打ち砕かれて、忍耐と人の優しさを取り戻していく物語で、許嫁の伊勢は出入りの炭焼き爺さんを武芸の名人一無斎に仕立て上げ、一無斎が小弥太をさんざんこき使い、様々な苦しみを味あわせていくのである。そして、その中で、小弥太は次第に傲慢さが取れて忍耐を身につけていくというものである。ユーモラスに「我慢」の大切さが語られている。

 第八話「法師川八景」は、おそらく山形県に流れる法師川流域を背景としたものであろう。「つぢ」という娘が放蕩者と噂されていた久野豊四郎と愛し合い、子どもができるが、豊四郎は、「親に打ち明ける」と話した三日後に馬乗りをしていて馬に蹴られて呆気なく死んでしまう。

 「つぢ」は、久野家に行くが、豊四郎が放蕩者であったために認められずに、ひとりで子を産むことになる。「つぢ」には許嫁がいたのだが、豊四郎と愛し合ったために破談となり、彼女は「自分たちの愛情は真実のものだ」と毅然とした生き方をするのである。元許嫁は、そんな「つぢ」のためにあれこれと思いやりを見せるし、実は、豊四郎の両親から依頼されて子どもの成長を見守っていたのである。やがて、「つぢ」の毅然とした生き方を知った久野家から正式に「つぢ」と子を引き取りたいとの申し出があり、久野家の両親の心情が打ち明けられる。明白には記されないが、久野家で引き取った後に、自分を案じてくれていた元許嫁に嫁ぐであろうことが暗示され、自分の愛情の真実さを毅然と守りながら生きる「つぢ」と、それを認めて行く周囲の温かさがにじみ出ている作品である。

 第九話「町奉行日記」は、なかなか凝った試みが為されている作品で、「新任町奉行はまだ着任しない」とか「町奉行望月小平太どのはいまだに出仕されない」とかいった町奉行所の記録を挟みながら、藩の悪所の一掃と、その悪所によって長年私腹を肥やしていた重臣たちの一掃を、形に拘らずに自由に行っていく新任の町奉行の姿を描いたものである。

 彼が一度も町奉行所に出仕せずに(奉行としての仕事をせずに)、藩の悪癖を一掃していく放蕩ぶりが面白おかしく描かれている。

 第十話「霜柱」は、国許に赴任して来た若い次永喜兵衛にひどく厳しく接する老職の繁野兵庫の父親としての苦悩を描いたものである。繁野兵庫には身を持ち崩した不詳の息子がいて、この息子が父親の名を借りて好き放題をし、ついには次永兵衛を強請って金を奪い取ろうとするのである。

 兵衛は、このままではいけないと思い、どうにもならない兵庫の不詳の息子との対決を決心するが、その時に、父親である兵庫が息子を斬り捨てて来る姿に出会うのである。妥協しないで筋を通しながらも、息子を憐れむ父親の姿が、霜柱を践む音に合わせて描かれている。

 山本周五郎の短編には、内面の筋の通った人間を描く作品が多くあるが、この短編集には、そうした人物の喜怒哀楽が収められていて、じっくりと読めばさらに味わいが深い作品だと、改めて思う。いくつかの新しい小説の試みが必ずしも成功しているわけではないが、彼の作品は今の時代小説の胚芽のようなもので、ここから多くの芽が出て花が咲いたのが今の歴史・時代小説であるだろう。この作家の優れた視点を改めて感じた短編集だった。

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