今週辺りからようやく通常のスケジュールに戻ったような気がする。天気は悪いのだが、朝から洗濯をし、掃除にせいを出し、散乱していた書類や原稿を片づけたりしていた。今夜も雪になるかも知れないとの予報が出ている。
さて、葉室麟『橘花抄』の続きであるが、立花重根は、引退してもなお大殿として力をもつ黒田光之と藩主の黒田綱政の劣悪な関係を修復しようと苦心する。だが、周囲の人間たちはそういう重根に保身のための奸臣の汚名を着せようとする。策を労するものは、他の者も策を労していると思ってしまうので、重根が保身のためにおもねっていると思ってしまうのである。そして、重根は藩主親子の関係が修復されれば、身を引いて「卯乃」と静かな暮らしをしたいと望むが、適えられなくなっていくのである。
そういう中で、峯均の元妻の「さえ」が峯均のところに訪れ、娘の「奈津」を引き取り、実家の花房家に婿を取って実家を継がせたいと申し出る。加えて、「さえ」は別の藩士と再婚していたが、彼女の夫に借財があり、夫から実家に戻りたければ金を用意しろといわれ、峯均に金を無心に来たのだった。彼女の夫は光之から嫌われていた世子の黒田吉之の側近で、重根に刺客を放ったのが黒田吉之ではないかと思われ、「さえ」の夫はその刺客のひとりであったのである。
だが、そういうことを承知の上で、峯均は、「奈津」を出すことは断固として断るが、元妻の「さえ」を助けることにする。峯均は、「卯乃」に対する想いを内に秘めているが,それを決して表には出さずに、「さえ」を助けていく。しかし、そのことがさらに「さえ」の夫の気に入らずに、夫は峯均をさらにつけ狙っていくようになる。「さえ」は、姫百合の花を思わせるような女性だったが、かつて峯均が御前試合で無惨な負け方をしたときに、峯均を軽んじたことを悔いていた。「さえ」の夫は、重根を守る峯均を打つことで重根も誅することができ、仕えていて黒田吉之に気に入られようとし、峯均を呼び出し、計略を図って峯均を殺そうとする。
しかし、二天流五世の腕をもつ峯均は、これを難なく退け、「さえ」は実家に戻ることが出来た。「さえ」は峯均の元に戻りたいと思っているが、それが適わぬことを知っている。そういう中で峯均の姿に触れてきた「卯乃」もまた、重根への想いとは別に、実直な峯均を密かに想うようになっていくのである。
「さえ」の一件が決着した後、「卯乃」は突然、廃嫡されて逼塞している黒田泰雲(綱之)に呼び出される。そして、「卯乃」の父村上庄兵衛を死に追いやったのが泰雲であり、「卯乃」が実は泰雲の子であることを告げられるのである。その「卯乃」を重根と結婚させて、重根を自分の陣営に取り込もうとしていたのである。泰雲は、今なお、復権を企てていた。だが、「卯乃」は泰雲の元に戻ることをきっぱりと断る。「卯乃」を護って泰雲の屋敷まで来ていた峯均は、その帰路、「兄上には兄上の夢、わたしには、わたしの思いというものがござる」(113ページ)と語る。峯均と「卯乃」の密かな想いが次第に密やかに交差していく。
泰雲が復権を企てる気配が漂う中で、家老の隅田清左衛門は、光之と泰雲を争わせ、泰雲の力を削いで藩主の綱政の藩政を安泰させようとするし、それによって光之と泰雲の親子関係を修復させようとした立花重根の失脚を目論み、また、泰雲の娘「卯乃」と結婚するという重根が泰雲を庇う者と見なして、光之の死後は、綱政が泰雲を殺すと同時に光之の側近であった者の粛正を考えていた。
光之はその禍根を断とうと、かつて峯均を試合で破った巌流の津田天馬を刺客として雇い、自らの手で子である泰雲を始末しようと目論む。だが、立花重根は、その光之の目論見が人としてはずれたことであると光之を諫め、光之から、そうすれば悲運を招くことになるといわれても、「悲運もまた、運のうちでござる」(139ページ)と実直に筋を曲げない道を選んでいく。重根の諫言によってお役御免になった津田天馬は重根に恨を残し、峯均とも決着をつけると言い放っていく。
だが、そのことによって光之と泰雲の関係は険悪になっていく。立花重根は、その関係を何とか修復しようと苦慮する。そして、そのかいがあって、光之は泰雲をゆるし、泰雲もまた重根から親子の情を語られて心をほどいていく。重根は、泰雲がかつて愛した「卯乃」の母親との「互いを思いやる心」を説くのである。
だが、光之と泰雲の関係の修復は、現藩主である綱政や世子の吉之とその側近にとっては、自分たちの身を危うくすることに繋がりかねなかった。綱政は、父の光之亡き後は、泰雲側についたと見なされる立花一族を断つと決め、家老の隅田清左衛門は、そのために津田天馬を刺客として使おうとするのである。津田天馬は一度重根を襲い、護っていた峯均から片腕を斬られていたが、なお、執念深く立花兄弟を狙っていた。
