葉室麟の作品には、これまでも和歌や漢詩が縦横に用いられるし、琴線を揺さぶる言葉の美しさが散りばめられているが、『橘花抄』にも、いくつかあったので抜き書きしておくことにする。
まず、立花重根が千利休の茶の秘伝書『南方録』を著したことに触れて、峯均が「茶の心とは?」と尋ねたときに、重種が答えた『壬二集』の藤原家隆の歌。
「花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春を見せばや」
「山里で人知れず芽吹く緑のみずみずしさ」が侘び茶の心だと語られている(67-68ページ)。そして、人はなかなか「雪間の草」を見ないが、「雪間の草」のように生きていく主人公の姿が暗示されるのである。
本書で用いられる和歌には、『いのちなりけり』で用いられた和歌ほどの重みはないのだが、それでも、「雪間の草」の生き方が、本書の主人公の姿と重ねられているのである。
もうひとつ、古今和歌集の詠み人知らずの歌
「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」
ここから書名もとられているのだろうが、物語の展開に直接の響きを与えるというよりも、主人公のひとりである「卯乃」の心情を示すものとして使われている。
言葉が生き方を指す美しい用いられ方としては、父親に疎んじられて廃嫡された傷心の泰雲に仕え、その子「卯乃」を産んだが、そのために泰雲のもとを追われて、乳飲み子を抱え、村上庄兵衛の家に預けられた「卯乃」の母である杉江が、村上家の身内とも認められずにひっそりと日々を過ごしていたときの言葉。
「ひとは会うべきひとには、会えるものだと思っております。たとえ、ともに歩むことができずとも、巡り会えただけで仕合わせではないでしょうか」(165ページ)。
あるいは、重根が流罪された後に、復権を試みようとする泰雲に、峯均がこれを諫めたときの言葉。
「兄は、事に当たって悔いぬのが武士と心得ておりましょう」(241ページ)。
また、峯均の母「りく」が「卯乃」に語る言葉。
「何かを守ろうとする者は、そのために捨てねばならぬものも多いのです。ひとからの誹りも甘んじて受ける覚悟がなければ、大切なものを守り通すことはできません」と言い、「花の美しさは生き抜こうとする健気さにあるのです」(292ぺーじ)。
こういう言葉が情景に重ねられ、また、人物の生き方に重ねられて語られていく。だから、抜き書きはしたが、これらの言葉は生きた言葉として物語の中で展開されていくのである。葉室麟の素晴らしさは、こういう言葉が実体をもって生きていることの素晴らしさでもあると、つくづく思う。
昨日は一昨日降った雪が溶けずに凍りつく寒さで、ときおり雪も舞った日だった。若い頃に影響を受けた中原中也の『汚れつちまつた悲しみに』という詩を、ふと思い起こした。「汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる」という一節である。不思議とそんな思いを抱いていた日だった。
今日も、ようやく晴れてきたが、寒い。暖房機をふる活動させているのだが、冷え込みの厳しさはいかんともしがたい。寒いと、わたしの脳細胞は休眠状態の上にさらに休眠をしてしまうので、たぶん、まとまった仕事にはならないだろうと思ったりもする。
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