立花重根の配慮で、光之と泰雲の間は修復された。光之は泰雲につらい思いをさせたと詫び、泰雲は自分の至らなさを思い、親子の情は取り戻された。そして、光之は死を迎えた。光之からゆるされた泰雲の台頭を危ぶむ綱政は、光之の遺志を無視して、泰雲と立花一族を退けようとし、光之側近を一掃しようとする。家老の隅田清左衛門は、泰雲と重根の仲を裂くために、泰雲の子であり重根の嫁になるという「卯乃」をなきものにしようと津田天馬を刺客として送る。
津田天馬は「卯乃」を襲う。だが、峯均の弟子となっていた桐山作兵衛が駆けつけてきて、かろうじて難を逃れる。だが、綱政による立花一族の粛正が始まっていく。もはや、立花重根と峯均は孤立無援の状態に追いやられるのである。重根は隠居し、峯均は所領を没収される。重根は剃髪して僧形となり、「宗有」と号するようになる。それはまた、「卯乃」を後添えとすることを断念した姿でもあった。だが、事柄はそれでは済まず、綱政は重根に嘉麻群鯰田に流罪を申しつける。
重根はその命に諾々と服し、罪人として鯰田で座敷牢の中で監禁される。重根の流罪を聞いた泰雲は、この機を捕らえて江戸おもてに訴え出て、藩政への復権を試みようとする。それを聞いた峯均は、鯰田に監禁されている重根のもとを密かに訪ね、重根は、そんなことをすれば泰雲が殺され、藩政が混乱すると考え、泰雲に書状を書く。筆もゆるされなかったので、重根は楊枝の先をかみ砕き、墨がなくなれば指を噛んで血で書面をしたためるのである。そして、危険を承知で訪ねて来た峯均に、自分に気兼ねせずに「卯乃」を幸せにしてくれと語るのである。
泰雲は重根の手紙を見て、自らの短慮を思いとどまる。そして、峯均は「卯乃」に自分の想いを伝える。だが、峯均が配流されている重根のところへ行ったことが発覚し、峯均は玄界灘に浮かぶ孤島である小呂島に島流しにされることになる。「卯乃」は、峯均に「お帰りをお待ち申しております」(254ページ)と伝える。他方、一度は短慮を思いとどまったが、峯均が遠島となることを知った泰雲は、再び江戸へ出立して、老中に綱政を訴えようとする。そこに家老の隅田清左衛門の刺客として津田天馬が泰雲を殺そうとやってくる。そして、泰雲は津田天馬の手にかかってしまうのである。「卯乃」は泰雲を思いとどまらせようと泰雲の屋敷に行こうとするが間に合わなかった。
残された伊崎の家では厳しい生活が営まれることになった。「りく」も「卯乃」も「奈津」も畑仕事をしたりして留守宅を守り続ける。そのうち「りく」が過労で倒れたりするし、峯均の元妻の「さえ」がやってきたり、家老の隅田清左衛門が「卯乃」を側室に望んでいると言い寄って来たりする。だが、三人は心をまっすぐにして生き続けるし、失明した「卯乃」のために江戸から目医者がやってきて「卯乃」が治療を受けることになる。
泰雲を殺した綱政は、これで安泰と想いつつも次第に気鬱になっていき、その気鬱のもとが鯰田に監禁している立花重根にあると思い、食事を減らしただけでなく、ついに、家老の隅田清左衛門に重根の処分を申し渡し、隅田清左衛門は刺客として津田天馬を送る。鯰田で座敷牢に入れられながらも、彼を監視する人々の心をうって逃げることが出来るようになっていたにも関わらず、重根は自分の道をまっすぐに進み、津田天馬に木刀で打たれてしまう。「どのような逆境にあっても、押しつぶされずに誇りを失わずに生きる」(324ページ)。それが立花重根の姿であった。
「卯乃」の眼は、治療の甲斐があって回復する。だが、津田天馬は執拗に立花峯均を狙い、小呂島まで峯均と対決するために出かけていく。無腰の峯均を案じた弟子の桐山作兵衛は、峯均に刀を届けるために小呂島に行き、峯均と津田天馬の死闘に立ち会う。それはまさに死闘であったが、「人には魂がある」と語る峯均は天馬を討ち果たす。
小呂島への流罪がゆるされて立花峯均が志摩郡青木村に住むようになるまで七年の歳月がかかったことが最後に記される。峯均は重根が遺した『南方録』の秘伝を清書する日々を過ごし、その側らには常にたおやかな女人の姿があったという。それは言うまでもなく「卯乃」であり、二人が連れ立って海辺を歩く姿が短く記されている。
そして、その後の福岡藩黒田家を襲った不幸と峯均が著した『丹治峯均筆記』から宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘についての記述が記されて、物語が終わる。
この作品は、どんな状況にあっても、押しつぶされずに誇りをもって生き抜こうとした人間を描いた作品である。藩主の黒田家一族の確執の複雑さなどもあるし、藩の権力を巡る争いが背景となっているが、「情」と「思いやり」、「愛」を、覚悟をもって貫こうとした人間の物語である。そういう人々が中心にどっしりと据えられているのだから、ひとつひとつが感動を生まないわけがない。
茶人として著名であった立花重根を描くのに、茶道ではなく、香道を取り入れたところにも作者の思いがあるだろうが、何といっても、言葉が美しい。この作品でも、特にそう思う箇所が随所にあったので、改めて記したいと思っている。
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